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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第四章 受け入れられた想い
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雪解け(3)

 楽し気な笑い声が遠くで聞こえ、ユイはまどろみから意識を浮上させた。


「…ん、ここどこ?」

 フレッシュな芝の匂いが鼻腔を突く。起き上がって見渡せば、一面緑の芝に覆われた屋外だ。

 麻布の大きなパラソルの元、心地の良い大きな円形のソファに寝かされていたユイ。


「おお、起きたか。ユイもやるだろ?ゴルフ!」

「ユージーン叔父様?…どうしているの」

「どうしてって、ここは俺んちの庭だからなぁ」

「あの後ユージが遊びに来てね。ちょうど帰って来た孫のミハイとゴルフをしようって事になったんだ」


 眠らされる前と何ら変わらないルーカスの態度。ユイが一部始終を聞いていた事は、叔父達には知る由もない。


「ルーカス叔父様、私、どうもその辺の記憶が曖昧なんですけど…」

 そう濁しつつその先の応対を思案するも、遠くで球を打てず空振りした少年が目に入って気を取られる。

「あっ!もしかしてミハイ君ってあの金髪の子?カワイ~っ、え…ちょっと待って、ラウルにめちゃ似てない!?」ここで思案は全て吹き飛んた。


 答えに困っていたルーカスをよそに、たちまちユイはラウル似のミハイに大興奮となる。


 ルーカスはユージーンと顔を見合わせて肩を竦める。

「良かったな、ルカ兄。これならきっと何とかなるさ、ラウルの婚約者がああいうキャラで助かったな!」

 頷いたルーカスだが、その表情はすぐに曇る。

「しかし謎だ。ユイ・アサギリ…」

「彼女に裏表がないって事は、この俺のリーディングを以てして証明するぜ?」

「あれのどこに殺し屋の顔が?」


「それだけ、俺達が信用されてるって事じゃないの。俺は素直に嬉しいがね!ほらユイ、このクラブ使って。ゴルフはやった事あるの?」

 ユージーンはルーマニア語から英語に切り替えてユイに声を掛ける。そして一本のクラブを手渡した。

「あっ、ありがとうございます!ほんの少しですけど。私も空振りしちゃうだろうなぁ」

「最初は皆そうだよ、気にせずやってみな」


 すっかり眠気が去ったユイは、元気いっぱいに足を踏み出した。


――睡眠薬の副作用もなさそうだ。良かった…――

 ルーカスは一人、安堵の息を吐き出す。


 そして思う。計画を実行せずに良かったと。


 これまで数え切れない程の人間を殺して来た。殺す事には何の罪悪感もない。慣れというものは恐ろしい。

 だがユイを殺していたなら?とっくの昔に忘れ去った罪悪感というものを、再び思い出す事になっていただろう。


 自分の抱いていたものは単なる我がままだった。最高の権力が欲しい。全てを手中に収めたい。自分にはその力がある、負けたくないと。

 それが正しい道に繋がっていたのかは誰にも分からない。

 ただ言える事は、今の結果にも十分満足していたという事。


――私がではない。フォルディス家が満足しているのだ。それでいいではないか?――


 我を通して失敗したラウルも、ユイに気づかされた。ルーカスもまた同じように。

 こんな彼等にはユイのような存在が必要なのだと、フォルディス家自身が判断したのだ。その象徴であるリングの力によって。


「ナイスショッ~ト!凄いじゃない、ユイちゃん!本当に初心者?」

「ユージーン叔父様の教え方が上手なんですよ~」

 今では体に触れられてもさほど気にならない。やたらとユイにスキンシップを図るユージーンに、ルーカスが突っ込む。

「おいユージ、お前さっきからユイさんに触りすぎだ!ラウルに殺されるぞ?」


「え~、これくらい俺の普通だけど?ルカ兄こそ、どさくさに紛れてハグとかしなかった?」

「ドキっ」ルーカスが胸に手を当てて後退った。

 この男はこう見えて、意外と茶目っ気のある人物なのだ。


――この二人、本当に仲がいいのね。いいなぁ、こういうの。大好きっ!――


 こんな若すぎる老齢男性達にユイが胸をときめかせていると、黒塗りのセダンがゴルフ場内に土埃を上げながら侵入して来た。


「おい、誰だ勝手に車入れやがって!芝がダメになるだろうが。ふざけるなよ?」

「待てユージ!」

 胸元に手を入れて拳銃を抜こうとしたユージーンを止めるルーカス。静かに首を横に振る。

「誰だろうと知った事か!俺にとったら芝の方が大事なのっ!」

「あれってフォルディス家の車…もしかしてラウル?」

「どうやら、お迎えが来てしまったみたいだね、ユイさん」


 即席ゴルファー達の前に降り立ったのは、誰もが予想した通りの人物だ。


「ユイ!無事か?!」いつもとは一転、どこまでも焦りに満ちた声が響く。

「ラウル、ダメじゃない、ゴルフ場に車を乗り入れたら。ユージ叔父様が怒ってるわよ?」

「ユージ、だと?なぜそんなに親しげに呼ぶ?」

「あっ、つい…スミマセン」

「いいよ、そう呼んでくれて!」拳銃を持ったまま、ユージーンがユイに言う。挙句ウインクまで飛んで来た。


 それを見たラウルの額には、またも青筋が立つ。


 怒りを察してユイが慌ててラウルに抱きつく。

「っ!ねえ、ラウルもやろうよ、ゴルフ!楽しいよ?」

 すぐに抱きしめ返し、取りあえずユイの無事を確認したラウルは、気を鎮めるため深呼吸をした。

――ダンめ、また早とちりか?だがこれは一体どういう状況なのだ…――



 それは会合の真っ只中、ダンが騒ぎ出した事から始まる。


「ラウル様、ちょっと…っ」

「何だ。大事な情報交換の最中だ、静かにしろ」

「悪い予感がするのです、ユイ様が…!」

「ユイがどうした?」

 ユイの名が出た途端、ラウルの顔色が変わる。


「済まない、少し席を外す」

 勢揃いした各国マフィアのトップ達に向かって告げると、ダンと共に部屋を出る。


 ダンは今しがた見た少し先の未来を説明する。それはルーカスに呼び出されて、ユイが家に向かう場面だ。

「どういうつもりだ!ユイもユイだ、なぜ一人で?」

「全く警戒心がなさすぎる!ラウル様、どうなさいますか」

「当然私が向かう。お前が代理でここに残れ」


 ダンの返事も待たず、ラウルはその場を駆け出した。

――急がねば…。ああ、間に合わないかもしれない!――

 まさかルーカスがこんな強硬手段に出るとは、さすがのラウルも思っていなかった。


 プライベートジェットにて大急ぎでルーマニアに戻り、そのままルーカス邸に車を走らせた訳だが、家はもぬけの殻。

 その後ラウルがユージーンの所へ向かうまでに、それ程時間は要しなかった。



 困惑顔のラウルに、ルーカスが口を開く。

「ユイさんを先に呼び出したのは私なのだ。咎めるのなら私を…」

「そんな事は知っている!」

「ラウル、怒らないで!違うの、私がルカ叔父様にお願いしたの。色々聞きたいって」

 突如割って入ったユイに、ルーカスは驚く。

――私を庇ったのか。なぜそこまで私を受け入れる?――


「ルカ、叔父…」ラウルが眉根を寄せて繰り返している。

 ユイはハッとして口元に手をやった。「あっ、こっちも言っちゃった…」

「構わない。呼びやすい方で呼んでくれ」ここはサラリと返すルーカス。

「ありがとうございます!」

「…」ラウルは言葉にならない。

――仲が急速に進展しているではないか…どういう事だ?――


「では私は、そろそろ失礼しようかな」

「何だルカ兄、もう終わりか?」

「いやはや私は疲れたよ。これ以上、老体に鞭を打たないでくれ?ミハイ!帰るぞ」

 ルーカスの声を受けて、離れた場所にいたミハイが戻って来た。


「あれ、ラウル叔父さん。いつ来たの?」

「ミハイ。久しぶりだな。さっきだ」


 この二人のツーショットに、ユイが騒ぎ出さないはずがない。


「きゃ~っ、何この絵は!まるで成長過程を見てるみたいじゃない…っ。ねえ二人とも、もうちょっとくっついてみて!」

 あまりに似通った容姿の二人が、ポカンとした瓜二つの表情でユイを見つめる。

 視線を受け止めきれず、ユイは両手で顔を隠した。

「いやん…強烈すぎる!お願いだからあんまり見ないでっ」

 この感想は日本語で発せられたため、理解する人間はこの場にはいない。


 なぜユイが騒いでいるのか、全く理解できないその場の面々。

「ユイちゃん…大丈夫か?何か変な物でも食ったか」

 ユージーンのこんなコメントに、ルーカスはギクリとする。

――もしや睡眠薬の副作用か?…これはマズいじゃないか!――


「ユイ。もういい、おまえが無事ならば私は怒っていない。だから冷静に…」

「ラウル!大好きよ!」

 今度はいきなりユイがラウルに抱きつく。目を瞬くラウルだが、しっかりとその腰に腕を回した。


「見せつけてくれるね~お二人さん!」

 ユージーンの冷やかしが入り、ようやくユイが大人しくなる。


 それを見計らって、ルーカスが二人に向かって言った。

「ラウル、心配するな。私はこの通りすでに老いぼれの身だ。君の脅威にはなり得ん。それに、ユイさんにすっかり毒気を抜かれたよ」

 ユイを見下ろしながら肩を竦めて見せるルーカス。

 そしてユイに向かって言う。「今日は楽しかったよ。良ければまた懲りずに遊びに来てくれ」


「はい、もちろんです!今度は、私がお茶、振る舞いますからね?」

「…。ああ、楽しみにしている」

 ユイとしては何の含みもない申し出だが、ルーカスにはこう取れた。もう薬は盛らせないと。

 次に自分が盛られたとしても、ユイのように堂々と受けて立とうと、ルーカスは思うのだった。


 返事を返す気もないラウルは、すぐにユイに目を向ける。

「さあユイ、帰ろう。それともまだゴルフを?」

「今日はもういいや。帰りましょ」

「今度は本格的に回ろうね、ユイちゃん!」ユージーンが陽気に手を振りながら言う。

「いいですけど、張り合って無理しないでくださいね?」

「おお?言ったな?」

「フォルディス家の人達って、負けず嫌いが多いから!」


 ユイの的を得たコメントに、その場の全員が思った。それは違いない!と。



 帰りの車内で、ラウルはユイを改めて観察する。

 ハンドバッグにはコルトが収められており、そのバッグの上に乗せられた左手にはリングが光っている。


「どうかした?ラウル」

 視線に気づいてユイがラウルに笑顔で尋ねた。

「本当に何もされてはいないのか?」

「ええと…まあ。出された紅茶飲んでたら、眠くなって寝ちゃっただけよ」

 ここで嘘を言う訳にも行かず、ユイはありのままを語る。


「っ!それは睡眠薬…」

 ラウルが指摘しかけた時、それを遮ってユイが声を張る。

「最近眠りが浅くて?出先で寝るなんて子供みたいよね、恥ずかし~!ダンさんには内緒にしてね?また何言われるか分かんないからっ」

 こう陽気に返されては、怒り心頭のラウルも次の句が継げなくなる。


――本当に気づいていないのか、あの男を庇っているのか…――


 思案に暮れていると、ユイが話題を変えた。

「それよりお仕事大丈夫だった?私のために切り上げて来てくれたんでしょ」

「問題ない。向こうにダンを残して来た」

「ごめんなさい、私が邪魔したみたいになって…」

「おまえの無事よりも大切なものなどこの世にない。何事もなくて、本当に良かった」


 心から安堵してユイの左手を握る。

――何にせよ、無事ならばいい――


「ラウル…ありがとう。やっぱりラウルの叔父様は素敵な人達だったわ。増々好きになっちゃった」

「どこがだ?」

――冗談だろう?あんな連中!――

「それよそれ!」

「?」

 唐突に発せられた言葉に首を傾げるラウル。


「そうやって敵対心持つのやめよう?きっと、ほんの少し何かが狂ってただけ。それを戻せば、嘘みたいにあっという間に良くなるんだから」

「何の話だ?」

「あなたは嫌われてなんかいない、って事!」


 ユイの言葉を素直に受け入れる事は、まだラウルにはできそうにない。だが、その兆しが見えている事は否定できなかった。

「そうだとすれば…それはおまえのお陰だ。ユイの存在が、この家に変化をもたらしたのだ」

「もう呪われた家なんて言わせないわ」勝ち誇った顔でユイが言い放つ。


 その褐色に眩めく瞳を見てラウルは思った。頼もしい限りだと。



 その後、無事に会合をやり遂げたダンが屋敷に戻り、いつものフォルディス家の日常が始まる。

 それはつまり、ユイとダンの言い合いである。


「ユイ様。ご自分で防犯カメラを設置しておきながら、約束を破って堂々とお一人で外出なさるとは、どういう神経をされているのですか?」

「どうって言われてもねぇ」

「あまりにバッチリ映っていたもので」

「なら、コソコソ隠れて出てけば良かった?」

「そうは言っておりません!」


 こんな指摘をするダンだが、今回ユイの外出が判明した事にカメラ映像は無関係だ。

「そもそもダンさんの予知能力で分かった事でしょ?何を今さらそんな事」

「ですから、ユイ様的にはどうなのかと」

「何がよ」

「そのような杜撰な行動をです」

「ず、ずさん?!」


「ルーカス様の家に単身乗り込む事もそうです。ましてや出された茶を無警戒で煽るなど!」大袈裟な身振り手振りを交えてダンが言い募る。

「煽るって…お酒じゃないんだから」


 ダンは決してユイを貶しているつもりはない。そう聞こえるが、そうではない。


「私が何を言いたいかお分かりですか」

「分かんない」

 即答されてダンが声を荒げる。「っ!返事が早すぎる、もっと考えてから答えろ!」

「だ~って分かんないもん。時間のムダ!何が言いたいのよ。しょうがないから聞いてあげるわ。早く言って」


――この小娘め…じゃなかった、ああ、イライラする!――


「ラウル様にお手間を掛けさせるなという事です!」

「だから会合の件は謝ったじゃない。外出だってその一回だけでしょ、今までちゃんと守ってたわ」

「存じております。ですから、今後もお願いします」

「分かってるわよ!」ユイの方もどんどんイラ立ちが募り出す。


 不意にダンが体から力を抜いたのが分かった。

――何よ、呆れて物も言えないって?フンだ!――


 一転して静かな声でダンが語る。

「ユイ様は、ラウル様にとってなくてはならない存在なのです。その事を、もっと自覚していただきたい」

「だから…分かってるってば」

――確かに今回は無警戒すぎた。人は浮かれるとこうなるのね…そういや、前にラウルも言ってたな――


「絶対とは言えないけど、そう簡単には死なないから安心して」

「安心はしません。ですが、その言葉は信じます」

「ふふ!さすが慎重派のダンさん。これからも頼りにしてるわ」


 ダンとユイの言い合いは時にこうして和解する。そしてより強い絆が生まれる。

 それは、ラウルの知らぬ間に出来上がった強固な守りだ。ラウルのためだけに存在する鉄壁である。

 その鉄壁はこの先、親族も巻き込んでどんどん大きく高くなって行く事だろう。


 こうしてラウル・フォルディスは増々無敵となって行く。


・・・


「ねえラウル。最近、部下達が暇そうにしてるけど、何か別の仕事でも始めたら?」

 近年ファミリーの住み分けが整い、安定している。そのため昔のように頻繁にマフィア同士の抗争がある訳でもなく、血気盛んな若手達は力を持て余している状況だ。


「あの者達が出来る分野の仕事は少ないのだ」

「まあ…デスクワークは無理よね」

 体力勝負の男達。決して頭脳派ではない。

「ユイ、確認だが、それは今の事業を続けない方が良いという意味か?」

――おまえまでマフィアの世界から足を洗えと?――


「う~ん、そこまでは言わないけど、ほら、多様性って大事かなって」

「多様性?」

「あらゆる視点から物事を見る。一括りにしないで柔軟に考えるワケ」

 僅かに首を傾げるラウルに、ユイが続ける。

「何て言ったらいいかなぁ。何かさ、もっと賢い生き方があるんじゃないかなって思うのよ」

「…」


 口を閉ざしたラウルにユイが気づく。

――ってこれじゃ、ラウルが賢くないって言ってるみたいじゃない!――


 慌てて訂正しようとした時、返事が返された。

「同感だ。つい最近、私もそんな事を考え始めた」

「えっ、それホント?奇遇ね!」


 きっかけはカールトン家での一件だ。そして叔母達の発言。甥ミハイもマフィアを毛嫌いしている。

 そもそもこの世界から手を引けば、親族同士の諍いもなくなる。これから先フォルディス家が繁栄して行くのに、必ずしもマフィアである必要があるのか。

 あの時エリザベスは、頭ごなしにマフィアを辞めて転職しろと迫った。自分を思いやるユイはそんなあからさまな言い方はしないが、同じ事を思っているようだ。


 ラウルはあらゆる想定をしながらフォルディス家の将来を考える。


「そうは言っても、全面的に健全な会社になられたら困るけど!ま、それはないか」

「ないと思う根拠は?」

「だ~って、根本が悪だもん。ここの人達って!」

「…は?」


 すぐに拳銃を出したり人を殺す行為は悪そのものである。

 だがしかし、それはユイにも当てはまる。だからこそ居心地が良いのだ。


「いいのいいの!正しい事だけしてても、賢いとは言えないと思わない?」

「マフィアだけしていても、賢いとは言えないか」

「ザッツ・ライト!」


 ラウルが笑って頷く。

「実際、少し前から投資などの表向きの事業を拡大している。その元手は悪金だがね」

「そうだったのね。ラウルのお仕事の事は全然知らないからなぁ」

「マフィアの仕事でなければ、おまえも一緒にしてくれるか?」

「もちろんよ!ラウルとお仕事してみたいってずっと思ってたし」

「私もユイ・アサギリと仕事がしてみたい」

「光栄ですっ」嬉しそうにユイが笑う。


 希望に満ちた色の違う瞳が二組、室内に差し込んだ柔らかな陽射しを受けて輝く。

 動き出したこの家のさらなる繁栄を願って…。


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