破壊衝動
蓮司に促されるまま道場へ足を踏み入れた旭は、そこに先客として佇んでいた人物――白石と合流した。
「アハ☆ 天城くん☆ 昨日ぶり~☆」
「あ、昨日ぶりです……」
相変わらずの独特すぎるノリとハイテンションに、旭は未だ上手く順応できずに苦笑いを浮かべる。
だが、今の旭にとってそれ以上に胃を痛めさせているのは、この後に待っているであろう蓮司からの説教であった。これで蓮司からの呼び出しは二度目だが、やはり一体どんなお咎めを受けるのかが気になりこの時間は生きた心地がしない。
「……蓮司さん」
「……天城ぃ……」
「……っ」
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が静まり返った道場に響き渡りそうなほど、旭の緊張は極限に達していた。
「……さっきも言った通り、無事で本当に良かった。まったく……お前の周りじゃつくづく厄介事に好かれるなぁ」
「す、すみません……」
「別に謝る必要はねぇさ。お前が実戦を潜り抜けて、一歩ずつ強くなっていくこと自体は……俺としても純粋に嬉しいからな。……だが」
「……だが?」
「やっぱりなぁ――教官という立場上、どうしても心配の方が勝っちまうもんなんだ。流石の俺でもな」
「……だって、困ってる人がいたから……」
「お前のそういうところは気に入ってるよ。誰にでもそうそう身につけられる覚悟じゃねぇ。……だからこそ、俺たち大人を頼れ」
「え……?」
「今回は一緒に戦ったプロ側が上手く立ち回ってくれたからお咎めなしで済んだがな。次また同じようなことが起きたら、今度こそ天城が勝手に動いたってことが協会にバレるかもしれねぇ。教習生が許可なく実戦に介入するのは、重い処分対象だからな」
「この教習所の立場や権利にも、色々と影響が出ちゃうかもね☆」
「う……うん……」
「そうならないためにも、まずは俺に電話一本でも寄こせって話だ。すぐに駆けつけてやるからよ」
「それって……『危険な現場にはあまり動くな』ってことですか……?」
旭の胸の中に、ほんのわずかな葛藤が芽生える。ずっと聞きたくて、けれどどこか恐れてもいた本質的な問い。
「んなことは一言も言ってねぇよ。事前に連絡さえ寄こしてくれりゃ良いんだ。バックに大人がいりゃ、お前らだって都合良く動き回れるだろ? それに――俺が現場に駆けつければ、世間や協会のヘイトは全部俺に向く」
「……っ!」
「俺にはもう、失うもんも守るほどのプライドもねぇからな」
蓮司がニッと口角を上げ、思い切り親指を立ててみせる。
(強がり強がり☆)
その横で、白石が心の中で呆れたようにツッコミを入れていた。
「とりあえず俺からの話はそんな感じだ。いいな? これからは頭の片隅にでも『頼れる大人の存在』を置いておけ。良い意味でも、悪い意味でもな」
「了解です、蓮司さん! ……でも、その話なら教室でもできたんじゃ……なんでわざわざ道場で?」
「そこで☆ 今度は僕の番ってわけ☆」
「え?」
「現場の中継映像を見ていたけれどね☆ 天城くん☆ あの時の土壇場で発揮した力……一体あれは何だい☆」
「……俺も意図してやったわけじゃないですけど……分かりました、とりあえず1回やってみます。蓮司さん達にも見せたいし」
「なら☆ これに全力で打ち込んでみてよ☆」
そう言って、白石は道場内に設置されていた大型の重量級サンドバッグを引き寄せ、旭の前にセットして促した――。
旭は深く息を吐き出すと、まず自分の目の前にひとつデコイを出現させる。
そして、その直後にデコイの背後から胸元へ向かってスッと己の右拳を突き入れた。デコイの胸を本体の拳が貫通しているかのような不気味な構図のまま、旭は全身の感覚に意識を集中させる。
――シーン。
静まり返る道場。旭の体にもあの爆発的な出力の上昇は訪れなかった。
「あれ……? おっかしいなぁ……」
「つまり☆ 天城くん自身が触れると☆ 力は湧いてくるんだね☆」
「そういうことになりますね……。うーん、昨日の感覚と何が違ったんだ……?」
「昨日の状況を、もう一度詳しく教えてくれ」
腕を組みながら蓮司が問いかける。
「確か昨日は……たまたま設置したデコイの場所を走り抜けた時に、いきなり身体の中へ『何か』が怒涛の勢いで入り込んできた感じで……。いざ言葉にしようとすると、上手く伝えられないんですけど……」
「そもそもデコイが破壊された後ってのは……何も残らず綺麗サッパリ消えるんじゃないのか?」
蓮司が顎に生えた無精髭をじりじりと擦りながら、考え込むように尋ねる。
「消えたあと……微かにゆらゆらと『何か』が空間に漂ってるんですよ。蓮司さん、試しにこいつを破壊してみてくれませんか?」
「おう」
短く返事をすると、蓮司は無造作にデコイの腹へ重い裏拳を叩き込んだ。
一撃で粉砕されたデコイの旭は、そのまま霧のようにフワリと消え去っていく。道場にいる三人は、デコイが消失した空間へと一斉に視線を注いだ。
「う~ん……? 何かあるか……?」
「ほら! ここにはっきりと、光の粒子みたいなのがゆらゆら揺れてるじゃないですか!」
「確かに☆ 言われてみれば☆」
「お前ら、これが目に見えてんのか……!? ……悪いが、俺の目には何も残っちゃいねぇように見えるな……」
「マジですか……蓮司さん……」
「まあ蓮司はともかく☆ これは天城くん自身の異能質の特徴だからね☆ 本人に一番ハッキリ見えて当然さ☆」
「なら……白石教官に見えてるのはなんでなんですか?」
「それは僕が――『武』を極めし者だからさ☆」
(……都合のいい理由だなぁ……)
心の中でそっと呆れたツッコミを入れる旭であった。
「……なら、直接触れてみます……」
「おう! やってみてくれ」
旭自身も恐る恐る残痕へと手を伸ばし、指先でそっと触れてみる。
――スッ……ポワン……。
「ん……?」
触れた瞬間、残痕は儚く霧散し、旭の右腕がほんのわずかに淡く発光した。
「なんだこれ……?」
「天城! そのままサンドバッグへ撃ち込んでみろ!」
「あ、あぁっ!」
蓮司の指示を受け、旭は気合いと共に用意されたサンドバッグへ勢いよく拳を叩き込んだ。
――ゴッ!!!
「――――っっ~~~痛ってぇぇぇぇええええっっ!!!?」
めり込んだ拳。しかし、プロ仕様の超重量サンドバッグは僅かに揺れた程度で、打ち込んだ威力のほとんどがそのまま反動となって旭の腕と拳へ牙を剥いた。
思いがけない凄まじい激痛が突き抜け、旭は道場に倒れ込んで右手を抱えて悶絶する。
「これヤバい! これマジでヤバい!! めちゃくちゃ痛ぇえええ!!」
白石が何食わぬ顔で持ってきた代物だったため、そこらへんにある普通の練習用具だと思い込んで全力で殴りつけてしまったのだ。想像以上に威力が乗らなかったパンチと、想像以上の重さと硬さのサンドバッグ。一切の衝撃吸収なしで直撃したダメージは致命的だった。
「大丈夫かい☆」
「全然大丈夫じゃない!! 全っ然!!」
「白石が見たいっていう力は、こんなもんじゃなかったんだろ?」
「アハ☆ 当然さ、こんなものじゃなかったよ☆」
「蓮司さん! なんか冷えてるもの!! 冷えてるものを早くちょうだいっ!!」
「……一体、何が違ったんだ……?」
「もしかしたら時間かもしれないね☆」
「……! あぁ、そうかもしれねぇな!」
「おい! さっき『大人を頼れ』ってドヤ顔で言ったばっかりでしょうが!! 放置して分析始めてんじゃねぇよ!!」
「お、おう! 悪ぃ悪ぃ! つい、な?」
「はい☆ 氷嚢☆」
「あぁ〜……冷えるぅ……助かった……」
「ま、その激痛は昨日勝手に動いた分の罰ってことで」
「適当すぎるだろ……」
「それで、冷やしてるところ申し訳ないんだが、今度は少し時間を置いてから触れてみてくれ」
「……分かりましたよっと……」
氷嚢で赤くなった拳を冷やしながら、旭は再び準備を整える。今度はすぐに触れず、時間を置いてから試してみることにした。
そうして――3分が経過する。
「よし、そろそろ良い頃合いだろう」
「天城くん☆ やってみて☆」
「よし……! 今度こそ見返してやる!」
気合いを入れ直し、旭は漂う残痕へと手を伸ばした。触れた――その瞬間。
――シュシュギュルギュルギュルッ!!!
先ほどとは比べものにならない勢いで、光の粒子が旭の右腕へと収束し、激しい音を立てて渦を巻きながら吸い込まれていく。
「来た……っ!」
「行け! 天城! サンドバッグだ!」
「おりゃあああぁぁぁっ!!!」
腕に収束した圧倒的なエネルギーを纏い、旭は超重量サンドバッグへと猛然と肉迫する。
(生半可な力だとまた反動で激痛が走る……! だったら、粉々に壊す勢いで――!)
(壊す……! 砕く……!)
アドレナリンと共に、胸の奥でドス黒い何かが激しくどよめく。
(――――殺せ)
(……えっ……?)
それは、旭自身の思考でも感情でもなかった。
そもそも、目の前にあるのはただの練習用サンドバッグだ。「殺す」などという感情が芽生えるはずもない。
しかし、そんな困惑を置き去りにするように、腕に宿る異能の出力は右肩上がりに跳ね上がり、凶悪なまでの破壊衝動へと塗りつぶされていく――。
――パアァァァァンッッ!!!!
旭の拳が、恐るべき高密度エネルギーを纏ったまま超重量サンドバッグの中心へと突き刺さる。そして――。
――ズバアァァァンッッ!!!
強靭な特殊布で仕立てられていたはずのサンドバッグが、凄まじい内圧と拳の勢いに耐えきれず、一瞬で引き裂かれた。破裂音と共に表面が大きく盛り上がり、次の瞬間にはバリバリと音を立てて豪快に破裂する。
中身として詰まっていた大量の砂利や砂が、道場の畳の上へと盛大にぶちまけられた。
「こ、これは……っ☆」
「天城! 大丈夫か!」
「な、なんとか……っ。ただ、反動で腕がめちゃくちゃ痛いのと……力が……」
その場で、旭は糸の切れた操り人形のようにガクッと崩れ落ちた。
昨日と同じだ。体内のエネルギーを一気に放出し尽くしたせいで、全身の筋肉から急速に熱が引いていく。
「これが……白石が言っていた、あの時の力……か」
(……信じられないね☆ サンドバッグを粉砕する威力を、こうも簡単に……☆)
「とりあえず、天城の新しい異能の片鱗をこの目でしっかりと確認できて良かったぜ」
「それなら……ハァ、ハァ……良かったです……」
「って、おい! もう息切れしてやがる!」
「天城くん……☆」
フラフラになっている旭へ向けて、白石が静かに歩み寄る。その声のトーンには、いつもの呑気な響きが綺麗さっぱり消え失せていた。
「――疲れているところ悪いけれどね☆」
「……え?」
「君は一体、何を思ってあの拳を振りかざしたんだい?」
ぞっとするような冷気が、道場の空気を一瞬で凍りつかせた。
白石の目つきが変わっていた。いや、目つきだけではない。纏っている空気、呼吸の気配、その全てが――一瞬にして研ぎ澄まれた戦闘者のものへと変貌を遂げていた。
「おい、白石……。 洒落にならねぇ雰囲気だぞ……」
ただならぬ殺気とプレッシャーに気づき、蓮司が険しい顔で一歩踏み出す。
「…………」
しかし、白石からの反応はない。蓮司の警告などまるで聞こえていないかのように、ただ冷徹な瞳だけが、床に倒れ込む旭の深淵を射抜くように見つめ続けていた――。
「……天城、話してやれ」
ただならぬ雰囲気を察した蓮司が、静かな声で旭へ語りかける。
「……信じてもらえないかもしれないですけれど……。確かに、俺じゃない『誰か』が……頭の中で囁いたんです……。『殺せ』って」
「なに……!? 天城、それ……本当か……!?」
「本当……なんです」
白石の鋭い視線が、じっと旭の瞳の奥を射抜く。旭も誤魔化すことなく、そのまっすぐな眼差しを正面から受け止めた。
緊迫した静寂が道場を包み込み――やがて、白石の表情がフッと緩んだ。
「そう……☆ なら、君の言葉を信じるよ☆」
先ほどまでの凍りつくような殺気が嘘のように消え去り、白石はいつもの軽いノリへと戻ってみせる。
「ならば☆ この新しい異能の力は……☆」
「……危険すぎるから、封印した方がいいってことですか」
「そうさ☆ これはね、天城くん自身を守るためだけじゃない☆ 周りのみんなを守るためでもあるんだ☆」
「……っ!」
突きつけられた容赦のない正論。
しかし、サンドバッグへ拳を撃ち込もうとした瞬間に感じた、あの気味の悪い闇――それに対する白石のまっすぐな警告は、恐怖に呑まれかけていた旭の意識を力強く現実へと引き戻してくれた。
「でも……もしまた、自分じゃ抑えきれないようなことが起きたら……二人を頼って――」
「もちろんさ☆」
「おう! 任せとけ!」
旭が最後まで言い切るより早く、二人の教官が同時に力強く親指を立てグッドサインしてみせた。
「よし! 天城、少し待ってろ! 俺がお前にぴったりの『特別な道具』を作ってやるからよ!」
「作って……って、蓮司さんがですか?」
「蓮司はね☆ こう見えて『ものづくり』が趣味なのさ☆」
「趣味って言い方はねぇだろ! きちんと報酬を貰ってやってるプロの仕事だわ!」
「あ、ありがとうございます……!」
まだ立ち上がれないほど消耗している旭だったが、床に這いつくばったまま首を必死に上下させ、二人に深い感謝の礼を示した。
「今更なに改まってやがるんだよ。気味の悪い真似すんじゃねぇ」
蓮司は照れ隠しのように手をひらひらとしっしっと振り、旭の不格好なお辞儀を片手間で無造作にあしらった。
「んじゃ、そろそろ教室に戻るか。流石に今日のところはこれ以上の特訓は無理そうだしな」
「その方が良さそうだね☆ それじゃ、またね天城くん☆」
「はい! ありがとうございました!」
胸を撫で下ろし、心の底からホッとした旭は、少しずつ戻ってきた魔力と体力を頼りに身体を起こし、蓮司と共に道場を後にしたのだった。
――そして、それからしばらくしてのこと。
ガララァッ!!
道場の引き戸が、勢いよく荒々しく開け放たれた。
「旭さんがここにいると聞いたのですが……っ!」
息を切らせながら真っ直ぐ飛び込んできたのは、ノートを片手に持った世羅だった。
だが、そこに広がる光景は――粉々に破壊されて砂利が盛大に撒き散らされた無残なサンドバッグの残骸と、ぽつんと佇む白石の姿だけである。
「世羅くん☆ ベストタイミング☆ 一緒にこれ片付けよっか☆」
「……は、はい?」
状況が飲み込めず、目を白黒させる世羅の困惑した声が、静まり返った道場に響き渡ったのだった。




