第5章「天使と勇者」⑲
馬の足音。頭が揺れる。
目を覚ましたときには、景色が走っていた。
「痛っ――――――」
腹部の激痛で、何があったかを思い出す。それでも身体はまだ自由に動かなくて、わたしは唇を噛んだ。
どうやら森に囲まれた道を走っているようだった。
わたしの身体は細く白い腕で抱えられ、見上げるとそこには必死な顔のクリスがいた。
クリスがわたしを脇に抱えて、馬を走らせているようだった。
「……クリス、助けてくれたの?」
「目が覚めたんですね。ですが、まだ助かったとは限りません。とにかく少しでも遠く、聖都から離れますよ」
「えっ、ジョンは? あのあとどうなったの?」
「後にしてください。手綱を握りながら治癒をしているところなので、わたしにも余裕が無いんです」
「そうはいかないって! ねぇ、ジョンはどうしたのよ。聖都はどうなったの!?」
沈黙。クリスの表情は見えない。
背後からドォンと何かの爆ぜるような音がした。聖都の方からだ。
「ねぇ、何が起こってるの? クリスっ!」
「……今、天使は聖都の殲滅を行っています。本当に聖都の人間全てを滅ぼすつもりです」
「ジョンは?」
「聖都に残りました。天使が人間を滅ぼそうとするなら、自分はここに残ると」
それってつまり、ジョンも今、聖都の人間を殺しているってこと?
やがてクリスは舌打ちする。
わたしにではない、ジョンに対してだ。
『僕も、人間が嫌いなんですよ』
そう言ったジョンの顔が、頭に残って離れない。
もしかしたらジョンは、こうなることが全て分かっていたのかもしれない。だから今も、ジョンは聖都で天使に加担しているのだ。
「駄目だよ、そんなことジョンにやらせちゃ駄目っ! クリス、聖都に戻って! ジョンを止めないと!」
「そんな身体で何を言ってるんですか! わたしが治癒をしなければ、死んでもおかしくない深手だったんですよ! それに聖都には天使もいるんです。例え怪我が無くても、わたしたちに何ができるって言うんですか!?」
「それでも戻らないと!」
「聞き分けてください。戻ったところでわたしたちにできることはもうありません」
「分からず屋はどっちよっ!」
わたしはクリスの腕を振りほどく。走っている馬から投げ出されたようなものなので、地面に落ちて数回転がり、木に背中を打ちつけた。
それでも何とか立てると、ここから少しずつでも歩いていければと思っていた。
けれど違った。
頭がふらつく。視界が歪む。腹は傷が開いたようで、再び激痛に襲われる。
わたしはその場から一歩進むどころか、立ち上がることさえできなかった。
「……クソっ、」
行かなきゃいけないのに。
止めなきゃいけないのに。
ジョンは優しい子だ。
魔王軍の幹部なんて肩書きを持っていても、例えわたしより絶大な力を持っていたとしても、それでもまだ十二歳の、心優しい一人の男の子のだ。
魔王城で味方が誰もいなかったとき、最初に味方をしてくれたのがジョンだった。
いつも気付けば、わたしの味方をしてくれていた。
きっとわたしだけじゃなく、誰に対してもそうなのだろう。
そんな男の子だからこそ……
「止めないと……」
自分が魔族だからって理由だけで、相手が人間だって理由だけで、今まで会ったことも話したこともない人を恨むのは間違ってる。
「ジョンに人殺しなんて、させちゃ駄目なのに……」
「香澄さん。あなた、何を言っているのですか?」
「え?」
馬から降りてきたクリスが、わたしの前に立っていた。
そしてクリスは聖都の方を指差すと、こう続けたのだ。
「ジョン君は今、天使と戦っているんですよ」
「それってつまり、ジョンが天使を止めようとしてるってこと? どうして……だってジョンは『人間が嫌い』って……」
「そういえば言っていましたね。もしかしたらあなたには聞こえていなかったのかもしれませんが、そのあとこう言っていたんですよ。
『だけど、香澄さんなら天使を止めると言うと思っていました。ここは僕が引き受けますから、巻き込まれないように聖都から離れてください』と」
「それって、つまり……」
「ジョン君があなたに怪我を負わせたのは、わたしと香澄さんを聖都から遠ざけるためです。ジョン君は今も、あなたのために聖都で戦っているんですよ」
「………………」
それは、安心した以上に嬉しく感じた。
ジョンは本当に、心の優しい男の子だったのだから。
「でも、天使って魔族の天敵なんでしょ? それって危険なんじゃ……」
「ええ、そうです。だからあなたに傷を負わせて、わたしが聖都を離れざるを得ない状況を作ったんです。でなければわたしも今頃……」
「……クリス?」
「な、なんでもありませんっ!」
「ふふっ……痛っ、」
「こんな身体で笑うからですよ。今治癒を掛けますから……ん?」
「香澄ちゃん、伝えたいことがあるのです」
そのときひょっこりと、わたしの腹の上にプチが一匹、よじ登ってきたのだ。
「3号。どうしたの?」
「香澄ちゃんはもう、自分の身体は治癒ができるはずです。魔力での治癒より、そちらのほうが早いと思います」
「え? わたしが?」
「香澄ちゃんは、その腕輪とすでにリンクできているから、やればできる子なはずです」
「やればできる子って……」
……そういえば、わたしは魔力は持っていないはず。
ずっと左手のミサンガにジョンが込めてくれた魔力で、盾を作れたりしていると思っていたんだけど……でも確かに、ミサンガを身体の一部みたいに、繋がっているように感じているのも事実だった。
「わたしは、どうしたらいいの?」
「怪我をしたお腹の部分を、自分の身体だと強く意識してください。皮膚の輪郭を想像するようにするといいです」
「……やってみる」
目を瞑る。
真っ暗な世界に自分の身体が浮いているよな感覚になる。
ここが手……ここが足……指の一本一本まで、少しずつ自分の輪郭が浮き上がってくるような気がする。
次第に皮膚を覆っていく、静電気のようなチリチリとした感覚。ぼんやりとした光がわたしの輪郭に沿って見えてきて、次第に身体の隅々まで小さな光が通いだす。血管と違って真っ直ぐに走っては折り返すそれは、わたしの頭から首を通り、胸あたりから全身へと広がっていく。
「怪我をしていない状態を想像して、そうあるべきだと思い込んでください」
「ん……」
身体を走る小さな光を、腹部の傷を越えて反対側へ通わせるイメージ。目の奥で次第にその光景が作られていくと同時に、少しずつ痛みが和らいでいくのが分かった。
しばらくして目を開くと、お腹にできていたはずの大きな傷は、跡形も無くなっていた。
「えっ、嘘……これわたしがやったの!?」
「わたしは何もしてません。香澄さん、あなたが自分で治したんです」
クリスはそう言いって、ハンカチを魔法で出した水で濡らして渡してくれた。
わたしは「ありがと」とお礼を言って、手や顔についた血を拭き取る。
「そういえば3号。他の六匹はどこにいったの?」
「聖都でジョンさんと一緒に残ってます。かなり苦戦をしているみたいです」
「ちょっと待って。あんた、聖都の様子が分かるの?」
3号が頷く。
理屈は分からないが、3号には他のプチ達が見ているものが共有されるらしい。
とにかく今大切なことはひとつ。
それは、ジョンが今ピンチだということだ。
「行くのですか? 危険だと知りつつ、それでも」
わたしはクリスに頷く。
「ジョンが危ないんでしょ? だったらこんなところでじっとなんてしていられないじゃない」
「やっぱりあなた、馬鹿ですね」
そしてクリスはわたしの手を引き上げると、笑ってこう続けた。
「そしてわたしも馬鹿です。後ろに乗ってください、急ぐので少々飛ばしますよ」
「ええ。頼んだわよ、クリス」
馬の鞍に跨ると、聖都へ向かって再びわたしたちは走り出した。
ジョン君、やっぱり優しい子でした!
次回、ジョン君視点で天使と戦います!
そして香澄もとうとう能力開花!!(?)
いや、ワイト戦で盾の形を刃に変えて戦っていましたね、そういえば。
香澄が使った力は魔力とは別物です。詳しいことはまだ内緒です。






