四十話
魔術師をぶち殺して三日。村にサソリが襲ってくることもなく、平穏無事な毎日。
あの魔術師は何が狙いだったのかもいまいち分からない。クロウの予想では「単に作った動物がどんだけうまく動くか試したかったんじゃねえすかね?」との事だが。
そんな理屈で殺されちゃ溜まったもんじゃねえが、力があると言うのはそう言う事が出来ると言う事だ。
そして、あの魔術師はオレたちにブチ殺された。それが世界の全てだ。
力のある奴が自分のわがままを押し通せるのだ。それが正しいか正しくないかを無視して。
だからオレは強くなりたいのだ。
まぁそんな事はさておいて、平穏無事な毎日だとやる事が無くてヒマなわけで。
見張りは未だ継続してやっているが、最初の数日で襲撃が無かったので見張りに裂く要因も一人や二人に減らしている。
そうした毎日の中でやる事はもっぱら鍛錬か、あるいはマックスやカチュアの話を聞く事だ。
マックスやカチュアたちの話は高度に発達した魔法と科学を前提としており、この世界の人間たちの視点では分からない事も多く、なかなかためになる話が多いのだ。
「では、話を纏めますが」
「ええ。纏めるとつまり、この世界は次元境界線が非常に不安定、いえ、不安定な安定を保っているわね」
「はい。常に揺らぎながらも、ある一定以上への変化を許容しない。この揺らぎは安定性を見せていませんが、閾値を超える事は決してありません。不安定な安定と言うのは正当な評価でしょう」
「けど、この不安定な安定は容易く均衡を破られる。並行世界干渉技術があるかどうかは不明だけど、よそからの次元干渉で容易く安定の均衡は崩れる。つまり、この世界周辺を通過すると簡単にこの世界に辿り着いてしまうと言う事よ。あたしたちがここに辿り着いたのは偶然でも何でもなさそうね」
「ええ。世界の移動周期は不明ですが、あなたと私は帝国、つまり近い地点からここに移動したと言う事ですからね。世界の配置がかなり近いようですね」
「ええ。それに、時間のズレもある。そこからすると、この世界周辺を覆う超次元空間は時間因果律がかなり滅茶苦茶な可能性が高いわね」
「迂闊に帰ろうとしたりすれば、一体どんな時間に吹っ飛ぶか分からないと言うことですね……試すのも恐ろしいです」
問題はためになる話も多いけれど、理解不能な話も数多いと言う事だ。
そういう時は早々に理解を諦めて他の事をする事にしている。今回もそうだ。
「うーん、いいなぁ、これ」
「そんなものか?」
「ああ、いい」
リンの髪を梳りながら、その髪の手触りを楽しむ。
リンの髪は艶やかで滑らかだ。手入れをしているところは見た事ないのにやたらと綺麗だ。上質な布地のような柔らかい手触りで、髪を梳いているだけなのに楽しいのだ。
「しかし、こんだけ綺麗だとやっぱ流してる方がいいんだよなぁ」
そこんとこ弄り甲斐がねえって言うかなんていうか。むしろ弄れるだけの技量がオレにねえって言うか。
って言うか、黒髪の長毛はやっぱストレートって言うオレの勝手な趣味でもあるんですがねぇ。くせ毛だったら……ほら……あれ……コーンロウとか……適当にやればよくね、どうでもいいわ。
「ほら、梳き終わったぞ」
「うむ、ありがたい」
「気にすんな」
リンに櫛を返してやる。今朝、髪をブラシで梳かしていたらリンが思い出したように取り出したのだ。
コイツも背嚢を持っているが、飯時に食い物を出す以外は滅多に開けないのでロクなモン入ってないのかと思ったら日用品も意外と持っている。
「しかし、いい櫛だな」
「そうなのか?」
「鼈甲みたいだしな。高価なものだぞ」
細工もしてあるし、明らかに腕のいい職人が作ったものだろう。歴史的価値もありそうだし、出すとこに出したら相当な額になりそうだ。
「そうだったのか。母にもらったものなのだがな」
「それ、螺鈿細工っぽいからな。本当にいいものだぞ。大事にしろよ」
本当に腕のいい職人が作ったんだろう。華やかだけど押しつけがましくない。素直に綺麗だと思えて、毎日使っていても目に飽きさせない、いいセンスの作品だ。
「当然だ。母にもらったもので大事にしていないものはないぞ」
「母親に見立ててもらった刀投げてたのは誰ですかねぇ?」
「誰だそんな罰当たりな事をする奴は」
右斜め上に視線をそらしながらリンがすっとぼける。
「ま、大事にするってんなら使ってやりな。鼈甲は毎日使わなきゃ悪くなるもんだ。虫食いもつくからな」
「そ、そうなのか?」
「ああ。虫食いがついたら修理も難しい。そいつは大事に扱われてきたようだし、お前も大事にしてやるんだぞ」
「あ、ああ」
オレの目は顕微鏡やルーペじゃないのでいまいちよく分からなかったが、恐らく本鼈甲のようだし、大事にするべきだろう。
「となると、もしや、これも高いものか?」
そう言ってリンが背嚢を漁り、そこから簪を取り出した。
受け取って見てみるが、シンプルな品だ。手触りは滑らかで柔らかく、乳白色の心地よい肌触りがする。触っていると温かみを感じ、鉱物由来ではなく生物由来の素材のように感じる。
「象牙か、サイの牙かな。骨にしては触った感じからして密度が厚い。象牙がどれくらい価値があるか知らないが、これもいい腕の職人が作ったものみたいだ」
削り出しで作ったもののようで、継ぎ目などが全く見えない。それで平打ちのように見えると言う事は、元はかなり大きい象牙だったはずだ。切れ端から作れるようなものではなく、贅沢な品だろうと言う事は間違いない。
細工自体もシンプルでありこそすれ繊細なもので、いい腕の職人が作ったんだろう。象牙は確かに丈夫なものだが、ここまで薄く削ると簡単に割れてしまう。硬く丈夫な材質は脆性も備えているもので、展性のあるものは伸びたり曲がったりするが、象牙はそうではない。
「これも間違いなくいいものだな。具体的な値段は分からんが、ガキの小遣いで買える値段じゃない」
「そうか……」
「お前もしかしてこういう装飾品色々と持ってんのか?」
「うむぁ」
どういう返事だそれは。同意なのか?
「旅立つ前に母上にあれこれと渡されたりして持っているが、着飾る趣味も無くてな……」
「なんで旅に装飾品なんか……」
「女に生まれた以上は着飾るべきだと言う信条の方だからな。戦場に出る時であろうと女たらば死してなお美しい姿を残すべきとな」
「ふーん……」
「まぁ、戦う時の正装が振袖と言う方だからな。化粧もするし、簪くらい当然刺すだろう。つまりそう言う風になれと言う事なのだろうな」
「頭大丈夫かそいつは」
振袖だぞ、振袖。あんな格好で動き回るつもりか。
その疑問を率直にぶつけてみると、リンは困ったような顔で笑いながら答えた。
「それを着ていても勝てると言う自負があるのだろう。実際、どれだけの腕前なのかは未だに分からないからな」
「腕前ねぇ。試し胴で何体切ったとか、斬鉄が出来るとか、そう言うのねぇの」
「兜割りなら当たり前のようにやるし、試し胴は知らないが南瓜五つを重ねて全部包丁で真っ二つにしたことがあるぞ」
「カボチャ……」
あれ五つ重ねて真っ二つ? すごくね? 鉈とかなら出来るだろうけど、包丁でって無茶苦茶だろ。
「まぁ、あんなもので腕前が測れるとは思えないが、私の知る限り最強の武人だ」
「そうか」
何度も母親の自慢話を聞いているので慣れたものだ。まぁ、いつも「強い! 絶対に強い!」みたいなイマイチよく分からん自慢話なので具体的にどう強いのかは意味不明だが。
そう言えば父親の方は聞いたことない気がするな……。
「父親の方はどうなんだい」
「剣の腕はそうたいしたものではない。……と言っても、母上と比較しての話であって、私よりずっと上だがな。だが、勝ち目がない、とは思えないのだ」
「ふーん……母親の方は、何をどうやっても勝てないって分かるのか。心臓をブチ抜かれるか、首を落とされるかって」
「前に立っただけで分かるぞ。何をどうやっても首を落とされるとな」
あの時に会ったイカれ遍歴騎士を前にして感じたあの感覚。それに近いものをリンは母親に感じているのだろうな。
それとは正反対に、父親の方はまだ具体的にどれくらい強いのかが感覚的に分かる強さと言う事。つまり母親の方が格段に強いわけか。
「だが、父上は説明がしづらいが……勝てるとは思うのだ。だが、勝てんのだ」
「それは運が悪いとか、戦い方が悪かったとかじゃねえの」
「そうかもしれない。だがそうではないかもしれない。母上は強さの底が見えないが、父上は純粋に底知れない。強さの源泉と言うものが分からない。母上は至極単純に強いが、父上は複雑に強い……と言うより、なぜ強いのかすら分からん。修練の賜物だとか言う頭の悪い話ではなく、なぜああいった結果になるかが分からない」
「意味分からん」
「私だって意味が分からん」
一度会ってみたいもんだな。複雑な強さとやらに興味がある。
「まぁいいや。なんか体動かしたくなってきた。ちょっと出てくる」
「ああ」
リンは動く様子を見せないので出ないようだ。
オレは剣を手に取ると、外に出た。ちなみにバルティスタに限らず、この世界では土足での生活が基本だ。
シェンガではそうではないらしいが、建築様式自体が全く別物なので屋内では靴を脱いでも問題ないに過ぎず、野外ではしっかりとした靴を履いているそうだ。リンは草鞋を履いているが、足先の感覚が体捌きに必須なので履いているそうだ。ちなみに自作品らしい。
オレの足回りは頑丈なブーツだ。柔らかく鞣された皮を使った靴なので硬いわけではない。硬いブーツだと、踏み込みに踏ん張りが効かなくてよろしくないのだ。
そのブーツで地面を踏みしめながら、外へと出て行く。
村人たちの姿はあまり見えない。未だにサソリの脅威に怯える者が多く、収穫期も過ぎた今では家に閉じこもる者の方が多いのだ。
そして村はずれにまで出て行くと、そこでは遠くに見える木を的に、矢を放っているクロウの姿があった。
意外にも、クロウはストイックな冒険者である。
日頃ヒマな時間があれば己を鍛える事に専心し、遊びにかまけると言う事を一切しない。
酒場に出たりするのは、所詮は情報収集の一環だ。主目的は酒を飲む事じゃない。無論、酒があったら飲むし、楽しいことをするのは好きなようだが。
これでなんであんな腐ってショボいことにカツアゲなんぞして糊口を凌いでいたのか。
例え弱くとも、こんだけ真面目にやれるなら細々とでも冒険者として活動していけただろうに。
そう不思議に思いつつ、クロウの隣に立って的にしているらしき木を見る。
三十メートルほど離れた地点に立つ木に十数本の矢が突き立っている。
半径二十センチほどの円には矢が収まっているので、胴体を狙えば概ね当たるだろう。
それを矢継ぎ早に放っていくので、決して悪い腕ではないようだ。
「姐さん、どうかしやしたか?」
オレが隣に立った事に気づき、番えていた矢を放ったクロウが声をかけてくる。
「いや、体でも動かそうと思ってな。お前も訓練か」
「へい。なんせ一番弱いのは俺っすからね。人一倍努力しねえと……みんなについていけないっすから」
そう言ってクロウは歯を見せて笑う。意外と白い歯だな、とかどうでもいいことを考えつつ、ズボンのポケットから布切れを投げ渡す。ハンカチ代わりに使ってるものだ。
「汗はちゃんと拭いとけ。もう日も暮れ始める。風邪引いたら置いてくからな」
「へい! ありがてえっす!」
汗を拭き始めたクロウを見つつ、オレは剣を抜いて、素振りを始める。
アダマンティンの剣は重い。比重がべらぼうな事になっているのだ。鉄の数倍は重い。
この剣、刃渡りおよそ七十センチほどの少々長めの剣だが、これで十キロを超える重さがある。振り回すのも一苦労……のはずだが、割と身体能力がおかしい事になっているので何ら問題はない。
まぁ、重さがあるだけに迂闊に振ると振り回されはするが、そんなもんは鉄剣だって一緒だ。
むしろ、重いだけあってうまく扱えば威力もあれば、相手の攻撃を受け止めるのにだって都合よく働く。
武器は重い方が相手の攻撃を受け止めた時にかかる重圧が軽く感じられるものだ。
扱い得るだけの腕力があれば、重い武器の方がいい。って言うか、剣よりもっといいものが欲しい。
オレには腕力がある。それはそれだけで利点であり、それを活かすには剣よりも長柄の武器の方がいい。つまりポールウェポンだ。
どこかでポールウェポンでも手に入れられればいいんだがな。
そんな事を考えるうちに体は温まり、素振りは徐々に仮想敵を相手とした戦闘に移って来た。
自分よりも強い。そんな雑然とした想定によって生み出された、顔の無い怪物。
オレの思考によって生み出された顔の無い怪物は、オレの思考によって動くが故にオレの思考を全て知っている。
だから、オレの攻撃も何もかもが読まれ、オレは手も足も出ない。
どうしたら勝てる。その思考を回し続けながら、オレは顔の無い怪物に挑みかかっていく。
顔の無い怪物はオレだがどれだけ思考を回しても、オレの思考の全てを知っている。だからこそ、オレがどれだけ考えても無意味。
それでも思考を回し続ける。
これならどうだ、ここに撃ち込めばどうか、ここで引けばどうか。
そのすべてに完璧な対処。勝てっこない。
でも、戦う。強い奴と戦わなきゃ強くなれない。なら強い奴と戦うのが本当の望み。
顔の無い怪物はオレになんの脅威も齎さない。それでも、オレの思考を鍛えてくれる。
ただの退屈であるはずの修練にも息吹を与えてくれる。
顔の無い怪物は、オレのためだけにあるオレのスパーリングパートナーだった。
存分に体を動かし、日が落ちてそろそろ歩くのもおぼつかなくなってきた頃に切り上げる。
未だに弓を引き続けていたクロウを連れて家に戻る。
今日の夕食当番はマックスとカチュアだ。
一昨日に気付いたのだが、マックスは味がほとんど分からないがかなり料理がうまい。味付けに一抹の不安はあるものの、そこは味覚の鋭いリンやカチュアと組ませて味見させればいい。
そしてカチュアも調理技術自体はあるので、栄養と消化吸収だけを追求したものを造らせないように監視すればちゃんとした料理が作れる。
そこでマックスとカチュアを組ませて作らせてみたのだ。
調理担当はマックスで、カチュアは味見と調味料の調整担当。
で、今日の夕飯はなんかのスープらしいものと、それからパンと、ウサギ肉のパイだ。
「このスープはなんだ?」
「ツヴィーベルズッペです」
「よーするにオニオンスープね」
「ほー。では、いただきますか」
さっそくスープを口にしてみる。うん、美味いな。
口々にマックスを褒めつつ、メインディッシュのパイなども食い進め、夕飯を終える。
調理人数が無暗に増えて非効率ではあるものの、オレばっかり料理作るのも不公平な気がするからこれからどんどん作らせるとしよう。




