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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第二章 降りかかる試練
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助け合いの精神(4)

 翌朝。目を覚ましたユイは、見慣れた天井を見て首を傾げる。


「…ん?私、どうしたんだっけ?」

 キングサイズのベッドには自分しかいない。手を伸ばして向こう側のシーツに触れるも、温もりはすでに消えている。

「ラウル…、っ!そうだ、新堂先生!私、ロシアにいたのよ。何で帰って来てるの?」

 慌てて起き上がって声を上げる。「どういう事!!!」


 声を聞きつけてメイドがやって来た。

「おはようございます、ユイ様。お加減はいかがですか?今旦那様をお呼びしますね」

「お願いしますっ!」


 そしてすぐにラウルが現れた。後ろにはダンも控えている。

「ユイ。具合はどうだ?昨夜から食べていないだろう、すぐに食事の用意をさせる」

「ラウル!これはどういう事?どうして帰って来てるの?説明して!先生の事はどうなったの!」

「まあ落ち着け」


 ベッドで上体を起こしていたユイ。怒りに任せて立ち上がろうとしたところで、その肩に手を置いてラウルが留めた。

「…だから言ったのだ。ダン。お前が説明しろ」


「…え?何、ダンさんの指示なの?何でラウルがダンさんから指示されてるの!」

「指示をされたのではない。もちろん私も最善と思ってした事だ」

「何が最善なの?私の意思は無視ですかっ」

 憤りを隠せないユイは、鼻息荒く言い放つ。

 そんなユイの主張を受け、再度ラウルがダンを見る。説明を促しているのだ。


――もちろん想定内でございます、ラウル様、お任せを!――


 ダンはおもむろに口を開いた。

「ユイ様。ドクター新堂からのご伝言を賜っております」

「先生から?何て?」

 身を乗り出したユイに、ダンは確信する。そんなに必死になって、やはり新堂に気があるではないか!と。


「偶然とはいえ、ユイ様と、そしてファミリー全体に多大な迷惑をかけた。会わせる顔もない。これ以上自分が関わってはいけないと、ドクターは身を引かれたのです。ご理解ください」

「身を引くですって?あの人はそんな人じゃないわ。そんなの嘘よ。あんたがでっち上げたんでしょ!」ヒートアップして行くユイ。


 肩に乗ったラウルの手は変わらずそこにあるが、ラウルはただ静観を貫く。


 ダンが表情筋まで総動員して大袈裟に返す。

「あの方をそこまでご存知とは!お二人は大層仲がよろしいのですねぇ」

「よろしくなんかないわよ!何誤解してるの?恋愛した事ないくせに!」

「んなっ、何だと?!」


 ダンのこめかみに青筋が立った時、ラウルの鋭い声が響いた。

「ダン!いい加減にしろ。ユイ、まだ貧血なんだ、おまえもあまり興奮するな」


 部屋が静かになったタイミングで、メイドが食事を運んで来た。入れ替わりにダンが追い出された。


「さあ。食べろ」食事を始めようとしないユイに、ラウルが勧める。

「食欲なんてない!…ラウルも、そう思ってるの?」

「そう、とは?」憤るユイとは裏腹に、ラウルは至って穏やかな表情だ。

「私と新堂先生が想い合ってるとか!」

「いや。思っていない。私はおまえを信じている」

「だったら先生に会わせてくれても良かったじゃない。何もダンの言う事なんて聞かなくても!」


「そう言われると納得が行かないが…」

――指示された覚えはない。あり得ない!――


 ラウルはしばし葛藤した後、気を取り直してユイを見つめる。

「私は、おまえを一刻も早く休ませてやりたかっただけだ。前に、病院では気が休まらないと言っていただろう?」

「…それで、連れ帰ってくれたの?」

「そうだ。もちろんおまえとの約束も果たそうとした。あの後新堂の意識が戻って、少し話をしたのだ。おまえが良く眠っていたから…起こすのは気が引けてね」


「どんな!どんな話したの?…先生は、悪くないからっ、だからっ」

 ラウルの腕にしがみついて、ユイは今にも泣き出しそうだ。


 その必死な様子にやや面食らうも、少し微笑んで続ける。

「心配するな。静かに言葉を交わしただけだ」

「静かに脅すって事だってできるわ…」疑わし気にユイが言う。

「脅してもいない。ユイの代わりに礼も伝えた」

「お礼、言ってくれたの?ラウルが?」

「ああ。…ダメだったか?」

「いいえ!ありがとう…それだけでも良かった」


――やっぱりラウルは心の広い人だ。ダンとは大違い!――


 急に静かになったユイを、ラウルが気にかける。「ユイ?」

 俯いていたユイは、顔を上げて少し微笑んだ。「…食事、するわ」

「ああ。ゆっくり食べてくれ」

「ラウルはもう食べたの?」

「済んだよ」


 ユイが食事を始めたのを見計らい、ラウルが口を開いた。

「もう一つ、新堂と交渉したのだが、決裂したよ」

「何の交渉?」

「フォルディス家のホームドクターにと勧誘した」

「あ~。それは無理よ」


 即答したユイに当然ラウルは不思議に思う。

――あの男の考えがユイには分かるのか…――


「なぜそう思う?」

「だ~って。あの人オペ大好きの野心家外科医だから。ホームドクターなんてやらないって!」

「報酬はいくらでも用意できる。それに闇医者なのだから、手柄を立てても名声は得られないだろう」

「お金や名声の問題じゃないんじゃない?」


――富も名声も求めない野心家とは?――ラウルは首を傾げる。

 自分は野心家ではない。すでにどちらも手に入れており、求める必要がないからだ。

 だが、なければ手に入れたいと考えるだろう。


「とにかく。あの人は誘ってもムダ。ダンさんだって反対してるんじゃない?私達に会ってほしくないみたいだから」

「ダンの考えは関係ない」

 やけにきっぱりと言い放ったラウルを見てユイは思う。

――ラウルったら根に持ってる?ダンの言いなりになったって言った事…――


「だからとにかく!あんな変人ドクターは必要な時だけ呼べばいいの!って言っても、なかなか掴まらないんだけどね~これが」

「いや。それは問題ないだろう」

「さすがフォルディス様!その自信はどのような根拠から?」


――あの男は、おまえの事ならば例え地球の裏側にいても飛んで来る――

 直感的にこう思ったラウルだが、別の事を言った。

「私には、カネと力が存分にあるので」


 束の間沈黙が走るも、ユイは嬉しそうに頷いた。


――…驚いた。拒絶されるのかと思ったではないか?――

 心底安堵したラウルに気づく事もなく、ユイは食事を続ける。その心境はこうだ。

――もうっ、ラウルったらステキ!うふふっ――


「いつでも、頼りにしてるわ…ラウルだけを」

「本望だな」

 幸せそうに見つめ合って、お互いの大切さを再確認する二人。


 ユイはふと自分の左手を見下ろした。

「そういえば…」こう呟いて恐る恐るリングを覗き込んでいる。

「どうした?」

「あのね…これ着けたままコルトを握ったから、その…」

 ラウルはユイの左手を手に取り、そっと握る。

「つまり、着けたままでも不都合はなかったという事だな」


「そう、そうなの。だって忘れてたくらいだもの。でもきっと酷い傷が付いてると…」

「気にするな。またリフォームすればいいだけだ」

 答えながらラウルはユイの指に嵌ったリングを確認する。

 金属同士が触れ合えば傷がつくはずだ。だが不思議な事にリングには傷一つ付いていない。


「…さすがはフォルディス家のリング、ユイだけでなく自身の身も守れるのか」

「スゴイ…本当にこれ、私が持ってていいの?」

「もちろん。良く見れば石の輝きが増している。よほどおまえを気に入ったのだろう。むしろユイが持っていた方がいい」

「ラウルがピカピカに作り直してあげたから、喜んでるんじゃない?」

「そうならばやった甲斐があったな」ラウルが笑顔を見せた。


 この時を待ちながら長らく眠っていたリングは、今ユイの元で息を吹き返した。


 ユイがこの家の中で感じていた霊気も、いつしか気にならなくなっていた。屋敷一帯を覆っていたおどろおどろしい空気がすっかり消え去り、今は生き生きしている。

 そんな様子は、ユイがやって来てからのラウルの心境を反映しているようだ。


 いつしか闇に落ちてしまったフォルディシュティ家。このまま再生を果たす事ができるのだろうか?


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