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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第三章 試される絆
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奇跡

 深夜二時。今夜も眠りに就けそうにないラウルは、照明を落とした部屋で月明かりだけを頼りに葉巻を手にした。

 ダンに休暇を与えてから今日で三日目となる。


 その時の事を、ラウルはぼんやりと思い起こす。


 書斎の棚の奥に仕舞い込んだ、ユイの愛用銃コルト・コンバットパイソン。何とはなしに手に取ると、なぜか無性に手入れがしたくなった。

 無心になって磨いているところにダンがやって来たのだ。


「ラウル様、失礼いたします。おや…それはユイ様の?まだお持ちだったのですね」

 意外な光景を目にしてダンは驚く。

――とっくに処分されたものと思っていた。もしやラウル様、まだユイ様の事を?いやしかし、そんなはずは…――


 一度決断した事をいつまでも未練がましく思い続けるような人間でない事は、ダンが誰よりも知っている。


「年代物は、メンテナンスが必須だからな」

「そうしますと、今後お使いになられるおつもりが?」

「いや…その予定はない」

「でしたら手元に置いておかれる必要はないのでは?面倒なメンテナンスなど!」


――その通りだ。これだけ状態が良ければ高く売れる…などと言い出したら、これで撃ち抜く――

 ラウルはチラリとダンを見やるも、口は堅く結ばれたままだ。

 軽く息を吐き出すと、すぐに銃身磨きを再開する。その手つきはとても丁寧だ。


 幸いダンはそんな事は微塵も思っていない。それどころか、愛おし気にコルトをメンテするラウルを見て、ずっと抱えていたわだかまりが解けた。

――そうだ。ラウル様はまだユイ様の事を愛していらっしゃる。やはり自分が動かねば。お二人のため、フォルディス家のために!――


「ラウル様!このダンに、休暇をいただけないでしょうか」

「随分と唐突だな。先日の取引の報告をしに来たのではなかったのか?」

「はっ!それはこちらにございます!」

――しまった、それを先に報告しなければならなかった、これは失態だ!――

 心で猛省しながらダンが書類を差し出す。


 やや怪訝な顔をしながらも、書類を受け取り目を通すラウル。一通り読み終え書類をデスクに置くと、ダンのどこか紅潮した顔に目を向けた。

――そんなに休暇が欲しかったのか…――


「ご苦労だった。お前もたまには息抜きが必要だな。いいだろう。休暇を認める」

「ありがとうございます!それと、もう一つお願いがございます」

「何だ」

「ご使用になられないのでしたら、その拳銃を私にお貸しいただけないでしょうか」

「これで何をするつもりだ?」

 ダンは口を閉ざしたまま、強い意志を持ってラウルのグリーンの瞳を真っ直ぐに見る。


 その鬱陶しい視線から目を背け、今度はあからさまにため息を吐く。

――お節介め。コルトをユイに返却しに行く気だろう?――


 ラウルはキッパリと言い放った。「お前が何をしようとしているかなど予想がつく。誰も望んではいない。…一番に新堂がな!却下だ」

「恐れながら申し上げます。それがラウル様の元にある限り、何も変わりませんぞ?断ち切るべきかと」

「では処分を考えよう」

「でしたら自分が!自分が責任を持って処分しておきますので、お預けください!」


――嘘だな。見え透いた嘘だ!私に通用すると思っているのか?――

 そう見抜いたラウルだが、実際自分にこれを処分する事ができるのかと考える。

 しばし考えたが、あっさり悩むのをやめた。

「…好きにしろ」

「は!ありがとうございます!」


 あの時のダンの目の輝きが、頭から離れない。


――休暇という名目のお節介など、早々に終わらせろ!――

 ダンの行き先も目的も、ラウルにはお見通しだ。そしてそれが何の意味もなさない事も。むしろ誰にとっても迷惑な行為なのだ。


 何もかもが気に入らない。指摘されるまでコルトを手放せずにいた自分も。理由はただ、ユイが心から大事にしている物を捨てられなかっただけだ。

 以前のラウルならば、別れた女の持ち物を手元に置き続けるなど、理解しがたい行為だったはずなのに。


「自分が理解できないなど…それ自体が理解不能だ」

 こんな感情を持つのも初めてのラウルは、いつもの冷静さを欠いていた。


 エリザベスの一件の後も、ダンの計らいで何度か花嫁候補の女性と会った。皆それなりに美しく聡明な女性だったが、そんな魅力的な女にもすぐに飽きてしまう。

 どうしても、ユイ以上に興味が持てない。


「それにしても、この虚しさは何なのだ?以前よりも酷くなったではないか…」

 この底なしの虚しさを埋められるものは、どこを探しても見つかりそうにない。


 ラウルは結婚自体を諦めかけていた。だがしかし、それは自らの使命を放棄する事になる。

「私の代でフォルディス、いやフォルディシュティ家の血が途絶えるなど…先祖に合わせる顔がない!」

 自分に跡継ぎがいなければ、間違いなく親族の誰かが名乗り出て来る。父方の従弟達にはすでに子が何人かいるのだ。


 ラウルの脳裏にある人物の顔が浮かぶ。

 フォルディス家次男、父の弟である叔父ルーカスだ。彼は70を超えた今でも、自分が後継に選ばれなかった事を恨んでいる。

 息子達には能力が遺伝しなかった。だがどうやら孫に隔世遺伝したようなのだ。


――このままでは確実にあの男が有利だ――


 負け犬のような人生は真っ平だ。こんな虚しさの中で生き続ける道も、死んで先祖に詫びる道も、どちらも選びたくない。

 ラウル、人生初のどん詰まりであった。


 そんな停滞鬱屈した日々に、突如ピリオドを打つ出来事が起こるのはこのすぐ後の事である。



 さらに一時間が経過した深夜三時。

 ラウルの携帯電話がバイブした。静まり返った室内では、こんな振動さえも騒がしく感じる。

 ベッドにも入らず窓辺でぼんやりしていたラウル。テーブルでブルブルと鳴り続けるそれに、煩わしさを覚え睨みつける。


「こんな時間に誰だ?」


 怒りすら感じつつ、能力で引き寄せて表示を読み取る。

「…」相手は想像した通りの人物だ。

 現在進行中であろうダンの迷惑な行為が早速自分にまで及んだかと、ラウルはさらに鬱々たる気分となった。


「今何時だと思っている?」

『ラウル様!そうだ、そっちは真夜中だ…。ご就寝中のところ申し訳ありません、ですが、どうしても取り急ぎご報告したく!』


 仕方なく通話を始めたものの、ダンの異様なテンションもあり一旦訴えを飲み込む。

――こんな時間にかけて来るのだから、緊急の要件なのだろうが…。この興奮状態から察するに悪い知らせではないという事か?――


 だがしかし、この男はかなりの早とちり野郎である。ラウルはどこまでも疑う。

「気付かずに掛けて来たのか?冗談は顔だけにしろ。そんなに大声を出さなくても聞こえている。もっとボリュームを絞れ」

『はっ、重ね重ね申し訳ございません…。それでラウル様、本題です!自分は今、ユイ様に会いました!』

 一旦絞られた音量はすぐに復活し、ダンのテンションはマックスとなる。


 ダンがユイに会いに行っていたのは分かっていた事だ。

――…一度終わらせた相手への執着など、見苦しいだけだ――


 ユイの名を耳にして一瞬心が動いたラウルだが、何の期待も持たぬよう自分に言い聞かせながら言葉を続ける。

「そんな事だと思っていた。休暇中のお前が誰と会おうが、私に意見する資格はない」

『ラウル様、それがですねっ』


――もう全て終わったのだ。全て…――


 ラウルは表情のないユイを思い出し、遮るように続ける。「ダン、いい加減帰って来い。お前が不在だと雑用が溜まる」

『もちろん、帰りますとも大至急!ユイ様と共に』


「…何を言っている?ユイとの交際は終了させたのだぞ。私の許可もなく勝手な事をするな」

『そうです、ですからこうして許可をいただこうと!ラウル様、ユイ様は全てを思い出されました。今すぐにお会いになりたいそうです!お連れしてもよろしいですよね?』

 ダンは相変わらずのボリュームのまま言い募る。


 携帯を耳から離して、ラウルは呆然と聞き入る。


『ラウル様?聞こえていますか?』

「…ああ、聞こえている。ユイが自分から、私に会いたいと言ったのか?」

『さようでございます。ラウル様』

「聞き間違いではないのか?」

 さすがにすぐには受け入れられない。ラウルはしつこく確認する。

『間違いありません。はっきりと英語で、それも流暢にそうおっしゃいました。私、耳は良い方と自負しております!』


「…。それでユイは?今話せるか」

『ああ…、今しがたドクター新堂と部屋にお戻りになられました。荷物を纏めてすぐにも発つとおっしゃられて』

 その行動力の高さは、ユイのトレードマークでもある。これを受けてラウルは、本人に確認するまでもなくユイが自分を取り戻した事を悟った。


「…分かった。待っていると伝えてくれ」

 ダンの限りなく嬉しそうな返事を聞くや、静かに電話を切る。


 忘れかけていた葉巻を処理してから、薄暗い庭に目をやる。再びダンとの会話を回想するも、どうも信じがたい。

「夢ではないだろうな?…。私は眠れずにいるのだ、夢のはずがない」

 であれば現実だ。ユイが戻って来る。少なくともこの数日中には会えるのだ。

 こんな奇跡を誰が予想しただろう。強力なエスパーのラウルでさえ読めなかった未来を!


 人生初の苦境を抜け出す手助けをしたのは、紛れもなく側近のダンだ。

――もしやあの男には、この未来が見えていたのか?――


「迷惑な行為などと言ったが、訂正しなければな。まさかこんな展開になるとは…!」

 ラウルの顔に、久方ぶりに笑みが浮かんでいた。


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