12:野獣は休息中です。私はピンチです。
夕食になったらまた来ると言いおいて処置室を出た。テントの外では地元の村から謝礼にと供された食材で遠征食が作られている。なかなか食欲をそそられる香りだ。朝からの討伐と逃走で昼食がなあなあになっていたから食事の香りは私の胃を大いに刺激した。しかしそこはぐっと我慢だ。副隊長という地位のおかげで時間に遅れても食いっぱぐれることはない。さて、それでは自身の部隊の状況を確認しようとしたその矢先、私はある人物に呼び止められた。
「ピエールくん」
「バレンシア隊長。お疲れ様です」
さっと敬礼をとった私に、彼はひとつこくんと頷く。長身で骸骨のようでありながら、美丈夫という不思議な調和を持つ彼の仕草は、ともすれば実年齢よりはるかに幼い。言葉遣いもそうだ。歳下のはずのバレンシア隊長の声は、私よりもよほど年を重ねた人物のような響きであるのに、使われる言葉は幼子のように感じることがあった。本当に不気味な――いや、不思議な人だ。
「ちょっといいかな?」
そう言われて断る理由はない。ノーマン隊長の容態の報告もしたいし、なにより団長からの密命の件もある。私はもちろんと返事をしてバレンシア隊長に続いた。
通されたのは夜営用の基地点から少し離れた山小屋だ。昨夜借りたものと違い、こちらはよく見る小さな山小屋だ。私を連れて来るのを見越していたのか、第九部隊の副隊長――彼はマシュー・デイブという――が椅子と茶器を整え、一礼して小屋を出て行った。
「紅茶は?」
「頂戴します」
お決まりのやり取りにバレンシア隊長は頷いて、手ずから紅茶を淹れてくれる。ノーマン隊長の容態を簡単に告げた後は、茶葉はお気に入りの物を持ち歩いているんだとか、この辺りは案外冷えるねぇなんて、他愛もない話に相づちを打ちながら、バレンシア隊長のその丁寧な所作を眺めた。相変わらずの無表情でありながら、穏やかな口調に私はいつの間にか安堵していたらしい。渡された紅茶は香り高く、肩から力が抜けた。
「さぁて。ねぇ、ピエールくん」
「はい」
ゆったりと足を組み、まるで私的な茶会のようなおっとりした雰囲気。私はその時点で気付くべきだったのだろう。緊張や警戒を巧みに解きほぐし、私の本心が剥き出しになるように、仕向けられたものだったのだと。
「君は何を知っているのかな?」
剣で、心臓を貫かれた。
そう、錯覚するほどの視線。空気が一変し、一瞬にして全身が総毛立つ。ざあっと音を立てて血の気が引いた。
恐怖だった。
盗賊や害獣の討伐で恐怖を感じたことは多々あった。しかし、そんなものは可愛い。全身に無数の毒蜘蛛が這っているような恐怖。バレンシア隊長はゆったりと簡易椅子に座って足を組み、長い指で頬を支えて肘掛けに頬杖を付いているだけだ。なのに、冷や汗が止まらない。心臓が泣き叫んでいる。受け取った紅茶の表面が波打っていて、カップが鳴っていないのが不思議で仕方なかった。
「食べないの?」
唐突に言われ、なんのことかと肩が跳ねた。バレンシア隊長の視線が一瞬私から逸れてソーサーに添えられたクッキーに向けられる。いきなり話題を変えた彼の意図は解らないが、不興を買いたくない一心で私は「頂きます」と言ってすぐに口に放り込んだ。甘いはずのそれは緊張のあまり味気なく、歯がカタカタと鳴って固めのそれをなかなか噛み砕くことが出来ない。焦りから無理矢理飲み込もうとすると、乾く口の中の水分を完全にとっぱらって胃の中に落ちた。入れ違いのように胃液が途中まで戻って来てつきりと痛む。
「ところで、君は僕が魔術研究所に援助をしていることは知っているよね?」
また変わる話題。目が回る。全部に意味があるのか、さらなる動揺を誘っているだけなのか。考える余裕はない。冷静さは、恐怖に連れ去られ影も見えない。それでも私はなけなしの勇気を振り絞って平静を装った。
「ええ…はい、存じております」
「魔術研究所が調香や調薬を行っていることも?」
「も、もちろん、です」
「そう。今ね、そこで新しい自白剤を作ってもらっているんだよ。君、自白剤を飲んだことは?」
「訓練…訓練の一環で、一度…」
「どうだった?」
「え、と、その…深酒をした時のような…ひどく、その、酩酊したよう、だったかと…」
「そうだよね。判断力を鈍らせる程度のことしか出来ないのが今の自白剤だ。酩酊感で支離滅裂なことを言う者も多いんだよね。はっきりした意識のもと、自分から洗いざらい吐いてくれるのが一番楽だけど、なかなかそうはいかないよね?」
「さ、左様で…」
「でもね。はっきりした意識をもたせ、命と引き換えにだったら得られる情報もそれなりの精度になると思わない?」
「…は、はい…確かに…」
「2日ほど前に知らせがあってね。嘘を吐くときの生理反応を利用して服用者を殺せる自白剤の調合に成功したんだって」
バレンシア隊長が私を見ている。視線が刺さる。カップがソーサーと触れて、今度こそカチャカチャと鳴りだした。
「……クッキー、美味しかった?」
「――ッ!!」
急激に迫り上がってくる嘔吐感。そのまま食べたばかりのクッキーを吐いてしまえばよかったのに、とっさに片手で口を塞いで下を向いてしまった。体温が下がり震えるほどに冷たくなっているのに、額には汗が浮かぶ。目が、回る。
恐い。恐い。バレンシア隊長が、恐い。
捉えた不審者がどれだけ怪しかったとしても、尋問や拷問でいきなり毒を盛ることは許されない。なのに、この人はなんの躊躇いもなく、同じ騎士団の人間である私に自白剤を飲ませたのか――ッ!?
「さて、最初の問いに戻るよ。ピエール・ジャックス」
相変わらずゆったりと構えているバレンシア隊長。表情の見えない仮面のような顔があまりに恐ろしい。何を考えているのか解らないということがこれほどまでに恐ろしいと誰が想像しただろうか。
「君は――何を、知っているの?」
ゆっくりと、ゆっくりと紡がれた言葉を必死で咀嚼する。嘘を言えば死んでしまう。嘘を吐くときの生理反応が一体何か解らない。
極度の緊張による何かが引き金になることもあるのだろうか。
私は、恐怖のままに口を開いた。
「…ノーマン隊長の、入団の目的を知っています…」
ぴくり、とバレンシア隊長の片眉があがる。首の皮が繋がる思いだ。全く何も知らないと押し通すのは、自白剤の毒に触れるだろう。
だから〝嘘〟は言わない。
「内容は?」
「…それをお伝えするには、しばしお時間をいただけませんでしょうか」
「どうして?」
「…あまりに詳細が解らぬ状態なのです。奇しくも夕食後、ノーマン隊長から詳細を伺う予定です。ですので、その後、まとめてご報告いたしたく…」
身体が震える。喉が震える。まともに話せているのが不思議だ。それでも、必死で頭を回転させる。彼は、敵なのか、味方なのか。私は必死で逃げ道を探す。
「妥当な理由だけれど認め難いね」
「何故、でしょうか…」
「解っていて理由を訊くなんて、君はなかなか趣味がいいね」
「……」
バレンシア隊長は表情も態度も動かさない。じっと私を見たままだ。見えない毒蜘蛛はまだ全身を這い続けている。
「残念ながら、カレン・ノーマンと共謀し、虚偽を報告する可能性があるのを解っていて、どうぞって言ってあげるほど僕はお人好しじゃないよ」
「その、可能性は…皆無です」
「どうして?」
「…服毒しておりますので」
「ふぅん。では仮に僕が君の要望を承諾したとして、カレン・ノーマンから聞いた話を、正確に報告すると誓えるかい?」
「誓います」
「〝正確に〟だよ?」
「…と、申しますと…?」
「僕に伝えず伏せておくことでノーマンに有益となる情報も、君はきちんと報告すると誓ってくれるのかい?」
ぐっと唇を噛む。嘘さえ吐かなければ切り抜けられるかという考えはやはり甘かった。所詮、私ごときの浅知恵は彼も理解しているのだと思い知らされる。バレンシア隊長が口を開くごとに条件が増え、私の行動が制限されて行く。ここで「はい」と言って逃れたとしても、結局後で報告する際に本当に洗いざらい話さなければ私は命を落とすのだろう。情報があまりに少ないことが腹立たしい。
恐らくノーマン隊長は、騎士団の敵ではない。彼女の仇討ちは真実だろう。それ以外の目的はきっとないのだと根拠のない確信があるものの、バレンシア隊長を説得出来るほどの情報は持っていない。ノーマン隊長が団長を敵だと言ったことも私の中でひっかかっているらしく、団長の密命がどうからんでいるか解らないために、迂闊に告げることは躊躇われた。誰がどこに立っているのか解らない状況で、なんの躊躇いもなく毒を飲ませたバレンシア隊長が私を揺さぶる。
一体、誰が誰の味方で、誰の敵なのか。バレンシア隊長は一体、何者なのだろう。
「やっぱり、今、話して貰おうかと思うんだけど。どうかな?」
「……」
どうかな、などと言いながら、その実私に拒否権などないのだろう。それでもすぐに口を開く気にはなれない。嘘にしか反応しない自白剤という名の毒薬は、黙してしまえばなんとでもなるということが、かろうじで私の救いだ。
日が沈み、部屋が薄暗くなって行く。ランプとバレンシア隊長の目だけが暗がりに浮かんでいる。ゆらゆらと出来る影。バレンシア隊長の彫りの深い顔に落ちる影が深まり、本当に髑髏が宙に浮いているようだ。
「ねぇ、ピエールくん」
ついっと紅茶を飲んで、ソーサーに戻すバレンシア隊長。たったそれだけの動作が優美で、流石は公爵家の子息だといたく場違いなことを考えるも、私を見て無表情でことりと首を傾げる様子があまりに不気味だ。
大人の声が紡ぐ、幼子の口調にぞっと鳥肌が立った。
「君が忠誠を誓うのは、だぁれ?」




