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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第五章 築き上げる覚悟
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守るべきもの(3)

 思い違いを抱えたラウルが、イーグルと対面するのにそう時間はかからなかった。


「お前がミスター・イーグルか」

 ダン他一同、いつにも増して大勢引き連れたラウルは、プライベートジェットから降り立ち、目の前の男に言う。


「いかにも。これはこれは盛大なご登場で!アンタは確か有名なマフィアだな…さて、誰といったか」

「ラウル・フォルディスだ」

「おおそうだ、フォルディス!で、かの有名なマフィア一家のボスが、しがない殺し屋に何の用だ?」

「要件はただ一つ。過去に何があったかは知らないが、今この瞬間からユイ・アサギリに関わる事は許さん」


 至って寛いだ様子を崩さず、イーグルは肩を竦めて答える。

「ユイ・アサギリだって?誰だったかね、そいつは」

「見え透いたシラを切るな。ユイ目当てでルーマニア政府に暗殺を予告したのだろう?」

「そりゃ大分語弊があるね!ルーマニアの要人暗殺の件を言ってるなら、あれはただの一案件。クライアントから金を貰って依頼を受けただけ。その女とは無関係だ」


――フン、よく言う!――

「ユイは会いたがっているようだが」

 怒りを見せないようセーブしながら、静かに語るラウル。


 後方でハラハラしながらダンが見守っている。

 この顔合わせが実現したのは、他でもないダンの手柄である。またもこの男の予知能力が役に立った。


「へえ!それは光栄だね!なら顔くらいは見てやるかね。誰か忘れたが?」

――わざわざ強調するな、嫌味がましい男だ――

 心だけでこう悪態をついてから、静かに言い放つ。

「私の言葉も忘れたか?今しがた関わるなと言ったはずだが」

「だってあっちは会いたがってるんだろ?」


「お前達は一体、どういう関係なのだ」

「関係も何も!殺し合った仲、としか言いようがないね」


――愛し合った、の間違いではないだろうな?――

 ラウルのこめかみに筋が浮き上がる。


「ラウル様、お鎮まりくださいっ、ここは何卒穏便に」耐え兼ねたダンが近寄って耳打ちする。

「それは無理な相談だ」

 ラウルはそう言い放つと、懐から拳銃を抜いて構える。

「何の真似だね?この俺に銃を向けるとは、命知らずな色男だな!」

「その額に風穴を開けられたくなければ、私の要求をのむ事だ。この暗殺の件から手を引け。もちろん、ただでとは言わない」ラウルは顎で部下に指示を出す。


 それを受けて、巨大なジュラルミンケースが運ばれてきた。


「これは凄い!そこにいくら入ってるんだ?」

「まだ何も入っていない」

「何だと?」

「お前を殺した際に死体を運ぶためのものだからな」

「それは面白い!なかなか言うじゃないか?マフィアにしてはユーモアがある」


――またか?私は何も面白い事は言っていない!――

 ムッとしながらも、ラウルは眉一つ動かさずに銃を向け続ける。

「私は一言も金を払うとは言っていない」

「ははっ、ごもっとも!なら、手を引いた見返りは?」


 余裕の表情で語るイ―グルだが、久々に身に迫る危機を感じていた。


 どんなに腕の立つ殺し屋でも、この状況では勝算は薄い。

 何せ相手は謎の力を持つとも言われる有名なマフィア一家。例えボス一人を殺せても、この場の全員を相手にする事は困難だし、そもそも何が起こるか分からないのだから!


――なぜ居場所が分かった?ようやくしつこいフランス警察を撒いた矢先に!チッ、この俺が追い詰められるとは…こんな事は前代未聞だ!――


 しばしの沈黙を破り、ラウルが口を開く。

「お前に逃げ道を用意してやる。もう二度とこの国とユイに関わらないという条件で」

「逃げ道だと…?信用できんな!なぜマフィアのお前さんがそんなモンを用意できる?」

「必要ないというなら無理にとは言わない。何せお前は変装の名人と聞いた。逃走など容易いだろうからな」

「よくご存じで!だが。逃走ルートは多い方がいい。助かるよ。ただ、それが罠って事も考えられる」慎重に話を進めるイーグル。

 これまで度重なる危機を掻い潜って来た経験から、そう簡単には信用しない。


「どんなに頭の固い役人でも、要人を暗殺させないためならばその程度は融通する。信じないのは勝手だ。ならば選択肢は一つ、死んでもらうしかない」

 ラウルはすでに政府側とも交渉していたのだ。


 拳銃を構え直して言い放ったラウルに、死を予感したイーグルは訴える。

「待て待て!分かったよ。それで手を打とう。だが、俺のクライアントが黙ってないぜ?追い回されるのはご免だ」

「問題ない。先方の名を言え。手を回しておく」

「そりゃ有り難い!」


――大した男だな、あの度胸のある女が気に入る訳だ――

 イーグルは、ラウルの終始堂々としたその姿に感心すら覚えた。

 世界一の殺し屋と恐れられるようになって、こんなふうに対等に話ができた試しはない。

――ふっ、間違いない、ユイ・アサギリ以来だろうな!――


「…ああ、お前にもう一つ要求がある」ラウルが言った。

「何だい?」

「当日、威嚇射撃を数発、もちろん人間には当てるな。それだけ頼みたい」

「何だそりゃ?」


――ユイには暗殺が中止になった事は話さない。この男に会えると思わせておく必要があるのだ――

 ラウルのユイに対する疑惑はまだ消えない。最後の最後に問いただすつもりでいた。

――果たしてこの男がすでに去ったと知った時、ユイはどんな顔をするのか…――



 交渉を終えて、帰りのジェット機内でラウルが誰にともなく問いかける。

「殺し合った仲、というのは…どういう意味だ?」

 すぐさまダンが答える。「それはラウル様、そのままの意味では?」

「つまり仲は悪いという事か」

「殺し合うくらいですからねぇ」


――だが私とユイもかつては…――

 それはいずれも深夜の寝室での出来事である。当初ラウルは部下達に寝室を監視させてユイを狙ったし、ユイは就寝中のラウルに銃口を向けた。

 それも今では単なる思い出話だ。二人は今や深く深く愛し合っている。


「ラウル様?」

「…すぐに分かる。私に隠し事はできない」


・・・


 そしてついに決戦の日がやって来た。


 玄関先には、いつもとは違うパンツスタイルのユイが、これまたいつもとは違う引き締まった表情で立っている。

 手に持つのは小振りのハンドバッグではなく、細長い重量のある黒ケースだ。


「それじゃ行ってきます」

「ユイ、何だか今日キマッてるね!アニメに出て来るキャラみたいだ!」

 ラドゥが無邪気にユイに抱きつく。


 シャーバンは距離を置いて見つめるだけだ。


「ありがとうラドゥ、留守番よろしくね。ヴァシルは?」ラドゥの頭を撫でながらユイが尋ねる。

「ヴァシ兄なら、友達とサッカーしに行った」

「そう。シャーバン、お仕事、して来るわね」

 ユイは少しだけ殺し屋の顔になってシャーバンに話しかけてみる。


 シャーバンは少しだけ考えた後、笑顔を見せた。

「…。うんユイ、頑張ってね!」

「ありがとう」

――そう、あなたの言っていた事は正しいのよ。私は殺し屋、別に隠しはしないわ――


 そこへ、ラウルが見計らったように部下を引き連れてやって来た。

「ちょうどいい、私も今から出かけるところだ。途中まで一緒に行こう」

「あら、ラウルも外出?」

「ああ。ちょっとした視察にね」

「そう。なら行きましょ」


 ユイのスナイパースタイルを初めて目にしたラウルは、そのボディラインの素晴らしさに目を奪われる。

 動きの妨げとならないピッタリとしたデザインの黒の上下。トップスは丈夫なナイロン製で、首元までしっかりとジッパーが上げられている。

 ボトムは柔軟性のある革パンツだ。


――ああ…これが見られるならば、毎回行かせてもいい気がする。今すぐ脱がせたくなる!――

 こんなふしだらな妄想をしていても、ラウルの表情は涼しいままである。

 ユイの直談判にあっさり許可を出したラウルだが、こんなラッキーを予想していた訳ではない。

 単にユイへの独占欲がさせた事だったのだから。



 それはラウルがイーグルとの交渉を終えた翌日の事だ。

 ラウルの元にやって来たユイが、どこか控えめに申し出た。


「ねえラウル、お願いがあるんだけど…」

「どうした?何か欲しいものでも?」

「そうじゃないの。あのね…」

 なかなか言い出せないユイだが、ラウルにはすでにユイの要望は把握済みだ。

「悩む必要があるのか?時間の無駄だろう」


「またヴァシルね!…相変わらず辛辣なお言葉、お陰で吹っ切れたわ。例の政府からの依頼、私も現地で対応したいの。今回だけ、どうしても!お願いっ」

 一息に言い切って頭を下げ返事を待つ。


「どうぞ」ラウルはあっさりと返した。

「…え?今なんて…」信じられずに聞き返すユイ。

「だから、好きにしろと言ったのだ」

「いいの?行っても?」

「ああ」


 あまりに呆気なく下りた許可に、ユイは目を瞬く。


「危険な事はしないのだろう?当然その約束は覚えているな」

「もちろんよ」

――それだけは胸を張って言えるわ――

「ならばおまえの自由にするといい。今回に限り、だが」

「ありがと、ラウル!」


 これがラウルの罠であるとも知らず、ユイは諸手を上げて喜んだ訳だ。


 そして当日、ラウルは堂々とユイと共に出かける。

 昔からマフィアの仕事には口を出さないユイだから、今回のラウルの外出目的にも全く関心がない。ラウルの行動に何ら不審感は生まれず。


「ここでいいわ。じゃあね」

「ああ。気をつけて」


 途中でユイだけを降ろし、車の列は別の場所へと向かう。


「ダン。ヤツの居所に変更はないか?」

「はい、今のところは。ラウル様、本当にユイ様にお伝えせずによろしかったのでしょうか」

「教えたいのは山々だが、それをすれば全てを話さねばならなくなる。今はまだしたくない」

 ラウルはイーグルの位置を特定していた。向かう先は互いの姿が確認できる場所だ。

 あえて自分の姿を敵に見せつける事で、勝手な行動ができないよう牽制するのだ。


「契約外の動きをしたら射殺しろ」

「はっ!」


――さて。ユイ・アサギリ、お手並み拝見と行こうか?――

 メラメラと湧き立つ独占欲の中にありながら、ラウルはどこか楽しんでもいた。


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