複雑な関係(3)
子供用ベッドの前で、サイドの椅子に腰かけるユイ。かれこれ小一時間、そこで息子の手を握っている。
「ユイ…移っちゃうから、もう行っていいよ」
いつもとは打って変わって弱々しいこの声の主はヴァシルだ。
「大丈夫よヴァシル。私は熱を出したりしないから。いつもお兄ちゃんとして頑張ってくれてるから、疲れが出たのね。こういう時は甘えていいのよ?」
今ヴァシルは自室のベッドで寝込んでいる。なかなか起きて来ないのを心配してユイが見に行くと、熱を出して唸っていたのだ。
すぐに新堂を呼んで診てもらい、疲れから来る発熱と診断されている。
「お薬も飲んだし、眠ればすぐに良くなるわ。何も考えずに、安心して眠って」
優しく語りかける母に、ヴァシルは朦朧としながらも心で訴える。
――眠りたくなんかないよ!こんな事って久しぶりだから…っ――
弟が二人も出来てから、ヴァシルがユイを独占するのは新堂からガードするため以外、機会はなかった。
病気になる事も滅多にない、逞しい長男なのである。
「…ねえユイ」
「なあに?」
「どうして新堂先生は、オレやケガしたラドゥの事も診てくれるの?ユイだけの主治医なんでしょ?」
「ドクターなら、目の前に苦しんでいる人がいたら助けたいって思うものよ」
――まあ…あの人は違うかもしれないけど!――
スタンダードな説明をしたが、心で否定している事はバレバレだ。
「でもあの人は違うでしょ」ヴァシルはユイの心を読んで言う。
「っ!…ああ、そうだった…」嘘をつくのは難しい。特にエスパーの前では。
「ユイだけじゃないよ。ダーもウチのドクターではないっていつも言ってる…頭ん中で」
「そうね。ホームドクターは別にいるもの。だからこそあの人は、やりたくなければ頼んでもやってくれないと思う」
「じゃあ、なんで?」
「さあ…それ以上は私も分からないわ。本人に聞いてみたら?」
難しい顔で沈黙するヴァシルに、ユイが言う。
「ほら、少し眠って」
「ユイ、眠るまでいてくれる?」
「もちろん。愛しいヴァシル、早く良くなってね」額にキスを一つ落として微笑むユイ。
安心感に包まれたヴァシルは、次第に瞼が重くなり、いつしか眠りに就いていた。
しばらくすると、小刻みだった呼吸が次第に落ち着いて来た。苦痛が和らいだのが分かり、ユイはようやく安堵の息を吐く。
続いてドアが小さくノックされる。
「どうぞ」
ユイが答えると、開いたドアから新堂が顔を出した。
「様子は?」
「先生。さっきやっと眠ったわ。今は大分楽になったみたい」
新堂がヴァシルの脈を診て、額に手を乗せる。
「薬が効いて来たな。さあ、おまえもそろそろ部屋に戻れ」
「風邪じゃないんだから、移らないでしょ?」
「それでもだ!つべこべ言うな」
「ふんだっ」
重い体をどうにか椅子から離して立ち上がるユイ。新堂がその体を支えてドアの方に誘導した。
「ああしんど…っ」腰を擦りながらユイが零す。
「大丈夫か?」
「ふう…」
疲れた顔のユイに新堂が一言。「おまえも点滴だな」
「え~、また?ちゃんと食べるからっ!」
先日のシャーバンの指摘から、頻繁に点滴をされる羽目になったユイは、心底嫌そうな顔で訴える。
「そういう言葉が信用できないものでね」
「もう!疑り深い人は嫌われるわよ?」
ユイは新堂の肩に軽くぶつかって抵抗の意を示す。
「結構結構!」
不貞腐れ顔のユイと澄まし顔の新堂は、沈黙のまま廊下を進む。
やがて夫婦の寝室が迫り、ユイが口を開いた。
「先生。…子供達の事まで気にしてくれて、ありがとう」
「礼など不要。ついでだ、大した事もしてないし?」
「それでも、ありがとう」
再び礼を述べ、自分を見上げて来たユイの顔は母の顔であった。
目を向けて、新堂が肩を竦めて笑った。
――こういう顔、するんだよな、こいつも…。母親だもんな、当然だ――
そう思うと少し悲しい気分になる。
自分はいつになっても何も変わらないままだから。
二人は立ち止まって見つめ合う。全く別の事を思いながら。
こんな二人の絶妙なシーンを、たまたま廊下を歩いていたダンが目撃していた。
「ん?ユイ様とドクター新堂ではないか。何をしてるのだ?随分と親密に見える…」
薄暗い廊下で向き合う男女。流れ的にキスシーンを連想するダン。
――イヤイヤ!そんな訳がなかろう、ドクター新堂もそこまで愚かではないさ――
子供が3人、いや4人もいなければ、間違いなく怒鳴り込んでいた事だろう。
そしてヴァシルは今まさに、その疑惑のために知恵熱を出している。
翌朝には、ヴァシルの熱はすっかり下がっていた。
まだ寝室で休んでいるユイに断り、新堂は一人で先にヴァシルの診察にやって来た。
「子供は回復が早いな。だが、念のため今日一日は大人しくしていろ」
「はぁ~い」
「時にヴァシル」
「何?」
エメラルドグリーンの小さな瞳が、興味深げに新堂に向けられる。
――病み上がりの子供にこんな事を聞いていいものか…――
新堂は迷う。息子達と単独で接する事はほとんどなく、ようやく訪れた機会なのだが、状況が状況だ。
思案していると、ヴァシルが元気な口調で言った。
「別にいいよ。何でも聞いて。っていうか、オレはヴァンパイアじゃないよ?」
「っ!何だよ急に!何の話だ?」
「とぼけなくてもいいよ。全部聞こえてるんだから」
「…何がだ?」
「思ってる事全部だよ」
意味不明な発言に、新堂は高熱で脳に障害が起きた可能性を考えてしまう。
「熱のせいじゃないって。生まれた時からだもん」
「っ!一体、どういう仕組みだ?」眉根を寄せて呟く新堂。
考えを言い当てられ続けて、新堂は恐怖すら覚えた。
「さあ。フォルディス家の血のせいじゃない?ダーもエスパーだし」
「え、えすぱあ?」
「えっと、日本語じゃ何て言うんだっけ、超能力者?」
「よくご存じで…」
子供達はルーマニア語に加え、英語と日本語をすでにマスターしている。
「はあ…俺も頭痛がして来た」深いため息と共にこんな言葉が漏れる。
「ダンとユイは隠したがってるけど。ダーと同じでオレも嘘は嫌い。だから話した。ユイには叱られるだろうけど…」しょんぼりとなるヴァシル。
それを見て新堂は、短い息を吐き出した。
――子供ってのは正直だよな。嘘は嫌い、か…――
「ユイには言わないよ。未だに信じがたいが、話してくれてありがとな」
「オレと弟、助けてくれたお礼さ。なら、オレも聞いていい?」
「何なりと」答えながらも新堂は思う。
考えが読めるなら聞く必要があるのかと。
そんな心の声も当然聞こえている。
「先生の頭ん中、難しすぎて!聞いた方が早いと思ったから」
「難しい?」
首を傾げる新堂に、構わずヴァシルは続ける。
「ユイの事、どう思ってるの?あ、好きか嫌いか、そういう意味でだよ?」
「そういう意味?」
「だから!…ほら、付き合いたいとか結婚したいとかそういうの!」
「なぜそんな事を聞くんだ」
「だって…」
それきり黙り込んだヴァシル。新堂の突然の笑い声に顔を上げる。
「昔は思った事がないとは言わないが、今はあり得ない。君達みたいな愛の結晶を見せつけられてはな!」
「昔、だけ?」
「ユイは大事なお得意様の患者だ。付き合いが長い分、親し気に見えるだけだろう。頭の中でもそう言ってないか?」
「言ってる。言ってるけど!」
「好きか嫌いかの話だったら、嫌いではない。好き、と答えると語弊が生まれるので。ああ失礼、君にはまだ難しいかな」
「難しくないもん!」
ムキになるヴァシルに新堂が軽く笑う。
「要するに、先生はフラれたんだね?でもユイの主治医だから、呼ばれたら一緒にいられる」
「フラれるも何も、申し込んだ覚えもない。元々そういう雰囲気でもないし!」
「でも、ただの医者と患者でもないでしょ?」
――鋭いところを突いて来るな…――
「一体先生とユイはどういう関係なの?もう頭がこんがらがって訳が分かんなくなって…っ」
「まさか…それで熱を出したのか?」
「うっ、だったらお前のせいだぞ!」
「ああそうだな。それは悪かった。まさかそんな事で悩んでいるとは思わなかった」
新堂は素直に謝る。
その態度が意外すぎて、ヴァシルはポカンとしてしまう。
「関係か…確かに説明が難しいな。友人でもないし」
――家族、は、望めない…――
「望めない?どういう意味?」
「…本当に全部聞こえてるんだな。くわばらくわばら!」
「ねえ!」
「ああ…友人以上、家族未満、かな」
この発言をブツブツと繰り返しながら考え込むヴァシルを見て、新堂が指摘する。
「そんなに考えて、また熱出すなよ?」
「そしたらまた先生に責任取ってもらうから」
「ははっ、一本取られたな」
「ねえ。恋人未満、じゃないの?」
「違うな。きっと俺の中には、恋人という定義が存在しないのかもしれない」
「定義?存在しない?」
増々混乱したヴァシルを見て、新堂は補足する。
「先生は、恋人よりも、家族に憧れてるって意味だよ」
「家族に憧れてるの?先生、家族いないの?」
「ああ。いないし、作れないんだ。フォルディスさんやヴァシル、ラドゥ、シャーバン、そしてもう一人できたな。君達家族にはどうしたって敵わない」
「家族は難しくても、恋人は作れるでしょ?先生は、恋人ほしくないの?」
「別に。仕事が楽しいから不足はない。君はたくさんガールフレンドがいるみたいだが!」
「オレの事はいいんだよ!先生カッコいいし、いっぱい女の人寄って来るでしょ?」
容易に思い浮かぶそんな光景を、頭で繰り広げながらヴァシルが問う。
だがしかし一番は父だ。「あ、ダーほどじゃないと思うけど」と付け加える。
これに新堂はバッサリと一言。
「一々相手にしない。時間のムダだからな」
それはまるで、父ラウルのような冷酷さで言い放たれたのに、言い分は全く逆。
――…ダメだ、やっぱりこの人の言ってる事が分かんない!――
ヴァシルの周りにはいないタイプだった。
ここフォルディス家は、性欲旺盛な色男の家系である。そしてこの国の男達は、常に女性を大事にする。新堂の意見とは食い違う。
「理解できたか?」
「っ、できたよ!バカにするな?」
何度聞き直しても理解できないと判断したヴァシルは嘘をつく。
「つまらん事で悩んだな。もっと早く聞いてくれればいいのに」
「あともう一つ!」
「どうぞ」
「ユイだけの主治医が、何でオレ達まで診てくれるの?」
「ああ…フォルディスさんから散々ホームドクターになれとせがまれてる件か」
――まさか息子まで使って勧誘する気か?――
「ダーには何も頼まれてないよ」
「っ!一々言い当てられると焦るな…」
――これはオチオチ考え事もできない!――
焦りを見せる新堂だが、ヴァシルはこんな事を言った。
「だけどさ~、ユイも先生も、素直って言うか何て言うか!ダーもだけど、ウソつけない人だねって言われない?」
ヴァシルの周囲には幸いそういう者達が集まっている。
「正直に生きてるからな。お陰で助かったよ。しかし、中にはウソばかり付いてるヤツもいるだろ?嫌にならないか」
「なるよ。そういうヤツとは話さないもん」
「正解だな。…で、君のお父さんも読めるのか?」
「ううん。ダーは読めない。ユージーン叔父さんは読めるよ。あの人は触らないと分からないみたいだけど」
「親戚もエスパーか!ちなみにお父さんは何ができる?」この際だからと聞き出しにかかる新堂。
「物を自由に動かせる。オレもできる。こんなふうに」
そう言ってヴァシルは、机の上に置いてあったノートを宙に浮かせて、ベッドまで引き寄せた。
ギョッとした新堂は、声こそ上げないものの椅子ごと後退る。
「驚くよね…ゴメン。人前ではやっちゃダメなんだ。だから内緒にしてね?」
「あ、ああ…分かった」
――日頃こういうの見てたら、俺の心臓もどうにかなるかもしれない!――
そう思うくらいに激しい動悸を感じる。
この思考を読み取ったヴァシルは、途端に不安そうな顔になる。
「え…、もしかしてユイの病気って、この力のせいなの?だとしたら…!」
「それははっきり否定するよ。君のせいじゃない、フォルディス家は関係ない。ユイの母親が同じ病気なんだ。つまり遺伝ってヤツさ」
「そっか、良かった…って、良くはないよね。ねえ…ユイ、大丈夫だよね?」
縋るような視線に、新堂は少し笑って告げる。
「そのために俺がいるんだ」大丈夫だとはあえて言わない。
――そんな無責任な事を、例え子供にも言いたくない――
やはり新堂は嘘の付けない人間だ。
「うん…」そう答えたきり黙り込むヴァシル。
話が途切れて、新堂が指摘する。「話が反れたな」
「あっ、そう!何でオレ達の事も診てくれるのか!」思い出して顔を上げる。
「別に何も考えてない。ただ助けたいと思った、それだけだ」
――そう、先生はウソは付いてない。何も考えてないから心が読めないんだ。ユイがよくそうなるヤツ。…でもそれじゃ解決しないじゃないか!――
まだヴァシルの中には疑惑が残っている。ユイと新堂がこの先どうなるのか。場合によっては両親が離別する事になる。それだけは絶対に阻止したい。
「助けたいと思ったのは、オレ達がユイの大事な家族だからでしょ。ユイの事、そんなに大好きなんだね」
「だからそうじゃない、ユイの事は大好き、じゃなくて嫌いじゃないって言ったろ?」
「ああ…そっか」
――ダメだ、やっぱり分かんない!――
ヴァシルが心で嘆いた時、新堂が言った。
「なあヴァシル。さっき先生が言った事覚えてるか?」
「何だっけ」
「恋人じゃなくて家族に憧れるってヤツさ」
「ああ、つまり先生は、オレ達家族に憧れてるって事?」
そういう事だ、と新堂がため息交じりに笑った。
「ヴァシル君に一つ頼みがある」
「何?」
「この事、ユイには内緒にしてくれないか?」
「なんで?」
純粋なヴァシルの問いかけに新堂がおどける。
「何でって、カッコ悪いだろ?大の大人が家族に憧れてるなんて」
「はははっ!そうだね~カッコ悪いね!分かったよ。でもこれ、貸しだからね?」
勝ち誇った顔でそう答えたヴァシルに、もう悩ましげな顔はどこにもない。
――オレは先生の憧れてる家族なんだ。コイツに貸しもできたし?いざとなったらこの件で脅す。これでユイはダーとずっとここにいられる!――
発想が限りなくマフィアである点は問題だが、ライバル(新堂)の憧れの存在になれた事で、ヴァシルはすっかり気を良くした。
晴れて疑惑はキレイさっぱり消え去った。これでヴァシルが知恵熱を出す事はもうないだろう。
――問題解決だな。何より何より――
新堂は言葉にせずに一人頷く。
今もその心に何一つ嘘はない。全て正直な感想である。
「はははっ、ヴァシル君に借りが出来てしまったな~」新堂は再びおどけて見せた。
ラウルに負けず劣らず、新堂の口が達者である事も判明した。
加えて心を無にするという特技。これは単に何も考えていないだけなのだが。




