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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第四章 受け入れられた想い
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雪解け(2)

「よく来てくれたね。待っていたよ、さあ中へ。美味しいダージリンがあるんだ。一緒に飲もう」

「はい、ありがとうございます」

 流れるようなエスコートを受けてルーカス邸内に入るユイ。


 今日もこの屋敷に人の気配はない。


「ここって、息子さん達と住まわれてるんじゃないんですか?先日も姿を見かけませんでしたけど」

「ああ、息子夫婦は共働きでね。マフィアではないよ?」

「ビックリした…奥様もマフィアなのかと」

「ははは!中にはそういう女性もいるぞ」

「何だか任侠映画の世界みたい!」


 朗らかな笑みを浮かべるルーカスだが、その裏では例の計画が着々と進んでいる。


――完全に私を信用している。これなら上手く行く――

 ユイの背に優しく手を当てながら、その肩に掛かるハンドバッグに目をやる。

 透視したその先に、はっきりとリボルバーの姿を確認した。

――やはり携行しているか…まあいい。取り出す間もなく眠らせるまでだ――


「ちょうど、ラウルの幼い頃のアルバムを見ていたところだ。興味はあるかな?」

「え!アルバム?見たいですっ」

 居間に通されたユイは、ソファに座るなりテーブルに広げられたアルバムに釘付けだ。

――きゃ~っ、来て正解!昔の事たくさん聞いちゃおっと――


 ユイがアルバムに夢中になっている中、ルーカスは自らダージリンを淹れ始める。

 それに気づいたユイは腰を浮かした。

「あ、私がやりましょうか?」

――こんな大きなお屋敷なのに、メイドさんとかいないのかしら?ラウルなら座ったままできちゃうけど…――

「いいんだよ、気にしないでゆっくり見ていなさい」


 ありがとうございます、と断って再びソファに腰を下ろすユイ。

 自分の出される予定のカップに、怪しげな粉が入れられている事には気づかない。


「あっ、これって叔父様ですか?やっぱりラウルのお父様とそっくり!こっちのはユージーン叔父様ね。皆さん俳優さんみたいにカッコ良くて、興奮しちゃうっ」

「ははは、それはどうもありがとう。良く言われるよ、フォルディス家の男はムダに顔だけはいいってね」

「そんな、顔だけなんて?全部カッコいいです!」


「いやぁ、そこまで言われると照れるなぁ!」

 ルーカスは一時計画も忘れて本気で喜ぶ。


「皆さん、髪の色は濃いんですね」

「ああ。ルーマニア人はほとんどそうだよ。ラウルは特殊だな。母方が恐らくロシア系なのだろう」

「そっか…。あ、これはダンさん?」

「ん?どれどれ…ああ、そうだダンだな。この頃はまだ髪がふさふさだ」

「ホント、別人みたいっ!」ユイはもう楽しくて仕方がない。


 無邪気な笑い声を聞きながら、ルーカスは思う。こんな楽し気な声をここで聞くのは何年ぶりだろうかと。

 妻はすでに他界し、マフィアに抵抗を持つ息子夫婦とは距離がある。孫とはそれなりに交流があるが、例の企みのお陰であまり好かれていない。


「こうやって見てると、何だか普通のご家庭ですね」

「君もマフィアに対して、いい感情は持っていないんだな。まあ…当然か」

「いえ…そうではないです。私の実家もマフィアみたいなものなので。父の事が大嫌いだったので、ただの反発心です」


――そうだろうさ。犯罪行為をとやかく言える立場にない、殺し屋のユイ・アサギリが?この家に近づいた目的は何だ?――

 そう心で呟いたルーカスだが、次のユイの言葉に戸惑う。


「ラウルが守ろうとしているものは、私にとっても大切なものなんです。だから一緒に守って行きたい」

「守るためには何でもすると?」

「そうですね」

「なぜそこまで?君にとってフォルディス家など赤の他人じゃないか」

 ユイの意外なまでの強い意志を受けて、困惑を隠せないルーカス。


 真っ直ぐに瞳をルーカスに向けて、ユイは答える。

「いいえ。厚かましいと思われるかもしれませんが、私はもう家族だと思っています。あの家の全ての人と」

「大した思い入れだ!だが、ラウルが守ろうとしているのは君なんじゃないのか?だったら君は、自分を大事にしないと?」


――こんなふうに、容易く叔父の誘いに乗るべきじゃないぞ!――

 一途なユイの想いを知っても心は揺らがない。端からそんな情に絆されるような人間ではない。


 そんな非情なはずのルーカスの中で、何かが変化して行く。


「自分をですか?それは盲点!考えた事なかったです」ユイがおどけて笑った。


 それはどこまでも裏表のない態度で、ルーカスにはどうしても理解できない。

――これは演技か?私に注意しろとラウルから言われているはず。なぜ警戒しない?こんな隙だらけの娘が、やり手のスナイパーだと言うのか…あの情報は誤報か?――

 もし目の前の娘が、ただの善良な一般人だとすれば、わざわざ殺す必要があるのか。


 もう少し話を聞き出そう、ルーカスは思う。


「あ、叔父様、もうお湯沸いたんじゃ?やっぱり私が淹れますよ」

 ユイが席を立って振り返る。

「待て!」

 突如放たれた切羽詰まった声に、ユイは動きを止める。

「…え?」


「ああ済まない、声が大きすぎたかな。最近耳の調子が良くなくてね、加減が分からなくて困るよ」

「そうなんですね。大丈夫です、それで…」

「知っているかい?紅茶は熱湯で淹れると良くないんだ。もう少し待ってくれるかな」


――ヤダ、私ったら…。催促したみたいになっちゃったじゃないっ――

 苦笑いで肩を竦め、ユイは再び腰を下ろす。


「そうそう、私、ルーカス叔父様に言いたい事があったんです」

「何だね」

 再び真っ直ぐに自分を見つめてくるユイに、逆にルーカスが警戒する。

――ようやく何かに気づいたか?この場で殺し合いになるのは避けたいところだが…そうなるなら止むを得まい――


 計画では、早々に眠らせてフォルディス家の敷地付近まで運び、用意してあるブレーキに細工した車に乗せ、崖から落とす予定だった。

 こんな計画を思いついたのも、ユイの趣味がドライブだとか、以前車の事故を起こした経緯などを把握していたからだ。


 ユイが左手を動かした拍子に、光を反射してリングがキラリと光った。

――先日も思ったが、あのリング、どこか記憶と様子が違うような…――


「あのぉ…お話、続けてもいいですか?」

 リングに気を取られていたルーカスは、ユイの言葉を受けて意識を戻す。

「ああ、大丈夫、聞いているよ」


 ルーカスの返答に安堵の表情で頷くと、ユイは本題に入った。

「ラウルの事、ずっと見守ってくださってありがとうございます。複雑な事情は多々あるかと思いますけど…、きっと叔父様は、ラウル以上にフォルディス家を大事にされてるはず。だから、どうしても伝えたくて」

「何を、だね…?」


 どうとも取れる内容だ。皮肉なのか言葉通りの意味なのか判断し兼ねている中、ユイの言葉が続く。

「先日も言いましたけど、私、フォルディス家のために精一杯頑張ります。だから、これからもどうか、ルーカス叔父様の力を貸していただけませんか?」


 不意にユイの左手のエメラルドが再び煌めいた。


――今のは何だ?…ユイは動いていなかった。窓からの光が反射した?いや、何も光るものはなかったはず――

 ルーカスの表情が変化した事に、ユイも気づいた。

――マズイ、何か失礼な事言っちゃったかしら…。怒らせちゃった?――


「あの…叔父様?」

「ああ済まない、直球すぎるお願いに、少々戸惑ってしまった。申し訳ない」

「いいえ!差し出がましいお願いなのは分かってます、私が未熟なのを棚に上げて…自分で何とかしろって話ですよねっ」

 ルーカスはユイの言い分に何も答えず、立ち上がる。

「そろそろいい湯加減だろう。お待ち兼ねのダージリンを淹れよう」


「どうも…」居た堪れずに俯くユイ。

――ゴメン、ラウル…。やっぱり私には関係修復のお手伝いなんて無理みたい――


 淹れ立ての紅茶を運びながら、ルーカスが言う。

「確かに、私もこのフォルディス家がとても大事だ。見守っているだけじゃなく、ずっと力を尽くして来たつもりだよ」

――ああっ、お怒りの原因はそこかぁ…――

「そう、そうです!見守ってるだなんて私、失礼でしたよね!」

「いや、構わない。実際に、その力は空回りしているからね」

「そんな事は…」


「ユイさんの言葉を聞いていると、何が正しい事なのか分からなくなるよ」

「え…?」


 ルーカスの中に、初めて小さな疑問が生まれた。一番の目的はフォルディス家の繁栄だ。そのために最善の方法を選んで来た。

 だが、今自分が進もうとしているのは、果たして最善の道なのだろうか?


 悩みながらも計画を進めるルーカス。


「さあ、冷めないうちにどうぞ」

「はい、いただきます」

 ユイは出されたカップを手に取り、漂う爽やかな香りを吸い込んで目を閉じる。

「いい香り…心が落ち着きますね」

 そう呟くと、何の迷いもなく口を付けた。

「ああ美味しい!ルーカス叔父様の淹れたダージリン、最高です」


 若さ溢れるあまりに魅力的な笑みを向けられても、ルーカスは硬い表情で口を結んだままだ。


「叔父様?さっきから少し様子が変ですよ?どうかされ…、あれ…何だか急に、眠くなってきちゃ…った」

 ユイの言葉は途切れ途切れとなり、次第に体が傾いて行く。

 ガチャリと派手な音を響かせて、ソーサーにカップが戻されると同時に、ユイは座っていたソファに崩れ落ちた。


――ウソ…これって、睡眠薬、盛られた…?何て事なの!――

 薄れ行く意識の中で察するも、もう手遅れだ。


 だがユイは、そのまま薄っすらとながら意識を保ち続けた。薬が少量すぎたために起こった事なのだが、これは意図して行われた訳ではない。


 表向き眠ったように見えるユイにルーカスが近づく。薬が効いていると完全に信じ切っている。

 左手をそっと持ち上げると、リングに指を掛けて引き抜いた。


――…ああ、取られちゃった…。叔父様も、リングを扱えるのね…――

 フォルディス家の人間だけにできる行為。当然ルーカスにも可能である。


「私にもその権利はあったはずだ。見ているだけではなく、この手にする権利が!」

 リングを見つめて悔し気に呟く。

「だがそうしていたとして、フォルディス家は今のように拡大できていただろうか?」

 それは一重にラウルの功績。その名が今のように世界に広まったのも、業績が拡大しさらなる財を成したのも。


――叔父様…そんなふうに考えていたのね――


 不意にルーカスが顔を上げた。訪問者に気づいたのだ。

 門を抜けて大小二つの人影が近づいて来る。それらは敷地内を堂々と走り抜け、玄関ではなく、この居間に面したテラスを目指している。


「邪魔が入ったか」

 小さく息を吐いたルーカスは、訪問者を警戒する事もなく再びユイに目を向けた。

 投げ出された左手をもう一度取り上げて裏返すと、そこには銃ダコが出来ている。

「…リボルバーに銃ダコ、スナイパー説は正しかったようだ」


――知ってたのね…。そうすると私、このまま殺される?…ゴメン、ラウル――

 ユイは体の自由も効かず声も出せない。ただ意識だけが残っている。


「ルカじい!」

「ルカ兄…っ」

 テラスが勢い良く開いて、ようやく訪問者が姿を現した。息を切らしたユージーンと孫のミハイだった。


「何をそんなに慌てている?テラスから入って来るなど行儀が悪いぞ、お前達」

「ルカじい、その人に何したの?殺したの!ねえ!」

「早まるなって言ったろうが…バカ野郎!」

 ソファに倒れ込んだユイを見つけ、二人が叫ぶ。


「待て待て、殺してなどいない。眠っているだけだ。まだ、な」

「やっぱり殺す気だろ。そういうとこが嫌なんだよ!マフィアなんて大嫌いだ!」

「ミハイ、これも全てお前のためなんだぞ」

「何が僕のためだ!自分のためだろう?自分の我がままの!自分の夢は自分で叶えなきゃ意味ないんだよ?」


 若きミハイのもっともな言い分に、ルーカスは苦笑するしかない。

「そうジイを責めんでくれ…。そんな事は、とうの昔から分かっていたよ」

「だったら何でだよ!」


 これに答えたのはユージーンだった。

「男は時に、プライドってヤツに翻弄されるんだ。お前も、大人になったら分かる」


 いつになく真面目な顔でそう言ったユージーンに、ルーカスが目を向ける。

「なあユージ、今の俺はどんなふうに見える?」

「どうもこうも、昔のままの頼もしい兄貴だよ。俺にとってはね」

「こんな姿でもか?」

「どんな姿でも、兄貴は兄貴!だから、捨て身にならないでくれよ、もう二度と兄弟の無残な死に様は見たくないんだ」


 顔を歪め、ルーカスは手にしたリングを握り締める。

「…本当は、気づいていたんだ。フォルディス家は相応しくない人間は受け入れない」

 そう言って握りしめた手を開く。そんなルーカスに視線が集まる。

「もしこのリングが選べば…」


 言葉の意味を理解したように、リングはルーカスの手の平から浮き上がる。

「な、何?まさかルカじいの力?!そんな事もできたの!知らなかった!」

 興奮気味に叫ぶミハイに、ルーカスが厳かに答える。

「違う。私ではない。これはリングの意思だ」

「初めて見たぜ…」


 そして注目の集まる中リングが向かう先は、当然ユイの左手中指だ。


「…ハマった。僕今、悪寒走ったんだけど…っ」

「つまり、ユイはフォルディス家に相応しい人物って事か」

 ルーカスは大きく息を吸い込んでから答えた。「そういう事だ」

「さて。これからどうするか…」ルーカスが呟く。

――そろそろ勘付いたダン辺りが先に乗り込んで来るだろう。この状況では言い訳などできまい――


 観念した様子のルーカスに、持ち前の陽気さを全面に出してユージーンが声を上げる。

「なあ!これからウチに来ないか?皆でゴルフしようぜ!ユイもやりたがってたし」

「え~僕はパス。ゴルフなんてオジサンのスポーツだろ?」

「おい坊主、今なんつった?」

「こらユージ、孫をイジメんでくれよ?」


 一気にその場の雰囲気がガラリと変わった。


 その事に誰よりもホッとしたのはユイだ。

――んもう…うるさいなぁ、この人達。本気で寝ちゃっていいよね?…疲れた!――


 殺される気配がなくなり、気を張り詰めていたユイは一気に疲労感に襲われ、睡眠薬とは別の正常なただの眠りに就いたのだった。


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