共同戦線
怪鹿が地面を砕く。
ドォォンッ!!
爆発じみた轟音。
その巨体からは信じられないほどの速度で加速し、真っ直ぐバリケードへ向かってきた。
「来たよ!!」
玲奈が叫ぶ。
防壁の裏で歯を食いしばる。
直後。
ガァァァァァン!!
怪鹿が突っ込んだ。
衝撃だけで地面が揺れる。
硬化されたテーブルが軋み、椅子が悲鳴のような音を立てる。
だが。
「っ……!」
止まった。
完全には突破できていない。怪鹿の勢いが削がれている。
「マジで止まったんだけど!?」
「お前が作ったんだろ!」
「いや流石にビビるし! てか実戦でこれ初めてだし!」
玲奈が叫ぶ。
だが安心はできない。防壁のあちこちに、すでに悲鳴を上げている箇所がある。あと数回まともに受ければ終わりだ。
『脚部の結合部分を確認』
パンッ!
観察実習の場所から少し降りた丘の上から銃声が響く。理人の狙撃だ。
放たれた弾丸は空中で不自然な軌道を描き、怪鹿の右前脚へ命中した。
ギィンッ!!
硬質な金属音。
怪鹿が苛立たしげに首を振る。
『ペグとの接続部です。そこだけ可動域が不自然なのが確認できました』
「よく見えるな……」
『日々のトレーニングで鍛えてますので。この距離なら見落とすことはありません』
理人の返答は淡々としていた。
だが、インカムから聞こえる声には明らかな緊張が混じっている。
怪鹿が、再び蹄で地面を蹴った。
「また来る!」
玲奈が叫ぶ。
だが、その瞬間。旭はバリケードの外側へ飛び出し、足元から石を1つ拾い上げていた。
「天城!?」
玲奈が目を向ける。
旭は怪鹿を真っ直ぐ見据え、その石を思い切り投げつけた。
カンッ。
角に当たる。ダメージなど無い。だが、それでいい。
「おい」
旭が声を張り上げる。
「こっちだ、鉄串野郎!」
怪鹿の瞳が動いた。
濁った赤い視線が、明確に旭を捉える。
『天城さん!?』
理人の声が裏返る。
「何やってんの!?」
玲奈も叫んだ。
「囮だよ!」
旭は軽く肩を回した。
(前にもあった。公園で怪花に襲われた時も、試験の時もそうだ。俺の能力の目処は、なんとなく立ってる……)
怪鹿から目を逸らさない。保証なんてない。正直に言えばめちゃくちゃ怖いし、足だって震えている。
(でも――)
旭は、自嘲気味に口角を上げた。
「多分、いける」
『多分で命を賭けないでください!』
「俺だって賭けたくねぇよ! でも……俺にはこいつをぶっ飛ばす正面火力がねぇんだよ!」
怪鹿が咆哮する。
凄まじい勢いの突進。
「くっ!? だから朝比奈! お前が決めろ!」
旭は正面から怪鹿の前に躍り出た。
狙い通り、怪鹿は玲奈でも仄でもなく、旭だけを執拗に狙い定める。
「分かった。でも……時間かかる」
「上等だ! いくらでも引き回してやるよ!」
『そのまま右へ!』
理人の指示。
だが、旭は逃げない。直進してくる巨体に向かって、ニッと笑った。
「心配すんな……『陽炎』!!」
次の瞬間。
怪鹿の鉄串だらけの巨大な角が、旭の胴体を容赦なく真っ直ぐ貫いた。
「は? マジ……!?」
玲奈の顔から血の気が引く。
『あ、天城さ……ん!?』
狙撃スコープ越しに見ていた理人が言葉を失う。
圧倒的な殺戮。あまりの惨状に時が止まったかのようだった。
だが、異変に気づいた仄だけが、静かに周囲へ視線を巡らせていた。
直後――。
「うおぉぉぉぉおい!! こっちだヘタクソ!」
数メートル離れた岩陰から、ピンピンした旭が飛び出して怪鹿に追撃の石を投げつけた。
貫かれたはずの旭の姿が、揺らめく空気のようにフッと掻き消える。
「あ、あさひっち――!?」
『どうして……!?』
「俺の力はデコイを生み出すことだ! 避けてるんじゃなくて、最初から幻像に食いつかせてんだよ!」
走りながら旭が叫ぶ。怪鹿が急ターンし、再び旭を見据えた。
その瞬間――ピキピキと気味の悪い音を立てて、怪鹿の背中に絡みついていたボロボロのキャンプ用テントの布が大きく左右に広がった。
「は……? 布……!?」
まるで蝙蝠の翼だ。
怪鹿が力強く地面を蹴り上げると、その巨体がフワリと宙へ浮き上がった。
パサァッ!と破れたテント地が風を孕み、頭上から凄まじい速度で滑空してくる。
「飛ぶのかよアイツ!?」
地上だけだと思っていた攻撃パターンが一気に3次元へ変わる。
頭上からの急降下――逃げ場のない影が旭を覆う。
旭は咄嗟に地面を転がりながら、目の前に陽炎のデコイを置く。
ドガァァンッ!! 滑空した怪鹿のペグの先端と角が、デコイの旭を地面ごと粉砕した。
「あっぶねぇ! 突進だけじゃねぇのかよ!」
『空中戦なら僕の領域です!』
パンッ!
丘の上から間髪入れずに狙撃音が響く。
放たれた弾丸は空中でカーブを描き、再び滑空のために旋回しようとした怪鹿の翼――テント布の結び目を正確に撃ち抜いた。
バサァッ!
『右翼の展張を阻害! 滑空能力を制限しました!』
「ナイスだ理人!」
バランスを崩して地面へ引きずり降ろされる怪鹿。
空中からの強襲を潰され、苛立ちを爆発させた怪鹿は、再び地上から旭のデコイへと猛然と突進を開始する。
「よし! 翼を潰されて余計に頭に血が上ったな。完全にこっちにヘイトが向いた!」
冷や汗を拭いながら、冷静に戦況を分析する旭。
一方――。
旭に名指しされた仄は動かず、地面へ両手を添えたままじっとしていた。
ずっと、何かを紡ぎ続けている。彼女の足元から、本来は木に生えるはずの赤い椿が、不気味なほど周囲に増殖していた。
「朝比奈!」
旭が叫ぶ。
「まだか!?」
「まだ」
短い返答。
「何してんの!?」
玲奈が痺れを切らして聞く。
「準備」
仄はそれ以上答えない。
ただ、地面の下で、何か巨大なものがドクドクと脈打っているような地響きだけが広がっていた。
(いい感じだ。こいつの動きは単調だし、狙いさえ俺に固定しておけば……このまま朝比奈の準備が終わるまで稼ぎ切れる!)
◇
丘の上。
避難した人々を見守っていた蓮司が、不意に眉をひそめる。
「どうした」
一人の男性が、顔を青ざめさせてガタガタと震えていた。
「父が……父がまだ、戻ってないんです」
嫌な予感が頭をよぎる。
「その人は今どこに?」
「朝から、キノコ採りに……」
蓮司が無言になる。
理人も一瞬だけ、スコープから目を離した。
「今、それ言います?」
「なるほどね〜……」
いつもおちゃらけている雰囲気の蓮司が、珍しくガシガシと頭を掻きむしる。
最悪だ。これ以上ないほど最悪のタイミングだった。
◇
そして、キャンプ場の遠くの森の境界線から。
「おーい!」
場違いなほど呑気な声が響き渡った。
全員がそちらを振り返る。
そこには、大きな籠いっぱいに溢れんばかりのキノコを抱えた老人が立っていた。
「いやぁ!」
老人は満面の笑みで収穫を掲げる。
「今日は大豊作じゃのう!」
キャンプ場と丘の上の空気が、一瞬で凍りついた。
そして同時に。
キャンプ場で旭のデコイを追って暴れ回っていた怪鹿もまた。
ピキリ、と動きを止め、ゆっくりと――その老人の方へと顔を向けた。
怪鹿の濁った赤い瞳が、老人を捉える。
(まずい――!)
旭の顔から血の気が引いた。
距離がある。走っても間に合わない。
理人の射撃も角度的に通らない。バリケードからも遠すぎる。
このままでは――。
「っ……!」
その時だった。
旭の視界の端で、空気がゆらりと揺らぐ。
陽炎。
先ほどまで自分が駆け回っていた場所だ。
怪鹿の突進を避け続け、何度も能力を発動させた痕跡。
そこに、微かに熱が残っている。まるで焚き火の消えかけた残り火のように。
(待てよ……)
旭は息を呑んだ。
陽炎は突然現れるだけじゃない。消えた後にも「何か」が残っている。
試験の後にも、そんな感覚を覚えたことがあった。
理屈なんて分からない。でも――。
(もしこれが、俺の能力の残りカスなら……!)
手を伸ばす。
揺らぐ空気へ。残された熱へ。残滓へ。
触れられないはずのそれを、強引に掴み取るイメージで。
「来い……っ!」
揺らぎが集まった。
熱が形を持ち、輪郭が生まれ、人影になる。
「頼む……!」
次の瞬間。
怪鹿のすぐ目の前に立っていたのは――もう一人の天城旭だった。
「できた……!」
怪鹿の首が勢いよく動いた。
老人から視線が逸れ、赤い瞳が見開かれる。
そこにいるはずのない旭。理解できない異常。
怪鹿が怒りの咆哮を上げ、老人ではなく偽物の旭へ向かって突進を開始した。
「よしっ!」
旭は反射的に駆け出した。老人の元へ飛び込む。
「じいちゃん!」
「お、おう?」
「説明は後!」
「なんじゃなんじゃ!? ワシのキノコが――」
「いいから逃げるぞ!」
強引に腕を引っ張り、状況が理解できていない老人を半ば担ぐようにして走り出した。
「玲奈ぁ!!」
「こっち! 早く!」
玲奈が硬化されたテントの入口を開いて叫ぶ。
旭は老人を支えながら、滑り込むように硬化テントへ飛び込んだ。
「何なんじゃ一体……!」
「説明は後です!」
「じいちゃんも奥! 早く!」
玲奈が老人をシェルターの奥へ押し込む。
直後、遠くで怪鹿が怒りの咆哮を上げた。
陽炎の偽旭が噛み砕かれて消えたのだろう。再び本物を探して周囲を警戒し始めている。
その様子を見た玲奈は、仄へ振り返った。
「ほのの」
仄は相変わらず、地面へ両手を添えたまま動かない。
「できた?」
短い問い。数秒の沈黙の後、
「できた」
仄が短く答えた。
玲奈がふっと息を吐く。
「やっとかし」
旭も思わず安堵の息を漏らす。
ここまで引き付ければ十分だ。あとは仄が決めてくれる。
しかし、
「――中」
仄がぽつりと言った。
「え?」
「中にいて」
玲奈が眉をひそめる。
「は?」
「危ない」
相変わらず言葉が足りない。だが、その声はいつもより少しだけ真剣だった。
「何する……気だ?」
旭が尋ねる。
仄は答えない。ただ怪鹿を見つめ、
「このままだと巻き込む」
一言だけ告げた。
その瞬間だった。
旭の足元が微かに震えた。
ドクン。
まるで大地の下で、巨大な心臓が脈打ったような不気味な感覚。
玲奈の表情が一変する。
「……マジ?」
仄は小さく頷いた。
「うん」
「全員中!!」
玲奈が叫び、即座にテントへ飛び込んでくる。
「ちょ、待っ――」
「いいから入れし!」
旭の服を掴んで引きずり込む。
三人がシェルターへ転がり込み、即席の硬化扉が完全に閉ざされた。
外では、怪鹿がようやく本物の気配を察知し、こちらへ身体を向けていた。
怒りに満ちた咆哮。地面を叩くペグの脚。次の突撃に備えている。
だが、その突撃の渦中に――仄だけが一人、広場の中心で立ち尽くしていた。
彼女の足元から、無数の椿が激しく震え始める。
怪鹿が地面を蹴った。
標的は仄。一直線の突進。怒りによって限界を超えた速度。
『来ます!』
理人の叫びと同時に、丘の上から銃聲が響く。
パンッ!
不自然に曲がった弾丸が、怪鹿の右前脚――ペグとの接続部へ直撃。
ギィンッ!!
ほんの僅か、怪鹿の体勢が崩れた。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬こそが、仄に与えられた決定的な隙だった。
「…………」
仄は怪鹿を見つめる。
玲奈が止め、理人が撃ち、旭が引き付けた。
(……全部、本来なら必要ないはずだった)
合理的ではない。一人で処理した方が早かったはずだ。
ずっとそう思っていた。
でも――結果として今、怪鹿は最高の状態で自分の目の前に晒されている。
(……仲間)
旭の言葉が、脳裏をよぎった。
仄は小さく呟く。
「……少しだけ」
そして。
「分かった」
ドクン。
大地が激しく揺れた。
一本、十本、百本――キャンプ場全体に覆始める。その無数の椿が一斉に舞い上がる。
花弁、枝、幹、根。全てが仄の手元へ集まり、凝縮されていく。
赤。ただ濃密な、血のような紅。
それが集まり、圧縮され、巨大な質量へと姿を変えていく。
『 何ですかそれ!?』
理人の聞いたことがないと言わんばかりの声。
「デッカ!!」
玲奈もシェルターの中で叫ぶ。
隙間から外を見ていた旭は、息を呑んだ。
そこに現れたのは、椿で形成された紅の巨大な戦槌。
「海石榴血華変武装」
仄が静かに宣言する。
怪鹿が咆哮し、仄を殺すためだけに再加速する。
鉄串の角、焼き網、ロープ、ペグ――全てを纏った異形の突進。
だが、仄は動かない。避けない。逃げない。
巨大な戦槌を握り締め――力強く一歩、踏み出した。
ズドォンッ!
地面が砕け、仄の身体が跳ね上がる。
「終わり」
迫り来る怪鹿の巨体へ向け、紅の凶器が頭上から振り下ろされた。
轟音。世界が真っ赤に染まる。
ドォォォォォォォンッ!!!
爆発的な衝撃波。
硬化テントが激しく揺れ、旭は壁へ叩きつけられた。
「うおっ!?」
「ひぃぃぃ!?」
「ほのの! 加減しろし!!」
玲奈の悲鳴が響き渡る。
◇
数秒後。
ようやく揺れが収まり、静寂が訪れた。
旭は痛む身体を起こし、慎重にテントの外へ出た。
そこにあったのは、巨大なクレーター。
中心で完全に粉砕され、地面へ沈み込んだ怪鹿の残骸。
そして――。
静まり返った広場の中央で、ぽつりと一人たたずむ、黒髪の少女の姿だけだった。
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
風だけが、静かに吹き抜けていく。
さっきまで怪鹿が暴れ回っていたキャンプ場は、嘘のように静まり返っていた。
「終わった……?」
旭がぽつりと呟く。
「終わり」
仄が短く答えた。
いつも通りの無表情。まるで散歩でも終えたかのような軽い口調だった。
「いや、終わりじゃないし!」
玲奈が叫ぶ。
「ほのの!」
「?」
「次から先に言えし!」
「何を?」
「巻き込むやつ!」
「分かった」
「あ!絶対分かってない顔してる!!」
噛み合っているようで噛み合っていない二人のやり取りに、旭は思わず吹き出してしまった。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた緊張が一気に抜けていくのを感じた。
◇
しばらくして、安全が確認された丘の上から避難していた人々が戻ってきた。
「親父ぃ!!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、あの老人の息子だった。
「おお」
老人は大きなキノコの籠を抱えたまま、呑気に手を振る。
「無事じゃったぞ」
「そういう問題じゃないだろ!!」
今にも泣き出しそうな顔で怒鳴りつける息子に、老人は困ったように家族に頭を下げていた。
「すまんすまん、豊作でついな……」
そのやり取りを遠目に見ながら、旭は小さく息を吐く。
「良かったな」
「……ん」
隣に立つ仄も、小さく頷いた。
◇
「お疲れさん」
蓮司が歩いてくる。その後ろには理人の姿もあった。
「初実習としては、まぁ上出来じゃねーか。先生は嬉しいぞ。まぁ流石にあの急なアクシデントには俺もヒヤヒヤしたがな」
「珍し。センセーが褒めてる。てかだったら早く助けろし」
玲奈が目を丸くする。
「こういう場所は、俺の能力があまり発揮されなくてな」
「え?センセーって意外と奥手なカンジ〜?」
「うるせ」
蓮司は面倒臭そうに頭を掻きむしった。
「でもまぁ、全員生きてる。それが一番だ」
地中に沈み込んだ怪鹿の残骸を見つめながら言う蓮司の言葉に、旭も深く同意した。
◇
少し離れた場所。
理人が狙撃銃を肩に担ぎながら近付いてくる。
「天城さん」
「ん?」
旭が振り返ると、理人は眼鏡のフレームをすっと押し上げた。
「理解しましたよ」
「何が?」
「あなたの能力です」
旭は思わず苦笑する。
「俺自身、まだよく分かってないんだけどな」
「陽動ですね」
「陽動?」
「ええ。幻像を生み出して敵の認識を攪乱し、ヘイトを独占することです」
「お、おう……」
「正直、かなり優秀だと思います」
「そうか?」
「ええ」
理人は迷いなく頷いた。
「今回も、あなたが完全にヘイトを買ってくれたからこそ、朝比奈さんの最大火力の準備時間を完璧に確保できましたから」
「結果的には、だけどな」
「戦場において結果が全てですよ。ですが――これは実習なんです! これからはちゃんと話し合っていきましょうね!」
理人の鋭い指摘に、旭は何も言い返せなかった。実際、旭は理人の指示を半分無視する形で飛び出し、仄の元へ向かってしまっていたのだから。
「天城さんの能力は、味方がいてこそ輝く能力なんです。少なくとも一人で戦う能力には見えません」
「……それ、褒めてる?」
「褒めています」
一切の冗談を含まない真顔だった。
自分では未だによく分からない、陽炎を出すという能力。
独断専行を反省しつつも、誰かの役に立ち、こうして仲間として認められたのだとしたら。
(……悪くないな)
旭は反省と、少しの照れ臭さを隠すように頭を掻いた。
ゆっくりと沈み始めた夕陽が、問題児クラス全員で掴んだ最初の勝利を静かに照らしていた。




