神鳴(ヴォルテクス)
「暗いな……」
隊長――そう呼ばれる男の本名は、白雷凌雅。
イグゼクター協会においても一握りの頂点に君臨するプロであり、活動名を『神鳴』という。
彼は協会内に自らの事務所を立ち上げ、一種の巨大な派閥を形成していた。自身の配下を担当区域へ適切に配置することで、異能犯による被害を爆発的に抑制することに成功。現在では東海・北陸支部の絶対的なリーダーとして君臨している。
……もっとも、ここ数年で彼らの対峙すべき敵の質が激変していることだけは、凌雅にとっても頭の痛い悩みどころであった。
原因不明の空間のヒビ。そこから溢れ出してくる正体不明の尖兵、界裂生物。
異能犯ほどの狡猾な知能はないに等しいが、純粋な破壊力においては数段上。わずかに対処が遅れれば、あっという間に街の一角が文字通りの更地へと変貌してしまう。
脅威の中でも危険度Ⅳを超える個体となれば、凌雅自身が前線に立ち、その圧倒的な力でねじ伏せなければ到底歯が立たない。
今回もまさにその界裂生物絡みで緊急の電報が届き、彼はこの惨状へと馳せ参じたのだった。
(いくら負喰から疾走してきた余波で威力が減衰していたとはいえ……手負いの界裂生物を一発で仕留めきれないとなると、いよいよ厄介だな……)
決して己の力を誇示するような驕りではない。
凌雅の異能質は、自他ともに認める絶対的な領域にある。その自分が一撃で即死させられなかったという事実は、彼以外の大多数のイグゼクターでは命がいくつあっても足りない極限の任務であることを意味していた。
(僕が、示し続けなければ……)
強者の持つ絶対的な力は、揺らぐことすら許されない。
頂点に立つ者の背中がブレてしまえば、配下の組織はドミノ倒しのように崩壊していく。
世間や市民は、彼のことをピラミッドの最頂点に立つ存在だと思うのだろう。
しかし――当の白雷凌雅自身は違っていた。
自分という存在は頂点などではなく、人々や部下たちを一番下で支え続ける『土台』なのだと、彼は今日この瞬間までそう信じて疑っていなかった。
「……長い」
身に纏わせた微小な雷光を明かり代わりに、凌雅は闇に閉ざされた地中の空洞を照射する。
迷宮のように幾重にも枝分かれした暗道。耳を澄ませても、獲物の息遣いや足音すら聴こえてはこない。
おそらく、負傷した怪穴熊は潜伏したまま体力を温存しているのだろう。この広大な地下空間をしらみつぶしに探索するのは、流言飛語を追うように骨が折れる作業だった。
ふと視線を横へ落とすと、砕け散った瓦礫の山が視界に入る。激しい戦闘の痕跡と、怪穴熊が逃走の際に押し潰していった痕跡だ。
「……出し惜しみは……しないよ」
呟きとともに、手に収束させていた紫電の出力を一気に引き上げる。
バチチチチッ――!
鋭いスパーク音が狭い地下空間に響き渡り、眩烈な閃光が周囲の暗闇を白日の下に晒す。
凌雅はその高密度の雷を帯びた手掌を、静かに瓦礫の壁面へと押し当てた――。
刹那――凌雅の掌から放たれた高密度の雷光が、怪穴熊の穿った無数の地下穴全体へと網の目のように疾走した。
その効果は、待つまでもなかった。
通電させてからわずか三秒。
――ゴゴゴゴゴゴッ!!
地底の奥深くから地鳴りのような響きと、大規模な崩落音が連続して轟き始める。電流を伝った広域索敵と同時に、網状のスパークが地下空洞の構造そのものを強引に破砕したのだ。
標的の居場所を確信した凌雅は、すぐさま右掌を真上へと掲げ、極大の雷撃を収束させる。
「ハッ――!」
頭上の地盤を穿ち抜く、鋭い閃光の一撃。
カラカラと瓦礫が崩れ落ちる間もなく、空けた風穴から夕焼けの残光が差し込む。凌雅はその一筋の光を追うように、地表へと勢いよく飛び出した。
――シュッ!!
地表へ脱出した直後、激痛と麻痺に耐えかねた怪穴熊もまた、地底から弾き出されるように空へと躍り出ていた。
ボカァァァンッ!!
巨獣の巨躯が、茜色に染まる夕日を完全に覆い隠す。
地上で倒れていた仄たちの視界が、怪穴熊の落とす不気味な巨大な影に一瞬で呑み込まれた。
――ジュィィィィン……。
空中へ躍り出た凌雅は、己の目――正確には、視覚神経の奥深くにまで微弱な電流を潜り込ませた。
極限まで引き上げられる動体視力と知覚速度。
両の目尻からは溢れ出た蒼白いスパークが漏れ出し、まるで雷の涙を流しているかのように怪異な輝きを放っていた――。
(……そこか)
極限まで研ぎ澄まされた視覚神経が、怪穴熊の胸部に潜む真の核を完璧に捉えた。
凌雅は確信とともに、右手に再びバチバチと蒼白い閃光を収束させていく。
空域の何もない空間を、足裏の電光で力任せに踏み切り――
――シュバリィィンッ!!
音を置き去りにする超高速の飛翔。
肉薄した凌雅は、極大の雷撃を纏わせた右腕を怪穴熊の胸部へと突き出した。
その手元は、親指・人差し指・中指の三本だけを立て、あたかも野球ボールを鷲掴みにするかのような独特のフォームを形成している。
三本の稲妻で描く三叉の槍――トライデント。
――ビリッ! ビリリリッ!!
放たれた三叉の雷突が、怪穴熊の強固な右胸の装甲へと容赦なく突き刺さる。
だが――衝撃は穿ち抜くだけでは終わらない。
刺し入れられたフォームのまま、凌雅は全身のタメを利用して腕ごと強烈に回転させた!
――シュババババリバリッッ!!!!
凄まじい旋回軸を描く稲妻のドリル。
その強烈な回転と摩擦熱により、円柱状にくり抜かれた凄惨な穿孔痕が怪穴熊の胸部に深く刻み込まれていく。
肉と装甲を焼く絶叫のような放電音とともに、凌雅の身体がその巨大な胸部を完全に貫通・突破した。
「ん……くぁ……」
ほんの数分間、意識を断ち切られていた天城旭が、深く重い眩暈の中から目を覚ます。
凌雅が天空穿ち抜いた穴から、真っ赤な夕焼けの残光が差し込み、倒れ伏す旭の顔を静かに照らし出していた。
逆光に染まる空。
旭の網膜に焼き付いたのは――巨獣の胸を穿ち抜け、夕日を背に静寂と圧倒的な破壊を体現する神鳴の、神々しくも恐ろしい影絵であった。
――バババリッ! ビシュッ!!
胸部を穿ち抜く三色の雷撃が爆ぜると同時に、神鳴の腕を覆っていた青白い光が、まるで空気中に霧散するように消えてゆく。
そして急激に生気を失い、瞳の光を消した界裂生物は、重力に引かれるまま無様に落下していった。
――ドォォォンッ!!
地上に残された瓦礫の山へと叩きつけられ、激しい土煙を巻き上げる。
ぴくりとも動かなくなったその巨躯は、まさに完全討伐を物語っていた。
「な、何が起きてんだ……」
依然として過負荷による痛みが残り、万全に体を動かせない旭。
彼はまるで赤ん坊のハイハイのような不格好な足取りで必死に這い進み、屋上を囲む金属柵の隙間から、夕空に浮かぶはずの神鳴の姿を探した。
「あれ……?」
しかし――先ほど圧倒的な存在感で夕日を背に立っていたシルエットの主は、どこにも見当たらなかった。
上空を見仰いでも、地表を見渡しても、そこに存在するのは不気味に円柱状の穿孔痕を残し、物言わぬ肉塊となった界裂生物の死骸だけ。
「どうしたんだい?」
「――っ!?? うわっ!!」
唐突に、すぐ背後からかけられた声。
心臓が跳ね上がるほどの驚愕に、旭は弾かれたように跳びのき、そのまま背中を金属柵へと強く押し当てた。
「おいおい、そんなに驚かなくたっていいだろう? ま、君とはこれが初めましてには変わりないけれどね。僕の名前は神鳴――一応、あいつらには『隊長』なんて呼ばれているかな」
悪戯っぽく微笑んだ凌雅は、そう言いながら眼下の地上を指差した。
その視線の先では、無事を確認して興奮のあまり自身のマントをこれでもかと大きくぶんぶんと振り回している、マジックマント達の姿があった――。
「まったく……。でも無事に間に合ったことだし、後で労いの言葉くらいはうんとかけてやるとするか」
「え……えぇと……」
旭は頭を働かせて現状を理解しようと試みる。だが、悲鳴を上げる全身の肉体と同様、疲弊しきった脳もまた情報を拒むかのように処理を拒絶していた。
「……まだ身体が正常じゃないな。無理に異能質を引き上げすぎた反動か……。よし、医療班のところへ連れて行くとしよう」
そう言うやいなや、凌雅は旭をひょいと軽々と抱え上げた。
両足へピリッと蒼白いスパークを纏わせると、そのまま屋上の柵を飛び越え、地上で待つ仄たちの元へと一直線に躍り出た。
「隊長ぉ〜っ!」
ドッと着地した瞬間に駆け寄ってきたのは、セティレメックだ。
「待て待て、今はまずこの子を医療班へ引き渡さないと――」
「僕が連れていきますぅ〜!」
「助かる、頼むよ」
「はいぃ〜!」
旭を引き取ると、セティレメックはそのまま小走りで後方へと去っていく。入れ替わるように、今度はマジックマントが嬉々とした表情で詰め寄ってきた。
「隊長が来てくださって、本当に助かりました! 流石です!」
「君もだよ! だがまだ仕事は終わっていないぞ。早く回収班を呼ぶんだ!」
「回収班なら、恐らくじきに到着するかと。……それで、隊長。あの倒し方ということは……」
「ああ。……成功したよ、あっちにね」
そう言って凌雅が顎で指し示した先――そこには、先ほど怪穴熊の胸部からくり抜かれた、円柱状の肉塊と装甲の残骸が転がっていた。
「……っ!?」
「成功って……?」
二人の深刻なやり取りに割って入ってきたのは、顔や服を泥と血で汚した仄だった。
「ん? 君も随分と汚れているね。怪我はないかい?」
「平気。……それより、成功って」
「……なかなか強引だな、君は」
食い気味に問い詰めてくる仄の勢いに、凌雅は少し顔を引き攣らせつつも、その真っ直ぐな瞳に応えるように口を開く。
「……最近の研究でね。界裂生物の体内には――共通する『機械のような器官』が存在することが判明したんだ」
「隊長……っ!? その件は機密事項では――っ!」
「いいさ。この子も命を懸けて討伐に参加してくれたんだ。悪い子じゃない。隊服を着ているし、教習生だろ?」
「……それはそれ! これはこれ! ですよ! 情報は協会にとっても立派な武器なんですからね!」
「まぁ、今回の一件を皮切りにじき判明することさ。そうなれば、メディアだってこぞって報道するようになる」
「そうだと良いんですが……」
「なんとかなるものだよ。……おっと、話の途中だったね。それで僕は、この界裂生物を観察していて覚えた違和感の部位を、丸ごと切り取ったというわけだ」
「……機械ってことは……」
「誰かが……人工的に作り出したってことか……ハァ……ハァ……」
会話の輪へ、ようやく激痛を抑え込んで状況を把握し終えた旭が足を踏み入れてきた。
「旭……っ!」
「悪ぃな、仄。余計な心配かけさせちまった……」
「……良かった」
「へ?」
「……何でもない」
安堵で声を詰まらせ、そっぽを向く仄。
そんな二人の様子に、凌雅は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「おいおい……。僕らにこんな甘酸っぱい青臭いものを見せるのは少し酷だけど……。まぁ、君の導き出した推測が一番自然だろうね」
「……なんで……なんでそんなことをするんだ……!?」
誰が、何のためにこんな恐ろしい化け物を生み出しているのか。憤りを露わにする旭に対し、凌雅は落ち着いた声調で静かに首を振った。
「それを今ここで考えても時間の無駄というものさ。根拠もないまま急いで自分なりの持論を抱え込むのは、思考の罠にハマるだけだからね」
「でも……! 今回だってこんなに被害が出て、大勢の人が怪我してんだぞ!?」
「――だから、僕たちがいるんだ」
取り乱す旭の感情を静かに受け止め、淡々とした口調のまま、神鳴は揺るぎない覚悟の宿る言葉を突きつけた。
「発生した界裂生物を討伐する僕たちがいるように、その界裂生物を調べて未知を解明しようと尽力する人たちだっている」
「……チーム」
神鳴の言葉にどこか聞き覚えがあったのか、仄が懐かしむような表情を浮かべてぽつりと呟く。
「簡単に言えばそういうことさ。だからこそ、僕たちが今なさねばならないのは――ただ愚直に強くなること!」
「強く……」
「そう。強くなることで被害を未然に抑える。強くなることで誰かを守る。その強い意志と心を持って、迫り来る脅威に立ち向かっていくのさ」
力強く言い切ると、凌雅は力こぶを作るように腕をグッと掲げ、旭へ向けて笑いかけた。
「君も教習生なんだろう? 今回の戦いを機に、もっと、もっと強くなるんだ!」
「……分かった! 俺、絶対に強くなってみせる……ッ!」
「うんうん、その意気その意気。良し、それじゃあ今日はもう帰りなさい」
「あぁ。……あ、でも、このコスチュームはどうすれば?」
「ん? 自前じゃないのかい? すごく似合っているけれど」
(……やっぱり、この人たちの服のセンスは全員根っこで繋がってんのか……?)
「あ! ってかさ! 朝比奈が隊服のまま突っ込んだら、俺がわざわざこのコスチュームを着た意味が完全になくなるじゃん!」
「……旭が勝手に着ただけ。なんだかすごく嬉しそうだった」
「そんなワケあるか~!!」
「すみませ~~ん!!!」
二人が不毛な言い争いを繰り広げていると、遠くから大勢の怒号と靴音が近づいてきた。
「テレビ哀知報道部のものです!」
「夕日新聞ですが――!」
「マンスリースポーツの――!」
現場の封鎖線を突破し、無数のカメラとマイクを携えた報道陣が一斉に押し寄せてくる。
「君たちは早く行くんだ!」
駆けつけてきたマジックマントが即座に割り込み、旭と仄の背中をポンと押して逃げ道を指示した――。




