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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第六章 揺るがない心
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複雑な関係(3)

 子供用ベッドの前で、サイドの椅子に腰かけるユイ。かれこれ小一時間、そこで息子の手を握っている。


「ユイ…移っちゃうから、もう行っていいよ」

 いつもとは打って変わって弱々しいこの声の主はヴァシルだ。

「大丈夫よヴァシル。私は熱を出したりしないから。いつもお兄ちゃんとして頑張ってくれてるから、疲れが出たのね。こういう時は甘えていいのよ?」


 今ヴァシルは自室のベッドで寝込んでいる。なかなか起きて来ないのを心配してユイが見に行くと、熱を出して唸っていたのだ。

 すぐに新堂を呼んで診てもらい、疲れから来る発熱と診断されている。


「お薬も飲んだし、眠ればすぐに良くなるわ。何も考えずに、安心して眠って」

 優しく語りかける母に、ヴァシルは朦朧としながらも心で訴える。

――眠りたくなんかないよ!こんな事って久しぶりだから…っ――

 弟が二人も出来てから、ヴァシルがユイを独占するのは新堂からガードするため以外、機会はなかった。

 病気になる事も滅多にない、逞しい長男なのである。


「…ねえユイ」

「なあに?」

「どうして新堂先生は、オレやケガしたラドゥの事も診てくれるの?ユイだけの主治医なんでしょ?」

「ドクターなら、目の前に苦しんでいる人がいたら助けたいって思うものよ」

――まあ…あの人は違うかもしれないけど!――


 スタンダードな説明をしたが、心で否定している事はバレバレだ。


「でもあの人は違うでしょ」ヴァシルはユイの心を読んで言う。

「っ!…ああ、そうだった…」嘘をつくのは難しい。特にエスパーの前では。

「ユイだけじゃないよ。ダーもウチのドクターではないっていつも言ってる…頭ん中で」

「そうね。ホームドクターは別にいるもの。だからこそあの人は、やりたくなければ頼んでもやってくれないと思う」

「じゃあ、なんで?」

「さあ…それ以上は私も分からないわ。本人に聞いてみたら?」


 難しい顔で沈黙するヴァシルに、ユイが言う。

「ほら、少し眠って」

「ユイ、眠るまでいてくれる?」

「もちろん。愛しいヴァシル、早く良くなってね」額にキスを一つ落として微笑むユイ。

 安心感に包まれたヴァシルは、次第に瞼が重くなり、いつしか眠りに就いていた。


 しばらくすると、小刻みだった呼吸が次第に落ち着いて来た。苦痛が和らいだのが分かり、ユイはようやく安堵の息を吐く。


 続いてドアが小さくノックされる。

「どうぞ」

 ユイが答えると、開いたドアから新堂が顔を出した。

「様子は?」

「先生。さっきやっと眠ったわ。今は大分楽になったみたい」


 新堂がヴァシルの脈を診て、額に手を乗せる。

「薬が効いて来たな。さあ、おまえもそろそろ部屋に戻れ」

「風邪じゃないんだから、移らないでしょ?」

「それでもだ!つべこべ言うな」

「ふんだっ」


 重い体をどうにか椅子から離して立ち上がるユイ。新堂がその体を支えてドアの方に誘導した。


「ああしんど…っ」腰を擦りながらユイが零す。

「大丈夫か?」

「ふう…」

 疲れた顔のユイに新堂が一言。「おまえも点滴だな」

「え~、また?ちゃんと食べるからっ!」

 先日のシャーバンの指摘から、頻繁に点滴をされる羽目になったユイは、心底嫌そうな顔で訴える。


「そういう言葉が信用できないものでね」

「もう!疑り深い人は嫌われるわよ?」

 ユイは新堂の肩に軽くぶつかって抵抗の意を示す。

「結構結構!」


 不貞腐れ顔のユイと澄まし顔の新堂は、沈黙のまま廊下を進む。

 やがて夫婦の寝室が迫り、ユイが口を開いた。

「先生。…子供達の事まで気にしてくれて、ありがとう」

「礼など不要。ついでだ、大した事もしてないし?」

「それでも、ありがとう」


 再び礼を述べ、自分を見上げて来たユイの顔は母の顔であった。

 目を向けて、新堂が肩を竦めて笑った。

――こういう顔、するんだよな、こいつも…。母親だもんな、当然だ――

 そう思うと少し悲しい気分になる。

 自分はいつになっても何も変わらないままだから。


 二人は立ち止まって見つめ合う。全く別の事を思いながら。


 こんな二人の絶妙なシーンを、たまたま廊下を歩いていたダンが目撃していた。

「ん?ユイ様とドクター新堂ではないか。何をしてるのだ?随分と親密に見える…」

 薄暗い廊下で向き合う男女。流れ的にキスシーンを連想するダン。

――イヤイヤ!そんな訳がなかろう、ドクター新堂もそこまで愚かではないさ――


 子供が3人、いや4人もいなければ、間違いなく怒鳴り込んでいた事だろう。


 そしてヴァシルは今まさに、その疑惑のために知恵熱を出している。



 翌朝には、ヴァシルの熱はすっかり下がっていた。

 まだ寝室で休んでいるユイに断り、新堂は一人で先にヴァシルの診察にやって来た。


「子供は回復が早いな。だが、念のため今日一日は大人しくしていろ」

「はぁ~い」

「時にヴァシル」

「何?」

 エメラルドグリーンの小さな瞳が、興味深げに新堂に向けられる。


――病み上がりの子供にこんな事を聞いていいものか…――

 新堂は迷う。息子達と単独で接する事はほとんどなく、ようやく訪れた機会なのだが、状況が状況だ。


 思案していると、ヴァシルが元気な口調で言った。

「別にいいよ。何でも聞いて。っていうか、オレはヴァンパイアじゃないよ?」

「っ!何だよ急に!何の話だ?」

「とぼけなくてもいいよ。全部聞こえてるんだから」

「…何がだ?」

「思ってる事全部だよ」


 意味不明な発言に、新堂は高熱で脳に障害が起きた可能性を考えてしまう。


「熱のせいじゃないって。生まれた時からだもん」

「っ!一体、どういう仕組みだ?」眉根を寄せて呟く新堂。

 考えを言い当てられ続けて、新堂は恐怖すら覚えた。

「さあ。フォルディス家の血のせいじゃない?ダーもエスパーだし」

「え、えすぱあ?」

「えっと、日本語じゃ何て言うんだっけ、超能力者?」

「よくご存じで…」

 子供達はルーマニア語に加え、英語と日本語をすでにマスターしている。


「はあ…俺も頭痛がして来た」深いため息と共にこんな言葉が漏れる。

「ダンとユイは隠したがってるけど。ダーと同じでオレも嘘は嫌い。だから話した。ユイには叱られるだろうけど…」しょんぼりとなるヴァシル。

 それを見て新堂は、短い息を吐き出した。

――子供ってのは正直だよな。嘘は嫌い、か…――


「ユイには言わないよ。未だに信じがたいが、話してくれてありがとな」

「オレと弟、助けてくれたお礼さ。なら、オレも聞いていい?」

「何なりと」答えながらも新堂は思う。

 考えが読めるなら聞く必要があるのかと。

 そんな心の声も当然聞こえている。

「先生の頭ん中、難しすぎて!聞いた方が早いと思ったから」

「難しい?」


 首を傾げる新堂に、構わずヴァシルは続ける。

「ユイの事、どう思ってるの?あ、好きか嫌いか、そういう意味でだよ?」

「そういう意味?」

「だから!…ほら、付き合いたいとか結婚したいとかそういうの!」

「なぜそんな事を聞くんだ」


「だって…」

 それきり黙り込んだヴァシル。新堂の突然の笑い声に顔を上げる。


「昔は思った事がないとは言わないが、今はあり得ない。君達みたいな愛の結晶を見せつけられてはな!」

「昔、だけ?」

「ユイは大事なお得意様の患者だ。付き合いが長い分、親し気に見えるだけだろう。頭の中でもそう言ってないか?」

「言ってる。言ってるけど!」


「好きか嫌いかの話だったら、嫌いではない。好き、と答えると語弊が生まれるので。ああ失礼、君にはまだ難しいかな」

「難しくないもん!」

 ムキになるヴァシルに新堂が軽く笑う。


「要するに、先生はフラれたんだね?でもユイの主治医だから、呼ばれたら一緒にいられる」

「フラれるも何も、申し込んだ覚えもない。元々そういう雰囲気でもないし!」

「でも、ただの医者と患者でもないでしょ?」


――鋭いところを突いて来るな…――


「一体先生とユイはどういう関係なの?もう頭がこんがらがって訳が分かんなくなって…っ」

「まさか…それで熱を出したのか?」

「うっ、だったらお前のせいだぞ!」

「ああそうだな。それは悪かった。まさかそんな事で悩んでいるとは思わなかった」

 新堂は素直に謝る。


 その態度が意外すぎて、ヴァシルはポカンとしてしまう。


「関係か…確かに説明が難しいな。友人でもないし」

――家族、は、望めない…――

「望めない?どういう意味?」

「…本当に全部聞こえてるんだな。くわばらくわばら!」

「ねえ!」

「ああ…友人以上、家族未満、かな」


 この発言をブツブツと繰り返しながら考え込むヴァシルを見て、新堂が指摘する。

「そんなに考えて、また熱出すなよ?」

「そしたらまた先生に責任取ってもらうから」

「ははっ、一本取られたな」


「ねえ。恋人未満、じゃないの?」

「違うな。きっと俺の中には、恋人という定義が存在しないのかもしれない」

「定義?存在しない?」

 増々混乱したヴァシルを見て、新堂は補足する。

「先生は、恋人よりも、家族に憧れてるって意味だよ」


「家族に憧れてるの?先生、家族いないの?」

「ああ。いないし、作れないんだ。フォルディスさんやヴァシル、ラドゥ、シャーバン、そしてもう一人できたな。君達家族にはどうしたって敵わない」

「家族は難しくても、恋人は作れるでしょ?先生は、恋人ほしくないの?」

「別に。仕事が楽しいから不足はない。君はたくさんガールフレンドがいるみたいだが!」


「オレの事はいいんだよ!先生カッコいいし、いっぱい女の人寄って来るでしょ?」

 容易に思い浮かぶそんな光景を、頭で繰り広げながらヴァシルが問う。

 だがしかし一番は父だ。「あ、ダーほどじゃないと思うけど」と付け加える。


 これに新堂はバッサリと一言。

「一々相手にしない。時間のムダだからな」


 それはまるで、父ラウルのような冷酷さで言い放たれたのに、言い分は全く逆。

――…ダメだ、やっぱりこの人の言ってる事が分かんない!――

 ヴァシルの周りにはいないタイプだった。

 ここフォルディス家は、性欲旺盛な色男の家系である。そしてこの国の男達は、常に女性を大事にする。新堂の意見とは食い違う。


「理解できたか?」

「っ、できたよ!バカにするな?」

 何度聞き直しても理解できないと判断したヴァシルは嘘をつく。

「つまらん事で悩んだな。もっと早く聞いてくれればいいのに」


「あともう一つ!」

「どうぞ」

「ユイだけの主治医が、何でオレ達まで診てくれるの?」

「ああ…フォルディスさんから散々ホームドクターになれとせがまれてる件か」

――まさか息子まで使って勧誘する気か?――


「ダーには何も頼まれてないよ」

「っ!一々言い当てられると焦るな…」

――これはオチオチ考え事もできない!――

 焦りを見せる新堂だが、ヴァシルはこんな事を言った。

「だけどさ~、ユイも先生も、素直って言うか何て言うか!ダーもだけど、ウソつけない人だねって言われない?」

 ヴァシルの周囲には幸いそういう者達が集まっている。


「正直に生きてるからな。お陰で助かったよ。しかし、中にはウソばかり付いてるヤツもいるだろ?嫌にならないか」

「なるよ。そういうヤツとは話さないもん」

「正解だな。…で、君のお父さんも読めるのか?」

「ううん。ダーは読めない。ユージーン叔父さんは読めるよ。あの人は触らないと分からないみたいだけど」

「親戚もエスパーか!ちなみにお父さんは何ができる?」この際だからと聞き出しにかかる新堂。


「物を自由に動かせる。オレもできる。こんなふうに」

 そう言ってヴァシルは、机の上に置いてあったノートを宙に浮かせて、ベッドまで引き寄せた。

 ギョッとした新堂は、声こそ上げないものの椅子ごと後退る。

「驚くよね…ゴメン。人前ではやっちゃダメなんだ。だから内緒にしてね?」

「あ、ああ…分かった」


――日頃こういうの見てたら、俺の心臓もどうにかなるかもしれない!――

 そう思うくらいに激しい動悸を感じる。


 この思考を読み取ったヴァシルは、途端に不安そうな顔になる。

「え…、もしかしてユイの病気って、この力のせいなの?だとしたら…!」

「それははっきり否定するよ。君のせいじゃない、フォルディス家は関係ない。ユイの母親が同じ病気なんだ。つまり遺伝ってヤツさ」

「そっか、良かった…って、良くはないよね。ねえ…ユイ、大丈夫だよね?」

 縋るような視線に、新堂は少し笑って告げる。

「そのために俺がいるんだ」大丈夫だとはあえて言わない。


――そんな無責任な事を、例え子供にも言いたくない――

 やはり新堂は嘘の付けない人間だ。


「うん…」そう答えたきり黙り込むヴァシル。

 話が途切れて、新堂が指摘する。「話が反れたな」

「あっ、そう!何でオレ達の事も診てくれるのか!」思い出して顔を上げる。

「別に何も考えてない。ただ助けたいと思った、それだけだ」


――そう、先生はウソは付いてない。何も考えてないから心が読めないんだ。ユイがよくそうなるヤツ。…でもそれじゃ解決しないじゃないか!――

 まだヴァシルの中には疑惑が残っている。ユイと新堂がこの先どうなるのか。場合によっては両親が離別する事になる。それだけは絶対に阻止したい。


「助けたいと思ったのは、オレ達がユイの大事な家族だからでしょ。ユイの事、そんなに大好きなんだね」

「だからそうじゃない、ユイの事は大好き、じゃなくて嫌いじゃないって言ったろ?」

「ああ…そっか」

――ダメだ、やっぱり分かんない!――


 ヴァシルが心で嘆いた時、新堂が言った。

「なあヴァシル。さっき先生が言った事覚えてるか?」

「何だっけ」

「恋人じゃなくて家族に憧れるってヤツさ」

「ああ、つまり先生は、オレ達家族に憧れてるって事?」

 そういう事だ、と新堂がため息交じりに笑った。


「ヴァシル君に一つ頼みがある」

「何?」

「この事、ユイには内緒にしてくれないか?」

「なんで?」

 純粋なヴァシルの問いかけに新堂がおどける。

「何でって、カッコ悪いだろ?大の大人が家族に憧れてるなんて」


「はははっ!そうだね~カッコ悪いね!分かったよ。でもこれ、貸しだからね?」

 勝ち誇った顔でそう答えたヴァシルに、もう悩ましげな顔はどこにもない。


――オレは先生の憧れてる家族なんだ。コイツに貸しもできたし?いざとなったらこの件で脅す。これでユイはダーとずっとここにいられる!――

 発想が限りなくマフィアである点は問題だが、ライバル(新堂)の憧れの存在になれた事で、ヴァシルはすっかり気を良くした。


 晴れて疑惑はキレイさっぱり消え去った。これでヴァシルが知恵熱を出す事はもうないだろう。

――問題解決だな。何より何より――

 新堂は言葉にせずに一人頷く。

 今もその心に何一つ嘘はない。全て正直な感想である。


「はははっ、ヴァシル君に借りが出来てしまったな~」新堂は再びおどけて見せた。


 ラウルに負けず劣らず、新堂の口が達者である事も判明した。

 加えて心を無にするという特技。これは単に何も考えていないだけなのだが。


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