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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第六章 揺るがない心
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本来の持ち味(1)

 予想外に再開されたユイとの生活を、新堂は案外楽しんでいる。


 時には冷やかし時には叱り、その都度コロコロと変わるユイの表情を見ては癒される。もちろん、人妻であるユイへの下心は一切ない。一方的に密かに癒されているだけだ。

 ラウルと子供達の信頼を勝ち得て、ダンからの疑惑の目も払拭した新堂は今、何の障害もなくユイに関われる。


「自分がこんなに世話焼きな性格だったとはな…」

 新堂は書類の散乱した部屋で一人自嘲する。


 今やユイの世話だけでなく、子供達の世話焼きもしている。

 見かけに寄らず子供の扱いに長けている新堂は、良き相談相手兼遊び相手となっているのだ。

 ともすれば、不在にしがちな父ラウルよりも多くの時を過ごしているかもしれない。



 けれど、そんな長閑な日々もついに終わりを告げた。


――こうなる事は分かっていた。いつまでも楽しんではいられない。ここからが本番。俺の腕の見せどころだ――

 新堂はここへ来た本来の目的を改めて再確認し、依頼遂行を心に誓う。


 妊娠後期に入ったユイの体調は急激に悪化している。心機能が安定しないため、とうとう入院生活を余儀なくされた。


「はぁ…」

 病室でタブレットを操作していた新堂は、ユイの大きなため息を受けて顔を上げる。

「どうした?呼吸、苦しいか」

 タブレットをテーブルに置いて、新堂がベッドサイドに寄る。


「呼吸はお陰様で楽になった。そうじゃないの」

「何かあるなら言ってくれ?隠すつもりなら、ヴァシルに心を読んでもらう。何といい手だ!」

「もう…先生ったら。気味が悪い!とか騒いでたクセに、思いっきり利用してるじゃない?」

 新堂がフォルディス家の秘密を知ってしまった事はすぐに明るみに出た。


 それでもユイはヴァシルを叱る事はなかった。

 新堂には全てを知ってもらいたいと以前から思っていたユイには、逆に嬉しい事でもあったからだ。


「この家で隠し事が不可能って事は、先生よりも良く知ってるわ」ユイが肩を竦める。

「なら言え」

 新堂の突き刺さる視線を受け、ユイは腹に手を置く。

「…この子、無事に生まれてくれるよね?もしもの時は、私じゃなくてこの子を助けてね、先生」

「ユイの要望として聞いておくよ。その時にどうするかは、フォルディスさんが決める事だ」

「うん…そうね」


 頷いたユイだが、新堂にはどこか納得していないように見えた。

「不満そうだな。フォルディスさんの事、信じてないのか?」

「そうじゃないの。…それでいいわ」


 儚げに答えたユイに、新堂の心がザワリと揺れた。

――その、全てを諦めたような顔は気に入らないな――


「何だよ、もっと強気で行けよ!お前らしくないぞ?」

「それが持ち味のユイさんでもね、さすがに今は…自信なくて」

「この俺が付いてるのにか?」新堂は自信たっぷりに言い放つ。

 そんな新堂を、ユイはじっと見つめる。

「新堂先生は、昔からちっとも変わらないよね。その自信満々なとことか?」

「それが売りなんでね」


 おどけて言い返す新堂に、ようやくユイが笑った。


「そうそう、そうやって笑ってろ。もうすぐフォルディスさんが来る、いっぱい甘やかしてもらえ。俺は席を外すよ」

「ありがとう、先生」

「どういたしまして」

 最後までおどけて、一足先に新堂が出て行った。


 一人になった病室の窓から、青い空が見えている。

「今日もいい天気ね、サラ。あなたのお父さんの機嫌はいいみたいよ!」


 そんな事を呟きながら微笑んでいると、ドアが開いてラウルが顔を覗かせた。

「ユイ、起きているか?」


「ラウル。待ってたわ、時間通りね」

「会いたかった…」ラウルはベッドに歩み寄ると、体を近づけて愛情たっぷりのキスを贈る。

「私も…」ユイもそれに答えて両腕を背に回し、ラウルの温もりを堪能する。

「新堂は?」

「気を遣って席を外してくれた。さっきまでいたわ。ほったらかしにはされてないから安心して?」

「そんな心配はしていないよ」

「そう?」


 ラウルは答えずにただ微笑む。今や新堂に絶大な信頼を寄せている。

 その心境の変化をユイは知らない。


「この後、ラドゥも来る」

「あ、今日リハビリの日だったのね」

 例の骨折を経てのリハビリ治療を、ユイと同じ病院で受けているのだ。

「全然リハビリに付き合ってあげられなくて、申し訳ないわ…」

「元気になったら大いに鍛えてやってくれ」

「そうする」

 ユイの答えにラウルが微笑んだ。


「今日は顔色がいいな。安心した」ユイの頬に優しく手を添えて言う。

「ラウルが来てくれてるから、嬉しくて?」

「ならばここに寝泊まりするか」

「そうするとここから屋敷に出勤、って事になるわね」

「家で仕事をする場合はそうなるだろうな」

「変なの!」

 真っ当な答えしか返って来なくても、これがラウルなりのジョークだと今は分かる。


 他愛のない会話を楽しみながらも、ユイの心配事は消えない。

「ねえラウル。何度も言って悪いけど、あのさ…」

「ユイ」

「はい」

「心配ない。全て新堂に任せるのだ。あの男ならばきっとやり遂げてくれる。私はそう信じる」


 こんなラウルの主張にユイは思う。

――さっきの先生の発言といい…いつの間に二人の間にこんな信頼関係が?――

 最後に判断するのはラウルだと、新堂は言った。

 それは単に依頼人がラウルだからだが、苦手と言いつつも新堂も、出会った当初のような敵対意識は持っていない。


「ラウルには、そういう未来、見えてるの?」

「残念ながら私には予知能力はないよ」

「え?そうなの?前にダンが、ラウルもできるって言ってた気がするけど」

「あの男はいつでも私を過大評価するからな」

「そう言えば、今日はダンはいないわね」

 いつでも金魚のフンのように付いて回っているダンの姿がない。

「ラドゥのリハビリに付いてもらっている」

「ああ、そうなの」


 その時、ドアのノック音が響いた。


「噂をすればだな。入っていいぞ」

 ラウルが声を掛けると、すぐにドアが開いて満面の笑みでラドゥが入って来た。その後ろからやって来たダンがドアを閉める。


「ユイ!ボク今日もいっぱい頑張ったよ、褒めて~!」ベッドに駆け寄ってユイに頭を向けるラドゥ。

 そんな息子の頭をユイが撫でる。「よしよし、偉いわね。どう?大分戻って来た?」

「う~ん、もうちょっとかな」

「その調子よ。ダン、付き添いありがとう」ラドゥに答えてから、ダンに目を向けた。

「いえ、自分は何も」


 若干照れ気味に答えて、ダンはすぐに表情を戻す。

――相変わらずのお気遣い、痛み入ります、ユイ様…――


「ユイ様も調子が大分戻られたようですな。良かったです」

「ユイも頑張ってるんだね、偉い偉い!」今度はラドゥがユイの頭を撫でた。

「ふふっ、そうかな。それじゃあ、もっと頑張っちゃおうか?」

 ユイのこんなコメントにラウルが口を挟む。

「ラドゥ、あまりユイを焚きつけるな。十分頑張っているのだから」

「そうです、無理は禁物ですぞ、ユイ様」ダンも続く。


「ふふっ。ありがと、二人とも」


 ユイに女神のような笑みを向けられ、ラウルとダンは思考を止めて見入ってしまう。

――美しい…何年経っても変わらない美しさだ。まさに女神…――

 二人は全く同じ事を考えていた。


「ね~ユイ~、いつ帰れる?皆待ってるよ。ダーもいつも寂しそうだし」

「そうなの?」

「うん。だからね、ボク達が交替でダーと寝てあげてるんだ、内緒だけど!」

「それ本当?ベッド大きいんだし、どうせなら4人で寝たら?」

――今内緒って言った?あまりに堂々と言われたからスルーしちゃったけど――

 こう思いながら、ユイがラウルを見やる。


「断る」一言返して無言になったラウル。

――内緒の意味が分かっていなかったのか…ユイには知られたくなかった――

 あっさりバラされ落胆するラウルであった。

 子供との約束は、あってないようなものである。


「ラウルったらあからさまに…いいじゃない?いい機会だから、子供達ともっと接してあげて」

――でもあんまり変な事は教えないでね?――これは心の中だけで言う。


「お話中申し訳ございません、ラウル様、Y・Aセキュリティ担当の者から連絡が入っていますが、折り返しにしますか?」ダンが無線連絡を受けてラウルに尋ねる。

「いや。ではそろそろ行くよ。また来る」

「そっちの仕事も任せちゃってごめんなさいね」

「気にするな。楽しんでやっている」

「ふふ…そうだったわね」


 最後に愛していると言い合って別れた。

 一緒にラドゥも帰ってしまい、室内は一気に静かになる。


「私も早く、サラと帰りたい…できるよね?」

 左手に嵌るエメラルドに向かって問いかけるも、答えが返されるはずもない。

「もう…っ、意思があるんなら答えてくれても?」


 再び窓から見上げた空には、いつの間にか雲が立ち込めていた。



 この日、新堂に呼び出されたラウルは、病院の一室で険しい表情をしていた。


「そんなに良くないのか?」

「ユイさんの今の心臓には、これ以上耐えさせるのは酷だという意味です。産後に予定しているオペにも影響が出兼ねません」

「ではどうする?まだ出産予定はひと月も先だぞ」

「それなんですが…」


 言い淀む新堂にラウルが突っ込む。「子供を諦めろというつもりなら却下だ」

「言いませんよ。フォルディスさんが心を読めないというのは、本当のようですね!」

「こんな時に軽口を叩くとは、随分余裕だな、新堂?」一触即発の雰囲気を醸し出しながらラウルは言う。

「まあ…間違ってはいませんね。余裕はありますから?」


 こんな答えに、ラウルは一転して表情を緩めた。

「ふっ!そうでなくてはな、ドクター新堂。で、お前の考えるプランは?」

「はい。ここは最強のお二人のお子さんと見込んで、ユイではなくお子さんに頑張っていただこうかと」

「それはつまり?」


 新堂は具体的な流れを説明した。

 通常胎児は、35週になる頃にはすでに生きるために必要な器官が出来上がっている。

 ユイはもうその週を越えている。


「発育が遅れていた点が少々不安ですが、今の医療は進んでいますから問題ないでしょう。すぐにでも帝王切開で出産していただき、一刻も早く心臓への負担を減らすべきです」

「その後に心臓の手術ができるのか?」

「すぐには無理です。特に産後の体は消耗が激しいので、回復を待つ必要があります」

「どのくらいだ」

「個人差がありますので一概には言えませんが…3週間以内にはやりたいですね」


 返答を受けてラウルが鋭い目を新堂に向けた。

「それでユイは助かるんだな?」

「オペ自体はそれほど難しいものではありません。私も何度も経験しています。まあ、必ず、とは言えませんが」

「…分かっている」

 今はもう拳銃は登場しない。ダンの制止がなくとも。

「それで進めてくれ。お前だけが頼りだ。どうかユイと子供を救ってほしい」


「ではすぐに準備を始めます。最後に確認ですが、万一の事があれば、どちらを優先しますか?」新堂はどこまでも自然な流れで、最も重要な部分を聞き出しにかかる。

――どうせ、子供を助けろと言うんだろう…?――

 新堂がこう思ったのは、それがユイの願いだからというだけではない。ラウルの性格を踏まえての事だ。


 だが、予想は覆された。

「決まっている。ユイの命を優先してくれ」ラウルは迷いなく答えたのだ。

「…分かりました」

 新堂は表情を変えずに一言返し、すぐに踵を返す。


 部屋を出て思わず呟いた。「意外だった!」

――初めて気が合ったな、フォルディス。…俺も同じ意見だ――


 これで新堂は心置きなくオペに向かう事ができる。

 ユイが血液のストックを貯蓄していたお陰で、今回新堂への負担はゼロだ。


「さあ、思う存分力を発揮させてもらおうか?」

 ユイ関係のオペの時は決まって憔悴してしまう新堂だが、今回は別だ。


 力みなぎるこの姿こそ、本来の新堂和矢である。



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