オート
パトロール研修まで、残された時間はあと二日――。
それまでに、以前の戦闘で制御しきれなかった謎の力――旭の内側に潜む異能の精度を、少しでも高めておく必要があった。理人達にあんなことを言われた以上、旭自身も少しは心配になる。
(何にも起きないとは思うけど……な?一応……)
旭は道場の中央で深く息を吐き出すと、目の前に立つ白石へと向き直る。
「今日もよろしくお願いします!」
腰を深く落とし、しっかりと頭を下げて丁寧な挨拶を口にする。すると、対峙する白石は満足そうに目を細め、両手の指でカメラのフレームを作るような大袈裟な仕草を向けてきた。
「アハ☆ 天城くん☆ だんだん爽やかになってきたね☆ もっと爽やかになれるように……爽やかビーム☆」
バチコンッ! と効果音が聞こえてきそうなウィンクと怪しいポージング。だが、旭はそれを呼吸するようにスルーし、一切表情を変えずに本題を切り出した。
「今日は……ってか、具体的に何をやるんですか?」
「アハ☆ 見事なスルー、悲しいな☆ 今日は組み手――いわゆる制圧術を会得していこう☆」
白石は大袈裟に肩をすくめてみせたあと、ポンと手を叩いて告げる。
「組み手……蓮司さんが最初に言ってたやつか。でも、今までやってた特訓と何が違うんだ?」
「良い視点!☆」
白石はビシッと人差し指を旭に向け、楽しそうに言葉を続けた。
「今までやっていたのは、主に体力作りの延長線さ☆ 簡単に言えば『攻め』の強化☆ でも、今の天城くんの成長速度と異能質の相性を見るに、ここからは組み手による制圧――さっきとは逆の『守り』の強化をしていこう!という違いさ☆」
「守り……! それはそれで、なんかカッコいいかも!」
「うんうん☆ それじゃあ僕が敵役をやるから、色んなシチュエーションを想定して軽くやってみようか☆」
「わかったぜ!」
道着に身を包んだ旭は、前から襲いかかられた時、後ろから不意に抱きすくめられた時、既に胸ぐらを掴まれて組み付かれている時――あらゆる実戦的状況を想定しながら、白石相手に何度も何度も叩き込まれる特訓に汗を流すのだった。
そして数十分後。
「よし☆ じゃあ次は正面から胸ぐらを掴まれた時の対処ね☆」
白石がそう言うなり、旭の胸元をガシッと掴んでぐいっと引き寄せた。
「うおっ!?」
反射的に旭は白石の腕を振り払おうと、腕にグッと力を込める。
だが、白石の腕は岩のようにびくともしない。
「……動かねぇ!?」
「アハ☆ 力任せに勝とうとしてるね☆」
白石はニヤリと楽しそうに笑う。
「だって、掴まれたら振り払うのが普通だろ!?」
「相手が自分より弱ければね☆ でも、格上だったらどうする?☆」
「あ……」
「制圧術の基本は『力比べをしないこと』☆」
言いながら、白石は旭の手首へと軽く指を添えた。
「いいかい☆ 例えばこうして胸ぐらを掴まれた場合☆」
白石が旭の腕の角度を、ほんの少しだけ外側へと回転させる。
「うっ……!?」
たったそれだけの動作で、旭の体勢がぐらりと大きく崩れた。
「人間の関節には、曲がる方向と曲がらない方向がある☆ 力じゃなくて『身体の構造』を利用するんだよ☆」
「なるほど……!」
「そのまま相手の肘を押さえて、横に流す☆」
旭は言われた通り、半信半疑で手を動かしてみる。すると、白石の身体が滑らかな軌道を描いて前へと流れた。
「おぉっ!?」
「そして、足を滑らせるように引っ掛けたら……」
――トン。
白石は自ら倒れ込むように綺麗な受け身を取ってみせた。ポンと心地よい音を立てて、畳に背中が触れる。
「アハ☆ これで制圧完了☆」
「今の、すげぇ……!」
「ね?☆ ほとんど力は使ってないよ☆」
旭は思わず、自分の両手をまじまじと見下ろした。今までの訓練は、殴る、蹴る、避けるといった単純な運動が中心だった。だが、今教わった技は全く違う。相手を傷つけるためではなく、相手の動きを安全に封じるための技術。まさに『守り』の技だった。
「よし☆ 次は天城くんが実践してみようか☆」
「おう!」
旭は気合い十分に、白石の胸ぐらをガシッと掴む。そして先ほど見た通りに腕を捻ろうとした――その瞬間。
視界がぐるりと一変した。
「え?」
気づいた時には、自分が背中から畳に叩きつけられていた。
「いてっ!?」
「アハ☆ 動きが雑ぅ!☆」
上から見下ろす白石が、腹を抱えて楽しそうに笑う。
「なんでだよ! 今教わった手順の通りにやっただろ!?」
「手順だけを真似したからさ☆」
「手順だけ……?」
「制圧術ってのはね、相手の『重心』を見るんだよ☆」
白石は旭の横にしゃがみ込むと、旭の額を指先でちょんとつついた。
「天城くんは形ばっかり追ってた☆ でも僕は、技に入る前にまず君の重心をずらしていたんだ☆」
「重心……」
「相手が足元を踏ん張れている状態じゃ、どんな技も決まらない☆ 逆に体勢さえ崩してしまえば、最小限の力で簡単に倒せる☆」
白石はすっと立ち上がる。
「強い人ほど、力じゃなくてバランスを奪うのが上手いんだ☆」
「なるほどな……」
「だから制圧術は守りの技でありながら、同時に『観察力』の訓練でもあるんだよ☆」
そう言って、白石はビシッと人差し指を立ててみせた。
「敵をただ見るんじゃない☆ 敵がどこに体重を乗せているかを見極めるんだ☆」
「……なんか、急に教官っぽいこと言い出したな」
「アハ☆ 僕は最初から教官だよ☆」
「たまに忘れそうになるんだよなぁ……」
旭が苦笑いを浮かべると、白石は満足そうに微笑んだ。重心を意識したことはやっていたが、それはあくまで自分の重心。今度は相手の重心を観察して自分のペースに持っていかなければならない。旭は正直、流れるがままに訓練をしてきたが今回のはかなり頭を使いそうだと確信した。
「なら、1回通してやってみようか☆ 僕も容赦なく反撃するから、しっかり観察してね☆」
「あ、あぁ……! やってやるよ!」
白石と相対し、旭はぐっと姿勢を低くする。目を合わせ、準備完了の合図を交わした。
スッと、白石の右足が前に踏み出される。
それに対し、旭は両腕を軽く広げ、どこから飛びかかられてもいいように腰を落とした。――が、その重心はしっかりと腰骨ではなく、腰と背中の上部付近へと乗せるように意識している。自分の身体の重心コントロールに関しては、これまでの特訓で完璧に扱えるようになっていた。
いざとなったらデコイを弾き出して背後に回り込めばいい。そんな、どこか甘えた『保険』の計画を旭は頭の中で描いていた。
その甘えがあった所為か――白石に対する観察眼は、どうにも散漫になってしまっていた。
白石の足元、胸元、肩の動きへとあちこちに視線を巡らせるが、肝心の『どこから仕掛けてくるか』の予兆が全く見えてこない。
(……来るなら、どこだッ……!?)
ゆっくりと歩み寄ってくるその動き自体が、やけに意地悪に感じられて旭の心の中で文句が垂れ流される。無理もない。こちらは最大の警戒を敷いているのだから、相手も容易に手の内は見せない。しかし、ズシン、ズシンと一歩また一歩と距離が詰められていく。万全ではない状態で焦りを募らせる旭の脳裏に、まるで時間切れ間際のテスト用紙を突きつけられたような冷や汗が流れた。
(どこをどう捌けばいい……! 足か? いや、上半身を狙われたらこっちがバランスを崩される! なら、上からの制圧か? いや、まて――ッ!)
――ガバッ!
道着の裾が激しく擦れ合う鋭い音が、旭の耳を突き刺した――。あえて旭は、目の前で迫りくる腕の方向を見なかった。代わりに研ぎ澄ませた聴音を頼りに、その軌道と位置を正確に把握しようとする。そのまま白石の腕と上半身の懐へと潜り込み、一気に膝を地面につかせて制圧を極める――。それは、コンマ数秒の間に旭が弾き出した、半ばやぶれかぶれの特攻策だった。
視線を外された白石に、ほんのわずかな驚愕の色が走る。だが、その隙をついて自ら懐に飛び込んできた旭の動きは、訓練の範疇を超えたイレギュラーな一手だった。
(――ほう☆ なら!)
白石は掴みにかかっていた腕の軌道を変え、逆に旭の腕を捉えて流し、一気に組み伏せようと迎撃の体勢に転じる。二人の描く戦闘ビジョンが、交錯しようとする。
旭の指先が、白石の道着の胸元へと鋭くかかる。同時に、崩しのために右足を白石の足の間にぐっと差し込んだ。――相手の視線と意識が自分の足元に集中したその瞬間を狙い、相手の手首元を掴み取って投げの形に持ち込もうとした、そして白石も胸元にかかった旭の手首を掴もうとしカウンターをしようとする。まさにその時だった。
――ブゥンッ! パッ……!
「うわっ……!?」
突如として、旭がいた場所から押し出されたような奇妙な風圧と衝撃が爆ぜる。旭の身体はそのままバランスを崩して後ろへと激しく倒れ込み、慌てて畳に両手をついた。
「天城くんっ☆ 大丈夫かい!?」
白石が心配そうに駆け寄り、倒れ込んだ旭の安全を確認する。
「うっ、大丈夫です! 受け身はとれた……けど……一体、何が起きたんだ?」
「僕が天城くんの腕を掴もうとしたんだけどね☆ その直後に……☆」
「えぇ? それって俺じゃなくて、白石教官の技の仕業なんじゃないすか?」
「…………」
白石はあごに手を当て、少しだけ考え込むように沈黙する。そして、何かピーンと見当がついたかのように、あぐらをかいて座る旭の方へと向き直った。
「ねえ、天城くん☆」
「ん? なん――」
――シュッ!!!
突如として、白石の鋭く踏み込んだ拳が、旭の鳩尾めがけて容赦なく打ち込まれた――はずだった。
だが、白石の拳が直撃した瞬間、旭の身体はぼんやりと霞み、その腹部にはぽっかりと穴が空いたかのように、旭自身がゆらりと揺らめいて消失した。
――ブゥンッ! パッ……!
「うわっ!?」
またしても奇妙な気配に押し出されるように、今度は横方向へ滑るスライドするように、旭の本体が後ろへゴロンと転がった。
「痛たた……っ! なんでいきなり殴りかかってくるんだよ!」
突拍子もない暴挙に出た白石に対し、旭はさすがに不審と非難の色を隠さずにはいられなかった。だが、当の白石はそんな旭の文句などどこ吹く風とばかりに、相変わらず胡散臭いニコニコ笑いを浮かべているのだった。
「オート、だね☆」
「オート……?」
聞き馴染みのない単語に、旭は首をかしげる。だが、単語の響きからその大体の意味は察しがついた。
「オートって……自動ってことですか?」
「そう☆ 恐らく天城くんに危険が急接近した瞬間、天城くんの本能と異能が反応して、意思に関係なく勝手にデコイを展開するようになった……ってこと☆」
「どうして急にそんな機能が今になって……って、なんとなく察しはついてますけど……」
「うん☆ あの時の一時的なパワーアップと同じように考えるなら、君の異能質としての成長の賜物ってことさ☆」
「やっぱりかぁ……」
旭は畳の上に投げ出された自分の手を見つめ、溜息を吐き出す。
「……でも、どっちも天城くんの意思とは無関係に発動するみたいだけどね☆」
「厄介だなぁ。自分の体から出てる異能質だってのに、ちっとも言うことを聞いてくれない……」
「まぁまぁ☆ でも今回見つかったオート機能は、ただ『厄介』で終わらせるような代物じゃないと思うよ☆」
「え?」
「もしこのオート発動を完全に使いこなせるようになれば――天城くんは防御を一切考えず、ただ『攻め』だけに意識を集中させればいいことになる☆ 極端な話を言えばね☆」
「ほう……!」
しかし次の瞬間――白石の表情からふっと悪戯っぽさが抜け、底知れぬ真剣な眼差しへと変わる。
「……それと、もう1つ☆」
「?」
「『オート』もまた、君の異能質の一部さ☆ つまり、普段から無意識にそれだけのエネルギーを常時展開しているってことは……天城くんの異能質は、そもそも出力が桁外れに高いってことなのさ☆」
白石のトーンの変化に合わせ、旭の表情も自然と引き締まる。
「でも、その有り余る出力がすべて『オート防御』に回るわけじゃないかもしれない☆ だからこそ今の君には、力任せの攻撃ではなく、確かな『守り』を覚える必要があるんだ☆」
白石は静かに、だが重みのある言葉を重ねる。
「攻撃なんてものはね、怒りや感情任せでも十分に振るえる☆ でも……制圧は、心が完全に冷静じゃないと絶対にできない☆」
「……っ」
「もしその力が暴走しそうになったら……まず『止めること』を強く意識するんだ☆」
その言葉に、旭の脳裏に以前の戦闘の光景が鮮明にフラッシュバックする。制御しきれず暴れ回った、あの底知れぬ謎の力。自分ではない誰かの声。自分が何をしでかしたのかさえ曖昧になるほどの、恐ろしい高揚感。
あれがもし、ほんの少し状況や環境が違っていたら――今度は本当に、大切な仲間や周囲の人々までその災厄に巻き込んでしまうかもしれない。
「……分かった。肝に銘じておく」
「うん☆ それじゃあ、休憩はここまでにして続きをやろうか☆」
白石はパァンッ! と威勢よく手を叩き、一瞬で元の軽い雰囲気に切り替えてみせた。
「次は――後ろからガバッと不意に羽交い絞めにされた場合の対処ね☆」
「まだあんのかよっ!?」
「パトロール研修まであと二日しか残されていないからね☆ ここからは容赦なしの爽やか地獄の鬼教官モード発動だよ☆」
「うわ……急にめちゃくちゃ不安になってきた……ッ!」
「新しい自分の特異性も分かったことだしね☆ この調子でどんどん自分のものにしていこう☆」
◇
「はぁ……はぁ……ッ……!」
「アハ☆ だいぶ息が上がってきたね☆ もうバテちゃったかい?☆」
「うっ……うっとおぉぉぉしぃぃ〜〜〜ッ!!!!」
旭の血を吐くような悲痛の絶叫が、静かな道場内に虚しく響き渡った。
「なんなんだよ、これぇええっ!? 白石教官の手がかすめるだけで速攻で明後日の方向に押し出されるんだけどっ!?」
「アハ☆ もっと自分のオートを受け入れるのさ☆」
「無理に決まってんだろ!! さっきなんか白石教官がちょっと歩み寄ってきただけで爆発音とともに吹っ飛ばされたんだぞ!?」
「それは天城くんが僕を過剰に警戒しすぎているだけじゃないかな☆ この機能は、君の心が感じ取っている危機感を判断基準に発動しているのかもしれないね☆」
「それにしても限度があるだろ!!」
「さっきも言ったじゃないか☆ これは他でもない天城くん自身の異能質なんだ☆ 自分の身体の一部なんだから、ありのままを愛して受け入れるのさ☆」
「うぐぐ……ッ!」
無茶苦茶な精神論を爽やかな笑顔で語る白石に、旭はぐうの音も出ず苦悶の表情を浮かべた。
――ガラガラガラッ!
その時、勢いよく道場の引き戸が開け放たれた。入ってきたのは蓮司だった。
「おう! ちゃんと励んでるかー?」
「れ、蓮司さん……っ! 俺……もう体力が限界でクタクタだ……」
畳に突っ伏したまま、旭は救いを求めるように蓮司を見上げる。
「なんだなんだ、弱音吐くなんてお前らしくねぇな。せっかく『いいもん』持ってきてやったってのに」
「……いいもん?」
「あぁ。これだ――『天城専用制御リング』!」
そう言いながら、蓮司は「じゃじゃ〜ん!」と誇らしげに、旭の目の前へとそれを突き出した。
手首に巻くにはいかにも幅が広く、リングというよりは屈強な『アームバンド』に近い見た目をしている。漆黒の生地をベースに、鮮やかな蛍光の緑色のラインが幾何学模様のように走る、いかにも特務装備といった趣の代物だった。
「これ、どこに付けるやつ?」
「決まってるだろ、一番パワーが乗りやすい上腕筋から肩のあたりに巻くんだよ。お前の過度なエネルギー暴走を検知すると、このバンドが物理的に締め付けて出力を強制抑制してくれる。まぁ、これで出力を脳内で判断しなくても上限を超えないようにリミッターがかかるってわけだ」
「すっげー! でも、そんなのすぐ作れるもんなのかよ。もっと開発に何日もかかるモンだと思ってたぜ」
「まっ、俺の技術にかかればちょちょいのちょいよ!」
「つけてみていい?」
「いいぞ。そのためにわざわざ持ってきてやったんだからな」
「……よぉーし」
道着の下、旭は剥き出しの腕に直接その制御リングを巻き付けていく。
最初は勝手が分からず少し手こずったものの、構造自体はシンプルで、どうにか一人でもしっかりと装着することができた。
――ふむ、悪くない。
もっとゴツゴツしていて、関節の曲げ伸ばしに支障が出るような窮屈さを想像していたのだが、実際に着けてみると驚くほど薄手で、まるで高性能なスポーツ用サポーターのようだった。
テレビのスポーツ中継などでトップアスリートが似たようなバンドをつけているのを見たことがあるが、まさか自分がそれを付けることになるとは思わなかった。少なくとも、日常の動作を邪魔するような違和感は一切なさそうだ。
「ま、これからはそいつを肌身離さず着けたまま生活してみな」
「よしっ、分かった!」
思わぬ助け舟――いや、最高のプレゼントを手に入れたことで旭の気分は一気に上々となり、身体の底からグッとやる気が湧き上がってきた。この世界に来てから増えていくばかりだった己の能力への疑問と課題。だが、せっかく手に入れたこの力なのだから、逃げずに徹底的に使いこなしてやる――そう旭は心の中で強く固く決意するのだった。




