二十二話
「おい姉ちゃん、あったかい晩飯と柔らかいベッドで命の恩人買わねえか?」
そう尋ねかけると、息も絶え絶えに走っている15歳くらいだろう少女は必死で頷き、なんでもするから! と叫ぶ。
「おうし、任せとけ。お前ら、こいつらちゃちゃっとぶっ殺して晩飯にありつくぜ!」
「応とも」
「合点承知っすよ姐さん!」
威勢のいい返事と共に、オレとリンは剣を。そしてクロウもオレが貸した剣を片手に数匹の狼と対峙する。
さあて、こいつらを倒して今日の宿を確保だ。
――――話は十分前に遡る。
高台から見えた村に行く為に、林を突っ切って近道をしたオレたちは、林の中をかき分けて走る物音を耳にした。
林と言っても植林された雑木林という奴ではなく、原始林……いや、もう極相林と言ってもいいレベルの森だ。
物によっちゃ極相林は凄まじく歩きやすいのだが、ここの林はかなり歩きにくい様相を示している。
こんな林を全力で走るような奴ともなれば、何らかの荒事の臭いを感じ取って然るべきだった。
故に、そちらへと出向いてみると、狼に追われて必死で逃げる女の姿があったわけだ。
しかし足が速かった。たぶん100メートル10秒切ってる。その健脚のおかげで狼から何とか逃げ切れていたが、長距離を走って息も絶え絶え。追いつかれるのは時間の問題だった。
だからこそ、命の恩人が欲しくないかと尋ねかけ、こんな次第になったわけだった。
「オラ死ねぇ!」
アダマンティンの剣を全力で振りかぶる。狼はそれを素早い動作で避け、直後にオレの放った蹴りで首の骨を圧し折られてくたばった。
そしてリンは一刀の下に狼の首を切り落とし、返す刀でもう一匹の首を落とす。
クロウは剣を当てられなくて股間に噛みつかれて悲鳴を上げている。
「そんなもん食ったら腹壊すぞオラ」
クロウの股座に噛みついている狼を蹴飛ばすと、ぎゃいんっ、と悲鳴を上げて転がると動かなくなった。なんか予想してた結果より酷い有様になったがまぁいい。
犬とかって股間狙うんだよな……勝海舟も金玉片っぽ食いちぎられたらしいし。
「はぁ、はぁ……た、助かったっす姐さん……た、玉んとこに防具なかったら、ヤバかったっす……」
「よかったな、ファウルカップつけてて」
男女問わず股間は神経が集中してる部位だ。なので蹴り上げられると凄まじく痛い。男は無防備な内臓、つまり睾丸がぶら下がっているのでなおさら危険だ。
なので股間を守る防具は当然のように存在し、クロウもそれを身に着けていただけあって助かったようだった。
「しかしおまえ……狼にも負けるって大丈夫かよ……」
今の狼、正直大して強くなかったぞ。確かに動きが早いし、四足と言う特性から機敏さはかなりのものがあったが。
だが、そこらへんを考慮に入れてもゴブリン二匹分の戦闘力があればいい方だろう。
正直、慣れない剣を手にしている事を考慮に入れてもこれからの旅について来れそうにないぞ……。
「言っちゃなんすけど姐さんたちが強すぎんすよ……」
まぁ、どう贔屓目に見てもクロウはただのチンピラだしな……曲がりなりにも鉄火場くぐってるオレたちと同じレベルを期待するのが間違ってるのかもしれない。
「まぁいい。これからに期待してやる。だが使えねえなら無理やりにでも隠居させるからな」
「へい! 姐さんの邪魔にはならねえっす!」
無暗に死なせるのも寝覚めがわりぃ。コイツが金貯めたらさっさと隠居させるべきだろう。
「意外と優しいではないか」
「なんだいきなり」
「私はお前の事だから力不足だろうが連れて行って「こういう時の為にお前は居るんだ!」と言って囮にでも使うのかと思ったぞ」
「うわぁ……引くわぁ……」
リンの外道さに思わず引き気味になる。
確かに最初のままだったらそう使いもしたかもしれんが、オレの部下を無暗に死なせたら寝覚めが悪いだろうが。
「リンの姐さん……それはちょっと……人の道に外れるっすよ……」
「な、なに!? 私がおかしいのか!?」
「いや、おかしいって言うか……ただちょっと……お前と仲間になるのはお断りっつうか……」
「いやいや! しないぞ! 私はしないぞ!」
「でもそう言う発想が出る時点で……」
「ちょっと……あれっすよねぇ……姐さん」
「だよなぁ……」
「だから私はそう言う士道に悖るような真似は決してしない! あくまでも、そう! あくまでも戦術として考えればそう言う使い道があると!」
「そう言うの考えてる時点で「いざとなったらやりますよ」宣言してるようなものだし……お前……いや、すみませんけどリンさん、あなた少し外道過ぎでは無いでしょうか?」
「怖いっすよねぇ……ちょっとリンのあねさ……あ、すんませんリンさん。馴れ馴れしく姐さんなんて呼んで……」
「おい待て! あからさまに他人行儀になるな! と言うかニーナお前敬語なんて使えたのか!?」
コワイワー、ネー。とクロウと結託してリンをオモチャにしていると、荒い息をついてくたばってた娘さんが黄泉路から帰って来たのか、息は荒いままだが起き上がる。
「はぁ、ふぅ……た、たすかりました……ぼ、冒険者さんですか……?」
「そうっすよ! この人が俺らのリーダー、人呼んで【爆炎】のニーナっす!」
「おい、爆炎の。本当に呼ばれているのか」
「いいや、クロウが大法螺吹いてるだけだ」
「なんで本人が率先してバラすんすか!」
いやだって二つ名とか恥ずかしいし。
「えーと……よく分かりませんが、冒険者さんなんですね……本当に助かりました! ありがとうございます!」
「なに、気にするな。本当なら金貨200枚は請求してるとこだが、最初に言った通りあったかい晩飯と柔らかい寝床でいい」
「はい! あんまり上等なものはお出しできませんけど」
「あったかいもののだけ上等だよ」
そう言って、オレたちはその少女――道中でミカと言う名だと聞いた――について、彼女らの住まう村に辿り着いた。
村の規模は500~600人の人間が住む程度だろうか。オレの住んでた村よりちょっと大きいかな、と言う程度だ。
生活環境に関してはこっちの方がよっぽどいいが。
「いい村だな。人の顔に活気がある」
「そうだな」
オレの村も四六時中死にそうなツラしてたわけじゃないが、ここまで明るくは無かったなぁ。
秋が近づくにつれて葬式みたいな雰囲気になってくからな。しかも季節の変わり目なもんだからジジイやババアがバタバタ死ぬせいで暗さに拍車がかかる最低の村だった。
その分、たまに豊作な年なんかがあると明るいんだがな。オレが四歳の時だったか。その年は豊作で見知った顔が消える事もなく、一転して明るい雰囲気で年を越せたものだった。
「この辺りは土がいいんです。寒い夏が来ても、飢えて死んだ子供なんかは殆ど居ないんですよ」
そう言って誇らしげにその少女――ミカと言うらしい――は胸を張った。
この村が好きなのだろうなと自然と思わせる態度だった。
「そりゃ結構なことで。晩飯には期待できるかな」
なんてことを話しつつ村に立ち入っていくと、ぶいぶい言っている動物を飼う舎があった。
人間の汚物の臭いも立ち込めている事からすると、そう言うものの処理を兼ねつつ食用肉が育てられているのだろう。
「おう、豚だ。でけぇな」
丸々と太っているし、ご立派な牙まで生えてる。正直、豚っつうよりは猪っつう方が語弊が無い外見だが、一応豚だろう。
オレの村でも飼っていて、村人の貴重なタンパク源だった。豚は人間の糞尿でも育つ上に、一年で食べられるようになる。
小麦や大麦が食事のメインである事は確かだが、豚肉は貴重なタンパク源であり、冬を越すための大切な食糧だった。
「うちでは一匹だけ飼ってるんです」
「へぇ、そうなのかい」
基本的にどんな貧乏人でも一頭は豚を飼ってる。豚はなんでも食うから育て易いということもある。
うちでは確か、二匹飼ってたっけ? オレの村は基本的に放し飼いだったんでどれがどいつの家の豚って事は無く、二匹を一家で食う権利があるってだけだったが。
ちなみに放し飼いにしてるせいで豚に殺される奴も多い。うちの爺さんは豚に殺されて死んだ。
この村は余裕があるのだろう。しっかりと豚小屋がある。豚小屋があるからこそ安全に豚を育てられるわけだ。
オレの村? そんなもん作る余裕があったら薪にしてたよ。燃料が足りねえんじゃボケ。
いや、そんな話はさておいて。
大きい村な上に余裕もある。とすると、冒険者に対する金銭の支払いも期待できる可能性がある。
この村に何かしらの依頼があればいいんだがな。
「ニーナ、どうした」
「何でもない」
怪訝な顔をしたリンに手振りで示しつつ、ミカの後をついていく。
それは典型的な、漆喰と木で造られた家だった。さほど大きい家ではないが、しっかりと手入れされている雰囲気がある。
さておき、招かれて屋内に入ると、明り取りの窓から差し込む光がぼんやりと部屋を照らしている。
光がハッキリと見える部屋は、埃の粒子に当たって光が反射してるんで掃除が足りないのだ、ってなんかの本で読んだな。
「どうぞ入ってください」
そう言って迎え入れられ、木製のコップに入れられた水を出された。
特に不思議な事もない水で、遠慮なく飲み干す。クロウは腰の水筒があるからと言って遠慮しているが、あの中の水に酒が混ぜられているのは分かりきった話だ。
「ところでお嬢さん、一体なんだって狼なんかに追っかけられてたんすか?」
クロウが思い出したように尋ねかける。
「えと……今日のお夕飯にと思って、芋を掘ってたんです」
「ははあん、大漁だったもんでついつい掘りすぎて、気付いたら狼に見つかっちまってたわけっすか」
「そうなんです……」
要するに間抜けをしでかしたというわけか。
まぁ、ありがちと言えばありがちな話かもしれんな。オレの村でも山や森に何か取りに行ったガキが一人や二人いなくなるなんてよくあった。野犬に襲われたんだか、怪我を負って帰って来れなくなったんだか知らんが。
そう言えばフェリスに兄貴が居たが帰って来なくて、滝壺に死体が浮かんでた事があったっけな……。
「オレたちが居てよかったな。ところで、この村に公衆浴場とかあるか?」
「無いですね」
「そっか……」
公衆浴場は結構一般的なものだから、もしかしてあるかもと思ったんだが……無いのならしょうがない。
元からそこまで期待してなかったしな。
「でも、歩いて三日くらいかかりますけど、ギムナシウムがある町が……」
「オレ女なんだけど」
「あ、そうでした……」
ギムナシウムは女は利用できない。そう言う風になっている。
元々あそこは若い男が肉体と知性を磨くための施設で、風呂があるのはついで……いや、風呂が主目的なのか?
まぁどっちでもいいが、いずれにしろ女が利用できない事に違いは無い。
「まぁいいさ。無理ならしょうがねえよ」
「野湯でもあればいいのだがな」
「そんな贅沢なもんがあったらとっくの昔にテルマエが出来とるわ」
あー、風呂に入りたい。
そう思いながらため息を吐いたところで、クロウが唐突に立ち上がる。
「この村って酒場あるっすか?」
「あ、はい。大きい通りにあるからすぐわかると思います。農作業が終わるころ……日が沈む少し前に開きますよ」
「そっすか。じゃあ、俺は軽く情報収集してくるっすよ。色々聞いてから酒場で一杯やりつつ聞いてくるんで、寝る頃には戻るっす」
「金あんのか?」
「さ、酒場で飲むくらいはあるっすよ……」
「ほれ」
腰にぶら下げていた財布から金貨を1枚取ってクロウに投げてやる。
それをクロウがキャッチすると、金貨だという事に気付いて目を剥く。
「おっほ、金貨! いいんすか姐さん!」
「情報収集をちゃんとするならな」
「頑張って来るっす!」
「いってこい」
ひらひらと手を振る。
嬉しそうに金貨一枚握りしめて走って行ったクロウを見送ると、リンが面白そうに笑いながら言う。
「優しいではないか」
「なにが」
「わざわざ金貨を奢ってやるとは。五杯は飲めるぞ」
「情報収集さえしてくるなら安いもんだ。金の使いどころを間違えるつもりはねえよ」
金ってのはしみったれた奴で、こっちから呼び寄せようとしない限りはちっとも帰ってきやしない。
だが、きっちりと使って、その使った金で得たものの使い方を間違えなければ、金は友達を引き連れて帰ってきてくれるものだ。
「第一、金なんざパァっと使っちまうもんなんだよ。重いし」
「まぁ、それは確かに……」
割と真剣に、重い。なにしろオレの手持ちの金貨は約800枚、これは全てドラクマ金貨であり、重さは3キロ半ば。
別に持てない重さではないが、腰にぶら下げて旅をするには厳しい重さだ。
「あのう、金貨が重いなら、両替すればいいんじゃ……銅貨を銀貨にすると軽くなるって言うし……」
ミカがそう言うが、生憎とそうはいかない。
いや、一応金貨の上の貨幣が無いわけではないのだが……。
「この国の金貨はドラクマだ。それは知ってるか?」
「はい。それくらいは知ってます」
ドラクマにも種類があるが、一番使用頻度の高い金貨がオレの持つ1ドラクマ金貨。小指の爪くらいのサイズしかない金貨だ。
ローマ風の癖に通貨はギリシャかよ、と思わないでもないが、そこはどうでもいい。
「ドラクマは貨幣価値であると同時に重さの単位でな、ドラクマ金貨はそれに従って重さが決められる」
「聞いたことないです」
「まぁ、普通は使わないしな」
オレだって存在知ったのはつい最近だ。
基本的に使うのは両替屋だけだって言うが、冒険者なら知ってて損は無いとデリックが教えてくれた。贋金つかまされる事もあるって言うしな。
「1ドラクマはおよそ4グラムだ。だから1ドラクマ金貨も4グラム。デュオドラクマは8グラム、テトラドラクマは17グラムだ」
四捨五入とか考えると、4.3グラムくらいなんだろう。
そう言えば、この世界普通にメートル法通じるんだよな……不思議だ。
「つまり、貨幣が上になればなるほど倍プッシュで重くなっていくってわけだ。一番上のドデカドラクマ……20ドラクマの事だが、それなんか90グラム近くあるらしい。つまり、両替しても枚数が減るだけで重さは変わらない」
なぜこうなるかというと、金貨には実態価値が求められているからだ。
1ドラクマで買える物は金4グラムと少しの価値があるという事であり、貨幣に価値があるのではなく、貨幣を構成する物質に価値があるのだ。
故に、4ドラクマが1ドラクマと同じ重さしかないと、実態価値が無い故に誰も使わない。すなわち信頼が喪われる。
故に、この世界の通貨は重い。重くて重くて、旅の支障になるくらい。
「へえー! そう言うわけなんですかー……」
なるほどなぁ、とミカがうんうん頷いている。
ちなみにデュオドラクマとかテトラドラクマとか出てきたが、ほとんど使われない。
根本的に1ドラクマで済むし、重さも変わらないので、戦勝記念とかの記念通貨扱いみたいなものだ。10ドラクマ金貨はまだ使われる方らしいが。
ついでに言うと、先述した通りドラクマ金貨の上の白銀貨もある事にはある。あるのだが、額面がデカすぎて相手側に釣りが無い事が多い。
こういった農村部ではそれが顕著なので、最初は金貨だけにしとけと言われてそうしている。
都市部なんかを拠点にしてる奴らは白銀貨で統一しても大して困らないというが。
さておき、そんな風に和やかに会話していると、家の扉が開いて誰かが入って来る。
クロウが喧嘩売られてボコボコになって帰って来たのかと思ったが、どうやら違った。
ミカによく似た、オレたちと同年代だろう女の子だった。
「ただいまお姉ちゃん、お客さん?」
「そうよ。冒険者さんなの。森で助けてもらったのよ」
「そうなの!? 冒険者なんだぁ……」
凄いなぁ、と言わんばかりの視線で見られるのが何ともくすぐったい。
思わず頬を掻いて視線を逸らしてしまう。リンに目線をやると、こちらも同じく頬を掻いて目線を逸らしていた。姉妹かオレらは。
「おい、真似すんじゃねえ」
「それはこっちのセリフだ。真似をするんじゃない」
互いに黙りこくり、睨み合う。
「……あほらし」
「……そうだな」
なんか気ぃ抜けた。なんかなぁ。
「まーいいや。一応、冒険者だ。つうてもまだ駆け出しだけどよ」
「私は武者修行の旅をしているが……まぁ、似たようなものだ」
そう言うと、そいつは目を輝かせて今までの冒険を聞かせて! とねだって来るが……話せるような内容がない……。
野盗をぶっ殺したと言って喜ぶだろうか? 多分喜ばない。ふーん……そうなんだ、で終わると思う。
戦争も殺し合いも身近過ぎるこの世界では赤の他人がいくら死のうが何とも思わないのが普通なので、怖いと言って泣いたりはしないと思うが。
「あー、そうだなー……じゃあ遠い国の話をしてやろう」
「ほんと? どんな?」
「そこに行けばどんな夢でも叶うという国でな。誰もがみんな行きたがる遥かな世界だ」
「へぇー……! そんな国がほんとうにあるの?」
「さぁ? その国の名はガンダーラ」
「ガンダーラ……」
「そう、愛の国ガンダーラだ」
つまり生きることの苦しみさえ消えるという国だ。旅だった人は居るがあまりに遠いぜ……。
そんな感じで、オレはプログレッシブ・ロックの草分けが歌うような国の嘘八百を並べ立てていくのだった。