第5章「天使と勇者」⑨
「えっと、魔族の国にもお酒はあります。でも、人間は子供のうちはお酒を飲んではいけないのですね。先ほどの対応に、ようやく納得しました」
「人間の子供はどうして飲酒を禁止されているのでしょう? 馬鹿になるとか病気になるとか、そんな迷信でも広まっているのですか?」
「人間は魔族に比べて脆いから、本当に馬鹿にも病気にもなっちゃうのよ……」
わたしはミルクを一口飲む。
ここは酒場の壁際の席。だけどはっきり言って、わたしは気が気じゃなかったりする。
ジョンは大人数に囲まれて落ち着きがない。まぁそれはいつものことだ。
だけどクリスまで、大勢の人間がいる空間で、さっきからずっとそわそわしている。
ジョンのそわそわと、クリスのそわそわは全く異質のものだ。
頼むから何も起きないでくださいと心の中で祈ってみる。
最初は、クリスはもっと冷静な人だと思っていたのになぁ。
潜入捜査だというのに、先が思いやられるんですけど……
「それにしても、クリスがそこまで人間嫌いだったとはね……」
「取り乱してしまったことは謝ります。ですが……」
「イライラするんでしょ? 見てれば分かるって」
「ええ。今この場で全員を八つ裂きにしてしまいたい衝動を抑えるのに必死で……あぁぁぁぁぁぁぁっ、もう、わたしには無理です……」
「堪えてよ、せっかく酒場に入れたんだからさ」
「分かっています。分かっているんですが……」
クリスはもう既に限界が近いようだった。
わたしは仕方なく、奥の手を使うことにする。
「はい、ポンっと」
わたしは鞄の中からプチわたしを一匹取り出すと、クリスの膝の上に置く。
その途端、クリスの手の震えは止まり、表情が和らいだ。
「今の気持ちは?」
「幸せですぅ♪」
「クリスちゃん、いいこいいこ~☆」
「はうぅ~」
あぁ。クリスちゃんかわいいなぁ。いつもこうだったらいいのに。
今度、普通にプチを一個作ってプレゼントしてあげようかな。
「ジョンも一匹いる?」
「いえ、僕は大丈夫です……」
プチを置くかどうかは別にして、本当に大丈夫かな?
というか、顔が真っ青なんだけど……
続いて、料理が届くのだが……
「人間なんかと同じものを口にしなくてはいけないなんて、こんな屈辱……」
「はい、二匹目」
「ふにゃ~ん♪ 癒されますぅ」
「はいはい。好き嫌いせず食べましょうね」
わたしもポテトを一つ摘む。
適当に言ったつもりだったのだが、本当に美味しいや、これ。
それにしても、ずっと耳を欹てていたのだが、目当ての情報はどこの席からも聞こえてこない。
まぁたった数十分で目的の情報が手に入れば苦労はしないのだが、ジョンとクリスにずっと我慢を強いるのも些か気の毒に思うのだ。
と、わたしがそんなことを考えている矢先。
「警邏隊の巡回であるっ! 適正な営業が行われているか視察に参った!」
警官と兵士の中間のような格好をした大柄な男達が四人、酒場に入ってきた。
そして……ヤバい。そのうち一人と目が合ってしまったのだ。
「……む、そこの端の席の三人、未成年ではないのかっ! 未成年飲酒など、下種な魔族が行うことだぞ。貴様らちょっとこっちに来い!」
ちょっと、やめてよっ! せっかくクリスを落ち着かせたって言うのに!
「人間風情が何を偉そうに……もごもごっ!」
「はいはい、いい子だから黙ってましょうね」
「もごごごごごごぉぉっ!」
「大丈夫よ。いいからここは任せてっ!」
わたしはクリスの膝の上に三匹目を置くと、ポテトの皿とミルクを手にとって立ち上がる。
相手はわたしより頭二つ分以上も大きな、体格のいい大人の男性だ。怖くないと言ったら嘘になる。力づくで来られたらどうしようもないほどの対格差だ。
だけど……
「こちとら、友達に無理矢理一週間、メイド喫茶でバイトさせられたことだってあるのよ! 七日間も見ず知らずの男性にネコミミ姿で『お帰りなさいご主人様』と言い続けた、わたしのスマイルをナメるなっての!」
「「?」」
ジョンとクリスが首を傾げる。
まぁつまり、非力な女子には非力な女子なりの戦い方があるということです。
わたしは警邏隊の男達の前へ出ると、笑顔を作る。
「こんにちは、お兄さん。お仕事ご苦労様です」
「お、お兄さん?」
三十台後半であろう男を、わたしはわざと警戒心を解くためにそう呼ぶ。
「わたしは香澄といいます。紛らわしい真似をしてしまってごめんなさい。でもこれ、お酒じゃないんです」
そしてわたしは、警邏隊の一人にグラスを差し出した。
正義と悪、上と下という立ち居地ではなく、話の通じる相手として認識させるためだ。
共通の話題を作るためには、共通のものについて話したり、ひとつのオムライスを囲んでケチャップで儀式を行ったりというのがいいのだ。
「これは……牛乳か?」
「店主さんが、これなら飲めるだろうって、用意してくれたんです。優しいですよね」
「お、おうっ。そうかもな」
「ですよね! あ、よろしければ一口飲んで確認してください。お仕事ですものね」
わたしの反応に、男達は顔を見合わせた。
よし、勝った!
警邏隊の男は飲酒について言及したが、これは正真正銘の牛乳だ。
相手のペースを崩すことには成功した。主導権はもうこっちのものだ。
「そういえばお兄さん、お名前はなんと言うのです?」
わたしは警邏隊のリーダーっぽい人に聞く。
「ああ、失礼した。俺はロザという」
「ロザさんですね。ここのポテト、すっごい美味しいんですよ。これが食べたくてわたしたちもここに来たんです。あ、よかったらおひとつどうですか? 皆さんも、よかったらおひとつ!」
ロザ達はポテトを口にし、「確かに美味いな」と言い合う。
先ほどまでの威勢はもうどこにもなかった。
「ほら、店長。お得意さんゲットのチャンスですよ」
わたしは今度は、近くまで来ていた店長の背中を押してロザ達の前へ連れて来る。
「よ、よろしければ今度、非番のときにでも当店へいらしてください。サービスさせていただきますので」
「ああ、そうだな。機会があれば立ち寄らせてもらおう。邪魔したな」
ロザ達が店を出る。お客さん達もどこか、ほっとした様子だった。
けれどわたしは思うのだ。警察というのは、市民に頼られるべきなのではないかと。
だからわたしは、ロザ達に付いて店を出た。
「……だから、必要以上に市民を脅かす必要はないと思うんです。さっきみたいに酒場に大声で入って行っちゃったら、お客さんも反感持っちゃうでしょ? せっかくお仕事を頑張ってるんだから、善良な市民の味方であったほうがいいと思うんです」
「それはそうだが……」
「大切なところだけビシッと容赦なく締めてくれれば大丈夫です。威厳は十分にあると思いますし、もっと市民が頼りやすくなるべきだと思うんです」
「うぅむ……」
もともとは、ちょこっと言うだけのつもりだったのだ。
だけど気付けばわたしは、道の端っこで四人に説教をしてしまっていた。
日本のお巡りさんって、やっぱり偉大なんだと思います。うん。
そして、酒場に戻ってみると。
「ねぇ僕。お姉さん達がご馳走してあげるわよ」
「あっちで一緒にお話しない? ねぇ、いいでしょ?」
「あ、いや、その、僕は……」
「ああもう、かわいいっ!」
「嬢ちゃん、よかったらこっちのテーブル来ねぇか?」
「旅してきたんでしょ? よかったらお話聞かせてよ?」
「ああもうウザ……じゃなくて、わたしは友達と来てますから」
「いいじゃん、さっきの娘も一緒にさ。ね?」
かわいいジョンと美人のクリスが、酔っ払いたちのお誘いを受けていた。
クリスの膝の上には、既に七匹のプチわたし達が気を利かせて乗ってくれていて、しかしそれでも、そろそろ限界のようだった。
「なんかもう、この酒場に来てからすっごい疲れるんだけど……」
まぁぼやいても仕方が無い。
これ以上ここに滞在するのはクリスの精神衛生上と周囲の人の安全管理上の観点から避けるべきだと判断し、代金を払って、酒場を出ようとしたときだった。
「向かいのパン屋のリナです! 今夜の分のサンドイッチを持ってきたのですが……店主さんいますか?」
そう言って店に入ってきたのは、ワンピースの上にエプロンを着て、その手に白い手袋をした少女。長い銀色の髪をした、わたしと同じぐらいの年頃の少女だった。
わたしは驚きのあまり、言葉を忘れた。
リナと名乗った少女の背中には、大きな真っ白い羽根が生えていたのだ。
天使登場! 天使はパン屋さんです!!
酒場のクリスは書いていて楽しいです。
でもまさか、ここまで壊れるとは……
「最初は、クリスはもっと冷静な人だと思っていたのになぁ」
わたしの本音です。香澄さんに代弁していただきました。






