別れの予感(2)
自室へと引き上げたラウルは、エメラルドグリーンの瞳を曇らせて自問自答していた。
「一体どうすれば良かったのだ…。ユイの気持ちが分からない!」
ユイは自分を嫌いになった訳ではなさそうだ。だが自分は拒絶された。
――ユイはベッドの上でもされる方を好む。マゾヒズムの傾向が?そういう事ならば、演技であっても痛めつけてやればいいのだろうか…――
その考えはあらぬ方に向き始めている。
なかなかにこの二人の道行きは難航しそうである。
「ダン、そこにいるのは分かっている。入って来い、意見を聞きたい」
「はっ!」
エスパーの勘はバカにならない。ダンにもその力が備わっている。この非常事態に、呼ばれる事を想定して扉付近で待機していたのだ。
「お前はどう思った?」
「と、言いますと」
「ユイの望むものが、私にはいまいち理解できないのだ…。やはり金持ちが嫌いなのか」
ついにはこんな終着点に行き着いてしまった。
真剣に悩むラウルを茶化したりはしない。ダンは真面目に答える。
「ラウル様、恐れながら申しますが、それはこの件とは無関係かと」
「なぜそう思う?」
「財力が愛情に負の影響を与えるなど、聞いた事がありません。通常は逆ですから」
「お前はユイを認めていなかったな。私とユイは釣り合わないと思うからだろう?」
しばし考え込んでいたダンが、意を決して口を開く。
「…確かに初めは、あの方はラウル様のお相手には相応しくないと思いました。ですが、ユイ様が来てからのラウル様は変わられました」
「私が変わった?」
「はい。自覚されていないかもしれませんが、私には分かります。長年お側におりますので…」慈愛に満ちた眼差しを向けるも、ラウルに素気なく目を背けられる。
「いいから続けろ」
「はっ。ユイ様の裏表のないお人柄に触れ、今では考えが変わりました。私は、お二人が釣り合わないなどとは思いません」
「確かに、ユイには裏表は一切ないな!」
ラウルの脳裏に、思っている事が丸ごと顔やら態度に出る素直な姿が思い浮かぶ。
――それなのに今は、全く訴えている事が理解できない…――
沈黙のまま難しい顔で思案し続けるラウルに、ダンが畳みかける。
「ラウル様、このまま終わらせてよろしいのですか?手は早いうちに打つべきです。このダン、何でもお力になりますので!」
ラウルは悲し気な瞳で窓の外を見上げる。
「いい訳がないだろう。…だが、私はユイの望むような人間にはなれない。感情を抑えているつもりはないのだ。どうしろと?」
「ラウル様…」
「怒鳴られたいなど、勝気そうな割りに虐げられるのが好みなのだろうか?」
「っ!それはまた…いや私には何とも…」
ダンは思ってもいなかった発想を受けて考えてみる。
――…ああなるほど、そういう性癖があるのかも?はぁ…。っ!何を想像しているんだ俺は?そうだとしても、このままではいけない!――
ラウルは情が絡む事にとにかく疎い。助け合いの精神だとか、義理人情的なものは一切理解できない。それは、これまでそういうものに触れて来なかったからだ。
大抵の人間がぶつかる世知辛い経験を、ほとんどスルーしてここまで来てしまった。
そんな事ができたのは、生まれた時から贅沢三昧の暮らしを続け、自分が困難に陥る前に、先回りして誰か(ほとんどがダン)が問題を解決していたからである。
極め付きに、良く言えば大らかな、悪く言えば無頓着な性格がゆえに、これまで深く考えた事もない。
そんなラウルが今、こんなにも心を砕いている。ここまで彼を悩ませる相手はユイが初めてだ。
――なぜラウル様が悩むのだ。ラウル様のせいではないではないか?感情が表に出ない人間もいる。その事を分かっていただく以外にないではないか!――
ダンは顔を真っ赤にして心で憤慨する。
ラウルの精神的余裕が、穏やかな性格を作り上げ、そして感情の起伏を目立たなくしてしまう。
さらには激しい感情により能力が発揮されてしまうため、無意識にコントロールしている部分もある。怒りの感情には特に強い力が発揮されるのだ。
その事に気を揉むのは、両親の死後ではいつだって本人ではなくダンなのだが。
「ラウル様、私からユイ様に説明をさせてください。その上でどうお考えかを確認して参ります。お任せいただけますか?」
「大丈夫か?拗らせるような真似はするなよ?」
「もちろんです!お任せをっ」
張り切るダンを、ラウルは不安げに見送った。
翌日ダンがユイの部屋に向かうも、体調が優れないからと追い払われた。
例の一件以来、ユイは塞ぎがちで再び部屋に籠もっている。それは初めてベッドインした翌日の光景を想起させるが、事情は全く異なる。
「ユイ様、いらっしゃいますか?ダンです」
「何~?なんか用~」
この日部屋を尋ねると、予想に反して腑抜けた声が聞こえて来たではないか。
拍子抜けしたダンだが、すぐに気を締め直して声を張る。
「開けますよ?」
「って、もう開けてるじゃない!だから何?契約解除でも伝えに来た?」
「いいえ。お話があります」
「契約解除以外に話なんてある訳?」
ドアの向こうのユイは、テラスを全開して煙草を吸っていた。
「お煙草、内緒になさるのではなかったのですか?」
「もうどうでもいいでしょ」
「またそうやって投げやりな…。このまま諦めるのですか?」
「何をよ。玉の輿?ならご心配なく、他当たるわ!」
そんな事を言って紫煙を吐き出したユイに、ダンが一喝した。
「ユイ・アサギリ!そうやって強がるのはやめろ!」
「…。だからぁ、フルネーム叫ぶなっての!ビックリするじゃない」
入室したダンは静かに床に正座する。
「座ったって事は、長くなるワケ?これってお説教よね」
「あなたは叱ってほしかったんですよね?ですから自分が存分にして差し上げます」
「アンタにじゃないからっ!」
ダンに顎で促されて、ユイの頬がぷっくりと膨らむ。「んもうっ!ナニサマ?」
文句を言いつつ仕方なく煙草の火を始末すると、その正面に膝を抱えて座る。
手持無沙汰でさらに膨れっ面になるユイ。
そんな姿を見てダンが思うのは当然これだ。
――この感情丸出しの態度!ラウル様とは正反対…。やはりどこからどう見てもガキだ。全く世話の焼ける!――
心でこう吠えて気持ちを落ち着かせてから、丁寧な口調を心掛けて話し始める。
「あなたは本当に、手の付けられない子供ですね。大人になれば、叱ってくれる者などいない。善悪の判断は自分でするんです。それをあのようにラウル様に求めるなど!正気ですか?」
「だから、問題はそこじゃないの!あの人はいつもどこか壁を作ってる。それがダンさんといる時のあの人には感じないんだもん」
「それはつまり、私にヤキモチを焼いているという事ですか」
「んなっ!何ですって?」
腰を浮かしかけたユイを手で制するダン。
「確かに私とラウル様の付き合いは長い。あなたが知らないあの方を、私はたくさん知っている。ラウル様の事で分からない事などないくらいに」
「フンだ!それ自慢?私にしか通用しないから!」
「ええ、分かっています。ですから今、存分にさせていただきます」ニヤリとダンが笑った。
この男のラウルへの執着は半端ない。部下達どころか本人にすらも引かれてしまう程なのだから!
「あなたの言う壁ですが、自分には見えません。ユイ様ほどあの方に深く踏み込んだ女性を、私は他に知りませんから」
「え…?」
「私の方こそ、あなたに嫉妬しますね。私にはラウル様をあのように穏やかで幸せそうなお顔にする事は絶対にできない」
「でしょうね。いつも怒鳴られてるし?」
「そうです。…って違います!」
アハハ!と束の間ユイの笑い声が響いた。
「でももう終わりよ。あの不思議なリングも私の元から去ったわ。飛んで来ないのがその証拠!」
左手を掲げてヒラヒラと動かして見せる。
「…」
――本当にそうなのか?一度でもあのリングが選んだ相手が、そう易々と変わるものだろうか――
ラウルはダンにもリングリフォームの件を知らせていなかった。自らが業者と掛け合い手配したのだ。こんな雑事を自身がする事も初めての事。それくらいユイへの想いが深いという証しである。
考え込むダンを尻目に、ユイは立ち上がる。
「言っとくけど、私はいつだって本音で話してるわ」
「知っている。だがそれは我々も同じだ。探り合っていたあの頃とは違う」
「それはそれは!そうだとするなら、私がまだマフィアって人種を良く分かっていないのかもね」
ユイはヤクザを毛嫌いしている。マフィアも同類だ。これまで関わらないようにして来た人間の事など知るはずがない。
――相手を知らないという事は、信用に値しないという意味と取るべきだろう――
ダンはそう理解する。気持ちは大いに分かる。自分もしつこく疑った口なのだから!
「お言葉ですが、ユイ様はまず、マフィアの人種というよりもラウル様の本質を知るべきです」
「それを知ったらむしろ、もう愛せなくなるかもね~」
――情が薄くて、簡単に見限られる。困ってる人を助けたいと思えない人なんて?正反対の私がどうやって受け入れろって言うの?――
こう言われてしまえば、ダンは次の言葉が発せない。説得は失敗に終わった。




