新たなる一歩(2)
ディナーの場所と時間を執事から伝えられたエリザベスは浮足立った。この食事会のためだけにドレスや靴、バッグを新調してしまう程に。
「やっぱり私にこの色は似合わないかしら…ねえセバスチャンったら聞いてる?」
「はいお嬢様…ですから初めに申し上げたではありませんか?」
エリザベスは姿見に向かってドレスを合わせながら、年老いた執事に何度も尋ねる。
色にこだわる理由は単純だ。
「だってラウルの瞳の色がとってもキレイなグリーンなんだもの。合わせたいじゃない?そうすれば私の気持ちも伝わるはずよ、きっと!」
「お嬢様、お気持ちというのは…?」
「恋よ、恋っ!私、こんな気持ち初めて…これはきっと恋だわ」
まだ出会って数時間の男に恋をしたと言うエリザベス。それもかなり年上の、ただならぬ風格の男にである。
執事は無下に否定する事もできず閉口する。
――ああ、何と単純なお考えか…っ――
気を取り直して率直な意見を伝える。
「お嬢様の雰囲気には淡いお色がお似合いです。こちらになさっては?」
執事はソファに投げ出されていたピンク色のドレスを差し出す。
「ええ~、それ?子供っぽいわ。そもそもデザインが気に入らないっ!」
「ご趣味が変わったのですか?こういうのお好きだったではありませんか」
「それはラウルに会う前までの話。たった今から大人の女性になる事にしたの。大体、私もう成人よ?お父様がいつまでも子供扱いするからいけないのよねっ」
遅くにできた一人娘という事もあり、大いに可愛がられて育ったエリザベス。生粋の箱入りである。
若い執事が付いていればまだ救いはあったのだろうが、この年老いたセバスチャンでは、恋に関しても服装についても何のアドバイスもできない。
彼が今考えるのはただ一つ。
――お嬢様の恋愛沙汰…これは一大事!すぐに旦那様にお伝えせねば!――
「セバスチャン!この色のドレス、もっと種類を持って来て。デザインがいけないのよ、きっと」
「はいはい、ただいま!」
どうにか衣裳を選び終えて、レストランに向かったのは定刻ギリギリだ。
店の前に停車したリムジンから、真新しいグリーンのナイトドレスに身を包んだエリザベスが降り立つ。足元のヒールとバッグの白いエナメルが、灯された照明を受けて淡い光を反射する。
「ようこそお越しくださいました、カールトン様」
「待ち合わせしているの。彼は来てる?」
「すでにご着席されております。ご案内いたします」
「お願い」
店内に足を踏み入れるや、エリザベスの輝く美しさに周囲の客の視線が集まる。彼女もまた、注目を浴びる事には慣れ切っている人種だ。
客達のざわめきを受けて、中央の席に座っていたラウルが振り返って立ち上がる。
「リズ…綺麗だ。来てくれて嬉しい」
「ありがとう、ラウル!待たせてごめんなさい…なかなかドレスが決められなくて」
――私の瞳の色に合わせたのか。似合ってはいない――
さすがに面と向かって言うのは控えたが、エリザベスが気を利かせた事は理解したラウルはこう切り返す。「私のために時間を割いてくれてありがとう」
「いえっ、そんなっ…私こそ、ご一緒出来て嬉しいです」
ラウルは微笑むと、スマートに着席を促して自らも腰を下ろす。
そしてまたもウェイターがエリザベスの側に付いているのに気づく。
「ああ、そうか。ここもお前の父上が経営を…」
「はい」
チラリとウェイターを見やり、視線だけでこちらに呼びつけるラウル。
「私がオーダーを。リズ、苦手なものは?」
「魚は苦手です。あと、野菜もいくつか苦手なものが…やっぱり私が注文していいですか?」
「そういう事なら頼もう。私は特に苦手なものはない」
「はい!」
今度こそ主導権を握りたかったラウルだが、面倒になって投げた。
こんな彼女の言動からも男の扱いを知らない事が分かる。だがラウルはこんな事で気を悪くするような狭い心の持ち主ではない。
注文を終えて料理を待つ間、ひたすらラウルに熱い視線を注ぐエリザベス。
――ああ…やっぱりステキ。まるで王子様、ルーマニアから私を迎えに?きゃっ!――
「ラウルって、映画に出てきそうなくらいステキ。そういうお仕事もしたらいいのに。きっとすぐに人気が出て有名人よ」
「リズも女優のように輝いているよ。皆お前から目が離せないようだ」周りの客を見回しながらラウルが答える。そして内心はこうだ。
――そんな注目を浴びてどうする?裏社会の人間は大人しく日陰で過ごすものだ――
本人はこう思っているが、世の中はそうではない。ひと度街に出れば、どこにいても注目の的である。
ラウルはさり気なく話題を逸らす。「今は大学生か?」
「はい。今年卒業です」
「その後は何かやりたい事などは?」
「特に何も考えていません。でも、今日一つできました!」
「それは聞いても?」
「はい!ラウルと恋がしたいです。私を誘ってくれたのは、そういう事でしょう?」
間違ってはいない。いないのだが…。ラウルは返答に悩む。
「ラウル?」
「…ああ。私がお前に興味を持ったのは事実だ」
「良かった!私、最初はとても驚きましたけど、ラウルが優しい方だと分かったので…お受けして良かったです」
「優しい、私が?」思わぬ感想にラウルは驚く。
「はい!」
「そうか…」
大抵の人間はラウルを見て温厚で優しい男だと判断する。裏にある顔は普段は決して見せない。
――この女も同じだ。私のあの力を見れば逃げ出す。その前にカタギでない事を知らせなければ…――
ラウルの美学として、女性を怖がらせるのは避けたいところ。そんな理由から、なかなか言い出せずにいた。
――いや。知らせる必要はないか。この交際は時間の問題で終了するだろう――
それもそのはず、エリザベスのバックには大物ホテル王が控えている。そんな人生の成功者が、マフィアを受け入れるとは思えない。
だがしかし、別の可能性も残ってはいる。
仮にカールトンが資金繰りに困っていたなら?フォルディス家の持つ莫大な資産に目を付ける事もないとは限らない。どんなカネでも、カネはカネだ。
ラウルはこちらの可能性に賭けようとしていた。それを決断させたのはエリザベスの魅力によるところが大きい。
まだ何色にも染まっていない純粋な娘を、自分色に染め上げる。そんな願望が生まれていた。だが、染め上げた後にどれだけ興味が続くかは謎である。
――まあ…それなりに楽しめはするだろう――
また、純粋ゆえに怖いもの知らずとも言える。一回り以上も年上の、さらにはこの見るからにただ者でない雰囲気を醸し出す男から、オーダー権を奪える程なのだから!
であれば、超能力を目にしても受け入れられるかもしれない。
――こうして話していると時々感じる。どことなくユイに似て、いないか…。ユイは金持ちは嫌いだった――
エリザベスの身なりも考え方も、明らかに富裕層だ。そういう世界しか知らない恵まれた人間。それはつまり、自分と同類という事ではある。
だがそこには一つも魅力を感じない。
ラウルは無意識にエリザベスにユイを重ねてしまう。そして落胆するのだ。
やはりこの娘に惹かれたのは外見だけ。だがユイは違ったのだ、と。
見目麗しい娘達との淡い恋は、いくつも経験している。
それは、ラウルが来る者拒まずで皆平等に愛した結果でしかない。特にどれが一番良かったとも決められない。皆同じなのだ。付き合っている時が一番、終われば皆同じ。思い出を振り返る事もない。
数が多すぎて、自分の初恋がどれなのか分からなかったし、当然失恋の経験もない。いつでも交際を終了させるのは自分。逃げ出した女は論外だ。
つまりラウルは本当の恋をした事がなかったのだ。ユイに出逢うまでは。
急に口を閉ざしたラウルに、エリザベスが不安そうな目を向けている。
「私といても、つまらないですよね…」
物思いに耽っていたラウルはハッとして意識を戻す。
「そんな事はない。ストレートに恋をしたいと言われたのは初めてで、少し驚いただけだ」
「あっ!恥ずかしい、私ったら…っ」
ここまで、ラウルは一言も嘘は言っていない。この男が嘘をつけない事を忘れてはいけない。
「お前の父上にはいつ会える?」
「え…っ、父に会っていただけるのですか?」
「交際をするならば挨拶しておいた方がいいだろう」
「嬉しいです、すぐに連絡してみますね!」
――見た目通り誠実な方だわ!――
こうエリザベスが考える傍ら、ラウルはこう思っていた。
――体の相性を確かめる前に、もっと重要な事を確かめる必要がある――
長らくお預けの性欲は、すでに暴走の一歩手前まで来ている。
この初心な娘を今すぐものにするのは容易い。だが後に引けない状況に陥るのは困る。
――ここは慎重に進めなければ――
傷心の癒やしに戯れの恋を始めるはずが、いつの間にやらフォルディス家繁栄のための戦略を練っている。どこまでもやり手のボスである。
食事会の後、次はカールトン家のあるスコットランドで会う事を約束して、二人は別れた。
ルーマニアに帰国すると、すぐに日常が戻って来た。
書斎にて、業務報告を終えたダンが改めて絶賛し始める。
「いやしかし!ラウル様はさすがですな。カールトンの後ろ盾を手に入れられれば、フォルディス家は安泰!全く本当に素晴らしい、私の出る幕などありませんでしたな…っ、これでいいのです」涙目になって喜ぶダン。
「まだ何も始まっていない。カールトンに拒絶されたら終了なのだぞ」
「先方だって資金の援助はあって損はないはず。増してやラウル様ほど優秀な方を拒絶など、あり得ません!」
「あまり期待はするな。正直私は、あまり気乗りがしないのだ」
「なぜです?」
ラウルは遠い目をして語る。
「確かに今は楽しい。もっとリズを知りたいし、リズを早く堪能したい…だがその後は?恐らくこの気持ちは、長くは続かないだろう」
全てを知ってしまった後に訪れるのは、これまで何度も経験して来た退屈だ。それゆえ、いつでも自分から別れを切り出して来た。
「何をおっしゃるラウル様、そんな事は分かりませんよ!ユイ様の時のように…っと、失礼しました」
「いや。構わん」
それきりラウルは口を閉ざしてしまった。
――ユイ…。なぜかおまえだけは飽きない。今でさえも忘れられない…――




