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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第五章 築き上げる覚悟
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誘拐事件(1)

「行って来ま~す」

「行ってらっしゃい、ヴァシル。あなた達、今日もよろしくね」

 登校するヴァシルを玄関で見送った後、いつもの護衛達にユイが告げる。

「かしこまりました、ユイ様」


 慣れた様子で黒塗りセダンの後部席に乗り込んだヴァシル。その横顔はラウルに瓜二つで、毎回ユイの顔がほころぶ。

「ラウル小型版、何て可愛いのっ!…それにしてもホント、兄弟でどうしてこうも違うのかしらねぇ」

 ユイがこう嘆くのは、双子達が送迎や護衛の人間を嫌がるためだ。

 小1の双子達はヴァシルと登校時間が異なるため、後から送り出している。


「ま、気持ちは分かるけど…」

 遠い昔の自分にも覚えがあるからこそ、ユイには共感できる。


 子供に護衛付きの厳つい送迎車は、明らかに普通ではない。だがこういう家に生まれた以上は避けられない事だ。

 何せあのラウル・フォルディスの息子達、危険に晒されないはずがないのだから!


「ユイ。私も出かける」

「あらラウル、もう行くの?」

「少し早いが、ヴァシルと途中まで一緒に行く事にした」


 ラウルの言葉を聞き、部下の一人が慌てて運転手の元に走り状況を伝える。

 走り出す寸前だった車は再び待機状態となった。


「そう。今回はニューヨークだっけ。本当にダンは連れて行かなくていいの?」

「ああ。ダンには子供達の警護を言いつけた」

「私がいるから平気なのに!」

「私もそう思うが、いればおまえの手足として使えるだろう?」

「それもそうね~」ユイが笑う。


 ラウルは今日からしばらくニューヨークで開かれるマフィアの会合に出かける。

 いつも同伴するダンは、今回居残りを命じられた。もちろんこれには理由がある。

――はっきりした事は言えない。何となく、嫌な予感がするのだ――

 そう、それはラウルの勘である。

 だがしかし侮るなかれ、ラウルの勘はダンのとは違ってほぼ当たる。


 今やユイを意のままに手の上で転がすラウルだから、気分を害させずに自身の主張を通す事は容易い。

 ダンの任務はユイと子供達を守る事。それとなく察したダンもすんなりと受け入れている。


――本来は側近として共にあるべきところですが、ラウル様の命令は必ずや果たします。このダンが、全力でお守りいたします!――

 後方に控えるダンは強い意志を宿した目でラウルを見る。

 一瞬だけ目が合って、ラウルが微かに頷くと、ダンは深々と頭を下げた。

 この二人の間に言葉はいらない。


「良かったじゃない、ダン。遠方の出張となると愛娘に会えなくなるものね~」

「あなたと違い、自分は仕事とプライベートの切り替えをきっちりしておりますので問題ありません。ご一緒できず残念です」

――ラウル様が同じ状況なのによくもそんな事を?――

「何よ、私だってしてるもん!」

「それはどうでしょうなぁ」


 こんな事を言い合いながらエントランスまで出る。


 後部席に二人並んだ姿は、どこから見ても良く似ている。

 窓が開き、ラウルがユイに告げた。「では、留守を頼む。ユイ、愛している…」

「気をつけてね、ラウル。愛してるわ」

 そのまま顔を寄せてキスを交わす。


 名残惜しさ満載で離れた二人は、微笑みと共に別れた。


「さて!問題はこれからよ?ダンも協力して」

「何をですか」

「何をじゃないわよ、分からず屋の双子ちゃんの説得に決まってるでしょ」

「ああ…そちらで」

 いつもの日課と化しているこの件に、ダンは軽くため息をつく。


「ねえ?どうせならここにスクールバス呼びつけてよ。それならあの子達も納得するわ」

「ご冗談を!できる訳がないでしょう」

「あらなぜ?あのお金持ち学校、遠方の子供はバスで送迎してくれる事になってるじゃない」


――また…お金持ち学校などと!――

 一瞬顔をしかめたダンだが、気を取り直して淡々と答える。

「その必要はございません。第一バスにここまで巡回させるとなると、他の生徒の通学に倍の時間がかかってしまいます」


 正論を突き付けられてユイが閉口する。

――何でこういう時にまともな事言うのよ?どうせならお金持ちにその必要はない、とか言ってよね!――

「んもうっ。あの子達に負けず劣らずの屁理屈ね!」

「屁理屈ではございません、現実問題です」

「あ~はいはい!ラドゥ、シャーバン!用意はできた?そろそろ登校時間よ!」


 憤慨しながら屋内に入って行く後ろ姿を眺め、ダンはまたもため息を吐く。

「ユイ様の庶民振りは変わらずだな!」

 この屋敷に来た当初の事を思い起こして、ダンは苦笑した。そんなユイの息子もまた、金持ち体質になりきれないのか?と思うも、そうではない。


 彼等においては単に煩わしく思っているだけである。特にシャーバンは。

「なんで学校に行くのに護衛の人が必要なの?誰もそんな人連れて来てないよ!」

「だから、あなた達はその辺の子達とは違うの。お金持ちの家に生まれたんだからしょうがいないでしょ」


――これまた何という陳腐な説得…頭が痛いわい!――

 ダンが心で嘆く。


「お友達に嫌われたらどうするんだよ?僕達が一人ぼっちで寂しい学校生活を送る事になっても、ユイはいいんだ!」

 シャーバンに続いて、いいんだ!とラドゥがこだまを返す。

「あ~分かった、じゃあ全部無しでいいわ。歩いて行くのね。ここから学校は遠いから、かなり体力付くわよ~結構結構!」

「うぇぇ~…それはちょっと」ラドゥが真っ先に根を上げる。


「おいラドゥ!そこで折れるからいつも負けるんだぞ?僕は歩くよ、ユイ」

「良くぞ言った!さすがは我が息子」

「ユイ様!いけません、そのような…!」

「ボクは…ボクは…」

「ラドゥは?どうする?」

 折れかけているラドゥにユイが迫る。


「送り迎えだけならいいかな」

「ラドゥの裏切り者!」

「シャーバン。そうやって張り合わないの。ほら、もう行かないと遅刻するわよ?一年生から遅刻なんて、私だってしてなかったんだからね」

「じゃあユイは何年生から遅刻してたの?」

「う~んと、三年生くらい?」

「ユイ様!」

――してたんですかっ!ラウル様は一日たりともなさった事はございませんぞ?――


 えへっ、と笑うユイはどう見ても母親ではない。


 ダンは嘆き顔をキリっと戻し、子供達に向き直る。

「さあさあ、行きますぞお二方。お忘れ物はございませんな?」

「ある」

「おお、それは大変!何です?このダンが持って来て差し上げましょう」

「ユイを忘れてる~!一緒に行こうよ、ね、ユイ?」

 さっきの言い合いなどすっかり忘れたのか、二人は声を揃えて言うとユイに抱き付く。


 二人ともユイが大好きなのだ。それは母としてというよりも、賑やかなお姉さん的感覚かもしれない。


「きゃ~っ、私も行きたい!付いてっちゃおうかなぁ」

「うんうん!なら送迎大歓迎!」

「って事で、私ちょっと出て来るわ。ついでに護衛もできるし」

「かしこまりました…」


 そんなこんなで嵐のように3人は出て行った。


 取り残されたダンは呆然とする。

「何ともあの方は、本当にいつまでも変わらない」

 小娘だったユイも今や35歳。そしてダンはもう50を過ぎている。それでも変わらないものは変わらない。

 だがそれが逆に頼もしくもある。



 ユイが帰宅すると、ダンは改めて説教を始める。


「ラウル様がご不在の今、油断は大敵なのです。過度の警戒も時には必要かと」

「それ、私の気が緩んでるって聞こえるんだけど?」

「そうです。護衛の者を付けずにお子達を送り出そうなどと、正気とは思えません!」

「ラウルが不在だからって、何かあるっていうの?」

「私が敵なら狙いますね。ユイ様は違うのですか」


 ユイは大きく息を吐き出した。

「確かに。ボスの不在時に目を付けて家族を狙う。攫って交渉材料にするか、怨恨の復讐なら皆殺しね」


――…この冷酷さ、ラウル様に匹敵する!――

 ダンが日頃ラウルに向けている羨望の眼差しがユイに注がれる。

「分かってるわ。ラウルがあなたを置いて行った理由くらい!言っとくけど、それくらい気づいてるから」

「でしたら安心しました」


 過去にユイはラウルに危険が迫る中、知らずに屋敷を離れてしまった。ダンの無言の訴えに気づかずに。あの時の教訓は固く胸に刻み込んでいる。


「あの子達に持たせてる携帯のGPSで居場所は分かる。何かあれば警報も来る。車両は防弾、運転手もそれなりに武装してる。油断してるつもりはないんだけど?」

「…申し訳ございません」思わずいつもの調子で謝るダン。

「で?脅威のお相手は分かってるの?」

「いえ。特定の敵は今のところ浮上しておりません」

「そう」


――勘、ってヤツね。ならこれ以上の情報は得られないか――

 冷やかしもせず短く返事をして、ユイは口を閉ざす。


「ヴァシルは差し当たり問題ないとして、問題は双子達ね。帰りも私が迎えに行くわ」

「いいえ。ユイ様は屋敷にいてください。自分が参ります」

「分かった」

 いつもならば反論するユイも、今回はすんなり受け入れる。ここに留まった方が、不測の事態が起きた際に動きやすいからだ。


「それにしてもです、ユイ様は、お子様達に甘すぎませんか?」

「愛する子供達の意思を尊重したまでよ。これが私の教育方針なの。周りから好奇な目で見られる事が苦だなんて、あなた達には分からないでしょうけど!」

「ええ分かりませんね。ヴァシル様はあの通り何も申しておりませんが?」

「双子が私に似たって言いたいんでしょ!どうせ一般庶民の出よ、私は!だけどね、そんなの血に反映するかっつーの!」


 二人の言い合いは、次第にエスカレートし始める。


「大体子供に向かって、金持ちの家に生まれたんだからしょうがないって何です?ラウル様でしたら、そんな陳腐な説得の仕方は絶対に致しません」

「陳腐で悪かったわねっ!ならあなたなら何て言うのよ」

「この歴史あるフォルディス家に生まれた自覚を持ち…」

「固いわね~そんなんじゃ子供の心は掴めないわよ?娘さんに嫌われないように気をつけてね!んじゃ」


 ユイは会話を一方的に終わらせて出て行く。

「あっ、まだ話している途中だ!…」


 すでにユイはいなかった。この二人の言い合いにおいて、ダンが勝者気分を味わえる事はほぼない。ほとんどが消化不良で終わる。

「…あああ!モヤモヤする!」



 その晩。息子3人を寝かしつけ終えてユイが寝室へ向かうと、示し合わせたように電話が鳴った。


「ハロー?」

『ユイ。そろそろ休む頃だろうと電話してみた。今大丈夫か?』

「完璧なタイミングよ、ダーリン!どう?そっちは」

『ああ。至って快適。問題ない。そちらはどうだ』

「ええ。毎朝の荒波を除けば…」

『荒波?天候でも悪いのか』


――違うっ、そうか、ラウルは知らないんだった――

 双子が送迎やボディガードを嫌がっている事はそれとなく伝えたが、ユイの教育方針についてラウルは完全には把握していない。

『荒波…そこは位置的に海からは遠いだろう…ユイ?』

――ルーマニアが面しているのは黒海だが…。荒波?――

 返事を貰えないラウルは、言葉を真に受けてまだ考えている。


「ごめん、バタバタしてるって意味で言ったの。日本語のニュアンスは英語にはないよね。問題の内には入らないわ。皆元気よ」

『それを聞いて安心した。おまえも元気だな?』

「私?私はいつも絶好調よ!どうして?」

『いや…特に理由はない』

「もう!心配性なんだから、ラウルは」

『会えなくて寂しいよ』

「私も…」


 少しの間の後ラウルが言う。『あまり、ダンとケンカするな?』

「だったらあの減らず口を何とかして!」

『分かった』

 あまりにも真剣な声が返って来て、再びユイは焦る。

「あの!ラウル?その…冗談だからね?」

『分かっている』


 小さな笑い声と共に返された言葉で、ユイの焦りは安堵に変わった。

――分かりずらい…冗談か本気か、電話だとさらに分かんない!――


 ラウル相手では、対面であっても見抜くのは至難の業である。


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