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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第二章 降りかかる試練
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思わぬ再会(3)

 フォルディス家のダイニングは、ここしばらく使用されていない。ラウルがユイの療養する部屋で共に食事を摂っているからだ。


「あ~あ。早くワインが飲みたいなぁ」食事を半分程終えたユイがぼやく。

「そうだな。私もだ」

 返された答えにユイは驚く。

「…え?まさかラウル、私に付き合って飲んでないの?」

「おまえだけにつらい思いはさせない」優しく微笑んでラウルが言う。

「いいのに、そんな事しなくて!ダンさんと楽しく飲んでよ。気にしないよ?私」

「ダンと飲んでも楽しくはない。…いや。もう誰と飲んでも。おまえとでないとな」


 楽しいと感じる瞬間にはいつでもユイがいるのだ。ユイ無しでは、ラウルに楽しい時間はあり得ない。

――こうして共にいられるだけで心が休まる…――


 柔らかな眼差しが注がれ、ポーっとなるユイ。意外な事実を受けての驚きと相まって食事する事も忘れる。

「ユイ、もう食べないのか?」

「何か幸せすぎて…。ラウルがそこまで想ってくれてるって知って、もう感動で胸がいっぱい」

「感動…、今のでか?」


――これと言って喜ばせる意図はなかったのだが――

 単に思いのままに口にしただけ。今一つ女心が分かっていないラウルであった。


「ラウル、今日の予定は?」

「午後から外出するが、夕方には戻る。数時間会えないだけでも寂しいよ」

「ふふっ!私も…。気を付けて行って来てね」

「ああ」


 こんなふうに、ラウルが気持ちをストレートに伝える事が増えた。それはもちろん感情を伝えるためである。顔に出ないならば言葉と態度で示すしかない。

 どんなにキザで歯の浮くようなセリフだとしても、ラウルに関して言えば、どれも大真面目な嘘偽りのない言葉なのである。


・・・


 ユイのケガも大分回復してきた。この仕事の終了も近い。朝の診察を終えた新堂は、清々とした気分で部屋に戻る。


「いい加減、あの二人のイチャつき振りを見るのも飽きて来たところだ」


 食事は常に一緒。わざわざあの部屋にもう一つシングルベッドを運び入れて、ラウルはそこで毎晩寝ている。仕事の合間を縫って、暇さえあればユイの元に足を運ぶ。

 こんな溺愛ぶりを目の当たりにし続けては、一人身の男には堪える。


――しかしユイのヤツ、いつの間にあんなに大人っぽくなったんだ?…ああそうか、あの男がそうしたのか――

 時折見せるその顔は、昔のユイとは別人の色気を放っている。何の関心もなかった新堂までもがその気になってしまいそうなくらいに。


「って、何を考えてるんだ俺は…。あのお転婆娘だって成長するさ。何せあのミサコさんの娘なんだ。魅力があって当然。そうだそうだ!」

 新堂はミサコに惹かれていた時期がある。彼はまだ、あの真の破天荒ぶりを知らない。おっとりした大和撫子なその姿は、まさに新堂のタイプの女性であった。


 必死にユイへの気持ちを否定しながら、次の依頼の選定を始める。

 しばらくしてノックの音が響いた。


「はい、どうぞ」

「ドクター新堂、ラウル様がお呼びです」

「今行きます、少し待ってください」


 室内の様子をチラリと覗き見たダン。相変わらずテーブルには開かれたままのモバイルPCと、文字がびっしりと印字された書類が散乱している。

――医者の使う部屋というよりは、学者か研究者の部屋だな…――


 こんな事を考えながら廊下で待つと、新堂が部屋から出て来た。

「済みません、お待たせしました」

「いえ。では参りましょう」


 ダンに続き書斎に向かうと、窓際のデスクに座るラウルが待ち構えていた。


「ドクター新堂を連れて参りました」

「ご苦労。お前は下がっていい」

「はっ」


 ダンが消えて二人きりとなり、新堂は身構える。

――どうにもこの男は苦手だ!――

 ラウルの纏うマフィア特有のオーラや、時折放つ鋭い威圧感が苦手だった。

 そんな新堂もまた、似たような威圧感を存分に持ち合わせている事に本人は気づいていない。


「私からもお話ししたい事があります」新堂は先手必勝で口を開く。

「では先に話せ」

「はい。ユイさんのケガも回復して来ています。もう私がいなくても大丈夫でしょう」

「ああ。私もその事だ。全てお前のお陰だ。感謝している。報酬の件と、これからの事を話したい」


 ラウルの的確な判断力に感心する新堂。

――好き嫌いは別として、本当にこの男はスマートだ。俺と違ってムダ口など一切叩かないしな!――

 これまで接してきた中で強く印象に残っている事だ。きっと仕事も賢く進めるのだろうと。だがそれはマフィアの仕事、つまり犯罪行為である。


「報酬については同意です。ですがこれからの事、というのは?」

 新堂としては嫌な予感しかしない。

「お前の優秀な腕を見込んで、フォルディス家専属のホームドクターになってもらいたい」

――やっぱり来たか…――

「それはお断りします」新堂は即座に返す。

「なぜだ?悪いようにはしない」

「最初に言いましたが、反社会勢力の方達からの依頼は受けない事にしてるんですよ」

 表情の読めないマフィアのボスを相手にも毅然と返す。


 こんな物怖じしない姿は、どう見ても裏社会の住人だ。当然フォルディス側はそんな事は調査済みである。

 扉越しに密かに聞き耳を立てているダンは心で舌打ちする。

――自分だって反社の人間だろうが?暴力行為を行う連中だけをそう呼ぶ訳ではない!後できっちり教えてやる――

 初めから新堂の言葉全てが癪に障るダンは、攻撃のチャンスを待ち望んでいた。


 だがラウルはそれについては何ら反応を示さず、静かに話が進んで行く。

「今回はユイの事だったから、だろう?」

「そうです」

「ならば今後も、ユイの事であれば受けてくれるのだな?」

「まあ…場合に寄りますが」


 あやふやに答える新堂を無視して、ラウルが別の質問をする。

「血液の件だが」

「ユイさんに自己血ストックをお勧めしました。それが確保できれば問題は解決です」

「今回の血液はどこから入手した?」

「それは申し上げられません」

「なぜだ」


――自分が同じ血液だなどと言ったら、拘束され兼ねないじゃないか?――

 意地でも言わないつもりの新堂だったが、不意に表情を緩めたラウルに首を傾げる。

「お怒りになるかと思いましたが」

「こんな事では怒らない。お前やダンとは違う」


――それはそれは。さすがはヴァンパイア様で!――

 新堂は心の中で罵る。ユイのパートナーにしては出来過ぎだとも思う。すぐに頬を膨らますあの朝霧ユイとは正反対の冷静さだと。


「これは私の推測だが…お前が同じ型なのではないのか?あの日のドクター新堂は酷く体調が優れないように見えた。お前が血を提供したのでは?」


――案外鋭い。バレていたか…甘く見てたな――

 新堂はそう思うもとぼける事にする。

「さあ。何の事でしょう?あの日は夜中に叩き起こされて調子が出なかっただけです。もちろん仕事は完璧にこなしましたがね。何か不手際でもありましたか?」


「…いや。何もない。もういい」

 新堂に向いていた強い視線がようやく外された。


 二人は全く別の理由で、ほぼ同時に息を吐き出した。


「報酬はそちらの言い値で構わない。小切手か振込かお好きな方を」ラウルは淡々と告げる。

「では、百万、ここへ振込でお願いします。ああ、米ドルでね」

「承知した」答えてラウルは新堂が差し出したメモを受け取る。

 日本円にして一億超の額を、ラウルは顔色一つ変えずに受け入れた。

「また、ユイに何かあれば来てほしい」

「いいですよ。私の腕に見合った症状の場合に限ってですが。ご依頼ありがとうございました」滅多にしない営業スマイルを浮かべておどける新堂。


「…もういい。下がれ」

 嫌気が差したラウルは顔を背けた。

「失礼します」


 新堂は部屋を出てドアを閉じると、肩の力を抜いて日本語で呟く。

「これだけ言えば、そうそう呼ばれる事もないだろう。…新婚生活など見たくもない!」


 そこにはダンがいる。


「いたんですかっ!…また聞かれてしまった」

「それは呼ばれたくないという事か。よほどマフィアが嫌いなのか、それとも…」

「小心者なので、マフィアやヤクザが苦手なだけですよ。では、書類整理の続きがしたいので失礼します」

「ちょっと待て!」

「何ですか」

「一つ言いたい事がある」

「だから何です?忙しいので手短に頼みますよ」


 ダンは新堂に一歩近づく。反射的に一歩下がる新堂。


「反社、の意味はご存知ですか」ダンはあえて日本語で尋ねる。

「はい?」

「ですから、反、社会的勢力の意味です」

「何ですかいきなり?」

「分からないのですか」

「…だから、あなた達のような方々の事でしょう」

「やはりか…!」

「何なんです、一体?」ダンの質問の意図が分からない新堂は、首を傾げるばかりだ。


「それは誤りです。正しくは、暴力、威力または詐欺的手法による不当な要求行為で経済的利益追求を行う者、となっております」

 新堂はダンの口からスラスラと出てきた難解な日本語の数々に圧倒される。

「本当に日本語がお上手で…。で、それが何か?」


――まだシラを切るか、往生際が悪いヤツだ!――

 ダンは言い放つ。「つまりドクター新堂、あなたも含まれるのですよ」


「悪いが、私は詐欺など働いた覚えはない。心外だ、訂正してもらおうか」

 さすがの新堂も黙ってはいられない。

「詐欺とは言っていない。あなたの腕は確かですから。ですがあなたも立派にこちら側の人間だと言っているのです」

「ふざけるな!」堪らず新堂が声を荒げる。


――何でわざわざ強調する?そんな事は分かってる!だからってお前等と一緒にするな。俺は人殺しはしない――

 こんな心の声はあえて表に出さず。


 廊下に響き渡った珍しい新堂の大声に、ラウルが書斎から顔を出した。

「何を騒いでいる?」

 すぐさまダンが応じる。「これはラウル様!騒々しい真似をして申し訳ございません…っ」場所を変えてやるべきだったと後悔しながら。

 明らかに気分を害した様子の新堂を見て、ラウルがダンを睨む。


 これに答えたのは新堂だった。

「何でもありません。大声を出して申し訳なかった、失礼」

 先程までの怒りはもうなく、無表情でそれだけ言うと、新堂はその場を立ち去った。


 その背を眺めながらラウルが問う。

「あの男のあんな声は初めて聞いた。一体何を言った?」

「…間違った事は言っておりません」

「それでも新堂は怒りを感じた。ならばお前があの男の意に沿わない事を言ったのだ」

 全くその通りである。ラウルの分析力はどこまでも高い。

「…」

 ダンは何も言い返せない。


「まあいい。あまり新堂と問題を起こすな。ユイが悲しむ」

「ユイ様がですか…」

 今やユイ、イコール、ラウルである。ユイが悲しめば、必然的にラウルも悲しむ事になるのだから。

――断固許されない事ではないか!ああ、俺とした事が…っ。なぜ気づかなかった?怒りに我を忘れすぎだ!――


「大変申し訳ございませんでした!以後、重々気を付けます!」

 ダンは目が覚めたように平謝りした。



 一方、部屋に戻った新堂は、改めて怒りが込み上げていた。


「ユイのせいだぞ?お前がマフィアなんかと付き合ってなければ…」

 マフィアとの結婚になど賛成できない。どこかで阻止したいと考える自分がいる程に。

 …と考えて、すぐに否定する。

「いや待て。なぜ俺がそこまで?関係ないだろ!大体、ダンに図星を突かれて腹を立てるなど、つくづく自分が嫌になる…。そんな事フォルディスに説明できるものか!」


 大きなため息を吐いた後、頭に浮かぶのはラブラブな二人の姿。

 そして始まる心のモヤモヤ。これは一体何なのか。新堂はひたすら考え続ける。


――俺も大概、欲求不満なのか…――



 新堂自身もまだ自覚していない恋心の芽生える兆しに、なぜかダンは気づいていた。あの恋愛に疎いはずのダンが、である。

 だからこそ新堂を敵視してしまう。それもこれも全てはラウルのため。

 ダンがその後すぐに新堂の元に謝罪にやって来たのは言うまでもない。ラウル命のダンは、ラウルを悲しませる訳には行かないのだ。


「ドクター新堂、先程は自分が考え無しに一般論を言い募り、申し訳ございませんでした」ダンは先程とは別人のような神妙な顔で、深々と頭を下げて謝罪する。

「いいえ、私こそ。大声など出してお恥ずかしい」

「ドクターの仕事と我々の仕事が同類などと、冷静に考えればおかしな見解でした」

「分かっていただければ結構です」


 穏やかな新堂の表情に、ダンは小さな目を輝かせる。

「では、お許しいただけるのですね!」

「え?ああ、ええ…」


――そんなに喜ぶ事か?さっきとはまるで別人、二重人格か?――

 目を瞬く新堂とは裏腹に、パッと晴れやかになったダンの表情。

――これでラウル様を悲しませずに済んだ!いやはやホッとしたぞ!――


 嬉々として仕事に戻って行くダンを、呆然と見送る新堂であった。


・・・


 そうして、ついに新堂が屋敷を去る日がやって来た。門前に出て見送るのは、ラウルとユイとダンだ。

 すでに送迎用の黒塗りセダンが運転手付きで待機している。


「新堂先生、本当にありがとうございました。こんなに長く引き留めちゃってごめんなさい」

「いや。思ったよりも早かったよ。今回は順調に回復してくれて助かった」

「だって、これ以上皆に心配かけられないもの?…って、今回はって何よ?前回そんなに順調じゃなかった?」

「ははっ!それは自分の胸にでも聞け。皆に心配、じゃなくてフォルディスさんにだろ?最後まで惚気か。もう十分見させてもらったよ」

「違うもん!先生のバカっ」


 相変わらず仲良さげな二人に、突き刺さる視線を送るのはやはりダンだけだ。

 ユイの隣りに寄り添うラウルは、余裕の表情で終始穏やかに微笑んでいる。


「ドクター新堂。お前は私の大切なものを守ってくれた。この先何か困った事があれば力になろう。これからの活躍を祈っている」

 こんな言葉をかけられて感動しているのは、かけられた本人ではなくダンである。

――うっ、羨ましい!ラウル様が他人の活躍など祈った事など初めてでは?――


「ありがとうございます。こちらこそ長らくお世話になりました。ユイ、あんまり無茶はするなよ?」

「はい!先生も、あんまり働き過ぎないようにね~」

「いらん世話だ」


 新堂は素っ気なく返して後部席に乗り込んだ。スモークガラス越しに、幸せそうなユイの顔をもう一度眺める。


「出します」

「ええ、お願いします」

 運転手と短い会話を交わした後、車は走り出した。



 門前に残された二人がこんな会話を始める。


「あ~あ。行っちゃった…。何だか寂しいなぁ」

「これで寝室に戻れるな、ユイ」

「あっ、そうね!ワインも毎日飲めるし?」

「ああ。極上のワインを…」

 後方で抜かりなく盗み聞いていたダンは、勢い良く続ける。「もちろんすでにご用意してあります!」

「ホント?!嬉しいっ、さ~っすがダンさん」


 悲しんでいたはずのユイだったが、一転してラウルに腕を絡めて満面の笑みで屋敷へと入って行った。


「ふっふっふっ。どうだ、俺の予知能力は完璧だ!」

 こんな未来が見えていたのか、単なる情報収集の成果なのかは判断しがたいところだが、その甲斐あってきめ細やかなサポートができるというもの。


 側近ダンはもはや、フォルディス家の執事と化しつつある。


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