自分に素直に(3)
敵の本拠地からの脱出に成功した二人は、ひたすら車を走らせる。
助手席に収まったユイが、サイドミラーから後方を確認しながら先に口を開いた。
「あの人達、追って来ないみたいですね」
ラウルは無言だ。
「あの…フォルディス様、何度も殴られてましたけど、おケガは大丈夫ですか?変な薬を打とうとしてたのは阻止できたと思うんですけど…」
「大丈夫だ。おまえこそケガをしているではないか」
「こんなのはケガのうちに入りませんよ」
指摘された箇所から流れた血が頬にこびりついているのに気づき、慌ててハンカチで拭うユイ。
取りあえずは救出成功だ。そして次なる問題が待ち受けている。
ユイはそれに意識を集中させる。自分がここにいるのはどう考えてもおかしいのだから。
本来は勝手に抜け出した事を素直に謝るべきだろう。だがラウルの様子を窺うに、怒りの色は見えない。
――ただ謝るのも癪よね。だってこっちは命懸けで助けたんだから?でも…――
ラウルが謝罪を求めるならば、とその横顔を観察し続ける。
ユイが考えあぐねていると、ラウルが先に言葉を発した。
「まずは、私がおまえに礼を言うべきだな」
「え?そんなお礼だなんて…むしろ私は…」
「私は、何だ」ハンドルを握り、前を向いたままラウルが問う。
自分が謝ろうとしていたのに、と普通ならば思うところだがユイは違う。
「フォルディス様が連れ去られる前に助けたかったです」
「…」
予想外の返答に、ラウルはしばし沈黙した。
勝手な行動を取った事を謝るのはやめた。ユイは本音で語る事にした。
――もうこれ以上、自分の気持ちを偽りたくない――
「まるでダンと会話しているようだ」
「…そうでしょうね」もはや側近と化しているユイ。
そしてラウルは打ち明けた。
「ダンはおまえを警戒している。私の命を狙っているのではと。だがおまえの行動は、どう見てもその逆だ」
「私は!初めからフォルディス様の命なんて狙ってません!」
勢い良く返すも、今度はユイが黙り込む番だった。
やはり疑われていた。拳銃所持がバレてしまってはもう終わりだ。これでは依頼遂行どころではない。
ユイは諦めの境地に入った。
「私の命が目的でないのなら、何のためにフォルディス家に?」
「それは…フォルディス様と仲良くなるために決まってるじゃないですか」
例え失敗に終わるとしても、依頼人に迷惑はかけられない。あくまであの男の娘を演じる。
「まあいい。いずれ分かる事だ。では質問を変える。おまえはなぜここに?私を尾行していたのか」
「尾行だなんて!私はただ気分転換にドライブを…」
ユイはここで車を拝借して屋敷を抜け出した事を告白した。
「ダンの言うように、もっと警備を万全にして外出すべきだったな」
――敷地内はまだしも、外にまで出られるとは考えていなかった――
心の中だけで苦笑するラウルだが、この事にダンほどの怒りは感じていない。
むしろこの自由奔放なところが気に入っているのだ。
「そのダンさんは、今日はご一緒じゃないんですね」
「ダンには別の任務を任せている」
その任務が自分の素性を洗う事だとは思いもしない。素直に、そうなんですねと納得するユイ。
「だが。今回警備を万全にすべきは、おまえではなく私の方だったようだ」
「そうですよ?どうしてあんな少ない護衛で…あ!偶然見かけただけですからね?別に監視してたとかじゃなく…」
自分の言い分に自分で突っ込みを入れながら会話が進む。
「あっ、でも連れ去られた後は、尾行しましたけど…」
「…」
――良く喋る。あんな目に遭いながら、こうもケロリとしているとは!――
ラウルはユイの気が済むまで話させる事にした。
しばし続いた一人語りがようやく終息に向かう。
「それでフォルディス様は、どうしてこんな無警戒で外出を?」
「まさか、こんな近所で襲われるとは予想外でね」
――抗争絡みの件は、すでに片が付いたと思っていたのだが…――
「それは私だって!何度も言いますけど、まさか偶然そんな場面に出くわすなんて…」
ユイの言い訳に何ら関心も持たず、ラウルはため息交じりに言った。
「柄にもなく、少々浮かれていたようだ」
「はい?」
「…いや。何でもない」
ラウルはユイとのたった一度のセックスによって、かなり浮かれていた。男の色気までも倍増し、女どころか敵まで引き寄せてしまったのか。
――私らしくもない…。そこは反省するとしよう――
「少し疲れたな」
「でしたら私、運転替わります」
「いや。必要ない」
ラウルは不意にハンドルから手を離す。そして寛いだ様子で、助手席のユイの方に体ごと向けた。
「フォルディス様、ハンドルは持っておかないと!それと前!見てくださいっ!」
一向にハンドル操作をしようとしない。目の前にはカーブが迫っている。堪らずユイは横から左手を伸ばしてハンドルを掴もうとした。
「問題はないと言っているではないか」
「何がですか!大アリです!」
ラウルは伸ばしたユイの手を掴み、ハンドルを掴ませようとしない。
「よく見ろ。どこに問題が?」
「…え?ウソッ、なんで?!」
車は緩やかにカーブを始めた。誰も操作していないのに、勝手に微調整を続けるハンドル。
「これって自動運転機能付いてたの?」
「そんなものは付いていない」
「でっ、でもっ!勝手に動いてる…」
ラウルはまだユイの左手を掴んだままだ。そのまま手の平を上に向かせて見つめる。
「あの射撃を見れば、この左手のマメも納得だな」
「え…」
一瞬固まるも、急いで手を引っ込めるユイ。そんな行為には何の意味もない。つい今しがたコルトを構える姿を見られているのだから。
しばし俯いたユイだったが、ここは開き直る事にした。
「…フォルディス様こそ何者ですか?まさか人間じゃないとか!この力といい…さっきの家の窓ガラス!防弾仕様の強化ガラスが、あんなふうに弾け飛ぶなんておかしい」
自分が貫通させた弾のせいとも思ったが妙だ。強度が落ちて割れはしても、かなりの衝撃を加えなければ起こりえない。
あの時、ガラスに触れている者はいなかった。
「それと、どうして私達に一度も弾が当たらなかったのか。あの家の人達が全員下手クソだったなんて思えない」
「他には?」
「フォルディス様を縛っていたロープも、いつの間にか外れてたし…」
困惑するユイを試すように続けさせるラウル。「もっとあるだろう」
「ええそう!あの夜の車の爆発も説明がつかない。あなたが何かしたとしか…」
「そうだと言ったら信じるか?」
「それは…」
素直に頷く事はできない。こう見えてもユイは夢見る少女ではない。むしろ現実主義者だ。
「まず最初の質問だが、私はれっきとした人間だ。弾が当たれば死ぬし、毒を盛られて死ぬ事もある。病にも罹る」
「でも!」
「あの時弾が当たらなかったのは、私がシールドしたからだ」
「シールド?どういう事…」
聞き慣れない言葉に首を傾げるユイ。ラウルは構わず続ける。
「それからガラスだったな。あれは意図してやったものではない。恐らく、私が怒りに任せて発した圧に耐え切れずに弾けたのだ。おまえの放った拳銃の弾が作った亀裂の影響で、あのように容易に砕けたのだろう」
「圧って…気、みたいなもの?」
「そう思ってくれればいい」
高音を発してガラスを割るという共振現象や、何らかの圧力により驚異的パワーを生む衝撃波というものもある。触れずに破壊する事も不可能ではない。
――いや、だからってさ?――
ユイが否定しかけた時、ラウルが結論に達した。
「私はエスパーなのだ」
「は?エスパー、って、超能力者って事?」
「そうだ」
「またまたぁ~!そんな真顔で、フォルディス様ったらご冗談が過ぎますよ?」
「冗談などではない。ここまで見せても信じないか」
誰も操作していない車は、相変わらず正確な軌道で進んでいる。それを思い出して固まるユイ。そんな表情を逃さずチェックするラウル。
――果たしてこの女はどんな反応を見せるのか…――
これまでの女達は、これを知るとたちまち顔を引きつらせ、化け物を見るような目に変わった。中にはかなり気を許した女もいたが、決まって自分から離れて行った。
だからこの時も、ラウルは何の期待もしていなかった。きっとこの女も離れて行くのだろうと。
「どうせなら、ヴァンパイアだ!とか言ってほしかったなぁ、個人的には?」
突如日本語で零したこんな言葉。ラウルには通じていない。
「今何と言ったのだ?」
「…ただの妄想です」
このルーマニアの地であれば、ルックス抜群の容姿から言ってもその方がしっくりくると思っただけの事。それこそ絵空事である。
「おまえも、私が怖いのだろう?正直に言ってくれ」
「え?怖いかって聞かれると、別に。でも、本当にそんなのあるのかなって…イマイチ信じられないっていうか…」
困惑の極みだ。超能力イコールマジックと認識していたため、実際にあるなど考えた事もない。
だが、どう考えてもこの自動運転はマジックではなさそうだ。
「もう一度聞きますけど、ホントにこれ、自動運転機能付いてないんですか?」
「そんなに疑うならば、自分で調べるといい」
「…いいです」
車は引き続き静かに進んで行く。心地の良いカーブが続き、疲労も相まって段々とユイの瞼が落ちてくる。
秘密が暴かれた事で、ユイは不思議と安堵していた。少なくとも、もう演技しなくても良いのだから。
そしてエスパーだと名乗ったラウルへの恐怖心は、今はなぜか湧いて来ない。
――あの夜の爆破シーンを見た時は、あんなに戦慄が走ったのに?…変なの――
それはあの時のような殺気が、今のラウルからは感じられないから。
実際にラウルは穏やかな気持ちだった。否定されなかったのは初めてなのだから。
「おまえも疲れただろう。屋敷まではもう少しかかる。眠っていなさい。着いたら起こす」
掛けられた言葉に返事もせず、ユイはまどろみの中に意識を沈めて行く。
ラウルはその左手にもう一度触れる。無抵抗のユイに気を良くして、そっと手を握ってみる。
――本当に私を恐れてはいないようだ。不思議な女だ――
無防備な姿で静かに寝入るユイをひたすら見つめ続ける。なぜかそれだけで満たされる。他人の寝顔など、これまで気にして見た事など一度もないというのに。
ラウルに新たな感情が芽生え始めていた。
沈黙の中、車はスムーズに進む。
不意にラウルの携帯電話が鳴った。
「…ダンか。どうした」
『ラウル様、取り急ぎ報告が。今は屋敷ですか?』
本来本日の外出はこんなに長くかかるものではなかった。ただ花を買いに街に出ただけなのだから!
「いや、移動中だ。構わん、話せ」
『はい。女の素性が判明しました。ついては一刻も早く拘束を!』
「…どういう事だ」
・・・
屋敷に到着した時には、すっかり日が暮れていた。
拉致されたはずのボスがひょっこり帰って来た事で、屋敷は大騒ぎとなる。
「ボス!良くぞご無事で!」
「…ああ良かった!でもなぜ…??」
そして助手席で寝入るユイを見つけ、さらに驚く。
「ユリ様?なぜボスとご一緒に?これは一体…」
「もしやおケガでもされているのですか!」
止めどない心配の声に、ラウルは無言で手を上げる。その合図一つでこの場は一瞬にして静まり返った。
「ケガは掠り傷程度だ。医者は必要ない。ユリは私が部屋に運ぶ。詳細は追って知らせるが、今回の件について今すぐ報復の必要はない。向こうの頭はすでに仕留めた」
「おおっ!さすがは我らがボス!仕事が早くていらっしゃる!」
ラウルは一息に説明してからユイを抱き上げた。とても軽い。
――仕留めたのはこの女だが。それにしても、これがあのユイ・アサギリとは…――
先程のダンからの報告で判明した事実だった。
マフィアの世界ではそれほど有名ではないが、射撃を得意とするラウルはたまたま耳にした事があった。
裏社会で知らぬ者はないミスター・イーグルという殺し屋と、互角にやり合った女という事で名が広まったスナイパー。
まさかそれが、こんな少女のような容姿とは誰も思うまい。実際に彼女と会った人間は少なく、噂だけが飛び交っている状況なのだ。
――トレードマークは愛用銃のコルト・コンバットパイソン、か――
すでに車内でそれも確認した。そして、あの射撃の腕を目の当たりにしたラウルだからこそ納得できる。
部屋に入りユイをベッドに寝かせる。どこまでも無防備な寝顔が、ラウルはさらに気に入った。こんな状況にも関わらず、呼びかけても揺すっても起きないのだ。
かなりの度胸の持ち主ではないか。
「この状況で拘束の必要などないだろう?ダン!」
しばし寝顔を眺めてから、ユイの身に着けるコルトに手を伸ばす。
「ユイ・アサギリ。これは人質として預かっておく」
ラウルは小振りの回転式拳銃をポケットに突っ込むと、静かに部屋を出て行った。




