頼れる存在(1)
穏やかな昼下がり。ユイはラウルと共にティータイムを楽しんでいる。
向かい合うユイに、ラウルがふとこんな話題を振る。
「たまには、ミサコに顔を見せに行ってはどうだ?」
「え~?何、突然!別にいいわよ。向こうは向こうで楽しくやってるだろうし」
「イタリアは案外近い。日本に行くよりも手頃だ」
「そうはそうだけど。何よぉ、やけに行かせたがるじゃない?」
「別にそういう訳ではない。私の母親はもういない。いるうちにもっと交流してほしいと思っただけだ」
これは至って本心だ。ラウルは心から両親を敬愛している。家族である部下達を家を守るパーツと考えてはいるが、両親は別だ。
自分を遠ざけたいのではと疑っていたユイだが、こう言われて考え直す。
「そっか。ありがと。うん、そうよね」
父親を今も尊敬していると語っていたラウルを思い出し、さらに納得する。
――やっぱりラウルは家族を、両親を大事に思ってるんじゃない!――
「あのさ、ずっと気になってたんだけど」
「何だ?」
「お試し期間中の会話で、ラウルが気分を害した事あったでしょ」
「いつだ?」
「あれは確か…一番最初のディナーの時かな」
指摘を受け、ラウルが記憶の中からそのシーンを探る。
――最初のディナーでは、大した話はしていないと思うが…――
「済まないが覚えていない。教えてくれるか?」
「うん。日本にはあまり帰らないって話した時、何だか素っ気なくなった気がしたの」
「あの時点では、おまえの父はルーマニアの人間だ。それに母親がイタリアにいると聞けば、相応の答えだと思うが」
「って事は、気分を害した訳じゃなかったの?」
「なぜそう思ったのだ」
「だって…」
そう言ったまま続きを言わないユイに、ラウルは悩む。
――私の態度はそんなに酷かったか…。それは気づかなかった――
「済まない事をした。私こそユイの気分を害していたのだな。あの会話についてはどうとも思ってはいない」
「そっか~、なぁんだ。もう、ダンさんの嘘つき…」
「ダンが何か言ったのか?」
ユイはあの時の言葉をそのまま伝えた。ラウルは祖国や家族を大事にするのだと。
「それについては間違いはないが、あの話とは無関係だ」
「ま、しょうがないよね。ラウル、あの時は私に全然興味なかった訳だし?」
「ああ。あ、いや…」口元に手をやり口籠もるラウル。
嘘の付けない男も、ここで肯定する事には気が引けた。
「いいってば、別に!」
――本当に素直な人ね…――
「家族思いのラウルの提案、乗ったわ」
「ありがとう、ユイ」
それだけ言って静かに微笑むラウルに、ユイは釘付けだ。
――ああステキっ。何だろう、なんかいつもと違って見える…この儚げな雰囲気は何?いつも以上に色気が溢れ出てるじゃない!――
ユイに対し常にラブオーラ全開のラウルだが、さらに増幅させて囁く。
「ユイ…愛している、私の生涯をかけて」
カップをテーブルに置いたユイの手を、やや体を前屈みにしてラウルが優しく包む。
「私も愛してるわ、ラウルだけを…」
「よ~し!そんじゃ、突然行ってお母さん驚かしてやろっかな?」
「仕事が立て込んでいて一緒に行ってやれないが…」
「大丈夫!気にしないで」
ラウルは再び静かに微笑んだ。
この微笑みの裏には安堵のため息が込められている。実際にラウルはどうしてもユイをこの屋敷から遠ざけたかったのだから。
――私が狙われるのはいつのも事だが…。今回は規模が違うのだ。ユイを巻き込む訳には行かない――
・・・
「ラウル様!正気ですか、もう一度お考え直しください!ユイ・アサギリは強力な戦力になるのですぞ?」
「何度も言わせるな。これは決定事項だ」
「しかし!」
「私はそんな事のためにユイを側に置いているのではない」
「それはそうでしょうが!」
書斎にて言い合うダンとラウル。それはいつもの光景だが、今回はダンの熱量が違う。
ダンは初めからユイの戦闘能力だけは認めていた。だからこそ危険要素としてラウルの元から排除しようとしていたのだ。
必要になれば、当然その力を最大限に利用する。
「ユイ様が知れば必ずそうされるはず…」
ダンの言葉を遮るラウル。「ユイには何も話すな。ダン、これは命令だ」
――これはフォルディス家の、私の問題なのだから…――
こう言われてしまえば、ダンには成す術はなかった。
「うう…!ラウル様ぁっ…」
今回ラウルを狙っているのは、これまでのような一ファミリーではない。結束した3ファミリーがさらにプロの暗殺集団を雇って、ラウルに挑もうとしていた。
頭数だけでもフォルディス家の3倍。そこへ暗殺のプロが加わっては、ラウルの超能力を駆使しても難しい戦いになるのは必至だ。
「一つ確認するが、まさかお前は、ユイ無しでは私がやられると思っているのか?」
「とんでもない!ラウル様がやられるなど!」
――それは何があってもあり得ません。このダンが命に代えてもお守りするのですから!――
必死の形相でダンが弁解するのを、ラウルは冷めた目で眺める。
その視線を受け、ダンは気持ちを入れ替えて冷静な意見を述べる。
「…しかし、敵側がここまで攻撃に徹底したのは、フォルディス家に加わった新戦力の存在を知ったからなのでは?」
――そうに違いない。全く…面倒を起こすのがお前の特技か?ユイ・アサギリ!――
「ならばユイ無しで勝利を収めれば、フォルディス家の力はこれまで以上に知れ渡るという事だな」
ラウルに弱気な様子は一切見られない。
どこまでも頼りがいのあるボスだ。ダンは陶酔したように熱い視線を注ぐ。
――そうだ。何を弱気になっている?ダン!ラウル様は無敵なのだ。この方の超能力には誰も敵いはしない!――
「すぐに一人分のイタリア行のチケットをご用意します」
「頼む」
ダンは先程とは別人のように落ち着いた声で言うと、すぐに退室した。
静寂が戻った書斎にて、ラウルはイタリアに国際電話をかける。
「…ああ、ミサコか?フォルディスだが」
『まあフォルディス様!お久しぶり、お元気?ユイはどうしてる?あの子ったらご迷惑かけてないかしら』
「問題ない。共に元気にやっている。しばらくユイをそちらに行かせる。そうだな…一週間あればいいだろう」
『フォルディス様はいらっしゃらないの?』
「私は行かない。込み入った仕事があってね…」
『あら残念!』
しばしの沈黙が流れ、ミサコがハロー?と確認を入れた。
「ああ聞こえている。…もし私に何かあれば、その時はユイを頼む」
『ちょっとフォルディス様、いきなり何をおっしゃるの?それはこっちのセリフ!娘の事、これからもよろしくお願いしますね?』
「…ああ、そうだな。もちろんだ。では」
電話を終えて、デスクに肘を付いたラウルは片手で額を押さえて俯く。
「何を言っているのだ、私は…!」
何かあれば。それは自分が殺された時には、に変換される。どこかで死を想定している自分がいる。そんな姿は誰にも見せないが。
両親が殺されて以来、死が身近なものになった。
だがそれは恐怖ではない。ラウルにとって死は、むしろ挑むべき好敵手のようなものだった。ユイに出逢うまでは。
――今は違う。死が、というよりも、ユイとの離別が取り分け恐ろしい…――
ラウルは静かに顔を上げる。その表情からは何も読み取れなかった。
・・・
イタリアへの出発当日。玄関先でユイが振り返る。
ダンが運んで来た大型のスーツケースを受け取り、日本語で言葉を交わす。ラウルがいない際は日本語で話す事もある。
「それじゃ、行って来ます。ダンさん、ラウルの事、頼んだわよ?」
「…かしこまりました」
ダンの答え方はどこか歯切れが悪く、何かを訴えるようにユイをじっと見ている。
「何よ、元気ないじゃない。お腹でも壊した?」
「違いますっ!」
――人の気も知らずに暢気な事を!…ああ言ってしまいたい。なぜこの緊迫感が伝わらないのだ、ユイ・アサギリ!――
「そんなに寂しそうにしないでよ。変なダンさん!」
「…」
「ラウルに一目会いたかったな~。ま、お仕事忙しそうだから仕方ないよね。夜にでも電話するわ」
「いけません!電話はかけないでいただきたい!」
突如声を荒げたダンに驚くユイ。
「なっ、何よ…そんなムキになって。なんで電話がダメなワケ?」
「ああ…いや、別にそういう訳では…」
――もし仮に襲撃を受けている最中、お前は悠長に電話などできるのか?――
「もちろんお仕事の邪魔はしないわよ。そのくらい弁えてます!」
「そう願います」
挙動不審なダンに首を傾げつつも、愛車ポルシェに乗り込む。控えていた部下がスーツケースをトランクに乗せ終えた。
「ありがと。それじゃ、行くわね」
「お気をつけて」
バックミラーに映る数人の黒服の男達を尻目に、ユイはエンジンを吹かしたまま門を抜けた。
この時、左手のリングが異様な輝きを放っていた事にユイは気づいていない。
それはまるで、この屋敷に留まれと警告しているようであった。
エンジン音は、書斎にいたラウルにも聞こえていた。赤いポルシェが木々の合間からチラチラと見えて、ラウルは窓越しにしばし見送る。
「行ったか。ユイ…必ずまた会える」
――早々に決着を付けなければ。絶対に負ける訳には行かない――
デスクに向かうと、再び意識を集中させて対決の時に備えた策を練る。
こちらは数で劣る。部下達の最適な配置を考えなければならない。舞台は恐らくこの屋敷だ。それが不幸中の幸いか。
「ホームグラウンドでの戦闘、準備できる事はまだある。私は最後まで諦めない」
・・・
空港で搭乗手続きを終えたユイは、寛ぎながら振り返る。
そこにはもちろん誰もいない。
「な~んか変なのよねぇ。何で電話しちゃいけないのよ。あっ、もしかしてダンさんたら嫉妬?今さらじゃない!ヤダヤダっ」
一人でこうおどけてみるも、やはり腑に落ちない事だらけだ。
見送りの際に顔も出さなかったラウル。そしてダンの様子はやはりいつもと違った。
そう思いながらも、母の待つイタリアへ行けるのは嬉しい事だ。
「ま、いいや。この間はラウルと帰ったから、あんまり話せなかったし。本音言うと一人で帰れて嬉しいのよね~!」
楽観主義のユイは深く追及する事をあっさりやめた。
こうしてユイがラウルの手筈通りにミサコの元へ辿り着いたのは、その日の午後だ。
「ユイ!来てくれて嬉しいわ。一週間はいられるんでしょ?」
「あれ、なんで驚かないの?」
「何言ってるの。フォルディス様がご丁寧に連絡をくださったわよ?定期的な里帰りなんて、いい旦那様ね」
「ってまだ結婚してないから!」
「そ~んな事言って。何照れてるの?もう同じようなものじゃない、一緒に住んでるんだから!」
勢い良く背中を叩かれて前のめりになるユイ。
「んもう、ラウルったら。内緒で帰って驚かすって言っといたのに!」
賑やかにコルレオーネ邸へと帰って来る。
「何だか、ただいまって言いにくいなぁ」
「いいのよ、ただいまで。ここはあなたの実家よ?」
「そうなんだけどね。で、パパは?」
「ちょっと出てるわ。それより疲れたでしょ、少し休みなさい」
「全然疲れてないよ。だって2時間で来れちゃうんだよ?お母さんがこっちにいてくれて良かった~」
「そうね。私もそう思うわ」
夕方に帰宅したコルレオーネと夕飯を共にしながら会話が始まる。
「そう言えばフォルディス様、電話で変な事言ってたわね」
「変な事?」
「自分に何かあれば、ユイを頼むとか何とか。あなたをお願いしてるのはこっちなのに!年齢からして、何か起こるのは私達の方よねぇ」コルレオーネと顔を合わせながらミサコが言う。
「うん、確かに…」ユイも同意する。
そして考える。
――それってもしかして、何かある事を、想定してるって事?――
「マフィアの世界は常に危険と隣り合わせだからね。あの無敵のフォルディスでも感傷的になる事があるんだな!」
コルレオーネのコメントに透かさずミサコが応じる。「危険と隣り合わせって、何か刺激的だわっ」
「お母さん…ドラマの世界と混同しないでよ?」
眉根を寄せて母を見やるユイに、コルレオーネが改まって問いかける。
「時に、フォルディスは今どうしてる?」
「どうって、いつも通りだけど。なぜ?」
コルレオーネが神妙な顔つきになる。
「何だか大変な事になってるみたいじゃないか。不穏な噂を耳にしてな…」
「大変な事?何の事?ねえ何、不穏な噂って」その先を聞き出そうとユイは必死だ。
するとコルレオーネがハッとしたように表情を緩めた。
「あ、ああ…その何だ、イタリアの連中は話好きでね。特によその国の話になると、ある事ない事アレンジが入って困る!」
おどけるコルレオーネに対し、ユイは真剣そのものだ。
「パパ。何を聞いたの?教えて!」
「気にしなくていい。あの男の事だ、全然大した事ではないよ」
ユイに引く様子はない。コルレオーネは言葉を続ける。「マフィアの抗争は今始まった事じゃないだろう?」
「それって抗争が起こるって事?」
「まあ、そうするとフォルディス様、危険だからユイをこっちに寄こしたのかしら…」
ミサコのこんな一言に、ユイは一つの結論に達した。
ラウルが急に里帰りを提案したのは、やはり自分を屋敷から遠ざけるためだったのだと。
そしてここ最近の忙しそうな様子。ふと見せた儚げな眼差し。生涯愛しているという言葉。あの時は熱烈な愛の言葉としか受け取らなかったが、よくよく考えてみれば意味ありげに思える。
――でもそうよ、パパの言う通り、ラウルなら心配ないわ!…でも一応、電話してみようかな――
ユイはすぐにフォルディス邸に電話を入れた。あえてラウルの携帯ではなく。ダンにあれだけ釘を刺されてはさすがに掛けにくい。
使用人が電話口に出てダンに代わる。
『ユイ・アサギリ!』
こう呼ばれた事から、良くない事態になっている事はすぐに分かった。
「…ダンさん。隠さずに教えて。今何か、大変な事になってるの?」
『だから言ったのだ、最後までお傍に付けるのは俺ではないと!ラウル様を…お守りせねばならんのに?裏口の警備などやってられるか!だがそれが命令…っ』
一人語りを続けるダンを制止してユイが言う。
「何の話よ!私何も言われてないけど?分かるように説明して!」
『お前の鈍感さには呆れ果てた。俺は忙しい。切るぞ』
「えっ、ちょっと待ってよ!」
電話は一方的に切れた。受話器越しに呆然となるユイ。
――裏口?屋敷が襲撃されるって事?大変…ラウル!――
穏やかでない声を聞きつけて、ミサコが顔を出す。
「ユイ。どうかしたの?顔色が良くないわ。何かあった?」
「お母さん、私、今すぐルーマニアに戻らなきゃ…!」
「今から?もう遅いから明日にしなさい」
「何もないかもしれない。私が行っても足手まといかも…でも!でもじっとしてられないの!」
ミサコは必死な娘を変わらぬ表情で見つめる。
そしてこう言った。「行きなさい。そういう時は、直感を信じて行動するのよ、ユイ」
「…お母さん、うん!ありがとう」
ユイは慌ただしく荷物を纏めると、コルレオーネに向かって言う。
「教えてくれてありがとう。愛してるわ、パパ」
「気をつけるんだよ、我が娘。空港まで送らせよう」
ユイは何とかルーマニア行きの最終便に間に合った。
飛行機に飛び乗ったユイは、胸騒ぎに襲われる。
「ラウルのバカ…私だって一緒に戦うわよ。どうして除け者にするの?私達婚約したのよ、もう家族も同然でしょ?…本当に、必要ないって事?」
あのラウルが容易く倒されるとは思えない。だからこそ、自分がいては邪魔になるのではとも思う。
だが先程のダンの様子からすれば、そんな考えは覆る。
「私の直感はラウルの元へ行けと言ってる!」




