譲れないもの
スコットランド・エディンバラにあるカールトン家では、真実を知らされたエリザベスが大ショックを受けていた。
「ウソよ…、あんなに優しいラウルが、マフィアのボスだなんて!」
「嘘じゃない。フォルディスファミリーはその筋では有名だぞ?お前が世間知らずなだけだ」
「知らないわよ、マフィア一家の事なんて!…でもほら、もしかして同姓同名かもしれないじゃない?」
エリザベスの前で、難しい顔をした父が首を横に振る。
「お父様ったら、私に恋人ができたのが気に入らなくて、そんな意地悪を言ってるんじゃなくて?」
「お嬢様!旦那様の申した事は全て事実です」
「セバスチャン、もしかしてあなた、気づいてたの?」
「それとなくは…」
――ああお嬢様…あの方の付き人の風貌で、すぐに察しが付くでしょうに?――
セバスチャンはこうは思うも、口に出したりはせず。
「何よ!私が一人で浮かれてたって事?」
――あれはまさに天使の顔をした悪魔。世間知らずのお嬢様を毒牙にかけようとは…噂通りの血も涙もない男!お可哀そうに、お嬢様っ――
真っ赤な顔で訴えるエリザベスを憐れむセバスチャンだが、分を弁える彼はやはり口に出すのを控える。
「エリザベス、セバスチャンを責めても仕方がないだろう。とにかく、マフィアと交際など以ての外だ」
「大丈夫!ラウルはとても優しい人よ。私がお願いすれば、きっと別の職に就いてくれるわ」
「ハハッ!我が娘ながら呆れるほど自己中心的だな」
「お父様もラウルに会ったら考えが変わるわ!」どこまでも強気なエリザベス。
マフィアと聞いても、漠然としか実態を知らないため恐怖は感じていない。
ここはラウルの予想通りだ。
「まあいい、せっかく遠くから来られるのだから、会うだけは会おうじゃないか」
この数時間後には、ここでカールトン対フォルディスのバトルがスタートする。
・・・
ダンだけを連れて、愛用のプライベートジェットにてスコットランド・エディンバラにやって来たラウル。
「仕事ではないのだから、お前は来なくていいと言ったのに?」
どこから見てもマフィアな出で立ちのダンだからこそ、連れて来たくなかった。
「いいえ。これはフォルディス家の将来を左右する、重要な業務の一環と考えます」
ダンはいつも以上に闘志を燃やす。
――何があっても、ラウル様をお守りするのだ!――
これは、ラウルの身に降りかかる危機から守るという意味ではない。
今回の怒りの度合いが、邸宅ごと破壊し兼ねないレベルに達する恐れがあると判断しての事だ。
自国の警察は手懐けていても、他国は別。マフィアという肩書から、問題を起こせば即逮捕となる。
――それだけは阻止しなくては…ラウル様を止められるのはこのダンだけ!――
「自分もすでに、エリザベス様にはお目にかかっておりますし、問題ないかと?」
「まあいい。こうなったら最後まで見届けてくれ」ラウルは投げやりに言い放った。
対して目を輝かせるダン。「はっ、お任せを!」
二人は客間に通されてから、長い事待たされている。
「遅い!いつまで待たせる?ラウル様を見くびるのも大概にしろ!」
「…ダン、静かにしろ。客を待たせる理由は一つしかない。そうして気を立てては相手の思うツボだ」
「っ、そうですな、確かにそうです…」
――ああラウル様…相手の戦略も全て把握済みとは!勉強が足りず、自分は出直したい気分です…――
猛省しているダンに、ラウルは鋭い視線を向ける。
――だから来なくていいと言ったのだ!――
こう心で叫ぶと、静かに息を吸い込んでから足を組み直して目を閉じた。
ラウルのあまりに紳士的な振る舞いを目の当たりにして、急激にダンの闘志がしぼんで行った矢先、ようやく扉が開かれた。
「お待たせいたしました。旦那様がお会いになられるそうです、お越しください」
セバスチャンは二人を居間に案内した。
そこにはカールトンとエリザベスの他に、複数の警備担当らしきガタイの良い男達が同席している。
ダンはそんな男達には目もくれず、瞬時に室内を見回す。
――犠牲になるのは…あの壁掛けの鏡、シャンデリア、ああ、このテーブルの大理石も危険だな――
ラウルの能力により、数分後には砕け散る運命にあるであろう物品類を見定める。
一方カールトンは、入室したラウルが怒りの片鱗も見せていない事に意外そうな顔だ。
「マフィアという人種はとかく気が短いと聞いていたが、君はなかなか忍耐強いようだな!」
「忙しいところ時間を作らせるのだから、待つのは当然だろう」
こんな返答にも目を丸くするカールトン。
「ラウル!来てくれてありがとう、会いたかったわ!さあ座って?」
「ありがとう」
エリザベスはダンになど見向きもせず、ラウルだけを座らせた。
存在を無視されてもダンは何ら不満はない。側近は決してボスと共に腰を下ろす事はないのだから。
――これがユイ様だったなら、間違いなく俺にもソファを勧めて来ただろう。人を遣う事に慣れていない庶民の女ならでは!懐かしいな…っと、こんな時に俺は何を考えている?バカ者め!――
あまりにも自然にこんな事を考えてしまったダンは慌てる。
この男の心にも、ユイはこんなにも根付いてしまっていたのだ。
もちろんラウルは目の前のエリザベスの事のみに集中している。
――私がマフィアだと知らされたはず。この態度からするに、受け入れられたという事か…意外だった――
「それでね、ラウル。一つお願いしたい事があるの…」
上目遣いになったエリザベスは、ラウルの横に座ると早速話を始める。
「リズ、まずはお父上に挨拶が先だ」
「その必要はないよ、フォルディス君。もう娘とは関わらんでくれ。お願いというのはその事だ」
「お父様!勝手にそんな事決めないでくれる?ラウルは転職するんだから!」
エリザベスのおかしなコメントに、ラウルが目を瞬く。
「は?転職とは何の事だ」
「だからラウル、お願いって言うのはその事なの。ほら、マフィアってイメージが悪いじゃない?カールトン家には相応しくないわ。だから転職して!」
「…」ここまでストレートに言われると絶句だ。
真っ先に反論したのは当然この男。
「んなっ、何を言い出すかと思えばっ!そんな事できるかこの…っ」
「ダン!慎め」
「…申し訳ございません」
――またやってしまった…俺というヤツは!さっき猛省したばかりだというにっ――
ラウルは大きく息を吸い込んでから、少しだけエリザベスに微笑む。
その笑顔で要望が受け入れられたと思うエリザベス。
「分かってくれたのね、ラウル!やっぱり思った通りよっ!」
喜びのあまり自分から手を握るも、何ら反応を示さないラウルに我に返り慌てて手を引っ込めた。
「思っていた男と違ったな。警察を呼んでおいたが、必要なかったようだ」
「それはご足労を」
――…まあ、予想はしていた――
警察を待機させている事を知っても余裕の表情のラウル。ダンも平静を保っているが、こちらの内心は穏やかではない。
こんなラウルの堂々たる姿に、カールトンは増々笑みを濃くする。
「フォルディス君、君はなかなか見どころがありそうだ。娘には少々年上すぎる感はあるが…」
立ち込めていた見えない暗雲が開けて来ても、ラウルは表情を崩さず無言だ。
「ご存じの通り、娘は遅くにできた子でね。私ももう年だ。そろそろ隠居生活に入りたいと思っている」
「お父様…それって私達の事!」
エリザベスの方は嬉しそうに身を乗り出している。
「どうだね?君が本当にマフィアを引退してくれるのなら、考えようじゃないか。娘の婿になり、私の後を継いでグループ全体の経営を任せる事も視野に入れよう。調べさせてもらったが、君はかなり優秀な男のようだ。マフィアにしておくには惜しい」
――何だ、この展開は?あまりに魅力的な誘いじゃないか!…ラウル様、まさか本当にフォルディス家を捨てるおつもりじゃ…っ、ああそんな、予想外の展開!――
表には出さずに一人焦りまくるダン。
「ラウル!もちろんイエスでしょ?ねっ?」
この答えを信じて疑わないエリザベスは、体ごとラウルの方に向けて、スカイブルーの輝く瞳で見つめる。
ここでようやくラウルが小さく息を吐く。
それは鼻で笑ったようにも聞こえた。
「ラウル?」
「悪いが、お前達の期待には応えられない。私を高評価してくれるのは嬉しいが、私にも譲れないものがあってね」ラウルは変わらぬ澄んだ穏やかな声で静かに語る。
「ほう。良ければ聞かせてもらえるかね?」
「マフィアとしてのプライドだ」ここでラウルは立ち上がった。
穏やかだった雰囲気は一転、鋭い眼光が明らかにその筋の人間である事を物語っている。
――ラウル様!信じていましたとも!このダン、一生ついて行きます!――
「華やかな表舞台を生きるお前達にとっては、私のいる世界は暗澹とした血生臭い場所。蔑まれても仕方がない」
「仕方がないだと?単なる犯罪の世界だろう。せっかくそこから抜け出せるチャンスを与えてやったというのに!」
「その通りだ。私はその犯罪の世界に生を受けた。こちらが生きる場なのだ。そしてフォルディス家の存続は私に課せられた使命。それを放棄する事は、何があっても考えられない」やや語気を強めてラウルは語る。
――そのために私は、愛する者までも手離したのだから――
そして最後にこう言い切った。
「私は悪かもしれないが、悪には悪の流儀があるという事だ」
エリザベスは突然別人のような雰囲気を纏ったラウルに、息をする事すら忘れて固まっている。
そんなエリザベスに目を落とし、ラウルは当初の静けさを心がけて言葉をかける。
「エリザベス。お前を弄ぶつもりはなかった。信じてくれないかもしれないが、本当にあの時…私はお前自身に興味を持ったのだ」
降り注がれた冷たい眼差しの中に、少しだけ最初の優しい色が混じっている事に、エリザベスは気づいた。
「…ああ…、ラウル…」
「私達は出会うべきではなかった。あの日の乾杯は取り消す。イメージの悪いマフィアではなく、もっとお前に相応しい男と出会ってくれ」
言い終えるやサングラスを取り出し、室内にも関わらず装着する。
そしてカールトンに向かって告げる。
「時間を取らせて済まなかった。早々に失礼する」
ダンに目配せをすると、ラウルは部屋を後にした。
ジェット機から古都エディンバラの美しい街並みが見えている。こんな感動的な景色に目を向けても、今のラウルの心が動く事はない。
そしてダンは…。
――ラウル様…あなた様というお方は、あんな罵られ方をしたというのに怒りの片鱗も見せず…ご立派になられましたっ――
溢れ来る涙を堪えるのに苦戦していた。
結果的に、あの屋敷は何一つ壊される事なく無傷。負わせたのはエリザベスの心の傷のみだが、これもすぐに回復するだろう。
――どんな時でもスマートでジェントルマン、ラウル様万歳!ダンは惚れ直しましたぞおおっ!――
美しい景色になど見向きもせず、ひたすらラウルを見つめ崇拝し続ける。
「ムダ骨だった。何をやっているのだ?私は…」落胆の色を隠しもせず、ラウルが言う。
「ラウル様っ!そのような事はございません!」
場にそぐわぬ勢いのある声に、ラウルは少々気分を害する。
「…。は?」
「あ…いえっ。とにかく、申し分のないご対応でした。亡き先代も大層満足されている事でしょう!これでマフィア界に少しでも光が射せば良いですなぁ」
あっはっは!とダンが笑い声を上げたところにラウルが突っ込む。
「あの程度でそんな事にはならん。そもそも、こちらの世界に光が射す事など誰も望んでいない」
「その通りです…」
新しい恋を始めるという選択肢は、これで消えた。




