第4.8章「外伝・銀色の勇者」⑬
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「……遅い」
夜十時。菫は二階の自室で一人、そう呟いた。
以前は香澄と一緒に使っていた、今は菫一人だけの部屋。香澄は生きていると聞かされていても、やはり寂しく思ってしまう。
そんな心細い中、菫は自分が送ったはずのメールのメッセージを眺めていた。
『変態勇者 死ね』
短い文面。
クロウと最近はほとんど会話もできず、自分が相手にされていないような気がして苛立っていた矢先、クロウがいかがわしい店から出てきたのを目撃してしまって、感情に任せて送った一文。
けれど冷静になって考えれば、組の仕事でお店に立ち寄っただけなのだと容易に想像はついた。
悪いことをしたかな? 嫌われたかな?
そんな不安が、時間が経つにつれて、別の不安に変わっていく。
「クロウ……何かあったのかな?」
父の秋桜もまだ帰っていない。これぐらいの時間に戻らないのも珍しくは無い。
けれどクロウは井上組の組員で、今は別の組と抗争中なのだ。
「ごめんなさい……だから、早く帰ってきて……」
そう呟いたとき、玄関の扉が開いた音が聞こえた。
もしかして、クロウ……帰ってきたんだ!
泣きそうになってしまっていた目を擦って、菫は階段を駆け下りた。
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「えっ、嘘……」
激痛に意識が朦朧とする中で、クロウは菫の声を聞いた。
井上家の玄関に運ばれたクロウは、菫の顔を見上げる。菫の顔は驚いているというより、今にも泣き出しそうに見えた。
「ごめんなさい……」
菫がクロウに謝る。
床に膝を着いて顔を俯かせる菫が何に謝っているのか分からない。
それでもクロウは、菫の頬に手を伸ばした。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「大丈夫……俺は大丈夫だから」
気の利いた言葉が出てこなくて、何と言っていいのか分からなくて、
けれど目の端に大粒の涙をためている菫を放っておけなくて、
だからクロウは力の入らない腕で菫の身体を抱き寄せる。
「帰ってこないかと思った……」
ぽつりと、菫が呟く。
「そんなこと無いよ……僕はどこにも行ったりしないから」
「嘘。こんな大怪我して、そんなの信じられないもんっ……」
「そうだね……心配掛けてごめん」
「してないもんっ、心配なんかして無いもん馬鹿っ……うわぁぁぁぁぁんっ!」
クロウの服にしがみ付いて、菫は大声を上げて泣いてくれた。
菫が時折呟く「馬鹿」という言葉を、とても温かく感じた。
瑠璃花が聖剣の鞘を持ってきてくれて、クロウは靴箱に背を預けたまま、そこで自分の身体を癒した。
目が覚めたときには朝になっていて、そこにはクロウの肩に寄りかかって眠っている菫の姿があった。
「もしかして、一晩中ここにいてくれたのかな? ありがとう」
菫の服にも髪にも、クロウの血が付いてしまっている。それを申し訳なく思う反面、そんなことを気にせずに菫がずっと自分の傍にいてくれたことが嬉しかった。
「僕はどこにも行かない。絶対に帰ってくるから」
この世界にいる間は、という言葉は吞み込んだ。
クロウは勇者だ。
むこうの世界でやり残したことがあり、決着をつけなくてはいけない相手がいる。
魔王――シモン・ガルガンチュア・ディアボロス。
向こうの世界で人間の国を恐怖に陥れている、元凶たる人物を倒すことだ。
だから、
「嘘。いつかは向こうの世界に帰っちゃうんだよね?」
そう菫に言い当てられたときは、内心ドキリとした。
「菫、起きていたのか……」
「うん……ごめんなさい」
「いや、謝ることでもないけどさ……」
「ねぇクロウ。聞いてもいい?」
菫はどこか戸惑いつつも、大切な話をしようとしているように感じた。
だからクロウも、真剣に「構わないよ」と菫の目を見て答える。
菫は「もしかしたら失礼なことなのかもしれないけど」と前置いて、それでもクロウのことを真っ直ぐに見据えて言った。
「勇者って、そんなに大切なことなの?」
「えっ?」
分かりきった質問のはずなのに、言葉に詰まる。
魔王は勇者にしか倒すことはできない。それはクロウにしかできないことだ。
だから、あちらの世界の人間を救うことができるのは、クロウしかいないはずなのに。
「勇者って何をするの? 魔王を倒せば、クロウの世界は平和になるの? お姉ちゃんみたいに前触れもなく消えちゃう気がして、ときどきすっごい怖いの……」
温かい指の感触。クロウの手が握られる。
そして菫は、縋るようにクロウに言ったのだ。
「もしそれが全部終わったら、クロウはまたこっちの世界に帰ってきてくれるんだよね?」
「ああ、約束する。そのときはまた、菫の元に帰ってくるよ」
それは、本当に守れるか分からない、不確かな約束だと自分でも気付いていた。
元の世界に戻れるかも、魔王を倒せるのかも、その後にもう一度こちらの世界に来れるのかも分からない。
けれどそれでも、クロウは菫の手を強く握り返す。
菫の傍にいたいと、クロウはそう思ってしまったのだ。
「でも、俺がこっちにいると、お姉ちゃんと会えなくなるけどいいのか?」
意地悪な質問だと思いながら、クロウは菫に言う。
「あ、それは困るかも……じゃぁクロウは週二日ぐらい?」
「そんなっ、せめて半分! 週三日ぐらいは期待してたのに!」
「そういうこと言うクロウはやっぱり月に一日ぐらいでいいや。毎月お土産持ってきてね」
「何だそれ、酷ぇなぁ……」
お互いに照れ隠しだと気付きながら、クロウと菫は笑った。
けれど、同時に思う。
菫の傍に居たいと思った気持ちは本物だった。
そして、菫がクロウに言ってくれた言葉も、本心だったのだと思う。
だから、少し甘えてしまっている自覚がありながら、クロウは聞いた。
「なぁ菫。俺がもし人を殺したら、お前は俺を軽蔑するか?」
「ううん」
菫が首を横に振る。
こんな家に生まれたから、そういう人もそういう話もよく知っていると。
どうしても殺さなければ収まらないことがあると、菫もよく知っていると。
そう言って、けれど菫はこう続けたのだ。
「だけどクロウにはそうして欲しくないから、たぶんすっごい怒ると思う。でもそれで、クロウのことを嫌いになったりはしないから」
「そっか……」
もしクロウが誰かを殺めたら、きっと菫はそれを悲しんでくれる。
だからクロウは、人を殺すことは絶対にしないと心に誓った。
※IF無駄話※
香澄 「あんた、菫を泣かせたわね?」
クロウ「うっ……いや、でもあのときは俺も精一杯で」
香澄 「どうせ無茶な喧嘩でもしたんでしょ? 魔王を倒そうとしてた勇者が、どうやったらそっちの人間相手に深手なんて負うのよ? 相手はヤクザって言ってもオッサンでしょ?」
クロウ「相手はその……拳銃を持った百人のオッサンだったんだ。それに素手で殴りかかって……」
香澄 「馬鹿じゃないの!? そういう時ぐらい逃げなさいよ!!」
男には退けない時があるのです。
若頭が意気揚々と特攻しちゃってるときとか……ね。






