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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第三章 試される絆
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甘い愛では目覚めない

 新堂に電話を切られ、ダンはマンション近くの長閑な公園内で立ち竦む。


 午前中の公園は、すでに多くの人で賑わっている。大男のスキンヘッド外国人はこの国ではかなり目立つ。

 流暢な日本語で電話していたため、少しだけ場に馴染んだかに見えたが、やはり注目の的である。


 ミサコから新堂の住所は聞き出し済みだったので、直接押しかける事もできたのだが、門前払いは必至。そう考え事前に連絡を取ったのだ。

 そうすんなり事が運ぶとは考えていない。ここまでは想定内だ。

「ラウル様のおっしゃった通りか。…だがここまで来たんだ、諦めんぞぉ!」


 突然ルーマニア語で吠えたダンに、注目していた者全てが目を逸らしたのは言うまでもない。


 そんな中、子供は怖いもの知らずである。

「ねーねーお母さん、あのオジサンってマフィアだよね!ピストル持ってるかなぁ」

「これっ、指をさしちゃダメでしょう!行きますよっ」

 ダンに人差し指を向けた少年は、母親に手を掴まれ背を向けるも、首だけこちらに向けて最後までダンに釘付けだった。


 こんな周囲になど目もくれず、ダンは黙考を続ける。忘れているかもしれないが、この男は意外と優秀なのだ。

 先程の新堂との会話から、改めて情報を探り出して行く。


――新堂の第一声は、取り込み中。一緒かと聞いたら慌てて遮った。そして急いでいるとの事。こんな早い時間から急ぎの用とは?ユイ様と何かあったのか――

 口論の果てに家を飛び出すユイの姿がダンの目に浮かぶ。そうだとすれば別行動できるくらいに回復した事になる。


 そう思い至りユイの携帯電話に掛けてみたが、残念ながら繋がらなかった。


 新堂抜きで単独でユイに会う方法を、今度は能力も駆使して脳をフル回転させる。

 ダンの持つ予知能力は大抵が空振りに終わるが、時に奇跡を生む事があるのだ。

 幸い言葉は解せるものの土地勘も全くない。おまけにどこに行ってもギョッとした顔が向けられて動きずらい。


「取りあえず…レンタカーでも借りるか」

 ダンは近所のレンタカーショップへ向かった。



 その頃ユイは、かつてのお気に入りの場所だった港の見える丘公園に来ていた。


 今しがた購入した煙草のパッケージを開き、一本抜き取るとおもむろに火を点ける。

「あ~、何か久しぶりな気がする!ん~…やっぱ一服サイコーっ」

 紫煙を吐き出しながら、ぼんやりと海を眺める。

「こんな時はいつも、後ろで真っ赤なポルシェが見守ってくれて…」と振り返るも、当然そこには何もない。


「って今私、ポルシェって言った?そんなの乗った事ないのに。変なの!」

 一人首を傾げてまた海に向き直る。


 ここからの景色は何も変わっていない。遠くの方に見えるマンション群がやけに増えた気がするが、大まかな景観は変わりない。

「変わってしまったのは、私だけ、か…」

 手元にいない相棒。今のユイにとって一番の問題はこれだ。コルトさえ戻って来れば、百歩譲って記憶がなくても構わないとさえ思えるくらいに。


 二本目に火を点ける。強く吸い込むと、幾分頭がクラクラし始めた。

「ホントに長らく吸ってなかったのね、…先生に叱られそうだから、これで最後ね」

 こんな事を呟いて肩を竦めた時、後ろから声が掛った。


「お煙草、まだお吸いになられているのですね、ユイ様」

「っ!誰?!」


 声を受けて振り返ると、いつからいたのか大柄スキンヘッドの外国人が立っている。

 見るからにカタギではないその風貌に、ユイの左手が無意識に腰元に伸びる。

「…っ、ないんだった」

「お探しの物はこちらですか?」

 その男が小振りの回転式拳銃を取り出した。


 それは年代物ではあるが、手入れが行き届いているらしくとても美しく輝いている。


 ユイは当然目を丸くして驚く。

「それ!もしかしなくても私の…!なんで?!」

 コルトと男を交互に見やりながら、驚愕の表情のまま固まる。


「俺を覚えていないか、ユイ・アサギリ。このダンを。そう言えば、ラウル様よりも俺の方が先に会っていたんだったな」

「誰なの、見た事ないわ。新手の殺し屋?」

「殺し屋はお前だろう?最初はラウル様暗殺のために差し向けられた刺客だと疑った。懐かしいな!」

「さっきからその、ラウル様って誰の事?」


 ダンはこの言葉を受けて、胸が締め付けられる思いだった。

 だが次の瞬間には、そんな気持ちは吹き飛んでいた。

――ここまで回復していて、なぜ我々の事だけが分からない?必ず、このダンが思い出させてやる!――


「これは人質として預かっていた。お前は絶対にラウル様からは離れられない。ラウル・フォルディス様からな」

「ラウル、フォルディス…。変わった名前ね、どこの人?」

「だっ!だから、ルーマニアだっ!そんなとこから説明せねばならんのかっ!」

 わざととぼけているようにも見えて、ダンは憤る。

「ルーマニア?行った事ないと思うけど」

「バカを言え!ではなぜ生まれも育ちもルーマニアの俺がお前を知っているのだ」


「知らないわよ、そんな事!大体何なの、あなた。いいから私のコルト返してっ!」

 ダンに迫り、コルトを奪おうとするも避けられる。

「聞いてなかったのか?これは人質だ!お前がラウル様を思い出さなければ返さんっ」

――予定変更だ。意地でも返したくなくなった!――


 案外子供なダンの思考。だからこそユイと気が合うのかもしれない。


「はあ?何言ってんの、いいから返しなさいよ!」

 ダンが高々と持ち上げたところを、ぴょんぴょん飛び上がって奪還に挑むユイ。

「チビな自分を恨む事だ。残念だったな!そんなんで届くものか!」


 ムッとしたユイは、ダンによじ登り始める。ちょっとした大木に登るように。

「おっ、おいこらっ!降りろ、服を引っ張るな!替えを持って来ていないのだ、今の俺にとっては一張羅だぞ?破れたらどうする…っ」

「そんなの私に関係ないもの。そっちこそ大木みたいな自分を恨む事ね。いただきっ」

「あっ…」


 ついにユイの手がコルトに到達。華麗に着地して、左手に構える。


「くっ…」銃口が向けられ、息をのむダン。

 だがこれはフリだ。弾は入っていないのだから。

「お遊びはここまでよ。私は気が立ってるの。これ以上からかう気なら命の保証はできないから」

「そうやって…ラウル様にも銃を向けたのだな」

「え?」

「…今のお前は殺し屋のユイ・アサギリ。ドクター新堂では相手は務まらんだろう」

「先生の事まで…あなた一体…?」


 奪い返した時点で弾が入っていない事には気づいていた。それでもユイはハンマーを起こしてトリガーに指をかける。

 ダンは無言でこの様子を観察している。


――この無意味な行動に突っ込みもしない。こいつ、何を考えてるの?――

 敵はすぐ目の前。この至近距離なら飛び道具に頼らずとも倒せる。

 ユイは相手の出方を思案する。

「どうしたの?持ってるんでしょ、銃弾入りの拳銃!出しなさいよ。素手で私に勝てるなんて、甘く見ない方がいいわよ?」


「今は持っていない。今回は単独で来たんでな。もっともこの国では必要なかろう?」

「…」

――何なの?ホントに!今回は単独って…いつもは誰かとって事よね――

 ユイは靄の張ったような頭で必死に考える。


 答えが分からずイラ立ちが募る。無意識に握った左手に力が籠められた。

「…何だろう、やっぱり何か違和感があるわ」

 首を傾げるユイに、ダンが声を掛ける。「どうかしたか、ユイ・アサギリ?」

「っ!…どうもしないわよ!あなたこそ何なのよ!」

「俺は殺し合いをしに来た訳ではない」


 澄まし顔の裏で焦るダン。

――人質を奪われてしまっては交渉が続けられないではないかっ…――


「だったら私に何の用?」

「ラウル様を…」沈痛な面持ちでダンは呟く。

「だからその、ラウルって…う…っ、こんな時に頭がっ、痛い…!」

 不意にユイの体が前のめりに倒れ込む。


「ユイ様っ…」

 ダンが透かさず駆け寄り体を支える。

「くっ、また…?やっと治まったのに…ああっ!痛い!何なの、もう…っ」

「お願いです、どうか思い出してください、ユイ様っ、ラウル様の事を!自分の事はどうでもいいので!」


「ら、う、る…」

 呟きながら再び左手でコルトのグリップを強く握りしめる。


 そしてその違和感が中指にある事に気づく。

「そうだわ、リングが…ここにあったのよ。とても綺麗なグリーンの石の…それで、エメラルドグリーンの瞳の人が、いつも私を見てた…」

「そうです、ラウル様の瞳はエメラルドグリーンです!それがラウル様なのです!」

 ユイの脳裏に、美しいグリーンの瞳と淡い金の髪をした男がぼんやりと浮かんだ。


 その瞬間、これまでで最も激しい痛みに襲われる。

「いやぁあああーっ!うう…っ」


 そこへ別の声が響いた。

「ユイ!」

 新堂だった。愛車の黒ベンツから降り立ち、ダンに抱え込まれているユイの元に駆け付ける。


「ユイ、大丈夫か?だから言ったでしょう、余計な事をしないでくれ!痛むんだな、すぐに鎮痛剤を…」

「ダメです!」ダンはユイに覆い被さるようにして言い放つ。

「何を言っている?判断するのは俺だ、口を挟むな!」


 新堂が敬語をやめて声を荒げても、ダンは引き下がらない。

「いいえ!ここで眠らせたらまた振り出しですよ?もうここまで思い出しているのに!ユイ・アサギリ、お前はそれでいいのか?このままいつまでも…っ。俺は、俺は許さんぞぉ!」


 熱く訴え続けるダンを見上げて、ユイが呟く。

「ん…、ダン、さん…?」

 そしてついにその時が来た。

 ずっとぼやけていた心の視界がくっきりと晴れた瞬間だった。


「ダンさん!ラウルはどこ?本当は一緒に来てるんでしょ、今すぐ会わなきゃ…会いたい、今すぐ!」

 ユイが全てを取り戻す瞬間を間近で見ていた新堂は、観念するしかなかった。

「…、思い出したか」


 対してダンは歓喜の声を上げる。「ああユイ様!本当にラウル様が分かるのですね!ついに、ついにこの時が…っ」

 大粒の涙がダンの小さな目から溢れ、そしてユイの顔にボタボタと落ちる。

「ち、ちょっと…っ、やめてよ!」堪らずその腕から逃れるユイ。


 その表情を見れば、苦痛から解放された事は一目瞭然だ。新堂は心から安堵の息を吐き出した。


「頭痛は治まったみたいだな」少し笑ってユイに声を掛ける。

「新堂先生。後を追って来てくれたのね」

「ここ、好きな場所だって前に言ってたろ?」

「覚えててくれたんだ、嬉しい」ユイは静かに答えた。

「もう大丈夫だな。俺がいなくても」


 ユイは何も言わなかった。言葉の代わりに、ユイの瞳にも涙が浮かぶ。

 記憶にはなくとも、新堂がこれまでどれだけ自分に尽くしてくれたかが伝わったのだ。


「おまえまで泣くなよ!俺は清々してるんだ。どれだけ我慢してたと思ってる?」

「それって、何を…?」

「オペの依頼に決まってるだろ」

 一瞬の間があり、その後ユイは小さく笑う。

「ふふっ、先生らしい。それはごめんなさいね、邪魔しちゃって」

「いやいや。これはこれでなかなか楽しかったよ」


 そして二人は笑い合った。最後にもう一度ユイの脈を確認して、新堂が立ち上がる。

「さて。ダンさんの観光は終了ですね」

「大収穫です!すぐにラウル様にご報告をっ」

 ダンは慌てて携帯電話を取り出し、ルーマニアに国際電話を掛け始めた。向こうは今真夜中だ。


 それを見やりながら、新堂がユイに言う。「すぐに発つだろ?今からなら夜の便に間に合うだろう。荷物纏めるの手伝うよ。行こう」

「ありがとう、先生!」


 ここでもユイを取り戻したのはダンだった。

 この男なくして、物事は上手く回らないようにできているのかもしれない。


・・・


 ルーマニア行きのチケットはダンが手配した。

 夕方には滞りなく出発の準備を終えて、新堂の車で空港へ向かう。


「先生、何か色々ゴメンなさい。こんな事までしてもらっちゃって」

「急にしおらしくなってどうした?らしくないぞ!」

「だって…」


 ラウル達の事を思い出しはしたが、事故後の約1年をユイは覚えていない。新堂もあえて詳細を語ろうとしない。

 気がついたら新堂の部屋にいた。

 その理由がルーマニアでの車の事故なのは分かるが、この間には聞くに堪えない事が山程あったに違いない。そう思うと、今のユイには謝る事しかできなくなる。


「まあ、俺の事は気にするな。全ては仕事と割り切ってる。ミサコさんに頼まれてたからな」

「うん…」

――ラウルじゃなくてお母さんに頼まれてたんだ…――


 冴えない顔をするユイをチラリと見て、新堂はわざと声のトーンを上げて言う。

「荷物も少なくて良かった。何か忘れ物があったら連絡くれ。送るから」

「ありがとう」

――そんなにしんみりするなよ…。せっかくこっちが割り切ってるのに?――

 こんな心の声は口にしない大人な新堂。


 その後はほとんど会話もなく、やがて空港に到着した。

 ダンと合流し、後は定刻を待つのみだ。


「22:30の便だったな。これなら向こうには明日の昼過ぎには着く。時差ボケ心配なしの完璧なスケジュール、さすがダンさんだ」

「いえいえっ」

「ねえ先生、確認だけど、今までのこれってラウルからの依頼じゃないんでしょ?だったら私が自分で…」

 そんな支払いを母にさせる訳には行かない。何しろ新堂の報酬は桁違いの額のはずだ。


 こんなユイのコメントに、先を言わせまいと新堂が遮る。

「もう前金でいただいたよ、相当額をね。フォルディスさんは俺の上得意客だな!」

「ラウルから?でもさっきは…」

「ユイ様はそのような事を心配される必要はございません」

「ほら、ダンさんもこう言ってるだろ。その話は終わりだ」


 腑に落ちないながら、ここまで言われて蒸し返す事もない。

――細かい事はラウルに聞こう――

 ラウルが嘘をつけない人間である事を知るユイはこう考える。

「そっか。なら安心した。って事はさ、また新堂先生に会えるよね?」ユイが新堂を見上げて尋ねる。

 どこか懇願するように。また会いたいと、ユイの目は言っていた。


 新堂は小さくため息を吐き、軽く口角を上げてユイの頭をポンと撫でた。

「それはやめておけ。俺に会うって事は、おまえがケガをするって事だぞ?」

「そうだけどっ…」

「元気が一番。今度こそ、フォルディスさんと幸せになれ。それが俺の願いだ」

「それはもちろんだけど!」


 ユイの心の葛藤など露知らず、こんな言葉に一番感動しているのはダンだ。

 男泣きする大男に、行き交う客達が怯えながら通り過ぎて行く。

「ああ…っ、何と感動的な!良くぞ言ってくれた、ドクター新堂バンザイ!」

「やめてください、ダンさん…」

「もう、ダンさん泣きすぎ!」泣くに泣けなくなったユイであった。


 そうこうするうちに搭乗時刻となり、ついに別れの時がやって来る。


「それじゃ、先生も元気で!困った事があったら、私達が何でも相談に乗るから。遠慮しないで連絡してね?」

「ああ、ありがとな」

――俺からマフィアに連絡する事はあり得ないが!――


 新堂は搭乗口に入って行く二人を見送った。


 姿が見えなくなって一息つく。

「やれやれ。これでようやく静かな時間が戻って来た。手始めにどのオペをやるか決めないと!」


 その後彼は、思う存分ゴッドハンドを奮って欲求不満を大いに解消。影で医療界を支える頼もしい存在に返り咲いた。


「やっぱり俺に必要なのはこっちだ、愛だの恋だのよりもな」

 生まれ持っての才能は生かすべき。これからは仕事一筋で生きようと、心に誓う新堂なのだった。


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