第5章「天使と勇者」⑰
「香澄さん、クリスティさん。昨日はどうもありがとうございました」
「ワイト大司教……」
「きちんとお礼もできずに、すみませんでしたね」
ワイトはそう言って優しげに笑う。
どうしてこの光景を前にして笑っていられるのかが、わたしには理解できない。
子供達に向けていたのと同じはずの笑顔はもう、醜悪なものにしか見えなかった。
「お察しの通り、ここが天使を降臨させた場所です。木、火、土、金、水、それぞれの魔力を含んで生み出された血をひとつの肉体に取り込ませて、再び魔力として精製させました。方法は……」
「六体の身体の中に高純度の魔晶石を埋め込ませたんですね。五属性の魔晶石を埋め込んだ体で精製された血を、無属性の魔晶石を埋め込んだ『天使の器としての肉体』にする予定の少女に、無理矢理飲ませたんでしょう? 違いますか?」
ジョンの言葉に、ワイトが頷く。
「ええ、仰るとおりです。直接体内で十分な量の魔力を精製できる魔族なら話は別ですが、それ単体では意味を成さない無属性の魔力しか持たず、術によって属性を後付し、大気中のマナを上乗せするしかできない人間には、この方法しかないのですよ」
……この方法しかない?
こんなのが正しいやり方だって言うの?
「ですが、これであなたも終わりですね」
クリスが言う。
「目的が何であれ、あなたは五人もの人間を殺めました。人間の国の法で照らし合わせれば、あなたはただの罪人なのではないかしら?」
「いえ、そうはならないのです」
ワイトが答える。
「ここにある身体はすべて、旧魔族領に住む者達のものですから」
もう嫌だ。こいつの言葉は聞きたくない。
「この国には彼の者たちを差別するような法も無ければ、守る法律も、そして人として扱う法律もありません。そこに送られたのは、市民権と戸籍を剥奪された者達ですから」
ふざけてる……
例え法で守られていなくたって、彼女達は人間だった。
泣いて、笑って、当たり前のように日々を生きていたはずなのに……
「ですから、そもそも照らし合わせる法というものが……」
「もう、黙ってよ……」
頭が痛い。
怒りでおかしくなりそうだった。
わたしは立ち上がると、拳を握ってワイトへと駆けた。
床を蹴る脚力が何倍にも感じた。一瞬でワイトとの間合いが詰まる。振り上げた拳はワイトが後方に跳んだため空を切る。ワイトが無数の魔力の弾を放ってきたので、小さく手の甲に盾を張って払い除けながら直進した。
こんな奴、生きていちゃいけない。
こんな奴が、赦されちゃいけない。
こいつは絶対に殺してやる!
放たれる光弾は全て、左手で払った瞬間に消滅する。数えるのも億劫で、ただ進むのに邪魔なものを掻き消して、最後の一発をかわしたときには再び間合いは詰まっていた。
右手の拳でワイトを殴る。
同時、振りかぶった左手の先には剣のように長く鋭く形を変えた盾が伸びていて、だからわたしは床に倒れたワイトの首に左手を振り下ろした。
許せなかった。
理不尽だと思った。可哀そうだと思った。
もっと世界は優しいと思っていた。人間は優しくできると、そう思っていた。
リナはパン屋になりたいと言っていた。好きなパンを一緒に食べるだけで笑ってくれた。
虐げられ、貶められても、それでも世界に希望を持って生きていたのに!
ここにいた五人だって、そうだったかもしれないのに!
それなのに全てをこいつが奪った。
こんな奴が、馬鹿みたいな理由で、彼女らの全てを奪ったんだ。
こんな奴、死んで当然なのに……
「ねぇ、どうして止めるのよ……」
わたしの手を止めたのは、クリスだった。
「クリス! あんただって人間を恨んでたでしょ、殺したいって思ったでしょ!? なんであんたがわたしを止めるのよっ!!」
「香澄さんが、人間を恨むべきではないからです!」
「ふざけないでっ! こんな奴、生きてて何になるって言うのっ!? 罪もない人をこれだけ殺して、何でこいつが生きてるのよっ! 納得できないっ、どうしてこんな奴を庇うの!? 殺させてっ、わたしにこいつを殺させてよっ!!」
「駄目ですっ! 香澄さんに人間は殺させませんっ!」
「何でっ、なんでよぉぉっ!」
わたしは左手を大きく引く。魔族の腕力に抑えられて、本来ならばびくともしないはずのそれは、クリスの身体を大きく傾けた。右手をクリスの腰へと伸ばし、わたしはポケットからナイフを抜き取った。自分でも驚くほどの手際で、それはクリスが反応できないほどの速さだった。
ナイフの鞘を捨てると、わたしは右手をワイトの喉元へと振り下ろす。
柔らかいものを掻き分ける感触。
生暖かい液体が頬に飛び、指を濡らした。
それでも、怒りに任せて振り下ろしたはずのナイフは、ワイトの首には届いていなかった。
「えっ……どうして……」
ゆっくりと、血の気が引いていく。
わたしがナイフで貫いていたのは、クリスの左手だったのだ。
「そうですね……これはわたしのわがままです」
痛みに顔を歪ませながら、クリスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「人間を恨んでいたわたしに、教えてくれたんです。人間にも優しい人がいるって。悪い人間ばかりじゃないんだって……そう気付かせてくれたんです」
「そんな……わたしは何もしてない……」
「いいえ。香澄さんがいてくれたから、気付くことができたんです。あなたは優しい人です。怒っているでしょう。恨んでいるでしょう。だけど香澄さん、ずっと泣きそうな顔をしているんです。本当は、耐えられないぐらいに悲しいんでしょう? 目を背けることもできないぐらい優しいんです。だからわたしは、例え相手が悪い人間だったとしても、香澄さんが怒りで悲しい気持ちを塗りつぶして、ただ人間を恨むのは嫌なんです。そんなところは、見たくないんです……」
「そんなこと言ったって……」
「人間を恨むのは、わたし達魔族の領分です。全部わたしがやります。だから……香澄さんは、香澄さんのままでいてください」
細い指がそっと背中に触れる。
クリスに抱きしめられて、わたしはその腕の温かさに涙が止まらなくなった。
今回の後書きはありません






