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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第五章 築き上げる覚悟
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誘拐事件(2)

 ラウルが家を空けてから、何事も起こらず2日が経った。3日目の朝も同じ光景が繰り広げられている。


「じゃ、行って来るよ、ユイ」

「行ってらっしゃい、ヴァシル」

 こんな光景はラウルとのシーンそのもので、ユイは不思議な気分になる。唇ではなく、丸みのある頬にキスをして送り出した。


「あの子ったらどんどんラウルに似て来るわ…」

 両頬に手を当ててニヤケるユイを、斜め後ろからこれまたニヤケ顔で見守るダン。

――ああ…まるで幼い頃のラウル様を見ているようだ!惚れ惚れするお姿で…――

 こちら、見ている対象はユイではなくヴァシルだ。


「ね~ユイ、今日の帰り、お友達ん家に寄って来てもいいでしょ?」

 まだぼんやりしているユイの足元にラドゥが駆け寄る。

「ん~、お友達って誰?」

「この間話しただろ、ウマの合うヤツがいるって」シャーバンがひょっこり現れた。

「ああ、あの市議会議員の息子さんね。それウマが合うってより、境遇が似てるってだけでしょ」


――あんまりそういう方面の人達との付き合いは乗り気になれないなぁ、個人的に!面倒そうじゃない?――

 こんな事を思いながらダンの方を見るユイ。


 察したダンは答える。「あちらのご子息とでしたら問題ないでしょう。向こうもそれなりの警備をされているでしょうから」

「そうなんだけど、さ…」

「何か?」

「いいえ!いいわよ、行ってらっしゃい、くれぐれも失礼のないようにね?それと、あまり遅くならないでよ?」


 は~い!と元気な声がこだまし、上機嫌の二人は今日はすんなりと送迎車に乗り込んだ。もちろん護衛はなしだが。


 二人を乗せた車が門を出て行くと、ユイは後方に控えるダンに視線も向けずに言う。

「向こうの家に監視を付けておいて」

「はっ、かしこまりました」

――私は誰も信用しない。議員なんて特にね。息子達を貶めようなんて考えようものなら、誰であろうが即刻社会から抹殺してくれるわ――


 こんな殺気がユイから立ち昇るのを目の当たりにしたのは、ダンとたまたま近くにいた部下達だ。


 小声でこんな感想を言い合う。

「おい、今のユイ様見たか?何とも頼もしい!」

「ボスと遜色ない立ち居振る舞い、ユイ様、尊敬の一言、どこまでもお供します!」

「ボス不在の今、ユイ様がこの家の女主人、そして我々のボス!オレ、惚れてしまいそうです…っ」

「おい、それはダメだろ。ボスに殺されるぞ?」

「いやその前に、ダンに殺される!」


 離れた位置にいても、地獄耳のダンには全て聞こえている。振り返ってズンズンと近づいて行く。

「お前等。ムダ口を叩いてる暇があると思うか」

「ないです!持ち場に戻ります!」


 その場から一斉に人の気配が消えた。



 この日ユイは忙しかった。警備事業の方の仕事がやや難航していたのだ。ライブ映像越しに罵声を飛ばす。

「ちょっと!その位置で警備する気?何でもっとターゲットの近くにいないの!そこからじゃ何かあっても間に合わないわよ!」


 こんな調子で声を荒げ続けて半日が終わる。


「マンネリというのは恐ろしいわ…」

「普段から命の危機が迫っていたこれまでとは訳が違いますからね」

「そう!それなのよ!人は慣れてしまったら終わり。これは、これまで以上に鍛錬しないとね?」

「ひぃ…っ、それはご勘弁を!」

 ユイに目を向けられた部下の一人が、頼りない声を上げた。


 マフィアの抗争とは違い、滅多に実弾は飛んで来ない。そうなれば当然怠惰の心が生まれる。

――ガードマンはただのお飾りじゃない。とっさの事態に対応できなければ、何の意味もないの!――


「あっと、もうこんな時間だわ…」

「そろそろお子様達がお帰りになられますね」

「ええ。後は任せていいかしら」

「もちろんです、お疲れ様でした、ユイ様」

「じゃ、よろしくね。お疲れ様」


 ユイは自室に戻り、一旦気持ちを落ち着けてから居間に向かう。


「そうか。今日は寄り道してるんだった」

 いつもは帰宅する時刻を迎えるも、まだ誰も帰っていない。窓の外を覗きながらダンに連絡を入れる。


「ああダン。今どこ?」

『はい。例の議員の邸宅の側で待機しております』

「子供達は?」

『出て来られていないので、まだ屋内におられるかと』

「…ねえ。そこのウチ、裏口はどうなってるの」

『はい?裏口ですか…』



 その頃ラドゥとシャーバンは議員の息子と共に、まさにユイの指摘した裏口から抜け出し、冒険と言う名の迷惑な遊びを実行していた。


「やっぱり気が合うな、オレ達!」シャーバンがしみじみと言う。

「お前も自由が欲しかったんだな。怖いオッサン達、いっつもお前等の近くにいるもんなぁ」と議員の息子。

「いつでも大人達に監視されてたら、オチオチ昼寝もできないよ」

 気の合う二人は会話も弾む。


 議員の息子が賛同する横で、ラドゥがシャーバンに突っ込んだ。

「昼寝はできるでしょ、いくらなんでも?」

「例え話だよ、例え話!揚げ足取るなよ、ラドゥ」

「だ~ってシャーバンがおかしな事言うから!ねえ?」

「ハハッ、お前等双子なのに全っ然似てねえのな!見た目だけじゃなくて性格も?」

「にらんせいってヤツだからな」

「ふう~ん。よし!このままどっか行こうぜ!」


 議員の息子が息巻くも、双子達はどこか後ろめたさがある。大好きなユイを裏切っているようで、心から楽しめないのだ。


「どうしたんだよ?怖気づいたのか?お前等のオヤジ、マフィアのボスだろ?そんな気の小ささじゃ跡継ぎになれないぜ!」

「後を継ぐのはヴァシ兄だからいいの」

「ラドゥ!それはまだ決まってないだろう。オレかもしれないし」

「おお、シャーバンはその気だな。じゃあ二人で行こうぜ、シャーバン」

「待ってよぉ~、置いてかないで!」


 結局3人で連れ立って街外れまで歩いて来た。段々と日も暮れて辺りは薄暗くなる。


「ねえ、もう帰ろうよぉ」

「ラドゥ、泣き言言うなら一人で帰れ!」

「ユイが怒ってるよ、カミナリ落ちるよ!ね~え~」

「さっきからお前等の言うユイって誰の事?」

「マムだよ」

「変なの!何で名前で呼ぶんだ?」

「知らないのか?名前で呼ぶのが一番敬ってる事になるんだぞ」

「は?意味分かんねえ~!」


 いつぞやのヴァシル講義で学んだ事をシャーバンが議員の息子に語っていると、見慣れた車が近づいて来た。自分の家の送迎車と分かり、二人は慌てる。


「ラドゥ様、シャーバン様!こんな所にお出ででしたか。帰りますぞ!…ああダンか、双子を見つけた、ああ、すぐに連れて帰る」

 運転手が無線でダンに伝えているのが聞こえる。


「見つかった…」

――これは怒られるぞ…どうする?――

「逃げろっ!」

 議員の息子が一番に駆け出す。

 だが二人はそこから動けない。逃げてもムダだと分かっているからだ。


 すると、もう一台の見慣れない車が近づいて来た。


「ん?あれ、あいつんチの車か?」

 そう思ったので警戒もしない。だがその車に乗ったこれまた見慣れない男達は、拳銃を抜き取るとフォルディス家の運転手に向けて発砲したではないか!

「!!!」


 目の前で人が撃たれた。それは子供達にとっては初めての体験だった。

 議員の息子は音に驚いて倒れ込んでしまう。

「今のは誰も守ってない。やっぱり拳銃は、殺すための武器じゃないか…」シャーバンが呟く。


「お前、フォルディスの息子だな」見知らぬ男が声を掛けてくる。

「だったら何だ」強気に答えるシャーバン。

「おお、いい度胸してるな!さすがはあの男の息子。そっちは…」

「そっちは違う!オレだけだ!狙うならオレを狙え」

 ラドゥに向けられた視線を遮るようにして立ち、シャーバンが言い放つ。ラドゥは恐怖で声も出せない。

「ラドゥ、逃げろ」


 小声でそう告げたシャーバンは、すぐに男達に抱えられ車に乗せられた。


「シャーバン!シャーバンが連れてかれた…どうしよう!ユイ、ダー、ダン!助けて…!」

 すぐそこの車には血塗れの運転手。ピクリとも動かない。それを見てラドゥはさらに泣きじゃくるのだった。



 一方、運転手から報告を受けたダンは、安心して先に屋敷へと戻ったのだが…。


「遅い、遅すぎる!あの距離ならば、かかっても2,30分で着くはずだ」

「どうなってるのよ?」

 ダンの言い分にユイにも緊張が走る。


「ねえユイ、どうかしたの?」

 ちょうど帰宅したヴァシルが顔を出していた。

「ああヴァシル、帰ってたの。ラドゥとシャーバンがまだ帰って来てないの。テレパシーで呼びかけてみてくれる?」

「分かった」


 すぐに弟達の思考を探るも、何も感じられない。

「…返事がない。遠くにいるみたいだ」

「おかしいわ、あの議員の家からなら、十分届く距離でしょ?」

「何にも聞こえないよ。気配も感じないし、もっと遠くへ行ったんじゃない?」

 ヴァシルの答えを聞き、ユイはダンに尋ねる。

「運転手には連絡つかないの?」


 言われる前に電話を掛けていたダンが、携帯を耳から離す。

「ダメだ、呼び出し音だけで反応がない」

「ならGPSは!」

「あの邸宅を示しています…」

「あそこにはいないわ。二人はさらに遠ざかったという事ね」


――一体どこに行ったの?徒歩ではそんなに離れられないはず。連れ去られたか…――

 ユイとダンは同じ事を考える。


「申し訳ございません!自分があの時運転手と共に行動していれば、こんな事には…っ」

「泣き言は後にして。すぐに捜索よ、皆!手分けして探すのよ!」ユイは周囲で様子を見守っていた部下達に指示を飛ばす。

「私は議員の家に向かいます」

「私も行くわ」


「オレも行く!」

 言い出したヴァシルに視線が集まる。ラウルと瓜二つの真剣な眼差しが、下からユイに注がれる。

「きっと役に立つよ、だから連れてって!」

「…いいわ。来て」

――これだから甘いって言われるのよ?ユイ!――

 断れるはずがない。このエメラルドグリーンの瞳に訴えられては。



 やがて一行は議員の邸宅にやって来た。

 事情を聞くものの、その家の者達は無関係だった。


「纏めますと、息子さんの話ではやはり私共のお子のみが連れ去られたと」ダンが要点を語る。

「そのようですわ…警察に連絡を入れます!」

「待ってください」ユイが遮る。

「フォルディス様の奥様、なぜです?」

「大ごとにするのはまだ早いかと。とにかくこの件は口外しないでください。お願いします」

 ユイは凄みを利かせて議員夫人に訴えた。


 邸宅を後にした二人は、送迎車の止められた場所まで車を走らせる。


「ユイ様。警察には通報した方がよいのでは?」

「それをすれば、自らに制約を課す事になる」

「…つまり、違法な手段を使えなくなると」

「ザッツ・ライト」


――もっともだ。ユイ様は冷静だ。…自分も見習わねば――

 ダンはユイの冷静な判断力に敬意を表した。



 射殺された運転手を発見し、検証を始める二人。


「一発で仕留められてる。素人の犯行じゃないわ」

「付近に他の血痕はない。連れ去られたとみて間違いないだろう」

「つまり目的は、交渉、の方ね」

 ダンは頷く。

 一先ず命の危機は回避された。だがあくまで予測。何の保証もない。


「他に何か手がかりはない?ヴァシル、何か感じない?何でもいいわ、気がついた事があれば教えて」

「うん…。あ、ラドゥ…?ラドゥだ!ユイ、向こうにラドゥがいるよ!」

「本当に!?ダン、向かうわよ!」

「は!」


 ヴァシルの呼びかけにラドゥが反応した。

――ラドゥ、一人なのか?シャーバンは?――

「ユイ、ラドゥ何言ってるかよく分かんない…混乱してるみたいだ」

「そう…。早く!もっとスピード出して!」


 街から外れたここ一帯はすっかり闇に包まれている。ポツリポツリと建物が見えるが、どれも無人の小屋だ。

 その一つに差し掛かった時、道端に座り込んだ小さな影が見えた。


「いたよ、ラドゥ!」


 車がタイヤを鳴かせて急停止する。顔を上げた小さな影は、涙をいっぱいに溜めた目で車から降りた面々を見上げる。

「ヴァシ兄?…ユイ、ダン!ああん!!うわぁ~ん」

「ラドゥ!無事?ケガはない?」

「ユイぃ…、ごめん、ごめんなさいっ、ボクっ、冒険なんてもうしない。これからはちゃんと言う事聞くから!」


「落ち着いて。シャーバンはどこ?どうしてあなただけこんな所にいるの」

 しがみ付いて離れない息子に向かって、ユイは冷静に語りかける。


「うっ、うっ、シャーバンはボクを庇って…一人で!」

「どっちに行ったか分かる?」

「追い駆けて来たんだ。ここまで来たけど、もう動けなくて…」

 嗚咽を漏らしながら訴える幼き息子に、ユイはありったけの愛情を込めて抱きしめる。

「ラドゥ、よく頑張ったわ。もう大丈夫。ヴァシル、シャーバンの声は?」

「聞こえない」


 闇の先を見据えるユイ。ダンが携帯を手に言う。

「ラウル様に報告します」

「お願い」

 さすがにこの事態では、自分達だけで解決するなどとは言えない。


――できれば心配かけたくなかったけど。そうも言ってられない。敵は間違いなくラウルを、フォルディスファミリーを狙ってるんだから!――


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