助け合いの精神(1)
ユイのケガもすっかり回復して、新たなラウルとの生活が始まった。もう契約に基づく同居ではない。完全なプライベートだ。
「ユイ。明日から仕事でモスクワへ発つ。おまえはどうする?」
「お仕事ってどんな?あ…聞いて良ければだけど」
「構わない。ただの交渉事だ。先方はリモートでもいいと言っているが、直接会わないと誠意が伝わらないと思ってね」
「それは同意見よ」
「仕事はすぐに終わる予定だ。良かったら観光でも?もちろん無理にとは言わない」
ユイがマフィアの仕事に関わりたくない事を知っているため、意向を尋ねたのだ。
「ああ、そういう事?誘ってくれて嬉しい!行くわ」
――一緒にドンパチやりましょう!ってワケないものねぇ――
「それならば良かった」ラウルは嬉しそうに微笑んだ。
マフィア絡みは嫌だが撃ち合いは大歓迎。ケガが治っても暴れる機会は皆無のユイ・アサギリ、暴れたい盛りピチピチの23歳である。
「ユイ様。くれぐれも申し上げておきますが、ラウル様のお仕事の邪魔だけはなさらないよう、お願いしますぞ?」
「分~かってるってば!耳タコ!聞き飽きた!ダンさん、しつこいっ」
その後何度も訴えるダン。例えユイの味方になろうとも、このじゃじゃ馬娘を思えば気が気ではない。幸運と共にトラブルをも呼び込むのがこの女である。
――たかが数日、大人しく留守番してくれれば良いものを!ラウル様もラウル様だ。なぜ誘う?――
観光ならば仕事抜きで行ってもらいたいと心底思うのだった。
そして当日。プライベートジェットで目的地モスクワへ直行する。
「ユイ。ロシア語はできたな。私の仕事が終わるまでは別行動となるが…」
「問題ありません!通訳のダンさんはラウルが使って!何なら私が通訳してもいいけど」
「それはダメだ。愛する者に秘書の真似事はさせられない」
「うふふっ、もうラウルったら…」堪らずラウルにすり寄る。
愛おし気に頭を撫でられご満悦のユイ。溺愛し合うネコと飼い主のような光景だ。
――ああ…!秘書にも見えんが、恋人にも見えん…――
一人悩むはダンばかりである。
その後、滞在先のホテルでラウル達と別れたユイは、護衛のため残された部下二名を従えての退屈な時間が始まる。
最後まで護衛は必要ないと言い張ったユイだが、ラウルの〝話し相手として使え〟という一言で受け入れる事となった。
「あなた達もボスの方に付きたかったでしょ。ごめんね、私のお守り役なんかで」
「滅相もない!これは昇格できるチャンスなのです。ユイ様に何かあれば我々がボスに殺されますが…」後半部分は呟き声だ。
「それホントの話?」
「ですから、どうか大人しくなさってください」
「ねえ?ちなみに今回の交渉事って何なの?ヤバい系?」
「それは申し上げられません」
「ちょっと!私の話し相手なんでしょ?ちゃんと相手しなさいよっ」
「それとこれとは話が別です」
「あなた達って、ダンさんから指導受けてる?だってソックリだもん!」
恐るべしダンの教育。
――全然面白くない!こんな事なら、話の合う人達を私が選定して連れて来れば良かったなぁ――
そういう者もフォルディス家にはたくさんいるのだ。
この堅物共が付いたのは当然ダンの指示によるもの。どこまでも抜かりない。ここでユイに流されるようでは、護衛は元より何も務まらない。
「ねえ。散歩くらいは許されるんでしょ?」
「それは構いません。お供します」
「で…その格好は、どうにかならないの?」
「着替えは持参しておりません」
見るからに怪しげな黒服二名を従えての散歩は、この地では避けたいところだ。
「はあ~…。ここに缶詰よりはマシか。まあいいわ、極力離れて歩いてよね!」
こうしてユイのモスクワ市街地散策が始まった。
通りに出てみればなかなかの人通りだ。誰も黒服連れのユイなど気にしてはいない。それが分かって幾分ホッとする。
しばらく店先を覗きながら歩いて行くと、大きな公園に差し掛かった。
「ここでしばらく休憩しよう」
鬱蒼とした茂みが多い大きな公園だ。あわよくば護衛達を撒いてしまおうと目論む。
そんな木陰に、背を向けて立つ男が目に入る。
スラリとした体形に大きな黒い鞄を持っている。その髪は緩やかなうねりを帯びたミディアムショート。オリーブブラウン系の色合いだ。
――凄く似てる…けど、まさかね――
その男を遠巻きに見ながら、空いたベンチに腰を下ろすユイ。
その時、パン!と乾いた音が響き、木々の鳥達が一斉に飛び立った。
「何!今の音…銃声?」
「ユイ様!戻りましょう、ここは危険です」
護衛達が銃を抜きながらユイを囲う。
「どいて!」
その男達を押し退けて、ユイは先程の木陰を凝視した。
立っていたはずの男が蹲っているのだ。
「まさか狙われてたのはあの人?」
「あっ、ユイ様!無暗に動かないでください!」
駆け出したユイに護衛が叫ぶが、もう手遅れだった。
男の背後まで来てユイがその背に手を掛けた時、男は大袈裟なくらいビクリと肩を震わせた。
「くっ!やるなら一息にやれ!…ユイ?」
「やっぱり新堂先生だった!ねえ、ケガしたの?大丈夫?」
「離れろ、俺に構うな!お前まで巻き込んでしまう」
「そうは行かない!先生撃たれてるわ。救急車を…」振り返って部下を探すユイ。
「必要ない。掠めただけだ。それより早く行けって!」
「ええ。早く逃げるわよ、先生!」
ユイは新堂に肩を貸すと、立ち上がらせる。
追いついた部下に向かって叫ぶ。「あなた!先生の鞄持って!」
「ドクター新堂だって…?」
「聞こえたの?早くして!あなたは狙って来てるヤツを見つけて!」
護衛達も新堂を知っている。何せフォルディス家の誰もがこの男に祈ったのだ、ユイが撃たれて重傷を負ったあの夜に。新堂はユイの命の恩人である。
ユイは一人の部下だけを連れて、新堂と共に公園を抜けて行く。
「ねえ先生、一体何したの?こんなふうに狙われるなんて…」
「言っておくが、俺はやるべき事をしただけだ。いいからもう行け!」
「新堂先生には何度も助けられてる。ここで会ったのは天の導きよ。今度は私が助ける」
「しかし…、うっ!」
「先生、やっぱり病院に行こう」
公園の裏手に出たところで、再び蹲った新堂にこう持ち掛けるが同意は得られず。
鞄を手にした部下が叫ぶ。「ユイ様、ボスに報告します!至急応援を呼びましょう」
「ダメよ。そんな事したら仕事の邪魔になる。今ラウルは重要な交渉の最中なのよ?何のかは知らないけど!」
「しかし!」
「いい?私達だけでやるの。大丈夫、できるわ。あなたの事、昇格させてあげる」
ユイは部下にウインクを飛ばした。
その直後、またも公園内で発砲音が響いた。
「いけない、あの人一人にできないわ…」
ユイが振り返った時、もう一人の護衛がこちらに走って来た。
「ユイ様!敵が多すぎます、対処しきれません!」
「良かった、戻って来てくれて。とにかく逃げるわよ!車は手配できないの?」
「とにかくタクシーを拾いましょう」
それはつまり脅すという事。気が引けたが、手負いの新堂を連れての移動はそれしかない。
「お願いだから穏便にね?あなた達、まずはその拳銃を仕舞ってから!」
「はぁ?」
「はぁ?じゃな~い!脅す気満々じゃない!バカっ」
マフィアである当人達にとって、脅しなどは日常の事だ。
「運転手さん、病院に…」
ユイの言葉を遮って新堂が言う。「ユイ、ダメだ、お客をそんなに大勢引き連れて病院には行けない、どこか別の…っ」途中で言葉が途切れる。
「先生!」
乗り込んで来た客の尋常でない様子に、運転手が怖気づく。何しろ二名はいかにもマフィアの出で立ち。そして一人は腹部から血を流しているのだから!
「おっ、お客さん、ケガしてるのかい?大勢って、4名様では?」
「こっちの話!どこか街中の診療所にでも…あ、その前に後ろの車を撒いて!」
「なっ、何て事だ!降りてくれ、今すぐ!乗車拒否する!」
「そうはさせるか。こちらの指示に従ってもらう。いいから車を出せ!」
透かさず助手席に乗り込んだ部下が拳銃を抜いた。
ユイの口から大きなため息が零れた。
――やっぱこうなるよね…――
ようやく走り出した車内で、気を取り直して新堂に伝える。
「先生、少しは時間取れそうよ。ここで手当てをしましょう」
「…ああ、済まない。手を貸してくれ」
「もちろん!」
後部席にてユイが新堂の傷の手当てを手伝う中、後方に迫った車から早速発砲が始まる。それに後部席に乗ったもう一人の部下が応戦している。
――さすがはダンさんの選んだ人ね、なかなか使えるじゃない?――
「ひいぃ~!!限界限界っ、オレもう嫌…」堪らず運転手が騒ぎ出す。
「喚くな!もっとスピードを上げろ!」
「ごめんね、運転手さん。運賃はきちんと払うから」
「…彼の心配事は、そこではないと思うが?」
「先生ったら、そんなコメント言えるなんて余裕ね」
「だから、掠り傷って言ったろ?」
「これのどこが掠り傷?しっかり当たってるわ!」
弾はどうやら脇腹を貫通している。
「おまえの時みたいに、盲管でないだけマシだろ。まあ、俺にもっと贅肉があればさらに良かったがね」
痛みに顔を歪めながらもどこか余裕を感じられるこんな態度を見て、ユイは少し安心した。
一応の処置が済んでユイは顔を上げる。
「状況は?」
「無理です、撒けません、このままではラチが明かない!」
いつの間にか運転は部下に代わっていた。それでも後方の車はまだピタリと着けてくる。部下達の拳銃はもう弾切れだった。
「いいわ。代わって」
「ユイ様、むしろあなたの射撃の腕でご対応を!」
「撒くのが先!ここで私の弾まで切れたらその先が続かないでしょ」
「あっ、はい!」
助手席で震えていた運転手を後部席に追いやると同時に、後ろから身を乗り出したユイがハンドルを握る。
それを確認し、すぐに部下は助手席に移動した。息ピッタリだ。
「先生、ちょっと手荒な運転するけど、しっかり掴まっててね!」
途端に車は生まれ変わったような動きを始めた。アクセルとハンドブレーキを巧みに操り、タイヤを鳴かせて角を曲がる。
それを何度も繰り返して、いつしか後方の車は見えなくなっていた。
「おお…さすがユイ様、素晴らしいドライビングテクニックだ!」
部下達が絶賛する中、ユイは緊張を解く。
「ふう…取りあえずは撒けたわね。先生、平気?」チラリと後ろを見やり確認する。
「ああ…何とか」
「この辺に診療所とかないかしら」
「もういい、運転手を解放してやってくれ」
「でも!」
「取りあえずの処置は済んだ。十分だよ」
車はいつしか中心街を抜け、寂れた場所を走行していた。ちょうど目の前には休めそうな廃屋が建っている。大きめの二階建てだ。
「じゃあ、あそこで休みましょう」
ようやく停車した車に、運転手が再び騒ぎ出す。
「ひいいぃ~っ、どうかお助けをっ」
「悪かったわね、怖い目に遭わせて…お代、色付けてあげて」
「はっ!」
ユイの指示を受け、懐から札束を取り出した部下。
「って!何でそんなに持ってんのよ!」
ギョッとしたのは運転手と新堂だけではなかった。
「ボスからいただきました。何かあれば惜しみなく使うようにと。こういう事ですよね?」
「う~ん、どうだろう…」
――ラウルったら、私がそんなに金遣い荒い女だと思ってる?心外っ――
こうして無事にタクシーを取り戻し、札束までゲットした運転手。先程とは一転、ホクホク顔でこの場を後にした。
先に廃屋に入って様子を確認していた部下が戻って来た。
「ユイ様、特に危険物は見当たりませんでした。早くドクターを休ませてください」
「ありがとう、そうしましょう」
「済まない…」
屋内は薄暗く埃っぽい。一階は何かの工場のようだが、もう何年も放置されているらしく朽ち果てている。
部下二名は窓際で待機し外の監視を始めた。指示を受けずとも動けるのは有能な証だ。
「それで先生、狙って来てる敵に心当たりは?」
「知らん!ここで受けた依頼人は一般人だった。こっちが聞きたいよ。もっとも俺が受けるのは一般人からの依頼だけだがね」
こんなセリフに部下二名の視線が新堂に突き刺さった事に、ユイは気づいていない。
「でも、その一般人が関係してるのは確かよね。詳しく教えて」
こんな最中、窓の外に車が数台停まった。
「ユイ様!お気を付けください、敵かもしれません!」
「変ね、敵だとして、なぜここが分かったの?…」
ユイは神妙に辺りを見回す。そして新堂の鞄に目を付ける。
「先生、ちょっとカバン見せて!」
「あっ、おい、勝手に開けるな!」
中にはチタン製のメスが並んでいる。反対側には薬や注射器が揃えて収められていた。
「これだわ!…やられたっ」
「何だ?何があった」
ユイは薬液が僅かに残る点滴バッグを持ち上げる。そのチューブ挿入口に何やら付いている。
「GPSよ!」
すぐさま取り外して、床に落とし踏み潰す。
「なぜ今の今まで気づかないの?私のバカバカ!」
新堂に怒りを覚えるのではない。自分に嫌気が差すのだ。
「だから逃げても逃げても追って来る訳か。ははっ、参ったね!」
暢気な声を出す新堂にユイがイラつく。「少しは先生も反省してください!」
「だよな…済まん、まさかそんな所に目をつけるとは?」
「何で持ち帰って来たのよ。捨てるでしょ、普通!」
「は?何でも何も、ゴミは普通持ち帰るだろ」
「っ…。とにかく持ち帰るにしても、警戒してほしかったわ!」
「そんな事言われても、相手は一般人なんだ、そんな細工されるなんて思わないだろ」
「あのっ!お二方!今は言い争っている場合ではありません!」
堪り兼ねた部下の一人が口を挟んで、ようやく口論が一段落となる。
「とにかく先生は私から離れないで。私が絶対に守る」
「こうなったら観念して、朝霧ユイに依頼するよ」
――関わってほしくなかったが…致し方ない。こうすればビジネスと割り切れる――
新堂はこう自分に言い聞かせる。
必死に自分を守ろうとするユイ。そこには強い想いを感じざるを得ない。
一度や二度ケガの面倒を見たところで、そんなに情が芽生えるのだろうか?両親の愛情も知らずに育った情に薄い新堂には理解できない。
深まる謎は、ユイの返答でさらに深淵に嵌った。
「それはダメ」
「何だと?」
「そんな事したら先生が責められる…私が勝手に首突っ込んだ事にしないと!」
「それの方がダメだろうが!」
真剣な表情で振り返ったユイを見ながら、新堂は考える。
今やユイはマフィアの一員なのだ。そして彼女に何かあれば、あのボスが黙ってはいない。
「なあユイ…頼むからもう、俺の事は放っておいてくれ。おまえに何かあっても、俺には責任なんか取れないぞ?」
ここで死なずとも、どの道生き延びる選択肢はないかもしれない。それがマフィアに関わった代償だ。
「先生が責任を取る必要がどこにあるの?何も悪くないんでしょ?とにかく黙ってて!」
その時、ユイの携帯が鳴り響く。「っ!誰よ、こんな時に…」
「いたぞ!あっちだ!」
敵の一人が叫ぶのが聞こえた。
「見つかったか…。護衛は不要よ。あなた達、二手に!」
「了解しましたっ」
この女に護衛は不要。その意味を瞬時に理解した部下達。それを知らぬ者もまだフォルディス家には多数いるが、きちんと把握している者の選別もまたダンの心遣いだ。
チラリと携帯を見る。掛けて来たのはもちろんラウルだ。
「タイミング抜群ね、フォルディス様!」
「…いいのか?出なくて」
「その余裕はさすがになくってよ、先生」
敵は二人の目前に現れた。
気づいた部下が後ろから羽交い絞めにする。的確に頸動脈が絞められている。
それに気づいて新堂は叫ぶ。「ダメだ、殺すな!誰も殺すな、頼む…っ」
「もう、甘々ね、新堂センセイは。だってさ!」
「…。はっ」
困惑気味に答えた部下は、気絶した敵から手を離す。倒れ込んだその男は死を免れた。
「感謝するよ」
「ホンっト、変な人!自分は命を狙われてるって言うのに?」
「それでも。俺は医者だ。その行為は信条に反する」
「殺すのがあなたじゃなくても?」
「関係ない。俺のためにそれをするなら同じ事だ」
こんな会話をしている間にも敵が増え続ける。
部下はその敵共を巧に誘導しながらその場を離れて行った。
「いつまでそんな事言ってられるかしらね!これっぽっちの弾で何ができるっていうのよ」段々イライラが募り出すユイ。
自分のコルトはまだ一度も使っていないが、もはや時間の問題だ。
そしてついに出番がやって来た。
「コソコソと隠れやがって。いつの間にボディガードを雇った?ドクター新堂!」
「何てガラ悪いの?だから嫌いよ、マフィアなんて!」
ユイは左手でコルトを握る。その中指には真新しいリングが嵌っているのに、何の違和感もない。そのため本人はリングの事などすっかり忘れて殺し屋の顔になっている。
張り詰めた空気の中、男の眉間に照準が合わせられた。
「ユイ!撃つな…いや、急所は外してくれ!」
「撃つのはいいのね?先生」
答えを待たずにコルトが火を吹く。直後に男の太い悲鳴が響き渡る。
「一番痛みを感じる場所を撃ち抜いてあげたわ。恨むんなら、殺す事を拒んだこの先生を恨むのね」
「おまえってヤツは…!」
続いて現れた敵をさらに一発、また一発と確実に仕留めて行く。もちろん致命傷は与えずにだ。
「先生、ここは危険よ、移動しましょう」
いつになく切羽詰まったユイの顔を見て、新堂もそれ以上何も言えなくなった。




