守るべきもの(3)
思い違いを抱えたラウルが、イーグルと対面するのにそう時間はかからなかった。
「お前がミスター・イーグルか」
ダン他一同、いつにも増して大勢引き連れたラウルは、プライベートジェットから降り立ち、目の前の男に言う。
「いかにも。これはこれは盛大なご登場で!アンタは確か有名なマフィアだな…さて、誰といったか」
「ラウル・フォルディスだ」
「おおそうだ、フォルディス!で、かの有名なマフィア一家のボスが、しがない殺し屋に何の用だ?」
「要件はただ一つ。過去に何があったかは知らないが、今この瞬間からユイ・アサギリに関わる事は許さん」
至って寛いだ様子を崩さず、イーグルは肩を竦めて答える。
「ユイ・アサギリだって?誰だったかね、そいつは」
「見え透いたシラを切るな。ユイ目当てでルーマニア政府に暗殺を予告したのだろう?」
「そりゃ大分語弊があるね!ルーマニアの要人暗殺の件を言ってるなら、あれはただの一案件。クライアントから金を貰って依頼を受けただけ。その女とは無関係だ」
――フン、よく言う!――
「ユイは会いたがっているようだが」
怒りを見せないようセーブしながら、静かに語るラウル。
後方でハラハラしながらダンが見守っている。
この顔合わせが実現したのは、他でもないダンの手柄である。またもこの男の予知能力が役に立った。
「へえ!それは光栄だね!なら顔くらいは見てやるかね。誰か忘れたが?」
――わざわざ強調するな、嫌味がましい男だ――
心だけでこう悪態をついてから、静かに言い放つ。
「私の言葉も忘れたか?今しがた関わるなと言ったはずだが」
「だってあっちは会いたがってるんだろ?」
「お前達は一体、どういう関係なのだ」
「関係も何も!殺し合った仲、としか言いようがないね」
――愛し合った、の間違いではないだろうな?――
ラウルのこめかみに筋が浮き上がる。
「ラウル様、お鎮まりくださいっ、ここは何卒穏便に」耐え兼ねたダンが近寄って耳打ちする。
「それは無理な相談だ」
ラウルはそう言い放つと、懐から拳銃を抜いて構える。
「何の真似だね?この俺に銃を向けるとは、命知らずな色男だな!」
「その額に風穴を開けられたくなければ、私の要求をのむ事だ。この暗殺の件から手を引け。もちろん、ただでとは言わない」ラウルは顎で部下に指示を出す。
それを受けて、巨大なジュラルミンケースが運ばれてきた。
「これは凄い!そこにいくら入ってるんだ?」
「まだ何も入っていない」
「何だと?」
「お前を殺した際に死体を運ぶためのものだからな」
「それは面白い!なかなか言うじゃないか?マフィアにしてはユーモアがある」
――またか?私は何も面白い事は言っていない!――
ムッとしながらも、ラウルは眉一つ動かさずに銃を向け続ける。
「私は一言も金を払うとは言っていない」
「ははっ、ごもっとも!なら、手を引いた見返りは?」
余裕の表情で語るイ―グルだが、久々に身に迫る危機を感じていた。
どんなに腕の立つ殺し屋でも、この状況では勝算は薄い。
何せ相手は謎の力を持つとも言われる有名なマフィア一家。例えボス一人を殺せても、この場の全員を相手にする事は困難だし、そもそも何が起こるか分からないのだから!
――なぜ居場所が分かった?ようやくしつこいフランス警察を撒いた矢先に!チッ、この俺が追い詰められるとは…こんな事は前代未聞だ!――
しばしの沈黙を破り、ラウルが口を開く。
「お前に逃げ道を用意してやる。もう二度とこの国とユイに関わらないという条件で」
「逃げ道だと…?信用できんな!なぜマフィアのお前さんがそんなモンを用意できる?」
「必要ないというなら無理にとは言わない。何せお前は変装の名人と聞いた。逃走など容易いだろうからな」
「よくご存じで!だが。逃走ルートは多い方がいい。助かるよ。ただ、それが罠って事も考えられる」慎重に話を進めるイーグル。
これまで度重なる危機を掻い潜って来た経験から、そう簡単には信用しない。
「どんなに頭の固い役人でも、要人を暗殺させないためならばその程度は融通する。信じないのは勝手だ。ならば選択肢は一つ、死んでもらうしかない」
ラウルはすでに政府側とも交渉していたのだ。
拳銃を構え直して言い放ったラウルに、死を予感したイーグルは訴える。
「待て待て!分かったよ。それで手を打とう。だが、俺のクライアントが黙ってないぜ?追い回されるのはご免だ」
「問題ない。先方の名を言え。手を回しておく」
「そりゃ有り難い!」
――大した男だな、あの度胸のある女が気に入る訳だ――
イーグルは、ラウルの終始堂々としたその姿に感心すら覚えた。
世界一の殺し屋と恐れられるようになって、こんなふうに対等に話ができた試しはない。
――ふっ、間違いない、ユイ・アサギリ以来だろうな!――
「…ああ、お前にもう一つ要求がある」ラウルが言った。
「何だい?」
「当日、威嚇射撃を数発、もちろん人間には当てるな。それだけ頼みたい」
「何だそりゃ?」
――ユイには暗殺が中止になった事は話さない。この男に会えると思わせておく必要があるのだ――
ラウルのユイに対する疑惑はまだ消えない。最後の最後に問いただすつもりでいた。
――果たしてこの男がすでに去ったと知った時、ユイはどんな顔をするのか…――
交渉を終えて、帰りのジェット機内でラウルが誰にともなく問いかける。
「殺し合った仲、というのは…どういう意味だ?」
すぐさまダンが答える。「それはラウル様、そのままの意味では?」
「つまり仲は悪いという事か」
「殺し合うくらいですからねぇ」
――だが私とユイもかつては…――
それはいずれも深夜の寝室での出来事である。当初ラウルは部下達に寝室を監視させてユイを狙ったし、ユイは就寝中のラウルに銃口を向けた。
それも今では単なる思い出話だ。二人は今や深く深く愛し合っている。
「ラウル様?」
「…すぐに分かる。私に隠し事はできない」
・・・
そしてついに決戦の日がやって来た。
玄関先には、いつもとは違うパンツスタイルのユイが、これまたいつもとは違う引き締まった表情で立っている。
手に持つのは小振りのハンドバッグではなく、細長い重量のある黒ケースだ。
「それじゃ行ってきます」
「ユイ、何だか今日キマッてるね!アニメに出て来るキャラみたいだ!」
ラドゥが無邪気にユイに抱きつく。
シャーバンは距離を置いて見つめるだけだ。
「ありがとうラドゥ、留守番よろしくね。ヴァシルは?」ラドゥの頭を撫でながらユイが尋ねる。
「ヴァシ兄なら、友達とサッカーしに行った」
「そう。シャーバン、お仕事、して来るわね」
ユイは少しだけ殺し屋の顔になってシャーバンに話しかけてみる。
シャーバンは少しだけ考えた後、笑顔を見せた。
「…。うんユイ、頑張ってね!」
「ありがとう」
――そう、あなたの言っていた事は正しいのよ。私は殺し屋、別に隠しはしないわ――
そこへ、ラウルが見計らったように部下を引き連れてやって来た。
「ちょうどいい、私も今から出かけるところだ。途中まで一緒に行こう」
「あら、ラウルも外出?」
「ああ。ちょっとした視察にね」
「そう。なら行きましょ」
ユイのスナイパースタイルを初めて目にしたラウルは、そのボディラインの素晴らしさに目を奪われる。
動きの妨げとならないピッタリとしたデザインの黒の上下。トップスは丈夫なナイロン製で、首元までしっかりとジッパーが上げられている。
ボトムは柔軟性のある革パンツだ。
――ああ…これが見られるならば、毎回行かせてもいい気がする。今すぐ脱がせたくなる!――
こんなふしだらな妄想をしていても、ラウルの表情は涼しいままである。
ユイの直談判にあっさり許可を出したラウルだが、こんなラッキーを予想していた訳ではない。
単にユイへの独占欲がさせた事だったのだから。
それはラウルがイーグルとの交渉を終えた翌日の事だ。
ラウルの元にやって来たユイが、どこか控えめに申し出た。
「ねえラウル、お願いがあるんだけど…」
「どうした?何か欲しいものでも?」
「そうじゃないの。あのね…」
なかなか言い出せないユイだが、ラウルにはすでにユイの要望は把握済みだ。
「悩む必要があるのか?時間の無駄だろう」
「またヴァシルね!…相変わらず辛辣なお言葉、お陰で吹っ切れたわ。例の政府からの依頼、私も現地で対応したいの。今回だけ、どうしても!お願いっ」
一息に言い切って頭を下げ返事を待つ。
「どうぞ」ラウルはあっさりと返した。
「…え?今なんて…」信じられずに聞き返すユイ。
「だから、好きにしろと言ったのだ」
「いいの?行っても?」
「ああ」
あまりに呆気なく下りた許可に、ユイは目を瞬く。
「危険な事はしないのだろう?当然その約束は覚えているな」
「もちろんよ」
――それだけは胸を張って言えるわ――
「ならばおまえの自由にするといい。今回に限り、だが」
「ありがと、ラウル!」
これがラウルの罠であるとも知らず、ユイは諸手を上げて喜んだ訳だ。
そして当日、ラウルは堂々とユイと共に出かける。
昔からマフィアの仕事には口を出さないユイだから、今回のラウルの外出目的にも全く関心がない。ラウルの行動に何ら不審感は生まれず。
「ここでいいわ。じゃあね」
「ああ。気をつけて」
途中でユイだけを降ろし、車の列は別の場所へと向かう。
「ダン。ヤツの居所に変更はないか?」
「はい、今のところは。ラウル様、本当にユイ様にお伝えせずによろしかったのでしょうか」
「教えたいのは山々だが、それをすれば全てを話さねばならなくなる。今はまだしたくない」
ラウルはイーグルの位置を特定していた。向かう先は互いの姿が確認できる場所だ。
あえて自分の姿を敵に見せつける事で、勝手な行動ができないよう牽制するのだ。
「契約外の動きをしたら射殺しろ」
「はっ!」
――さて。ユイ・アサギリ、お手並み拝見と行こうか?――
メラメラと湧き立つ独占欲の中にありながら、ラウルはどこか楽しんでもいた。




