第6章のちょっと前「千客万来で嬉しいけど、今はちょっとそっとしておいてほしい勇者」①
「へっくち!」
「きゃっ!」
廊下掃除をしていて、ふとくしゃみが出た。
それもそのはずで、季節は既に十二月を迎えていた。
天使のあの一件から一週間、次第に朝晩が冷え込むようになってきて、空気も乾燥してきているように思う。
今朝も起きたら喉が痛かったし、ちょっと悪い傾向にあるのかもしれない。
そしてそのせいで、たまたま近くを通りかかったミーアちゃんを驚かせてしまったようだった。
「あ、驚かせちゃってごめんね。大丈夫?」
「うん、だいじょうぶ。えっと、香澄ちゃん。風邪ですか?」
「うーん、やっぱり風邪かなぁ」
今日は幸い日曜日。ガルムの練兵は無しなので、仕事を早めに片付けて、午後はゆっくり過ごそうかと思っていたところだったのだ。
呪いの人形の一件のときに『ジョン君寵愛連合』の代表として話を聞かせてもらって以来、ミーアちゃんには仲良くしてもらっている。
ちょこちょことして、ときどきおどおどした頑張り屋さん。小動物系といったかんじで、仕草を眺めているとなんだか和むのだ。
そんなミーアちゃんだが、
「いいなぁ、風邪……」
ぽそりと、そんなことを呟いた。
「えっ? 風邪ってそんなに良いものじゃないよ?」
「そ、それぐらいは分かるのですぅ。ですけどわたし、生まれてから一度も風邪を引いたことが無いんです。みんなに話したら、『ミーアは馬鹿だからなぁ』なんて笑われて。みんな酷いのですぅ……うぅ……」
「ほらほら、泣かないの。大丈夫よ、大丈夫! イチゴとミルクもこの前風邪引いてたし、『馬鹿は風邪引かない』なんて迷信よ、きっと」
「ミーア、いい子だから泣かないもんですぅ……ぐすっ……」
「そうそう。ミーアちゃんは泣くの我慢して偉いね」
わたしがミーアちゃんの頭を撫でてあげると、ミーアちゃんはくすぐったそうに「ふにゅぅ」と声を上げ、
そして、ぴょこんと。
ミーアちゃんの頭の上にウサギの耳みたいなものが飛び出してきたのだ。
「……ん、ケモみみ?」
「ふにゃぁ!」
興味本位で触ってみたら、ミーアちゃんが可愛い悲鳴をあげる。
「まさか、本物?」
ヤバい……うん。すっごいかわいい!
「ミーアちゃん、耳は良いほう?」
「えっと、たぶん、はい」
「好きな野菜は?」
「ニンジンです」
「寂しいのは?」
「嫌いです。考えただけで死んじゃいます……」
ウサギだぁ!
うさぎちゃんだぁっ!
しかも、よく見ればミーアちゃんの肌は白く、瞳はきれいな赤い色をしている。
小さく首を傾げる仕草が、雪ウサギのように見えてくる。
ヤバい。後ろから抱っこしたいっ!
そして何より、ケモみみもっと触りたいっ!
「ね、ねぇ……そのミミ触ってみてもいい?」
「えっ、その……恥ずかしいです」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」
「うぅ……でも、くすぐったいですし……」
だけどわたしは、ここで諦めるわけにはいかなかった。
据え膳食わぬはケモミミファンの恥!
わたしは職権乱用での処罰を覚悟した上で、意を決してわたしは言った。
「食料庫にあるニンジン百本あげるからっ!」
「何万回でも好きなだけ触ってくださいっ!」
ガシッ!と、互いに手を握り合う。
「ふっふっふ……そちも悪よのぉ?」
「いえいえ、香澄さんほどでは」
今まで見たことが無いほど、ミーアちゃんの目は輝いていた。
そしてここに、ウサミミニンジン同盟が結成された。
柔らかくてふわふわなケモみみを堪能して、とっても幸せな気分のまま迎えた午後。
ミハエルが掃除しているわたしを見て声を掛けてくれた。
「香澄さん。脳みそが蕩けたような締まりの無い顔のまま、日頃の三倍速でテキパキと仕事をこなすあなたは非常に気味が悪いので、いつもの駄目人間に戻っていただけますか?」
「え、ちょっと無理かも♪ ウサミミに幸せをもらったわたしは無敵なのですぅ。今なら四倍速も五倍速も楽勝なのよ~」
「本当に五倍速にならないでください。台所の天使を彷彿させるその動きのせいで、僕の元にクレームが来ているのです」
「台所の天使だななんて、そんな大げさなぁ♪」
「ああ、人間は『聖なる』的な言葉と『邪悪な』的な言葉が逆になるんでしたね。ゴ○ブリのことですよ。今のあなたはどちらかというと衛生益虫ではあるようなので、例えるならアシダカグモあたりの不快害虫のほうが適当かもしれませんが」
「そんなぁ♪ もしかして褒められています?」
「頭を冷やせと言っているんです」
ぽいっ。
ドボンッ!
三階の窓から噴水目掛けて放り投げられる。
ミハエルは翼を広げて水浸しになったわたしの横に降り立つと、ため息混じりに言った。
「落ち着きましたか?」
「はい……すみませんでした」
「年末の大掃除張りに城内の半分以上を磨き上げてくれたようですし、今日はもう十分です。部屋に戻ってゆっくりとしていてください」
「……あんたが優しいと気持ち悪い」
「言い換えます。目障りなので自室で謹慎しなさい、ゴキ女」
「うぅ……やっぱり優しい方がまだマシかも」
「あなたは人の優しさを何だと思っているのですか?」
ミハエルに「ハウス!」と言われて、仕方なくとぼとぼと玄関へ向かう。
しかしその途中で、わたしは奇妙な光景を目にしたのだ。
ガサガサ、ガサガサ……
すっぽん!
「ん?」
魔王城の敷地の端辺り。
そこで木が不自然に揺れたかと思うと、その木がゆっくりと倒れていくのだ。
しかも、それなりに高い木が倒れたはずなのに音はしない。
わたしは不思議に思って近寄ってみると、そこには木の幹にしがみついているミーアちゃんの姿があったのだ。
ガサガサ、ガサガサ……
すっぽん!
「えっ、嘘……」
ミーアちゃんは自分の腕が半分しか回らないほどの木を何度か揺らしたかと思うと、根っこごとその木を地面から引き抜いていたのだ。
「あ、香澄ちゃん。おつかれさまです……って、びしょ濡れです! どうしたんですか!?」
「ちょっと五倍速で掃除をしたら、三階の窓から噴水に捨てられちゃってね」
「………………はい?」
「まぁそういう反応になるよね……ところで、ミーアちゃん、何してるの?」
ミーアちゃんは自分の身長の何倍もある木を地面にゆっくりと置くと、手についた土を払いながら言った。
「ガルム様が練兵で使うと言うので、木を十本ほど引き抜いていたんです」
「うん……えっ? その大きな木を、素手で?」
いや、さっき実際に見たんだけどさ。それでも信じられなくて、ね。
「あの、えっと、わたしの魔法は自分の身体とか触ったものを強化することしかできないのですけど、こういうお仕事はちょっとだけ得意なんです」
「へ、へぇ……本当だ、本当に十本も抜いてある」
「まぁ、大したことはできないんですけどね。とりあえず後は運ぶだけなんです」
そう言いながらミーアちゃんは、右手で一本、左手で一本、抜いた木を丸ごと軽々と持ち上げると、「ちょっと練兵場に運んできますね」と、ぴょーんと数メートル跳んで行ってしまった。
わたしも手と足に光の粒子を通わせて持ち上げてみようと試みるが、両手で挑戦してもびくともしない。ましてや持ち上げるなんて不可能だった。
ここから練兵場ということは、この城の敷地の端から端だ。
だというのに、一分もしないうちにミーアちゃんは戻ってきた。
そして疲れた様子も無く、また木を二本持ち上げてぴょんぴょん行ってしまう。
時間にして約五分。
引き抜かれた十本の木は、すっかりわたしの前から無くなってしまった。
「あの、えっと、ただいま?」
「おかえり……ミーアちゃん、パワフルなのね?」
「そ、そんな。大したことないんですよぉ」
「いや。あのレベルの大木を運ぶのって、本来は人じゃなくてダンプカーの仕事だから」
「ん? だんぷかー?」
「戦闘戦車を資材運搬に特化させたバケモノみたいなやつよ」
「うぅ……想像つかないのです」
それにしても、大木が根を張っていた範囲はそれぞれがとても広く、十本分となるとかなりのスペースが空き地になっていた。
「この場所って、何かに使うのかな?」
「えっと、特には聞いてないです」
「じゃぁ、いいものあげるね。ちょっと待ってて」
わたしは食料庫の脇に隠してあった野菜の種のうち、ニンジンの袋を手に取ると、再びミーアちゃんのところに戻る。
「ニンジンの種よ。春ぐらいに植えると、三ヶ月ぐらいで収穫できるの」
「わぁ! 香澄ちゃん、ありがとうですっ! えっ、でもでも、もらっちゃっていいのです?」
「まだ残ってるから大丈夫よ。シモンに見つかる前に、この場所を……へっくち!」
「香澄ちゃん、大丈夫です? やっぱり風邪が……」
「無問題よ、これぐらい。わたしも手伝うから、早く耕しちゃいましょ」
種を持ってくるついでに運んできた鍬をミーアちゃんに渡すと、わたしたちは土を耕して畝を作り、『ウサミミ農園』という看板も立てた。
途中で頭が痛くなってきたりもしたが、ミーアちゃんの希望に満ちたキラキラとした目を見ていると、まだまだ頑張れる気がしたのだ。
だけど……
「……あれ?」
ふと、一瞬意識が遠くなり、気が付けばわたしは地面に倒れていた。
「きゃぁっ、香澄ちゃんっ。香澄ちゃんっ!」
どうやら本格的に風邪をこじらせたようだった。
ミーアちゃんに肩を貸してもらって、わたしは部屋のベッドで横になったのだった。
またもやお待たせしてしまってごめんなさいっ!
待っていてくださったみなさん、ありがとうございます!
これからもよろしくおねがいします!






