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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第五章 築き上げる覚悟
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発覚(2)

 ラウルの書斎にて本日の業務報告を終えたダンだが、部屋を出て行こうとしない。


 顔を上げたラウルは訝し気に尋ねる。

「他に何かあるのか?」

「あの…ラウル様、私の思い違いかもしれませんが…一つ気になる事がございまして」

「何だ」

「近頃ユイ様のご様子が少し…。どこかお疲れのように見えるのですが」


 指摘を受けてラウルは考える。

 警備事業は順調で、主にマフィア業界からの依頼が増えている。以前よりも忙しく振る舞っている様子も見受けられる。多少の疲れは出るだろうが、と。


「ユイは内勤で、現場に出る事はない」

「知っております。ですから少々気になりまして」

「…ベッドではいつも通りだが」

 ようやく二人の間の不穏な空気は解消され、夜の営みも通常運転となった。

 ラウルは知らないが、これもまたダンのお陰だ。


「それです!少し、無理をさせすぎではと…。その、夜の情事の方で」

 毎晩のように、ラウルはユイを抱く。ダンがその内容まで把握しているはずもないが、案外尽くすタイプのユイの事、無理をして合わせているように思えてならない。


「お前に何が分かる?ユイがそう言ったのか?」

「いえ!そんな事は全く!それと、随分イライラされているようです」

「…ああ。それは気づいていた。女性は周期的にメンタルバランスも不安定になるようだ。もう少し気にかけておこう」

「ありがとうございます!そうしていただけると!」


 まるで我が子を思うようなダンの様子に、ラウルが心で罵る。

――過保護な親というのは、こういうのを言うのだろうな!――



 さほど気に留めていなかったラウルだったが、確かにユイの様子はどこか変だ。

 それはあのグラスが割れた一件から始まっているように思う。


「ユイ。疲れた顔をしているが、具合が悪いか?」

「別にそうじゃないけど、何だかぼんやりしちゃって。そうだ!気合入れるためにも、やっぱ私も前線に出て活躍し…」

「あの仕事は、部下達の有効活用という認識だからこそ許可したのを忘れたか?」

「覚えてます!」


 またもユイのイラ立ちが見え隠れして、ラウルは考える。何かユイの気を惹けるものは、と。


「明日の夕食は外で摂ろう。店を予約しておく。ドレスコード付きの店にする。久々に着飾ったおまえの姿が見たいな」

「ホント、久しぶりね!分かったわ。楽しみにしてる」

「たまには、ジュエリーボックスのピアスも着けてみてはどうだ?」

「っ!…そうね、そうしよっかな」

――着けてないの気づいてたのね…――


 最後は微妙な笑顔で終わったが、どうにかユイの機嫌が上向いた。それに満足するラウル。

 こんな時、新堂だったなら見抜けたある事に、ここにいる誰もが気づけないのは仕方のない事だろう。


・・・


 翌日の夕暮れ時。ドレッサーの前でメイクを始めたユイだが、あまり気分が優れない。顔色もいいとは言えなかった。


「せっかくラウルが誘ってくれたんだし。浮かない顔してたらダメよ、ユイ!」

 最近調子の出ない自分に喝を入れて、身支度を進める。

 ブルーグリーンのシックなロングドレスを選んだ。耳元はアレキサンドライト。

 カールの掛かった長い髪は、サイドに纏めて流す。仕上げにオレンジ系のルージュを引く。

「うん、なかなかじゃない?ラウル、気に入ってくれるかな」


 いつでもステキな旦那様に合わせるためには、自分磨きは大切だ。ユイの努力はベッドの中だけでなく、こんな所にも現れている。



 連れ立って店に到着し、ラウルのエスコートで中に入る。

「雰囲気のいいお店ね。ここは初めて?」

「ああ。最近オープンした。だから料理の味はどうか分からない」

「…そっかぁ」


 席に着いてすぐ俯いたユイに、ラウルが問いかける。

「ユイ、どうかしたか?」

「うん…何だか、さっきから気分が悪くて…車酔いしたかな」

「大丈夫か?無理するな、今日は帰ろう」

「ダメよ!せっかくの食事会なのに」

 口ではこう訴えるが、ユイはやはりつらそうだ。


 察したラウルは無言でウエイターに向けて手を上げる。


「はい、フォルディス様」厳かな足取りで現れたウエイターがかしこまる。

「申し訳ないが、妻の体調が優れないので今日は失礼する。料金は支払おう」

「お代など結構です、フォルディス様。それは心配です、奥様、大丈夫ですか?」

「ごめんなさい、大丈夫です」

 何とか答えたユイだが、いつの間にか顔面蒼白だ。


「お大事にしてください、またのお越しをお待ちしております」

「ありがとう。ユイ、立てるか?」

「うっ…。ちょっとトイレ貸してっ!」口元を押さえて立ち上がったユイ。


 ウエイターに連れられて慌ただしく手洗い場へ駆け込んだ。


 一瞬呆然としたラウルだが、ユイを追ってそちらへ向かう。

「ユイ、大丈夫か?このまま病院に行こう」

「えっ、病院は大袈裟でしょ!きっと何かに当たったのよ。平気平気。…帰りましょ」

「分かった。そうしよう」


 ラウルは答えてユイの背に手を当てた。



 その後ユイの吐き気はすぐに収まったのだが、食事の度に気分が悪くなる。


「今日はもういいわ。先に休むわね」

 こんな事がかれこれ4、5日続いている。

「ユイ…やはり一度医者に診てもらおう。食あたりはそんなに長引かない」

「いいってば!」

 何があっても病院に行きたくないユイは、ムキになって拒否した。


 そうして早々にベッドに入り、吐き気と戦う。

「一体何なの?食べようとすると気持ち悪い…」


 ハタと考える。これはもしや…。


 早々に食事を終わらせたラウルが寝室にやって来た。

「ユイ。具合は?」

「…うん。少し良くなった。ゴメンねラウル…。今日もお預けになりそう」

「それは構わない。おまえの体の方が大事だ」

 ここのところ夜の営みは行われていない。ダンの訴えもあり、ラウルも少しセーブしようと思っていたところだったので問題はない。


「…ねえラウル、もしかしてだけど」

「ん?」

 ベッドの端に腰を下ろして、横になるユイの髪を撫でながら微笑み、顔を覗き見る。

「この吐き気って、さ…。その」

「…」

 なかなか言い出さない様子に、ラウルもピンと来る。


「生理がね、遅れてるの。もうひと月以上…最近忙しくて忘れてた」

「ユイ、それは本当か?」

「…うん。でも違うかもしれないから!あんまり、期待しないで?」

「それは難しいな」

「もし違ってガッカリさせる事になったら…私、つらいの。だってフォルディス家にとって重要な事でしょ?」


 この家を守る責務を負うラウル。そして今や親族一同も、ユイの懐妊を心待ちにしている状況だ。


「がっかりしたりしない。いつでもおまえの体が一番大事なのだから。何も心配するな。明日、一緒に病院に行こう。行ってくれるか?」

「もちろんよ」


 ユイの答えを聞いて安堵するラウル。

――今回は拒絶されても連れて行くが!承諾を得られて何よりだった…――



 翌日向かったマタニティークリニックにて、ユイの妊娠が判明した。


「信じられない。ここにもう一人いるなんて…」腹を擦ってユイが言う。

「ユイ、ありがとう…。今日ほど喜びを感じたのは初めてだ。また、私に初めての感情をくれたな」

「ふふっ、私も。…ラウルの子かぁ。きっと天使みたいな子が生まれるわね」

――ミハイ君に負けないくらいの天使よ、間違いなく!――

「ユイに似て可愛い子だよ」


 こんな会話に加わりたいダンだが、ここはグッと堪える。誰よりも世継ぎ誕生を願うのはダンである。

 ラウルに、そしてフォルディス家に命を捧げているこの男は、この喜びに打ち震えていた。


「お母さんにも報告しなきゃ」

「そうだな。おまえは一人っ子だったか」

「う~ん、義理の兄はいる。けど、離婚したお母さんには関係ないね」

「ならば初孫になるな」

「そうね!きっと喜ぶわ」


 嬉しそうにこんな会話を交わす二人。

 ダンはそれを後方から見守り、一人で何度も頷いている。


「ダン、これから忙しくなるぞ。またお前に色々としてもらう事になるが、よろしく頼む」

「願ってもない、もちろんでございます!何なりとお申し付けください!」

 面と向かってこんなふうに頼まれて、ダンはどこまでも舞い上がってしまう。

 いつでも頼まれる前に察して動いているため、直々によろしく、などと言われる事は滅多にないのだ。


――近頃のラウル様は、私に対しても気遣いを欠かさない。ここまで尽くして来た甲斐があった…っ――

 ようやく報われた気がしたダン。それもこれもユイのお陰である。


 ラウルの念願だった子孫を身籠ったユイ。あれだけ毎晩のように熱烈に愛し合えば、身体に異常がない限り、この時が来るのは分かっていた。

 ラウルが思っていたよりも少し遅いが、それも天からの授かりもの。我がままは言えない。


――十分だ。これならば、子供が二十歳の時私は六十前、まだまだ現役でいられるだろう――

 そこが重要なのだ。


 いつでもどこでも計算を欠かさない。きっちりタイプのラウルである。


・・・


「私がエスパーになった訳でも、リングの力でもなかったのね~」

「お腹のお子が強力なエスパーだとは!増々でかした、ユイ・アサギリ!」

「ちょっとダン?私はもうアサギリじゃなくて、ユイ・フォルディスよ?」

――ああ…何て素敵な響きなの?ユイ、フォルディス…っ、きゃっ!――

 自らを名乗りながら陶酔するテンション高めのユイ。


「…そうでした、つい。申し訳ございません」

「ま、いいけど~」

 妊婦となったユイは、付き人ダンと庭で日向ぼっこ中だ。

 記憶がなかったあの頃も散々日向ぼっこをしていたユイだが、残念ながら本人は覚えていない。あの頃隣りにいたのが、ラウルと新堂だった事も。


「ユイ様のイライラや疲労や吐き気は、妊娠によるものだったのですね」

 妙に納得しているダンに、ユイが言う。

「ねえ、それより。ラウルにセックスを控えめにしろって言ったって?」

「っ!なぜそれを?!…それはあの、その、申し訳ございませんっ」

「ちょっとちょっと、落ち着いてよ。別に責めてないの。実はさ、ここだけの話、正直助かったなって思ってるんだ」


 こっそりと打ち明けるユイを、目を瞬きながらダンが聞き入る。


「ラウルってかなりタフで!さすがに毎日はね~。元々私、あんまり好きじゃないって言うか…あっ、これは内緒よ?あの子には話してたけど。さすがにあの子がラウルに伝えられる訳ないし」

 これはユイ付の若いメイドの事だ。今ではそんなプライベートの話までする仲になっている。だがこんな相談事が解決する事はない。


「私の忠告がお役に立ったのなら光栄です」生真面目な顔で頭を下げるダン。

「ホ~ント、良く見てるわよね、あなた。千里眼とかあるんじゃない?」

「少しだけですが、その力は備わっております」

「やっぱり?何かあるって思ってたわ!だっていつも先回りしてくれるじゃない?」


 ここでユイは思い出す。記憶を取り戻すきっかけとなったダンの登場シーンを。


「…だから私があの時、あの公園にいるって分かったのね」

「そういう事です。ですが、いつでもピタリと当たる訳でもありません。あれに関しては本当に奇跡です」

 何せ、外れてラウルに大目玉を食らう事の方が多いのだ。

「そっか…。いろんな奇跡が、私達をもう一度出会わせてくれたのね」


 あの日を思い起こしたダンは涙ぐむ。

――そうだ、あの日の自分があったからこそ今があるのだ!ダン、よくやった!――


 煙草を取り出そうとしたユイの手を、透かさずダンが掴む。


「目聡いわね…っ。離してくれない?」

「妊婦の喫煙はいけません!」

「そうやって監視するためにダンを付けたのね。ラウルったら抜かりないわ」

「いえ。ラウル様の命令ではありません。率先してしているだけです。第一、ラウル様はあなたがスモーカーだとは知りません」

「…それ、本当に内緒にしてくれてるの?」

「当然です。私は約束は守ります」


――忠実すぎる、さすがはラウルの腹心だわ!――


「私の相手はもういいので、いい加減自分の仕事してください!」

「そのお腹のお子は、このフォルディス家の大切な財産でもあります。それをお守りするのも重要な任務」

 煙草は呆気なく取り上げられた。

「ケ~チっ」

「自分になら何とでもおっしゃってください。何でも受け止めます」


「あらそう?んじゃ、遠慮なくっと!」

 ユイがダンの腕を掴んで後ろに捻り上げた。


「うわっ!くっ…ご冗談が過ぎますぞっ、ユイ様!」

「何でも受け止めるんでしょ?」

「がぁ~っ!待った待った、参ったぁ!」

「あはははっ、面白い顔~!」

 ダンの絶叫とユイの暢気な笑い声が庭にこだまする。


 妊婦の日光浴とは思えない光景が繰り広げられていた。


・・・


 夜のひと時。


「ユイ、不都合な事はないか?」

「ええ大丈夫。だけどダンったら、ここんとこ私に付きっ切り!」

「ああ。私が不都合を感じている」

「でしょ~?ラウルがヤキモチ焼いてるから離れてって言っとく」

 これならば効果てきめんだろうとユイはほくそ笑む。いい加減一服したくてウズウズしていたのだ。


 向かい合って座っていたユイがラウルに絡みつく。


 常にユイの裸体を見尽くして来たラウルには、少しだけ張りが出始めた下腹部にもすぐに気づける。

 その腹に手を当てながら言う。

「どうか、元気な子を産んでくれ。ユイの子なら元気なのは間違いないだろうが?」

「元気というか、騒がしいというか?ラウルに似たらそうはならないよね、きっと」

「子供は元気な方がいい」


 元気な子を産むには、煙草は厳禁だ。ユイはすぐに考えを改めた。

――これはもう、私だけの体じゃないんだわ…勝手な事はできない――

 愛する者の一言で、人の気持ちはこんなにも変わるのだ。愛というのは偉大である。


 散々勝手をして来たユイだが、ここへ来てようやく自覚が湧いた。もう二度と無茶はしないと誓うのだった。


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