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晴れのち裂け目

 翌朝。

 午前五時四十分。


「眠すぎだろ……勘弁してくれ……」


 旭は盛大な欠伸を噛み殺しながら、教習所の駐車場へと向かってトボトボと歩いていた。空はまだ薄暗い濃紺に包まれており、街も完全には目を覚ましていない。そんな時間だというのに。


「あ、あさひっち……おはよー……」


 駐車場前のベンチには、既に玲奈の姿があった。眠そう、というレベルではない。魂が半分口から出かかっているような死に体だ。自慢の長い金髪は派手な寝癖でぴょこぴょこと跳ねており、虚ろなギャル特有の濁った目で、どこか遠くの虚空を見つめている。

 

「大丈夫か、お前……」

 

「全然。む〜り〜」


 即答だった。

 

「朝六時集合とかガチで人権ないし……あーし、お肌のゴールデンタイム死んだんだけど……」

 

 旭には何を言っているのかよく分からなかったが、ぐったりとベンチに沈む玲奈には、奇妙な説得力しかなかった。


「おはようございます、お二人とも」

 

 背後から、仕立てのいい制服をキッチリと着こなした理人が歩いてきた。こんな早朝だというのに、眼鏡のレンズには曇り1つなく、髪の毛一本乱れていない。既に完全なオンの状態だった。

 

「結城は変わらないな」

 

「十分前行動は組織人の基本ですから」

 

「真面目だなぁ」

 

「普通ですよ」

 

「その普通ができない人間が世の大半だと俺は思うぜ」

 

「そうでしょうか」


 理人は首を傾げた。


「僕も普通に眠いですよ」


 理人の顔が笑顔になる。

 さらに数分後。

 

「うーっす、集まってるか」

 

 信じられないほど気怠そうな声と共に、担任教官の蓮司が現れた。涙目をこすりながら歩いてくるその姿は、市民を守るイグゼクターというより、完全に休日のパチンコ屋の列に並ぶサラリーマンのそれだ。

 

「センセー、自分から眠そうにするのやめてもらっていいですか」

 

 玲奈がジト目でツッコむが、蓮司は悪びれもせず鼻を鳴らした。

 

「実際眠いんだからしょうがねぇだろ。隠す意味あんのか?」

 

「士気がだだ下がり~になるって」


 最後に、影のように音もなく現れたのは仄だった。

 

「おはよう」

 

 鈴を転がすような静かな声。朝一番だというのに、彼女の透き通った瞳には微塵の眠気も混じっていない。

 

「朝、強いんだな」

 

 旭が感心して尋ねると、仄は小さな声で答える。

 

「朝は好き」

 

「それならもっと元気出してこうぜ」

 

 仄は心外だと言いたげに、綺麗な眉をほんの少しだけ寄せてそっぽを向いた。


「よし」

 

 蓮司が全員を見回し、ポケットから車のキーを取り出して指先で弄ぶ。

 

「揃ったな。今日の目的地――観測地点までは車で一時間だ」

 

「長ァい……無理、あーし車内で1回死ぬわ……」

 

 玲奈が今にも溶けて座席と同化しそうな声を漏らす中、蓮司はさっさと歩き出した。

 

「ほら、さっさと乗れ乗れ」


 ◇

 

 教習所が所有する大型のワンボックスカーが発進する。

 当然、運転席を陣取っているのは蓮司なのだが――そのドライビングテクニックは、一言で言って最悪だった。協会まで送ってくれた時の運転とは話が違う。

 

「おい待て怖っ!? 蓮司さん!死ぬ死ぬ死ぬ!!」

 

 旭は思わずアシストグリップへ必死にしがみついた。

 

「あ? 普通だろ。」

 

「どこがだよ!!あんときの運転は?」


「アレは協会の車だ。傷ついたら何言われるか分からねぇ」


「それと同じように俺らも大事にしてくれよ!」


「まぁ訓練だ。訓練」

 

 車は険しい山道を、まるでグランプリのレースさながらの速度でぐんぐん加速し、激しくカーブを曲がっていく。助手席の理人も、青ざめた顔で無言のままシートベルトを両手で強く握りしめていた。

 唯一、後部座席の仄だけが、遠心力に揺られながら平然と窓の外を眺めている。この理不尽なGに慣れているらしい。恐ろしい少女だ。


「そ、そういえばさ……!」

 

 旭は引きつる顔を引き締め、少しでも恐怖を紛らわせようと話題を振った。

 

「能力について、ちょっと初歩的な質問いいか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 理人がダッシュボードを見つめたまま、硬い声で応じる。

 

「能力って、やっぱり生まれつきのモンなのか?」

 

「はい」

 

 理人は頷いた。

 

「能力は完全な先天性です。後天的に発現したり、手に入れたりする方法はありません」

 

「どんなに努力しても?」

 

「不可能です」

 

 きっぱりとした断言。

 

「能力そのものの有無や出力は、血統と才能の領域ですね」

 

「へぇ……」

 

 旭は少し意外だった。漫画やアニメのように、過酷な修行の末に覚醒する、といったパターンはこの世界には存在しないらしい。


「ただし」

 

 理人がメガネの奥の目を鋭くする。

 

「能力の使い方は別です。元になる能力が同じでも、コントロールの精度や応用次第で、実力には天と地ほどの差が生まれます」

 

「そうそう」

 

 後部座席で横になっていた玲奈が、気怠げに身を起こして口を挟んだ。

 

「どんなに強い能力持ってても、使い方が下手くそな奴は現場で普通に死ぬし。逆に地味な能力でも、使い方がヤバい奴はマジで強いんだよねー。マジ憧れ」

 

「なるほど」

 

 その辺りは、いくら強キャラを使ってもプレイヤーのプレイスキル次第で負ける、対戦ゲームの仕様にそっくりだな、と旭は腑に落ちた。


「あとは、能力者の家系というものも存在します」

 

 理人がさらに説明を加える。

 

「ある程度の遺伝傾向がありますからね。完全に同一の異能ではありませんが」

 

「あー、それ言うならあーしん家とかね」

 

 玲奈が、ラインストーンの光る親指で自身の胸元を指した。

 

「え?」

 

「剛柔院家」

 

 旭が首を傾げ疑問に思っていると、理人がどこか羨望の混じった声で補足した。

 

「有名ですよ。代々、正義のために尽力している、歴史ある能力者一族です」

 

「マジか」

 

 旭は素直に驚き、まじまじと玲奈の顔を見た。正直に言わせてもらえば――この目の前でだらしなく座っている金髪ギャルから、名門だの一族だのといった厳格なオーラは一ミクロンも感じられない。


「……ねぇあさひっち、今ガチで失礼なこと考えたっしょ」

 

「少しだけ」

 

「少しじゃないし! 目がマジかよこのギャルが?って言ってたし!」

 

 玲奈が不満そうに唇を尖らせてぷいっとそっぽを向く。

 

「一応、あーしのお兄ちゃんも現役でバリバリやってるイグゼクターなんだからね。……超クソ真面目でウザいけど」

 

 愚痴っぽく付け加えられたその言葉には、名門ゆえの少しだけ複雑なニュアンスが混ざっていた。


「剛柔院家の方針は力は人を守るために使うですからね。教習所でも模範とされています」

 

 理人が言うと、玲奈はふーっと小さく息を吐き出し、車の窓ガラスに額を押し付けた。

 

「立派なんだけどさぁ……ぶっちゃけ超窮屈なんだよね」

 

 ぽつりと、掠れるような本音がこぼれる。

 

「勝手に期待されるし、お兄ちゃんと比較されるし、ちゃんとしろってうるさいし……あーし的には、マジで面倒じゃん?」

 

 最後はいつもの軽い調子に無理やり戻していたが、それが彼女の本心であることは、旭にもなんとなく察せられた。


「そういやさー、あさひっちの記憶喪失ってガチなの?センセーから事前に聞いてたけど」

 

 玲奈がガラリと雰囲気を変えるように尋ねてくる。

 

「あぁ……ガチだ」

 

 旭は神妙に頷いた。

 

「どのくらい無いの?」

 

「自分の名前は覚えてる。ただ……この世界の知識みたいなのが、すっぽり抜け落ちてる状態だな」

 

 ボロが出ないように慎重に、なんとか会話の表面を合わせた。玲奈はネイルを弄る手を止め、少しだけ真面目な顔になった。

 

「それ……普通に生活するだけでも超大変じゃん」

 

「まあな」

 

「ですがそれってデータとして妙だと思います」

 

 理人が顎に手を当てて考え込む。

 

「一般的な外傷性や精神性の記憶喪失とは、少し毛色が違う気がしますね。まるで、必要な知識だけが意図的にロックされているような……」

 

「そう言われても、俺自身が一番分からんしな」

 

 こればかりは、痛いところを突かれた感じで説明のしようがなかった。


「……怖くない?」

 

 不意に、後部座席から仄の静かな声が響いた。

 

「何がだ?」

 

「自分が何者か、思い出せないこと」

 

 仄のまっすぐな瞳が、バックミラー越しに旭を射抜く。

 旭は少しだけの間、思考を巡らせた。

 

「うーん……怖いよ、普通に」

 

 偽りのない本音を口にする。

 

「でもさ」

 

 旭は助手席のシートに背を預け、小さく肩を竦めた。

 

「今さら慌てて奔走しても記憶が戻るわけじゃないしな。だったら、今思ったことを1つずつやっていくしかないと思うんだ。まぁそれがイグゼクターになりたい理由だしな」

 

 仄はバックミラー越しに、旭の顔を数秒間じっと見つめていた。

 

「……そう」

 

 小さく、納得したように呟き、再び視線を窓の外へと戻した。

 しばらくして、話題は再び能力の区分へと戻った。

 

「能力者って、みんな同じような扱いなのか? なんか、特別なカテゴリとかないのか?」

 

 旭が尋ねると、理人と玲奈が同時に、大げさなくらい首を横に振った。

 

「あります!」

 

「マジ格差エグいから!」

 

「?」

 

「――星冠種(せいかんしゅ)ですよ」

 

 理人が、その響きだけで敬意を示すような厳かな口調で言った。

 

「星冠種?」

 

「自然の力を司る、最上位の能力者たちの総称です」

 

 理人は丁寧に説明を続ける。

 

「炎、氷、風、雷……そういった、世界の理そのものである自然現象を直接操る異能。それが星冠。彼らは生まれながらにして、星の頭冠を戴く者、と称されているんです」

 

「へぇ……」

 

「だからへぇじゃないんだって!」

 

 玲奈が呆れたように肩を揺らした。

 

「戦場の絶対的な花形! 第一線でバケモノ級の活躍してるトップイグゼクターって、大体その星冠種なんだからね!?」

 

「そんなに凄いのか」

 

「極めて希少なんです」

 

 理人も深く頷く。

 

「一般的な異能とは完全に一線を画します。僕らのような教習所の生徒が、一生かけても届かないような雲の上の存在……それが星冠種なんです」

 

「お前らは、実際に会ったことあるのか?」

 

 旭が興味本位で尋ねると

 

「あるわけないし」

 

 玲奈が即答した。

 

「なんかさ、協会って色んなとこにあって、そこ所属でフツーに活動してるイグゼクターもいるんだけどね? 星冠種レベルになるとガチで別世界。テレビとかニュースの向こう側の存在だし、あーしらが普段拝めるような器じゃないわけ!」


 玲奈がドヤっと旭に熱弁する。

 

「僕も実際に見たことはありません。教習所と建物がつながっているイグゼクター協会の本部の人ですら、そう頻繁にお目にかかれる存在ではありませんからね。」


 よほどの憧れなのか予想以上のテンションの二人を余所に、運転席の男が、何気ない口調でハンドルを切りながら呟いた。

 

「ま、俺もそうだしな」

 

 ガタゴトと揺れる車内が、一瞬で水を打ったように静まり返った。


「……え?」

 

 旭の思考がフリーズする。

 

「は?」

 

 玲奈の表情が完全に固まる。

 

「え……?」

 

 理人もまた、目を見開いたまま石化していた。

 ただ一人、後部座席の仄だけが、最初から知っていたかのように平然と窓の外の景色を眺めていた。


「ちょっとセンセー」

 

 玲奈が助手席の背もたれを激しく叩き、運転席へ身を乗り出す。

 

「ちょっと今のナニ!? スルーできないんだけど。マジで聞き捨てならないし!」

 

「だから」

 

 蓮司は荒い運転をしながらもまた1つ大きな欠伸を噛み殺しながら、気怠げに応じた。

 

「俺もその星冠種だって話だよ」

 

 車内の完全な沈黙。


「聞いてないんですけどォ!?」

 

 玲奈の鼓膜を破らんばかりの絶叫が車内に響き渡った。

 

「お前らが聞かなかったから言ってないだけだろ」

 

「いや言えし! 担任のプロフィールとして一番大事なとこじゃん!?」

 

「言う必要なかっただろ、別に」

 

「あります! 大ありですよ!!」

 

 普段は冷静な理人すら、珍しく眼鏡をずり落としながら驚愕を隠せていなかった。

 

「初耳です……相馬先生が、星冠種だなんて……」

 

「そうだっけか?」

 

「そうです!」

 

「まぁどうでもいいだろ」

 

「よくありません!!」

 

 息の合ったツッコミの応酬に、旭は思わず頬を緩めた。普段のあの気の抜けた、ただの不真面目な昼行灯といった態度からすっかり忘れそうになるが――どうやら相馬蓮司という男は、自分たちが思っている以上に、とんでもない規格外の傑物らしい。


「ほら、着いたぞ」


 キキィ、とタイヤを鳴らして蓮司が車を停めた。

 旭は車を降り、辺りを見回す。


「思ってたより、普通だな……」


 それが、率直な感想だった。

 そこは山間部の開けた場所だった。少し離れた場所には整備された遊歩道が伸びており、木製の案内板や、休憩用の東屋がポツンと佇んでいる。遠くにはキャンプ場らしき設備とその近くでテントを楽しそうに組み立てている人たちの姿がポツポツといた。

 たくさんの人がいる人気スポットという訳ではないが、程よく客足が途絶えない穴場スポットという印象だった。


「完全な山奥ってわけじゃないんだな」


「観測地点ですからね」

 

 理人が答える。

 

「裂け目は人里から離れた場所に発生しやすい傾向がありますが、誰も近寄らないような完全な未開の地ばかりを監視していても意味がありません。実際に人間に被害が出る可能性のある場所を優先して、こうして観測網を敷いているんです」


「へぇ」


「近くにキャンプ場もあるしねー」

 

 玲奈が乗ってきた車に寄りかかり、気怠そうにうーんと伸びをした。

 

「ほんと面倒だし。せっかくの休みだったなら、こんな山の中で観測なんかしてないで、みんなでバーベキューとかしたかったんだけど」


「お前、自分が何しに来たか分かってんのか……」


「あーしも今それ自分で聞きたいって思った」

 

 玲奈はどこまでも真顔だった。どうやら本気でいってるらしい。

 

 (仕事をしてくれ、切実に)


 ふと、旭は顔を上げた。

 ざわざわと風が木々を揺らし、小鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。

 見た目は、どこにでもあるただののどかな山だった。

 仄は地面に生えた草をじっと眺めていた。何が楽しいのかは分からない。

 だが、普段より少しだけ機嫌が良さそうに見えた。

 

「見た感じは普通の山だけどな」


 旭が辺りを見回す。


「本当に裂け目が頻出するのか?」

 

「五感で感じるのも含めて実習だ。今日はまず、裂け目の観測手順について学べ」


 それだけ言い残し、蓮司は背を向けて観測機材の確認へと歩いていく。


「それじゃ、まずは周辺の異常確認からですね」

 

 理人が携帯型の観測端末を取り出し、手際よく操作し始める。


「なぁ、こういうのって班行動とか、教官の指示の元で動くんじゃないのか?」


「相馬先生ですよ?」

 

 理人が哀れみの混じった、完全に悟りを開いた真顔で言った。

 

「あの人にまともな教育能力を期待したら、その時点で負けです」


 なるほど、妙に納得してしまった。むしろ理人はこの教官の奔放さでこんなに真面目になっているのだろうと考えていた。

 そうして、旭にとって記念すべき最初の観測実習が始まった。

 丘の上で理人と旭だけが端末とにらめっこしながら1時間が経った。


(1時間も反応ないって事は今日は出ないって事か?まぁそれなら平和って事で良いことなのか)

 

 そう旭が心の中で結論づけようとしていた時。

 ピピッ、と理人の手元の端末が甲高い警告音を鳴らす。

 理人が端末の画面を見つめ、その細い眉をピキリとひそめた。


「――反応があります」


 その一言で。

 それまで現場を支配していた、どこか緩んでいた空気が一瞬にして氷点下まで凍りついた。


「規模は?」

 

 蓮司が機材から手を離し、鋭い声で問う。


「小規模……いや違う」


 理人の声が強張る。


「反応が増大しています!中規模です」

 

 理人が分かりやすく伝えるようハキハキとした声で蓮司に報告する。


 玲奈が爪を弄るのを止め、仄の瞳にスッと鋭い光が宿る。全員が、一瞬で戦う側の表情に変わる。ただ一人、実戦経験のない旭だけが、その数値の意味を理解できずに息を呑むことしかできない。

 しかし、次の瞬間。

 理解など、必要としない現実が目の前に突きつけられた。

 ごう、と、山全体の空気が一気に引き絞られるような重圧。


 目の前、わずか数十メートル上の空間が、ぐにゃりと歪み、ヒビが入った。

 まるで見えない巨大な獣が、空そのものに爪を立てて引き裂いたかのように。

 青空と木々の境界線がズタズタに裂けてパリン、と割れた。


「裂け目……っ!」

 

 理人が悲痛に呟く。

 旭はただ、圧倒的な存在感を放つその世界の傷口を見上げ、息を呑むことしかできなかった。

 その中にいたものが今まさに、彼らの目の前で産声を上げようとしていた――。

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