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至高のパーティー 導入

 スゥ……


 覚悟を決めて重厚な扉を押し開ける。ずっしりとした手応えを予想していたが、手応えは驚くほど軽かった。

 空気を滑らかに押し出す静かな音だけを残して扉が開くと、男の視界に飛び込んできたのは――外界の惨状とは完全に切り離された、異様な熱気と色彩で満たされた巨大な地下バーであった。


 足を踏み入れた場所は、全体を見下ろせる階段の踊り場のような空間だ。

 背後の扉がパトンと静かに閉まると、左右へと分岐して下へと伸びる階段が目に入る。どうやら、あそこを下りていけばメインフロアであるバーへと辿り着けるらしい。


 これまでにない刺激を求めてここへ来たはずの男だったが、あまりに浮世離れした独特の空気に圧迫され、思わず足がすくむ。右と左、どちらの階段から下りるべきか――客観的に見れば絶対に意味のない迷いだと分かっていつつも、男がその場に立ち尽くしていた、その時。


「ようこそ、『至高のパーティー』へ。……こちらをお受け取りください」


 どこから現れたのか、いかにも洗練されたバーテンダーといった風貌の青年が、男の隣へと静かに歩み寄ってきた。

 差し出されたのは、深紅の液体が注がれたワイングラスと、重厚な金属製の四角いナンバープレート。そこには彫り込みで『53』という数字が刻まれていた。


「そちらのナンバープレートは、周囲から見える位置へお付けください」


「あ、あぁ……はい」


「お座席はご自由な場所へどうぞ。……どなたかと待ち合わせでしょうか?」


「いや……していません」


「これは大変失礼いたしました。それでは、パーティーが開始されるまで、どうぞごゆるりとお待ちくださいませ」


 バーテンダーの青年は、一切の隙なく深々と頭を下げた。

 極めて丁寧な物腰と、聴く者を自然と惹きつける静かで心地よい声調。接客業においてこれ以上の武器はないだろう。


 男はバーテンダーの横顔を横目で見やりながら、誤魔化すように左側の階段を選び、一歩ずつ下りていった。


(……ん? 地面……なのか、これ?)


 階段を下りきり、足裏に届いた感触に男は眉をひそめる。

 そこに敷かれていたのは整えられた床材ではなく、無骨に削り出された剥き出しのコンクリート――いや、地下の巨大な『岩盤』そのものであった。

 削り出された岩盤の地面の上には、そのまま直に丸テーブルや細長いカウンターテーブルが無造作に配置されていた。

 配置のレイアウトとしては、広場の中央に複数の丸テーブルが立ち並び、壁際の端にカウンター席のような長いテーブルが設置されている。こんな平坦でない無骨な岩盤の上に直接家具を置けば、脚がガタガタとついて不快感が残るのではないか――ふと、そんな些細な疑問が頭をよぎる。


 だが次の瞬間、足元の違和感など一瞬で頭から吹き飛んだ。

 男の脳を激しく焼いたのは、そこに集っている客たちの『面子(めんつ)』であった。


(……マジかよ……おい、嘘だろ……!?)


 実は男には、ネットの掲示板や闇サイトに張り付き、巷を騒がす異能犯の情報や噂を漁るという密かな趣味があった。

 この世界には、警察とは別にイグゼクター協会と呼ばれる国家機関が存在する。異能質を悪用して犯罪を重ねる異能犯に対し、自らも異能質を駆使して力でねじ伏せ、取り締まる専門の治安維持組織――それがイグゼクターだ。

 そして協会は定期的に、凶悪な異能犯たちの顔写真や危険度を載せた「指名手配リスト」を公開している。


 男はその指名手配犯たちのプロフィールや犯行声明を眺めるのが、たまらなく好きだった。

 はっきり言えば、そこに男特有のロマンを感じていたのだ。

 現代において、かつての大航海時代の海賊旗の下に集う賞金首たちのようなアウトローが存在する――ただそれだけで、男の心は少年のように激しく昂ぶった。


 そして今――その指名手配リストの中でしか見たことがなかった本物の悪党たちが、男の目の前に生身で存在していたのだ。渡されたナンバープレートをひとまず胸ポケットにねじ込み、男はワイングラスを片手にゆったりとした足取りで周囲を散策し始めた。


 中央の丸テーブル群では、すでにいくつかのグループが陣取って酒を交わしているらしく、近づくにつれてバーというよりは場末の居酒屋のような騒々しい熱気が伝わってくる。時折、物珍しそうな刺すような視線が男へと向けられたが、男は努めて平然を装って受け流した。


(気にしたら負けだ……。こういう場所じゃ、一度でも日和ってなめられたら終わりだからな)


 平静を装いながらも、心の中では激しい興奮の嵐が吹き荒れていた。


(ま、マジか……っ! あれは……指名手配中の『蒼(あお)の獅子舞』!? こんなところに本物がいるのか……っ! ……胸には『4』のプレートをつけてやがるな。……なっ!? あっちは、あの連続殺人犯の『死臭の消臭屋』……!! 生で見ると、めちゃくちゃ威圧感あって格好いいな……!)


 ネットの指名手配リストで穴が開くほど眺めた顔写真の悪党たちはもちろんのこと、男の知識では判別すらつかない未知の危険人物たちが一堂に会しており、男の脳内メモリを狂喜で満たしていく。


(……待て、あの気味の悪い仮面……もしかして噂の『印象派仮面』か……? 掲示板に書かれていた目撃情報とそっくりだけど……っと、流石に近すぎるか。少し離れよう……)


 どれほどロマンを感じていようと、ここは本物の無法者たちが蠢く危険地帯だ。あまりジロジロと不躾な視線を送り続ければ、それこそ一瞬で命の保証がなくなる。

 男は引きつりそうになる表情を必死に抑え込み、騒がしい丸テーブルのゾーンを抜け、比較的静かな壁際のカウンター席へと移動することにしたのだった。


(それにしても……一体いつになったら始まるんだ?)


 男はズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面に表示された時間を確認した。

 そもそも、男がこの『至高のパーティー』という存在を知ったきっかけは、SNSで知り合った裏アカウントのDM仲間からの情報だった。本来行くはずだったそいつが急用で行けなくなったため、「代わりに土産話でも聞かせてくれ」とこの役を譲り受けた――経緯としてはただそれだけだ。


 だからこそ男は、今夜ここで具体的に何が行われるのか、何のためのパーティーなのか、主催者は誰なのかといった肝心な詳細を何1つ把握していなかった。


 ――要するに、男は自分が自覚している以上に、圧倒的に危機感が欠如していたのだ。


 もっと言えば、この先の展開やリスクなど何1つ考えていなかった。ただの今夜限りの刺激的なイベントショー程度にしか思っておらず、裏社会の危険な相場感すら知らなかったのだ。


(まあ、俺は見ているだけで十分刺激をもらえるしな。何せ、あの指名手配犯の大物たちが一堂に会してざわついている会場だ。……なんなら、今の俺には少し早すぎたかもしれないな)


 ふと、そんな思いが頭をよぎる。

 ゲームの序盤で、誤ってクリア後の高難易度ダンジョンに足を踏み入れてしまった時のあの感覚。普通なら、敵の圧倒的な強さに萎えてしまってワクワク感すら削がれるような徒労感だ。


 だが――現実は違った。


 萎えるどころか、脳の芯から痺れるような熱いアドレナリンが全身を駆け巡っている。

 この命懸けの空間で、誰よりも自由に、特等席で危険を楽しんでいるという万能感。それこそが、男の求める最高の『刺激』そのものであった――。ふと、隣の壁際に視線を向けると、椅子にも腰掛けず壁にそっと背をもたれかけている男の姿があった。

 グラスの触れ合う音や下卑た嘲笑が飛び交う会場の底意地の悪い喧騒から、まるでそこだけぽっかりと切り取られたかのように異質な静寂を纏っている。

 汚れ1つない純白のロングコートに身を包み、壁際でぽつんと一人佇む姿。

 指名手配犯の掲示板でも見かけたことがない顔だ。もしかしたら自分と同じく、たまたま紛れ込んだ一般の人間なのだろうか。その男は酒に手を伸ばす風でもなく、ただ薄暗いカラーサングラスの奥から、会場に蠢く人間たちをじっと見つめていた。

 そして何より奇妙だったのは、その手元だ。シルク製の真っ白な手袋をはめた両手を、胸の前で何かを擦り洗うかのように、執拗にじりじりと擦り合わせ続けているのだ。


「――お一人で?」


 気さくを装って声をかけると、男はピタリと手の動きを止め、こちらへとゆっくり振り返った。

 髪の隙間から覗く口元が、スッと綺麗な弧を描く。目元には小さな黒子(ほくろ)がちょこんと付いている。そして男に見せたのは完璧に作り込まれた、気品漂う洗練された笑みだった。


「ええ、ええ。お恥ずかしながら、こういった騒々しいお席は少々苦手でして……。お声をかけていただき、恐悦至極に存じます」


 身のこなしも声のトーンも、非の打ち所がないほどに紳士的だ。

 だが――そのカラーサングラスの奥の視線が、じっとこちらの手首や首筋の皮膚へ注がれた瞬間、男の背筋にゾクリと冷たい悪寒が突き抜けた。


「それにしても……実に素晴らしいですね」


 紳士的な男は、一歩、気配もなく距離を詰めてきた。

 先ほどまで執拗に擦り合わされていた白い手袋が、こちらの目の前でゆっくりと、まるで愛おしい宝石でも愛でるように開かれる。


「ほんの少し言葉を交わしただけで、あなたの薫りがひしひしと伝わってくるようです。ああ……なんという、濃厚で、少し泥臭い、私(わたくし)好みの不穏な味わい。……失礼、ほんの少しだけ、直に触れさせていただいてもよろしいですか?」


「……え?」


 その言葉と、あまりに濃密な異常性を前にして――ここで初めて、男は本能的な危機感を抱いた。


「そ、そうだ! あなたのお名前は……!? 凄くお洒落な服装ですし、さぞお名前も格好いいんでしょうね……!」


 男は必死に場を繋ごうと、上擦った声で問いかけた。


「私の名前、ですか?」


 男は少し困ったように眉を下げ、それからどこか含みを持たせた艶やかな笑みを深めた。


「お恥ずかしい話ですので、どうか聞き流してください。……私のことは、ただの『ムーシュ』とお呼びいただければ」


「ムーシュ……?」


「ええ。異国の言葉で『付け黒子(ぼくろ)』という意味でして。ほら……私、目尻にひとつ黒子(ほくろ)があるでしょう? 自分に似合いの名前だと自負しております」


「やっぱり……洒落たお名前だ。あ、じゃあ次は俺の名前なんですけど……伊藤裕也って言うんです。どうですか? なんとも陳腐で普通すぎる名前でしょ……?」


「陳腐だなんて、とんでもない。私はそういった『どこにでもありそうで、誰にでも馴染むもの』こそが、一番大好きなのですよ」


 ムーシュはくすくすと上品に喉を鳴らし、さらに音もなく一歩、太郎との距離を詰めてきた。


「高級なフルコースよりも、路地裏の安い屋台のスープの方が、時にひどく濃厚で五臓六腑に染み渡る味がするものでしょう? ――裕也さん。あなたのその飾らないお名前……とても、とても美味しそうな響きです」


 胸の前で熱心に擦り合わされていた白い手袋が、ぴたりと動きを止めた。


「……失礼。少々お行儀が悪くなってしまいますが……そのお名前に見合う『お味』かどうか、直に確かめさせていただいても?」


「お、お味……?」


 ――逃げられなかったか……っ。

 太郎の脳内は、その絶望的な現実で埋め尽くされていた。


(なんで……なんでこんなヤツに気安く声なんてかけちまったんだよ……っ!)


 激しい後悔の念が、冷や汗となって全身から吹き出してくる。


「はい。私の特技……と言いますか、ただの癖(へき)のようなものでして。人に直接触れると、その方の『人生』という名のお味が、ある程度理解できてしまうのです……」


「な、なるほど……」


(気持ち悪いったらありゃしねぇ……っ!!)


 正真正銘の狂人(サイコパス)。

 直感ではなく、それは揺るぎない確信だった。関わる人間を完全に間違えたのだと、裕也は血が引く思いで己の迂闊さを呪っていた――。当たり前だが、こんな人間の実になど人生で初めて遭遇した。当然、まともな対処方法なんて持ち合わせていない。万事休す……。冷たい諦めの感情が、じわじわと裕也の心身を覆っていく。

 しかし、土壇場になって脳の防衛本能が働いたのか、「もしかしたら、このパーティーの愉快な劇団員の一人なんじゃないか……?」「今から始まるショーの演出の一部なのでは……?」という、あまりに虫の良すぎる現実逃避的な考えすらぐるぐると巡り始めていた。


(もうどうにでもなれ……。なるようになってくれ……っ!)


「――では……失礼して」


 ムーシュが両手にはめていたシルクの手袋をスルリと脱ぎ捨て、素の肌を露わにする。

 素手になった途端、その両手を激しく合わせ、まるで呪術の儀式のように思い切り擦り合わせ始めた。

 ぞわり、と総毛立つような悪寒。その光景が裕也には気味が悪くて仕方がなかった。


 ――あと、10センチ。

 ――5センチ。


 冷たい素手が迫り来る、その至近距離に達した瞬間。


 ――パタンッ。


 会場のすべての照明が、一斉にかき消されるように暗闇へと沈んだ。


「な、なんだ……っ!?」


 ざわざわと、中央の丸テーブルゾーンが騒がしくざわめきだす。

「なんだんだ一体!」「おい、はよ明かりをつけろ!」と、下卑た野次や怒号があちこちから飛び交った。


 だが――目の前にいるはずのムーシュは、声どころか、服擦れの音すらもピタリと気配が消えていた。動く素振りですら一切聞こえない。


 ――パッ!!


 不意に、暗闇を切り裂くように強烈なスポットライトが灯った。

 光の先は、会場の奥にある一段高く設えられたステージ。


 そこには、身長2メートルはゆうに超えるであろう屈強な巨漢の大男が一人、圧倒的な威圧感を放ちながら堂々と立ち塞がっていたのだった――。


「おやおや……これはまた……」


 ムーシュの冷たい素手は、今にも届きそうな距離で裕也の首元にとどまったままだった。しかし、そのカラーサングラスの奥の視線は、完全にステージ上の大男へと奪われていた。


「よう、自由を謳歌せし者たちよ――。……単刀直入に言う」


 スピーカーを通さずとも会場の隅々まで轟く、重低音の混じったガサツな声。

 だがその声には、荒々しくも場内の人間全員の注目を一瞬で支配してしまう奇怪な圧力が込められていた。


「――俺様の『仲間』になりたくはねぇかァ?」


「……!?」


 あまりに突拍子のない問いかけだった。

 前触れもなく姿を現したと思えば、何の説明もなく不躾に投げかけられたあまりに異質な誘い。会場内を、水を打ったような静寂が包み込む。


 静止した時が数秒間流れた後――。


「おいおいおい! そもそも誰だよぉ、お前さんはよォ!!」


「「「ギャハハハハッ!!」」」


 会場のあちこちから、腹を抱えた悪党たちの嘲笑と真っ当な野次が巻き起こった。

 当然の反応だ。裕也だって心の中で深く頷いていた。ムーシュとの気持ち悪いやり取りはひとまず脇に置くとして、常識的に考えてまずは自己紹介が先ではないか。

 だが、壇上の大男は嘲笑の嵐に怯む素振りすら見せなかった。

 重厚な音を立てて右足を一歩前へと踏み出し、ニヤリと凶悪な笑みを深めながら言葉を続ける。


「フンッ……。そんなに俺様について知りてぇか。……なら、教えてやるよォ……」


 大男は胸を張り、場内のすべての悪党たちを見下ろすように言い放った。


「俺様の名はゴウガン……。界裂生物を操っている――『張本人』だ」

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