11:野獣、逃げてます。そこそこ重傷です。
脇腹が痛むほどに全力で駆け続ける。鎧が重い。バレンシア隊長は鎧を着ていなかった。それでも、成人女性ひとりを担ぎながら、山中でこの速さを維持出来る体力は驚異的だ。おかげで腐猪はどうやら撒けたようだ。
「…おい…骸骨面…」
掠れた声を耳が拾い、私はハッと顔を上げた。
「ノーマン隊長!気が付いて…ッ!」
「降ろせ…」
ノーマン隊長は右半身を下に、バレンシア隊長の首の後ろに胴が回る形で担がれている。両足をバレンシア隊長の左腕に抑えられるようにして、右手首を掴まれているため、ノーマン隊長は全く身動き出来ないらしい。血濡れの彼女の左腕はぶらりと垂れ下がって、バレンシア隊長の動きに合わせて上下している。
「基地点に着いたら降ろすよ」
かなり息の上がったバレンシア隊長が、ちらりとノーマン隊長を伺って短く答えた。
「ダメ、だ…このまま戻ったら…腐猪を呼び寄せる…」
「どういうことです?」
「とにかく、一回降ろせ…!」
呻くような声音に、速度を落とす。やがてバレンシア隊長はゆっくりと止まり、私は彼の背後からノーマン隊長を受け取った。3人分の荒い息が木霊する。
ノーマン隊長が私に身体を預けながら、土を鷲掴み、左腕に塗りたくろうとし始めた。私はそれを咄嗟に止める。
「何をするつもりですか!」
「この、黄色いの、落とさねぇと…」
「止めておくんだね」
「…ああ?」
まるで毛を逆立てた獣のようにバレンシア隊長を睨むノーマン隊長。しかし、バレンシア隊長は文句を言うでもなく、相変わらずの無表情だ。そして、さっと手袋をすると、手近な植物の茎の根元を親指と人差し指で挟み、茎を撫でるように先端に向って引き抜いた。すると、バレンシア隊長の手の中には、葉が重なってひとつの塊が出来上がる。子供の頃に一度はしたことがある〝葉っぱのバラ〟だ。貴族であるバレンシア隊長が知っているとは驚きだが。
「拭き取るならこれでしなよ。土なんかでやったら、傷口から悪魔が入って悪さをするよ」
「…はあ?」
「子供の時に言われなかった?」
「ガキ扱い、してんじゃねぇぞ」
「はいはい」
言いながら、丁寧に黄いどろりとした液体を拭って行くバレンシア隊長。私もぼけっと見ているわけにはいかない。腰のポーチから大判のハンカチをいくつかに裂いて止血の準備をする。
何度かぶちぶちぶちっという葉っぱのバラを作る音が鳴り、ようやくノーマン隊長の肌が綺麗になる。ノーマン隊長は左腕を解放された途端に服に着いた分をナイフで切り取っていた。ズボンにはほとんど着いていなかったのが不幸中の幸いだ。ところどころ穴が空いたせいで見える褐色の肌はそっと目をそらしてやり過ごす。これぐらいは仕方ないと割り切ろう。この人ならあっさり脱いで捨てかねない。
「さて、容態は?」
すでに息を整えたバレンシア隊長は涼しい顔だ。一方のノーマン隊長はまだ息が荒い。
「左腕は、動く。派手に、ゲホッ、血は出てるが大したことはねぇ。痛みはあるがかすり傷だ。問題は、左の肋だ。2、3本イッてそうだ。折れて、ねぇといいんだがな」
「うん。頭は打ってないね?視線も呂律もはっきりしてるようだから大丈夫そうだけど」
「おう」
「歩けそうかい?」
「それは問題ねぇ。走るのは…きちぃかな。補助してくれりゃ、いけっかもな」
「そう。よかった」
話が途切れるのを見計らって、私は近くで見つけた小さいオレンジのような果物、ガファーチを渡す。ノーマン隊長のびっくりした顔が可笑しかった。農民もどきでしたから山で食べられるものの知識は多少持ってるんですよと苦笑する。
「ところで、あの黄色いのはなんだったんですか?」
ガファーチを齧りながら少し移動し、しばしの休息だ。ちなみに移動する前に、拭い落とした例の黄色いものを燃やし、燃えかすを地中に埋めて処理済みである。もちろん、バレンシア隊長の手袋も切り取ったノーマン隊長のズボンの布片もだ。ここまですれば、早々腐猪に見つかることもないだろう。ガファーチは小振りでも果汁がたっぷりと取れるので水分補給にも向いている。本来皮を剥いて食べるガファーチをノーマン隊長は丸かぶりしながら私の問いかけに答えてくれた。
「あれはパヴァルだ」
「え!?我々が用意したものは透明でしたよね?」
「おう。けどな、パヴァルを発酵させると、ああなんだよ。その場で、絞って作る撒き餌より、よっぽど早く強い臭いが広がるって随分昔に流行ったやつだ。ただ、しばらくして腐猪をすげぇ興奮させちまって、凶暴化することが解ってよ。結局、発酵パヴァルは定着しなかった。あたしも本物は初めてだ。おかげですぐに解らなかった」
「…そうだったんですか…」
「ついでに言っとくと、発情期の雌の体液が混ぜられてたっぽいな。ゲロ甘ぇ臭いだけじゃなくて、汗みてぇな酸っぱい臭いがしたのはたぶんそのせいだろ。腐猪の雄なら盛るし、雌なら雄を取られねぇように攻撃的になる。天然の興奮剤ってわけよ」
「な…何故そんな」
「…――悪意だね。事故に見せかけて殺したかったんでしょ」
バレンシア隊長の言葉に背筋が凍った。そこまでのものを用意したのか。ノーマン隊長を狙って。他の騎士だっていたのに、お構いなし。手段を選ばない相手ということだ。
「相手に心当たりは?」
「ありすぎて、分かりゃしねぇよ」
見えない敵を挑発するように笑ったノーマン隊長。ずいぶんと回復したようだが、相変わらず息は荒いままだ。額に浮かぶ汗が彼女の容態を物語る。
また、じわじわと不安が足下から這い上がって来るようだった。一体誰が。なんの為に。ノーマン隊長の言う通り、心当たりがありすぎた。
やはりジャック・ユノーの件だろうか。それとも傭遊士出身であったり、女性の身で騎士隊長についた嫉妬や逆恨みなのだろうか。はたまたノーマン隊長が入団する以前からの問題なのか……。しかし、どの心当たりも、ここまでするほどの事には思えない。
ノーマン隊長も言った通り、腐猪は希少な動物だ。14頭で多過ぎると言ったノーマン隊長の言葉が蘇る。唐突に起こった被害報告と討伐要請。異常発生したのだとしても、14頭のあと約20頭出て来たのだ。もし仮に自然に増えたのだとして、あれだけの数がいれば幼獣の頃から被害報告がされるだろうし、そうなれば数年前どころかもっと以前から話が出てもおかしくない。ということは、他から捕獲して来てこの山で放したのではないかと訝ってしまう。
仮に私のこの推測が事実だとすれば、その労力もさることながら、人命を軽視する犯人の思考にぞっと背筋が凍る。まだ、状況は把握出来ていないが、ひとり、ふたり死んでいてもおかしくない。事実、ノーマン隊長を含め7人が負傷し、私が把握しているだけでふたりは確実に重体だ。負傷した者達は…無事だろうか。ひとりを殺す為に、何人もを平気で巻き込むなど狂気の沙汰だ。いかにノーマン隊長が邪魔だろうと、ひとりのところを狙うか、騎士団から追い出せば済むだろうに。
そう考える私は――甘いのだろうか。
「ひとまず帰ろうか。クリフが泣いてそうだ」
冗談とも本気ともつかないバレンシア隊長の言葉に頷いて、私達は基地点を目指して下山した。
日が傾き始めた頃にようやく基地点に帰還出来た。そこではすでに負傷者の手当が終えられ、夜営の準備が進んでいる。帰還と同時にノーマン隊長の怪我の処置が始められた。手が空いたので、処置室に案内してくれた第五部隊の副隊長――彼はダスティン・ヘイ・リーという――にあの後の様子を聞く。さすがはクリフ隊長の部下というべきか、彼は当然のように非常に丁寧に教えてくれた。
私達が全員で撤退した後、クリフ隊長は再度陣形を整え、数回に渡って突撃と撤退を繰り返し、結局あの第二波でやって来た腐猪の大部分を討伐したらしい。天才の呼び名は伊達じゃなかった。今は念には念をと見回りをしているらしく、もうすぐ戻るだろうとのことだった。完全な不意打ちの悲惨な状態となったにも関わらず、奇跡的に死者は出なかった。ふたり、意識不明の重体だが、処置が間に合ったらしく、大事には至らないだろうとのことだ。
ノーマン隊長の処置が終わったと村の医師に告げられ、処置室とは名ばかりのテントに入るとノーマン隊長は眠っていた。肋は折れてはいないらしい。しかし、処置を終えた途端、意識を失うように眠ったと医師は私に告げた。うら若い女性が何故あんな怪我をと眉をひそめた彼の声は、私を庇ったせいだと言外に責めているようだった。詳しい事情を知らぬ医師にそんなつもりは毛頭ないのだろうけれど。
ノーマン隊長にかけられたシーツが規則正しく上下する。眠る姿はまるでお伽噺の姫君のようだ。長い睫毛がランプの明かりを受けて頬に長い影を作っている。そこらの男より短い髪型をしているのに、本当に溜め息が出るほどの美女だと呆れた気分になった。その美しさに惑わされ、目を覚まして下さいとキスをしようものなら、比喩ではなく喉笛を噛み千切るような野獣だと信じられないほどの美しさだ。
そうだ。この人は野獣なのだ。一流の傭遊士。恐らく敵は多いだろう。直接やりあって敵になった者もいれば、本人の与り知らぬところで恨みも買っているのだろう。
それでも、闇討ちではなく、騎士団の討伐遠征で命を狙われた。その理由は、かなり絞られる。
「…騎士団に関与できる者、もしくは騎士団の中に〝いる〟ってことなんですよね…」
教えてくださいノーマン隊長。今回のこの〝事件〟はジャック・ユノーに関係があるのですか。それとも全く関係がないのですか。協力しろと脅したくせに、どうしてなにも教えてくれないのですか。それなのにどうして――
「私を庇ったりなんかしたんですか…ッ!」
悔しい。悔しい。悔しくて、たまらない。
逃げることを優先し、蓋をしていた感情が噴出する。貴女は、怪我をしている場合じゃないでしょう。自分の目的の為に、他を切り捨てることなど、一流の傭遊士なら簡単でしょう。左腕さえ怪我しなければ、腐猪に撥ねられるような失態、貴女なら犯さなかったでしょう。
悔しくてたまらない。あまりに悔しくて、もはや何に対して悔しいと思っているのかも解らない。基地点という安息の地に着いたことで、私の緊張は溶けてしまったのだろう。様々な疑問と感情が溢れ、止めることが出来なかった。
「起きなさい!寝ている場合ですか!この、野獣ッ!」
「うぉッ!?」
もう頭の中がわやくちゃになったとしか思えない。部下を庇って負傷し眠っている上司を叩き起こすなどどんな鬼畜か。可哀想にノーマン隊長は目を白黒させて飛び起きて、左脇腹を庇っている。うん。ごめんなさい!
「暢気に寝ている場合ではありませんよ!討伐予定は大幅に繰り上げになりました!予定より早く討伐成果を上げたので、明日の朝には帰還です!今から明日の朝まで十二分に休息を取って頂きます!」
「お…おう…?え、じゃあなんで起こされたんだあたし…?」
「今から夕食まではたっぷり休んで、その後就寝までの時間を使って洗いざらい全部話してもらいますからよろしくお願いします!」
「え?…うん。…は?何を?」
「全部と言ったら全部です!返事はハイ!」
「ハイ!」
「それから!」
「ハイ!」
「御礼申し上げます」
「……ハ、あ?」
ベッド脇の丸椅子から立ち上がり、右手を胸に、私は敬礼する。
「守るべき上官を守るどころか庇われ負傷させたこの不始末。申し開きの言葉もなく、ひたすらにお詫び申し上げます。しかしそれ以上に、心から御礼申し上げます」
ぽかんとした表情でノーマン隊長が見上げてくる。ちょっとだけ、溜飲がくだる。
「助けて下さって、本当に、ありがとうございました」
でもどうか、もう二度とこんなことしないでくださいとは心の中で。でも嬉しかったというのはちゃんと伝わっただろうか。
いまだぽかんとしているノーマン隊長。しかし、見る見るうちに顔を顰め、ぷい、とそらすと同時、ばさりとシーツが空気を孕んだ。
「……別に」
くぐもった声がぼそりと呟く。シーツに隠れ切れていない耳が真っ赤だった。
なんだこの人。
可愛いじゃないか。




