エメラルドの招き(1)
最寄りの空港に自ら出迎えに向かったラウルは、ユイと感動の再会を果たした。
それを見守るのは数人の護衛達。同行を希望した者は多かったが、大勢引き連れて来るのも目立ちすぎる。という事で、ここにいるのは運と実力を兼ね備えた精鋭だ。
「ユイ!ああ…会いたかった」
「ラウル、私もよ!わざわざ迎えに来てくれてありがとう。お仕事忙しいんでしょ?」
「有能な側近が休暇中という意味でなら、イエスだな」
「っ!ラウル様、それに関しましては…長らくご迷惑をお掛けしましたっ」
ダンが勢い良く頭を下げた時、ラウルが表情を崩して言った。
「冗談だ。良くやった、ダン。礼を言う」
「おおおっ…何ともったいなきお言葉、幸甚の極みに存じますっ」
「堅苦しい、やめろ」
「ああ、つい舞い上がってしまいました、申し訳ございません…」
こんなやり取りを見てユイが笑っている。
「ふふっ、変なの!」
その無邪気な笑みに、言い合いを忘れて二人は思わず見惚れてしまう。後方に控える護衛達までもが堪らず歓声を上げた。
思わぬ反応にユイが首を傾げる。「どうかした?皆揃って」
「いや…何でもない。さあ、他の者達も待ち侘びている、家に帰ろう、ユイ」
「はい!」
ラウルは優しくユイの背に手を当てて促した。
車中でも、ラウルは片時も手を離さずユイを見つめる。ユイは車窓を見たりラウルを見たりと、終始笑みを浮かべて楽しそうだ。
そんな二人を涙を堪えながら見守るダン。
――本当に、本当に戻って来られたのだ…ああ、良かったです、ラウル様っ――
こうして晴れて屋敷へと戻って来る。今回も部下達全員の壮大すぎる出迎え式が繰り広げられた。前回と違うのは、そこに受け止めるユイの満面の笑顔がある事だ。
「お帰りなさいませ、ユイ様!」
「ただいま帰りました!またこうして皆と暮らせる事を、とても嬉しく思います。またよろしくね、皆!」
ウオーー!!という大歓声と共に、胴上げでも始まりそうな勢いでユイを囲む面々。
「おいお前等!ユイ様から離れろっ!」
「ダン。構わん、やらせておけ。皆、ユイを心待ちにしてくれていたのだ」
「そうですね…」
一頻りユイと戯れた部下達は、ようやく一段落着いてかしこまる。
「お前達。気は済んだか?では持ち場に戻れ」
「イエッサー、ボス!」
全員がこう声を揃えてすぐ、玄関先には誰もいなくなった。
「さあ、部屋で休んでくれ。長旅で疲れただろう?」
「ありがとう、ラウル。でも別に疲れてないわ」
ラウルがユイの腰に腕を回し屋敷内へと誘導する。
後ろから荷物を運んで来たダンが続く。そして一言。「ユイ様はずーっと寝ておられましたからなぁ」
「ダンさんだって!イビキうるさかったんだからね!」
「機内は粘膜が乾燥しますからな」
「そういう問題?そう言えば少し太ったんじゃない?ダイエットすれば?」
こんな言い合いもラウルには懐かしく思える。
さらにダンにとっては、またも涙を誘うスイッチか。
「ううっ、これぞユイ様…ダンはもう、何を言われても怒る気にはなれませんっ」
「それってマゾにでもなった?何を言われてもねぇ、ホントかしら!」
「ユイ、ダンとはそれくらいに。早くおまえと二人きりで話がしたい」
「ええ、私もよ」
ずっとダンが側にいたため、二人きりはお預けだった。目に涙を溜めるダンそっちのけで、二人が見つめ合っている。
こんなシーンもダンは涙なしには見られない。
「そうなさってください、私は急ぎ下がらせていただきますので!」
これ以上泣き続ける訳にも行かないと、ダンは慌ただしく荷物を部屋に運び入れると、あっという間に姿を消した。
ラウルの自室に入ったユイは、グルリと室内を見渡して深呼吸をした。
「ん~…ラウルの匂いがする!」
「そうか?自分では全く分からないが」
「そういうものよ。久しぶりのような、そうじゃないような…不思議な気分」
背を向けていたユイが振り返る。
そこにはラウルのどこまでも穏やかな笑みがある。
「ユイ。本当に戻って来てくれたのだな…」
ラウルは両手を広げてユイを待つ。その胸に勢い良くユイが飛び込んだ。
「朝霧ユイ、完全復活いたしました!…ごめんなさい、たくさん心配かけて」
「構わない。こうして戻ってくれただけで十分だ」
熱く抱き合う二人。お互いの存在を確かめ合うようにきつく抱き合い、そして見つめ合う。
「もしこれが夢ならば、私はもう夢から覚めなくてもいい」
「ヤダ、ラウルったら。夢じゃないってば!私はもう眠るのはうんざりよ?」
「ふふっ…そうだな」
「ええ。うふふっ!」
ラウルの背に回した手に改めて力を込めたユイだが、その左手に何かが触れた。
「ん?…今何か手に当たったような」
体を離して左手を引き寄せたユイの目に、ある物が飛び込む。
「っ!きゃぁ~~~!!」絶叫が室内に響き渡る。
「ユイ?!」
ラウルの手が無意識に胸元の拳銃へと差し入れられた。帰宅直後であったため、まだそこにあったのだ。
それと同時に扉が勢い良く開く。
「ラウル様、ユイ様!何事ですかっ!」
現れたのはダン他数名の部下達。皆が拳銃を手に駆け付ける。
あまりの素早い対応に、ユイが悲鳴を上げたままの状態で固まる。
「勝手にドアを開けるな」ラウルの声はどこまでも冷静だ。
「申し訳ございませんっ、ここの所、屋敷内の警備が手薄だと思っていた矢先でしたので…」
「敵襲は受けていない。下がれ」
「はっ!失礼いたしました!」
ユイが悲鳴を上げた理由は、すでにラウルには分かっていた。
再び二人だけになると、ユイの左手を握って耳元で囁く。
「リングもおまえを歓迎している。良く戻った、ユイ・アサギリ、フォルディス家に相応しきただ一人の私の婚約者…」
そしてユイの顎に指をかけて上向け、触れるだけのキスをする。
「んっ…」
こんな甘い刺激を与えられては、先程の驚きなどたちまちかき消えてしまう。だが唇はすぐに離れて行った。
ユイの中でさらなる欲が募り出す。「ああ…待ってラウル、もっと…っ」
「焦らなくても、いくらでも与えるつもりだ」
ラウルが悪戯っぽく笑い、今度はユイを抱き上げて熱烈な口づけで応える。
――夢にまで見たユイとの時間…再び訪れるとは思っていなかった――
ユイの唇の感触をじっくり確かめながら、そんな事を思う。
ユイを抱き上げたまま、ゆっくりとソファに腰を落とす。自分の膝の上に収まったユイを抱きしめたまま、しばらく熱いキスが続いた。
「…ああユイ、我慢できそうにないよ」
「待ってっ、ラウル…」
そのまま情事が始まりそうになり、ユイはラウルの体を押し返す。
――今からするのはちょっと…!相変わらずのフォルディス様ね…。ま、これがこの人なんだけど…。きゃっ、いやん!――
めくるめくあれこれを思い出して、ユイはさらにその身を熱くする。
けれど自分への牽制も込めて、別の話題に持ち込んだ。
「あ、そうそう!ねえ?ラウルの超能力、見せてほしいな」
「なぜ?」
――今でなくてもいいだろう?私はもう耐えられそうにない…――
そう思いながらも、早速能力を使って窓を開ける。
誰もいない場所から音が響き、ユイはあからさまに肩を震わせた。それを見てラウルが笑う。
「おまえが見せろと言ったのだぞ?驚きすぎでは?」
「んもう、イジワルっ!こういうの、慣れてないって言ってるでしょ。やるならやるって言ってくれる?」
ユイの言い分を受け、肩を竦めて見せる。「では次からはそうしよう」
「いい加減慣れないと、またダンさんが勝手にドアを開けちゃうから」
「違いない」
二人は顔を見合わせて、同時に笑った。
どうにか甘いムードは薄れたようだ。ユイは安堵して口を開く。
「それにしてもホンット信じられない!念じて物が動くだなんて?私、超現実主義なんですけど」
「それなら私もだ」
意外な同意を受けてユイの目が点になる。
――散々、非現実的な事しといて?――
「あのね、超常現象の類は苦手って意味なんだけど分かってる?」
ユイが改めて言い直すと、ラウルは自信ありげに返した。
「確か、雷にも悲鳴を上げていたな。ユイの苦手なものは大体把握している」
答えにもなっていないが、ユイは気にせず話に乗じる。「ホントぉ~?」
「まだあるな。病院に注射、とか?」
「耳にするだけでイヤっ!」ユイが顔をしかめてそっぽを向いた。
――こんなところも愛おしくて仕方がない――
「全てから、とは言えないが、おまえの事は私が守る。心配するな」
「ふふっ、うん。ありがと。頼もしいわね、エスパーを味方に付けたんだから?」
「私の能力を受け入れてくれてありがとう。柔軟な考え方ができる人間は少ない」
「疑ってても仕方ないもの。事実なんだったら」
二人で肩を竦めて笑い合う。
「だけどリングの意思っていうのは、やっぱり信じがたいなぁ。本当にラウルがやってるんじゃないの?怪しいんだけど!」
「やれない事はないが、私ではない」
ラウルがユイからリングに視線を移した。そして感慨深げに少しだけ微笑む。
「…、どうしたの?ラウル」
「おまえを、ミサコの所で静養させる事を決めた時、リングを外した」
「どうして?…ああ、その時から別れようと…」
「いや。私以外にそれを外せる者はいない。貴金属が不都合を招く事もあるだろう。そう思って外したのだが…気づけば勝手にユイの元に戻っていた」
その事がラウルを勇気づけた。ユイを手放すべきでないと自信を持つきっかけともなったのだ。
「でも日本にいた時、私の手にリングはなかった」
ラウルは膝に座らせたままのユイに、優しく目を向けて想いを告げる。
「新堂と共にいる方が幸せであるなら…私は身を引こうと思ったのだ」
――私の幸せが…先生といる事だっていうの?――
ユイは慌てる。「でもっ、リングの意思は?」言いながらラウルの膝の上で体の位置を強引に変える。
そしてしがみ付きながら、至近距離でグリーンの瞳を見上げて心で訴えた。
――私の幸せは、あなたのところにしかないのよ!――
「全てを終わらせてリングを回収した。それからは、ずっとこの部屋にあったよ」
「私が相応しくなくなった、って事…?」
「そうかもしれない。おまえが記憶を取り戻さない限りは、と取るべきか」
「…そうね」
ユイは答えると、体勢を戻して前を向く。
引き続き後ろから伸ばされたラウルの腕がユイを支えている。
急に黙り込んだユイに、ラウルは不安を覚えた。
「ユイ、どうした?」
「もし私が思い出してなかったら、この場所には別の誰かがいたんだな~って。ラウルは魅力的だから、きっといくらでも相手が…っ」
ユイの中に、再びいもしないスラリとしたブロンド美女の影がちらつく。
「それは違う」
「違わない!だってリングが選べば、それが相応しい人なんでしょ?」
「これまでリングが自ら向かって行った相手などいなかった。少なくとも、私は見た事がない」
ラウルの母を含め、ここしばらくリングを身に着けられる女性すらいなかった。
それだけ、リングに選ばれた者には特別な意味があるという事だ。
――例えリングが選ばなくても、私はユイを選ぶ。他の女性は考えられない――
ラウルがこう考える一方、自分の左手中指に収まったエメラルドを見つめて、ユイも想いを巡らせる。
――物が意思を持つなんて?そんな事にこの真面目そうな人が翻弄されてる…やっぱ変だわ、フォルディス家って!ふふふっ、面白いじゃない?そうこなくっちゃ――
急にユイの肩が震え出して、ラウルはさらに不安になる。覗き込むと、泣いているようにも見える。
「ユイ…?どうし…」ここまで言ってラウルの言葉は遮られた。
「いいじゃない、受けて立つわ!このリングが私から逃げない限り、私はここにいていいって事だもの。何て分かりやすいの?」
――例えブロンド美女が現れても、負けるもんですか!――
――泣いていた訳ではなかったのだな。良かった…――
ラウルは安堵の息を吐いた後、頼もしいユイのコメントに答える。
「例えリングがおまえから逃げたとしても、私はもう二度と手放したりはしない。私から簡単に逃げられると思うな?ユイ・アサギリ」
「きゃ~っ、ラウルのマフィアの顔、久しぶりな気がするっ!シビレれちゃ~う!」
根っからのワル好きなユイであった。これがミサコの血を受け継いだ結果であるのは言うまでもない。




