別れの予感(3)
そのままさらに数日が過ぎたとある夜。
「あ~あ。一人で飲むのはつまらないわ!それにしても、いつになったら契約解除の話してくるのよ?」
ユイは部屋で一人ワインを煽る。ラウルと楽しく飲んでいた日々が嘘のようだ。
「そうだ、ダンさんに聞きに行こっと!ついでに付き合ってもらう、ナイスアイディア!」
ワインボトルとグラス二脚を持ってダンの部屋に押しかけると、ドア越しに現れたダンは寝間着姿だ。
いつもとは違うラフな姿に思わず突っ込む。
「そういうの新鮮ね!初めてあなたがちょっとだけ可愛く見えたわ」
「お恥ずかしいっ、どうされたのですか、こんな時間に…」
「ちょっといい?これ、付き合ってよ」
「は?」
開いたドアから無理やり入って、ユイはテーブルにボトルとグラスを置いた。
「何です、突然やって来て一方的に!」
「どうせ一人寂しい夜を過ごしてるんでしょ?いいじゃない」
「余計なお世話です」
「もうすぐこんな事もできなくなるんだし。最初で最後って事でさ、ね?」
「…」
無言のダンを無視して、勝手に部屋の隅の椅子を陣取り、二つのグラスにワインを注いで行く。
「まさかだけど、飲めるでしょ?」
「もちろん。ユイ様が来られるまでは、時折ラウル様のお相手をしておりました」
「ふう~ん。そんな時ってどんな話するの?」
ダンがもう一つの椅子を引き寄せてユイの斜向かいに座った。
「特にこれといっては」
「何よ!秘密って事?ま、いいけど」並々注いだワインを一気に飲み干すユイ。
「…何とも品のない飲み方を!これはそういう飲み方をするワインではありません」
「あ~、お高いヤツよね。それは失礼しました!このウチには安物なんて置いてないもんねぇ」
「…酔ってますね?」
「酔ってないわ。私はいつもこうよ」
「いつにも増してガラが悪い気がしますが」
「アンタに言われたくないわっ!」
ワインを一口飲んで、ダンが笑った。「まさかあのユイ・アサギリに夜這いを掛けられる日が来ようとは!」
「夜這いじゃないわよっ!バカじゃない?」
「冗談に決まってるだろう」
「ヤなヤツ!」
「それで。ただ飲みに来た訳ではないだろう?何か聞きたい事があるんじゃないのか」
「さすがエスパー、鋭いわね!この契約、もう続ける意味ないでしょ?さっさと解除してほしいんだけど」
「それは私ではなくラウル様に言ってくれ」
「言えないからあなたに言ってるんじゃない!」
もう一度ワインに口をつけ、ダンが口を開く。「なぜ言い出されるのを待つ?自分から動かないのは、それを心から望んではいないという事だ」
「…」
沈黙するユイにダンは吐き出すように言った。「本当に似た者同士のお二人だ!」
「…え?」
「鈍いな…。ラウル様もお前が言い出すのを待っているという事だ」
「そうなの?」驚くユイ。想像もしていなかった。
だが事実、ラウルはそれを待っていた。来るもの拒まず去る者追わずのあの男が、ユイを手放せないでいる。
――いつもならば用済みの人間などあっさり追い出している。だがそれをしないのは…――
用済みとはこの場合、夜の相手として使えない女という意味である。
ダンは確信した。ラウルもユイもまだ諦めてはいないのだと。
「確かにこのままでは何の意味もない。時間のムダだ。私もラウル様も、ムダな事は嫌いだ」
今の二人は言わば家庭内別居状態。顔も合わせず共に食事を摂る事もない。当然寝室も別々だ。
「…私だってキライ。こんな自分の事が!私、どうすれば良かった?あの時、あの裏切り者を私が始末してたら?ラウルはそれを望んでいたの?」
「ラウル様はそれについては何もおっしゃっていません。むしろ、家の事情にあなたを巻き込んだ事を気にされています」
「私が首を突っ込んだせいで、迷惑かけた訳だものね!」
もしユイが大人しい性格だったなら、部下達と交流などしない。よってこんな事にはなっていない。
「それはまた別の問題。あの事はきっかけに過ぎない。遅かれ早かれ訪れた事だ。お前の中で、少しずつ溜まっていた不満がそこで破裂しただけ」
「私の事までそんなに分析して、怖いんだけどっ」
ダンは良く見ている。観察眼は誰より鋭い。
「ラウル様は女性に暴言や暴力を働く方ではない。さらに言えば、ここルーマニアの男は、幼い頃から女性を大事にするよう教えられている」
「それなら聞いた事あるわ。国民性ってヤツでしょ」
「特にラウル様はそのお考えが強いように思う。あの完璧さから、女性に慕われる事が多いからかもしれない。常に周囲には華やかな女性が…」
ここまで言って、ユイの嫉妬に満ちた視線に気づきダンの口が止まる。
咳払いの後、慌てて言葉を続けた。「だからっ!あなたに対してもそうなのだ!」
「それにしたって優しすぎるわ」
「お前の師匠とやらが厳しすぎただけじゃないのか?その優しさは一重にラウル様からの愛なのだ」
――羨ましい、羨ましすぎるぞ、ユイ・アサギリぃ!――
ダンの目が輝きを増す。
――ヤバい、スイッチ入っちゃったみたい?めんどくさ~い!――
ここは静かに動向を見守るしかないと観念するユイ。
ダンがつぶらな瞳を煌めかせながら続ける。
「愛の深さゆえに、軽々しく声を荒立てたりはなさらないだけ。もっと言えば、些細な事で感情を乱すような狭い心など、持ち合わせていないのだ。ラウル様は並外れた領域にいらっしゃる尊いお方なのだから…!」
「…そこまで言う?」
若干ユイが引いてもダンの勢いは止まらない。
「事実なのだから仕方がない。桁違いの力を持つエスパーでもある訳だしな」と自分の事のように自慢げに胸を張って答える。
「でもそれって、皆が皆知ってる訳じゃないでしょ?」
「もちろん。ファミリー内でもごく一部の人間にしか打ち明けていない」
「それこそバケモノ扱いされるものね!」
「ばっ、バケモノだと?!」
ガタンと椅子を揺らして立ち上がるダン。寝間着姿のため銃は身に着けていない。
「撃ち合いするなら、部屋からコルト取って来るけど」
「…するか、バカめ」
ダンは呟くように言うと、勢い良く座り直してボトルに手を掛ける。
「私もちょうだい」
「…ああ」
しばし黙ってワインを味わう二人。
少ししてダンがボトルを凝視しながら口を開く。
「…この際だから、ラウル様の事をもう一つ教えてやる」
「うん、何?」
「感情表現の事だ。お前との生活によって、ラウル様は新たな感情を知り始めた。例えば嫉妬という感情もそうだ」
ユイの脳裏に、ヤキモチを焼いてしまったと笑うラウルが浮かんだ。
「…そういえば、初恋がどれか分からないとかも言ってたな」
「それは心から夢中になれる相手に巡り会っていなかっただけ。その他、一般の人間が普通に抱く様々な感情を知らずにここまで来てしまったのだ…。何ともお労わしや、ラウル様!」
感傷的になるダンとは裏腹に、ユイはあっけらかんと言い放つ。
「尊いお方なだけに、ずっと持ち上げられて生きて来たんでしょうからね~」
「若干トゲを感じるのは気のせいか?」
「だ~って。住む世界、違いすぎて!そんな人と、どうしたって対等になんてなれっこないわ」笑いを交えて返すユイ。
そして一つの結論に達した。ラウルのあの謎に満ちた心の内、それは単なる世間知らずで、何も知らないだけだったのだと。
つまり、本人に全く悪気はないのだ。
――変な人って感じてたのは全部これが原因だった訳ね…。紛らわしいっ――
だがもう一つの問題が残っている。冷酷さだ。
――家族、自分の部下達さえも大事にできないっていうなら、致命的よ――
「そもそも対等になろうなど、端から厚かましい話なのだ!」突如ダンが吠えた。
「ちょっとっ、声!何時だと思ってるのよ?」
「…失礼。つい力が入った」
「いいけど。よく分かるわ、その通り。厚かましいわよね」
「それなのにラウル様は、お前を対等に扱っているつもりだとおっしゃった」
「…」
どこか虚ろなユイにダンが確認を入れる。「その意味が分かるか?」
「分かんない!」どこまでも軽い返答だ。
「ガキめ…」
ところがこの一言で一転、今度はユイが腰を浮かせる。「何ですって?」
「撃ち合いするなら武器を貸すぞ。お前の相棒はここにはないのだろう?」
「っ!しないわよっ!」
憤慨しつつ腰を下ろしたユイをひと睨みして、ダンはため息をついた。
「あの方は決して意にそぐわない事は口にしない。純粋にお前の気持ちを尊重しているという事だ」
「ご機嫌取りで言ったんじゃないって事?」
「その通りだ」
ラウルが嘘はつかない人間だと、ユイは認めている。
――まあ、本当なんだろうな…。だけど…――
「何だ。まだ不満そうだな。この際だ、何かあるなら言え」
「ダンさん、前に言ったでしょ。ラウルは家族を大事にする人だって」
「ああ。この家のためにここまで尽くしている事が全てを証明しているではないか。何を今さら?」
「…ちょっと待って。今、家のためって言った?」
「ああ。それがどうした」
「家族のためじゃなくて、家の、ため…」
ここでユイは納得した。ラウルが大事にしているのは家族ではなく、この家。部下達はこの大事な家を支えるパーツに過ぎないのだと。
――パーツが消えれば家が傾くものね…。そりゃ大事にするわ。もしかして自分さえもパーツの一つだとか考えてるかも?――
今度はユイが盛大なため息を吐いた。
いつでも大真面目で真っ直ぐなラウルはそういう男だ。
「ねえ。ずっと一緒にいると、どんなに嫌いなヤツでも情って湧くでしょ?まさかあなたは分かるわよね、そういう感情」
「分かるさ。少なくとも今、感じている最中だ」
「は?」
ダンはまさにユイにその情を感じている。
「…何でもない。それがどうした?」
「ラウルには、分かると思う?」
ダンは考えを巡らせる。
――ここで取り繕っても意味はない。正直に話した方がいい――
「これまでラウル様に、そういった経験は思い当たらない」
「つまり知らないって事ね。だったら、教えたら分かるかもしれない?」
「それはもちろん。って、お前はラウル様を何だと思っている?とても優秀なお方なのだぞ!教えたら分かるだと?当たり前だ!」急遽怒りが加わってダンが熱気を放つ。
「ゴメンゴメンっ、そういう意味じゃないの、優秀なのは分かってるから!」
慌てて訂正したユイにダンは少し落ち着く。
「これで問題は全て解決だな」
「だけど…もう遅いわ。元の仲になんて戻れない。私、あんなに酷い事言っちゃったし」
「何が遅い?お前が一言謝れば済むだろう!そしてラウル様の全てを受け入れるのだ」
「ふざけないで!」
突如ユイが声を荒げた。
「一言謝って済む問題じゃないの!それで許してもらえたとしても、こんな今の私では、またラウルを傷つけるだけ…」
自分の未熟さと心の弱さのせいで、ラウルを信じ切れなかった。元から備わっていないものをどうこう言われても、対処のしようがないのに!
それが分かっても、問題の解決にはならない。
――そう簡単に大人にはなれないし、信じ抜く自信なんて持てない。きっとまた疑ってしまう!――
「ああそうか。分かった。だが一つ忠告しておく。あの日お前はラウル様に命を救われた。礼くらい、きちんとすべきじゃないのか?」
これまでの熱の入った感じではなく、ダンは淡々と告げた。
そんな口調を受けてユイも冷静になる。
「…そうだった。まだ、言ってなかったわ」
「明日は昼過ぎに会合に出かける予定だ。それまでは時間がある」
「教えてくれてありがとう。それじゃそろそろ戻るわ、邪魔したわね」
「いや。案外楽しめたよ。こちらこそ礼を言う」
空になったボトルとグラスを片付けようとするユイにダンが言う。
「それは置いて行け。こっちで片付けておく」
「でも…」
「ここからの方がキッチンに近い」
「そっか。じゃ、お願い」
お休みなさい、と挨拶を追加してユイは手ぶらで部屋を出た。
その姿を目で追いながらダンは思う。
――お互いに想い合っていても結ばれない事があるなど…。何ともどかしい事だ!――
恋愛経験ゼロの男には、どれだけ考えても分からない。
「ああラウル様…。ダンは何もお力になれないのでしょうか?」
月明かりの中で、ダンが虚空に向かって呟いた。




