動き出す陰謀
静かな廊下を二人で並んで歩きながら、ふと思い立ったように蓮司が口を開いた。
「そういや、天城。お前ってスマホの類いは持ってなかったか?」
「あ……はい、まだ持ってないです……」
「この時代にそいつぁ可哀想な奴だな」
「えっ! もしかして蓮司さん、買ってくれるんすか!?」
「そんな大層なもん買ってやれるわけねぇだろ。ほら、これ持ってけ」
そう言って、蓮司がポケットからひょいと投げ渡してきたのは――手のひらに収まるサイズのワイヤレスイヤホンケースだった。
黒光りする重厚なメタリックブラックで、全体的に洗練されたスタイリッシュな色合い。まさに旭の好みにストライクなデザインであった。
「これは……?」
「今まで散々お前らに貸してやったインカム(通信機)だよ。それを極限まで小型化した特注品だ」
パカッとケースを開けてみると、左側には耳にフィットしそうな超小型イヤホン、そして右側には胸元や襟首に留められるピンマイクが整然と収められていた。
「俺の発生させる強力な磁場にも耐え切れる、お前ら問題児クラス専用のオリジナルインカムだ」
「オリジナル……って、これ蓮司さんが作ったってことですか!?」
「あぁ、当然だろ。あの白いトレーニングルームのシステムだって、俺がゼロから組み上げたんだからな」
自慢げにドヤ顔で胸を張る蓮司。
そう言われてみれば、あの白い空間で手足に装着させられた謎の重たいバンドも「俺のお手製だ」なんて言っていた気がする。蓮司の普段のひょうひょうとした大雑把な性格からすると、こうして精密機械を組み上げる職人肌な面があるというのは、旭にとってただただ意外でしかなかった。
「すげぇ……! 蓮司さん、マジで天才じゃないですか!」
「ふふ~ん。だろぁ? で、そのインカムには非常用の発信機能も標準搭載してある。もし俺に連絡を取りたくなったら、イヤホン側のボタンをポチッと長押ししろ。それで直接俺の端末に繋がるはずだ」
「ありがとうございます!かっこいいなぁ~」
「来週までには、天城専用の特別な制御ツールを組み上げてやるからな」
「それって……さっき道場で言ってたやつですか?」
「おう! お前がその厄介な力を安全にコントロールするための、とっておきの秘密兵器だ」
「へへ、楽しみに待ってますね!」
「おうおう! 期待して待っとけ!」
「でも……せっかく俺の異能質の出力がパワーアップしたってのに、使えないのは少し勿体ない気もするなぁ……」
「異能質ってのは日々の経験や鍛錬で成長するものだ。今回覚醒した力に関しちゃ、お前が元々持っていた素質に気づいていなかっただけかもしれねぇし……ここ最近、体を追い込んで鍛えてたおかげで成長した、って見方もある。だが……白石が本気で引っかかっていたのはそこじゃねぇ」
「……殺せっていう、感情ですか?」
「あぁ。昨日も教えた通り、異能ってのは本人の『感情』や『精神状態』によって出力も性質も大きく左右されるからな」
「確か……厄心説と祥心説……でしたっけ?」
「そう。まあ昔の古い学説だから、今となっては説もへったくれもねぇけどな! ハッハッハ!」
「……その異能質の源流と、さっきの殺意がどう関係してくるんですか?」
「『殺す』なんて強い殺意は、まさに負の感情そのもの――つまり『厄心』だ。もし天城のあの圧倒的な威力が、純粋な『殺意』によってしか引き出せない代物なんだとしたら……」
「……人を護るプロであるイグゼクターの在り方としては、不向きってことですか……」
「そういうことだな。おまけにタチが悪いのは、その殺意がお前自身の意思じゃなく、どこか外部からの声だって点だ。まったく、どこまでも規格外の『イレギュラー天城』だな」
「はぁ……本当、自分でも分からないことだらけですよ……」
「だからこその問題児クラスだろ?」
蓮司が開き直るように豪快に腕を組み、エッヘンと堂々と背筋を伸ばしてみせた。
「だが、心配すんな。分からねぇなら、これから俺たちと一緒に正しく矯正していけばいいだけの話だ」
「……そうですね! なら、これからもよろしくお願いします、蓮司さん!」
「おう! なら、俺の厳しすぎる指導にしっかり着いてくることだな。っと……ほら、教室に着いたぞ。お前から先に入っとけ」
「は〜い!」
元気に返事をし、駆け足で教室の扉へと向かっていく旭の背中を、蓮司は静かな眼差しで見守っていたのだった――。
◇
「よーし。今日の講義はここまで。各自しっかり復習しておくように~」
チャイムの音と共に、蓮司の担当する英語の授業が終わった。……正直なところ、最初から最後まで何を言っているのかサッパリ理解できなかった。
「ぶぇぶぇぶぇぇぇぇ……っ」
旭は盛大に溜め息を吐き出すと、そのまま力なく机へと突っ伏し、勉強の過酷な苦痛から逃避するように怪しげな奇声を発した。
「あさひっち、脳みそ壊れちゃってるし」
「マジで……今日は一体何の話をしてたんだよ……。なんなんだよ文法って……」
「まぁまぁまぁ、天城さん! 英語と数学は基礎の土台作りが命ですから……!」
死屍累々といった様相の旭の机の周りに、苦笑いを浮かべた玲奈と理人が集まってくる。
「てかさ、センセーに何でわざわざ呼び出しくらってたの?」
「ん? あぁ……昨日、街に出た界裂生物と勝手に戦ったのが速攻でバレてな……」
「「はぁ!!?」」
玲奈と理人の二人が、静かな教室の廊下にまで響き渡りそうなほどの叫び声を揃えて上げた。
「昨日って、ニュースでやってた危険度Ⅳのヤツでしょ!? あさひっちもあの現場にいたの!? っていうか、怪我とか身体は平気なの!?」
「見ての通り、ピンピンしてる。もう完治したよ」
「……おでこの傷……も……?」
いつの間にか背後に忍び寄っていた仄が、ひそやかな声で問いかけてきた。
「うわっ!? びっくりした……! 急に後ろから声を出すなよな。あぁ、そうなんだよ。昨日ベッドで寝て起きたら、綺麗さっぱり治ってたんだ」
「……そう」
「って……なんで、ほののがあさひっちの傷のこと知ってんのさ?」
「……昨日は……私も現場にいたから……」
「「はぁぁぁ!!?」」
本日二度目となる玲奈と理人の爆音ハモりが教室に炸裂する。
「ちょっと! なんでアンタたち二人揃ってそんな危険な現場にいるワケ!?」
「昨日は……旭と一緒に帰っていたから」
「え……。なに、アンタたち……いつの間にそういう関係になってんの……?」
「いやいやいや!? 違うからね!? 帰ろうとしたらばったり会ったから、途中の路地まで一緒に帰ろうって話になって――」
「そ、そそそ、それよりっ!! 昨日の討伐現場には、あの神鳴が降臨していたはずですよね!!? ど、どどどどうでしたっ!? サインとかもらったり! 一緒に写真撮ったりしませんでしたか!!?」
理人が鼻息も荒く、目を血走らせたものすごい形相で旭の顔面数センチの距離まで迫ってきた。
「りーくん、興奮隠しきれてないし……」
「あ、あぁ……いた……よ? たぶん……」
理人の迫力に押され、旭は後ろにいる仄の耳元へと顔を近づけ、小声で助けを求める。
「……なぁ仄。そのヴォルテ……」
「……ヴォルテクス」
「それだ、それ。……ってか、それ誰のことだ? 俺、あそこにいたプロの人たちの名前なんて一人も知らないんだけど……」
「……界裂生物を最後に討伐した人。雷の星冠種」
「うぇっ!? 星冠種……! 蓮司さんと同じ、世界トップクラスのバケモノかよ……。そりゃ理人も大興奮するわけだ……。これで何ももらってませんなんて言ったら、理人に呪われそうなんだけど……っ!」
「……私も、あの人がいたのは知らなかった」
「それでっ! サインとか! 写真とか! あるいは名刺でもいいです!! もらったんですよね!? どこにあるんですか!!?」
「う、う~んとね……? たしか、もらった……かな~……? どこにやったっけな~……?」
旭は引きつった笑みを浮かべ、助かるための時間を稼ぐように、ポケットのあちこちをゴソゴソと必死に探り始めた。
(あさひっち……嘘下手すぎるし。絶対なにも持ってない顔だし……)
玲奈の冷ややかな視線が刺さる。だがその時――。
「たしか、このへんに……ん……っ!?」
隊服の胸ポケットの奥底に、硬質なカードのような手触りを覚えた。
(ま、マジか……っ!? 誰かが俺のポケットにこっそり忍ばせてた……!? もしかして、神鳴さんか誰かの粋な計らいってやつか……!!?)
地獄に仏とはこのことだ。命拾いした安堵感からニッコリと満面の笑みを浮かべ、旭は自信満々に胸ポケットからその一冊のカードをシュバッと差し出してみせた。
「そうそう! ここにあったんだよ! ほら、これ――」
『期待のブルー! セティレメック参上! 電話番号は――』
「「「「誰」」」」
見慣れぬ派手なフォントで書かれた謎のキャッチコピーに、旭、理人、玲奈、仄の四人の声が綺麗にハモって教室に響き渡ったのだった。
「…………これ、理人にあげるよ……」
「あ、ありがとうございます……。……大切にしますね……」
「りーくん、要らないなら要らないでハッキリ断っていいからね?」
「おいっ! なんだその言い方は! 昨日俺たちを助けるために一緒に戦ってくれた、立派なプロのイグゼクターの人だぞ!」
旭は必死に話を逸らそうと、玲奈へとキラーパスを放つ。
「でもさっき、あさひっちだって『誰』ってハモってたし……」
「そ、そんな失礼なこと言うわけないじゃん! 感謝しかしてないよ!」
「む~……」
白々しい嘘をつく旭を、玲奈がじとーっと不機嫌そうに睨みつける。
「……でも、天城さん。本当、色々と厄介事に巻き込まれますね……」
謎の期待の新人イグゼクターの名刺をもらい、すっかりオタクの興奮が冷めた理人が、先ほど蓮司に言われていた言葉を思い出したように呟いた。
「それ……さっき蓮司さんにもまったく同じこと言われたわ……。俺の周り、なんか余計なトラブルを呼び寄せる磁場でもあんのかな……」
自虐混じりに、けれど本心からの重い溜め息と共に言葉をこぼす。
「まあねぇ。あさひっちが外に出ると、何かしら事件起きるもんね」
「う〜ん……否定できないのが辛い……」
「……あ。なんか……僕、急に嫌な予感がしてきました……」
「……あ! ……あーしも……っ」
「……?」
突然、氷点下の冷気を直に浴びたかのようにブルブルと身震いし始めた理人と玲奈を見て、旭は首を傾げた。
「急にどうしたんだよ二人とも。寒気でもしたのか?」
「天城さんはまだ経験していませんでしたね。教習生は毎月一日に『パトロール研修』なるものをやっているんですよ」
「パトロール研修……? そうなのか。ってことは、来月の一日は4日後か……。それがどうかしたのか?」
「……旭と初めて出会ったのも……今月のパトロール研修の時……」
背後から仄がそっと呟く。
「え?」
「あの花型の界裂生物と遭遇した時ですよ!」
「そう! あーしらがパトロール研修で街を回ってた時に、滅多に出ないはずの界裂生物が都合よく現れたんだし!」
「で、その現場の路地にいたのが――」
「……俺ってことか……」
「そうだし! で、今度のパトロール研修は、あさひっちも『一緒』に行くワケだし!」
「……火薬庫に導火線をつけて街を歩くようなものです……」
「おいおい……! 人をそんな疫病神みたいに言うなよな……!」
「いや、絶対また何かが起きるしーっ!!」
「ないない! 絶対に何も起きないって! な、そうだろ朝比奈!?」
「…………」
「……朝比奈?」
「……ほののも、絶対なんか起きるって思ってるし」
「嘘だろぉぉぉおっ!?」
すがりつくような旭の問いかけを黙殺し、仄は静かに首を振ってみせるのだった。
◇
愛知県N市――N駅近くの雑居ビル街。
昨日の界裂生物襲来によって複数のビル群が大破したことを受け、現場周辺では耐震検査や安全確認のため、警察や工事関係者など様々な業種の人間が大規模に駆り出されていた。普段の平日よりも遥かに多くの人々が行き交い、慌ただしい熱気に包まれている。
駅前広場では、大手テレビ局やWebメディアのマスコミ陣がこぞってカメラを向け、街ゆく人々へ昨今の界裂生物被害についての街頭インタビューを試みていた。
「すみませ~ん、お兄さん! 少しだけ昨日のお話をお伺いしたいんですけどぉ~?」
粘つきのある薄っぺらい声が耳にべったりとまとわりつき、そのまま不快な音となって鼓膜へと染みついてくる。
「お兄さん~?」
「うっせぇ!! キモいんだよッ!! クソがッ!!!」
しつこく背後からついてくる取材班の二人組へ向け、男は威嚇するように思い切り腕を振り払った。
「し、失礼しました……っ!」
「チッ、んならハナから話しかけてくんじゃねーよ。気安く触ってんじゃねぇ、気持ち悪ぃ」
吐き捨てるような暴言に、すれ違う通行人たちが一斉に距離を置く。
男は自分に向けられる冷ややかな視線と、「関わらないでおこう」という明白な関避の気配を肌で感じ取り――心の底からぞくぞくとするような快感を覚えていた。これこそが自分の人生の中で、もっとも「生きている」と実感できる最高の瞬間だった。
(これだよ……これ……っ)
世間の人間は、こうした男の行為を知能がないだの、品格のかけらもない粗暴な愚行だのと嘲笑うだろう。
だが、それがどうしたというのだ。
今、この路上のルールを一切気にすることなく、己の欲望のまま自由に歩いているのは自分だけだ。これは弱者には決して真似できない、真の『勇気』ある行動なのだ。文句があるなら今この場で直接言えばいい。
昨今はSNSの陰湿な陰口が当たり前らしいが、あんな画面の裏側に書き込んでいる時点で負け犬なのだ。直接面と向かって意思を叩きつけることにこそ意味がある。誰一人として面と向かって文句を言ってこないということは、己の行動こそが正当であり、周囲が服従しているという揺るぎない事実の証明に他ならない――男はそう本気で確信していた。
男は別に、貧困や孤独で人生に絶望しているわけではない。
世間に嫌気がさして自暴自棄になっているわけでもなかった。
あの、文字通り地に落ちた落ちこぼれどもと一緒にされては溜まったものではないと、男は疑いすらしていなかった。行き着く場所がなく、「失うものが何もないから死ぬなら周りを巻き込んでやろう」などと考える、いわゆる『無敵の人』のような誰からも期待されない地雷どもとは、自分は根本から人種が違うのだと。
――つまり、何が言いたいのか。
もっと刺激が欲しいのだ。
脳が痺れるほどの最高のスリルと全能感を、この身体全体で味わいたいのだ。
他の退屈なステータスなんて、並程度で十分だった。
ただ何者にも縛られず、己の好きなことをやりたい放題に突き通す。
それこそが、リスクを恐れない『勇気ある者』だけに許された最高の権限であると、男はずっと信じて疑わなかった。
(それが……今日、ついに叶うのかもしれない)
男は周囲の目を避けるように、大破した雑居ビル群の路地裏へと足を踏み入れた。途端に先ほどまでの喧騒が嘘のように消え去り、通行人の姿がぷっつりと途絶える。
「っと……確か、ここを曲がって……」
ビルの隙間にひっそりと佇む無機質な鉄扉――そのすぐ脇に、薄暗い地下へと続く階段が存在していた。男は迷うことなく、その階段を一段ずつ下りていく。
(……長いな)
まるで地底へ繋がっているかのように、とてつもなく長い階段をひたすら下り続ける。
やがて最下層へ辿り着くと、一際眩しい光を放つ扉が見えてきた。その脇には、黒のスタジャンを羽織った強面の長身の男が立ち尽くしており、降りてきた男へ鋭い眼光で睨みをきかせてくる。
「……何の用だ」
「――『至高のパーティー』があると聞いてな」
男が合言葉を口にすると、スタジャンの男は無言で数秒間見つめ返した後、重い口を開いた。
「……いいだろう。中に入れ」
スタジャンの男が手元のロックを解除し、扉を開け放つ。
刺激を求める男は、得たりと言わんばかりにその内部へと踏み込んでいった。
足を一歩入れた瞬間、何とも言えない独特な芳香が鼻腔をくすぐった。
床一面に敷き詰められた赤い絨毯の、柔らかくも重厚で温かみのある匂い。そして何より、一切の雑音が遮断された完全な静寂――。
さっきまで外の喧騒に晒されていた耳へ強烈なギャップをもたらし、まるで水中に沈んだかのような心地よい耳鳴りだけを残していく。先ほどのあの薄汚い記者の不快な金切り声すらも、綺麗さっぱり洗い流されていく感覚だ。
目線の先には、さらに一段と重厚で荘厳な装飾が施された大扉が見える。
(なぜ、すぐメイン会場に入らせず、わざわざこんな簡易的なロビーのような空間を挟むのか……?)
男はひとり、心の中でほくそ笑む。
これは『外』と『内』の世界を完全に切り離すための儀式なのだ。下俗な外の人間どもが全身に纏ってきた不快な汚れを洗剤のように削ぎ落とし、この特別な空間に相応しい存在へと昇華させるための『雰囲気のシャワー』なのだと。
(ふっ……やはりな。凡人どもには理解できまい)
男はまたひとつ、自分自身が「真の価値が分かる選ばれし男」へと進化したことを、固く確信していた。
そして身も心も内の世界に染まった男が重厚な扉を開ける——。




