電撃的な誘導
「ふっ!」
勢いよく、一切臆することなく怪穴熊へと一直線に突き進んでいく旭。
もちろん、咆哮を上げた巨大な敵も黙って見ているわけではない。狂乱のまま、右腕の巨大なバケットを思い切り叩き落としてくる。
――ドガァァァンッ!!
衝撃波が工事現場の地表を破砕するが、旭はすでにデコイの発動態勢に入っていた。
この異能質を獲得し、幾度となく死線を潜り抜けていく中で、旭の身体はこのスキルの扱いに確実に慣れてきていた。今回も、デコイの残像を残して難なく攻撃をすり抜ける。
(俺の異能質は、自分と瓜二つのデコイを作り出すことができる。そして、そのデコイは揺ら揺らと不気味に揺れ動き……たとえ本体の形が消えても、空間に“何か”がしばらく残存していることも感覚で分かっていた)
――すぅっ……。
(その“何か”の正体までは分からない……だが、残存している“それ”を起点にして、さらに重ねるように新しいデコイを展開することもできる)
怪穴熊の振り下ろしたバケットの直下で、旭の身体に重なるように新たなデコイが生成され、本人の肉体はすっと横方向へスライドするようにズレる。
(……だが、待てよ。こいつらは、横に大きくズレて走っている『本物の俺』にどうして気づかない……?)
旭の脳裏に、ふとした疑問が浮かぶ。
怪穴熊のような凶暴な界裂生物の感覚器官なら、横に回避した人間の足音や空気の揺れに気づいてもおかしくないはずだ。なのに敵の視線も意識も、すべてがデコイへ吸い寄せられている。
(相手から見えるデコイの条件って……一体何なんだ……?)
――ドックン!
思案した瞬間、再び胸の奥で不気味な脈動が打つ。
先ほど一瞬感じた頭の奥で囁く謎の存在。
旭が自らの異能質を整理し始めるのと調和するように、瞳の奥の赤い光が静かに、そしてより濃厚に蠢き始めていた――。
――フワァン……ッ。
少し前に出していたデコイの残滓の場所に重ねるように、再びデコイを展開する。この繰り返しの回避行動。
(クソッ……! 決定打が……決定打がねぇ……ッ!!)
怪穴熊の巨腕が、尾が、度々流れ出るコンクリートの波が、旭の残像を次々と叩き潰していく。
どんなに美しくかわそうが、逃げ回っているだけではいつかスタミナが切れ、疲れて果てて潰されてしまう。まさに逃げるだけは絶対に倒せないという絶望的な状況そのものであった。
「ハァ……ハァ……ッ!」
呼吸が激しく荒くなる。額の傷口から流れる血が目に入り、視界をドス黒い赤に染め上げる。
――タタタッ!!
逃げ続ける旭。絶え間なくデコイを出し続け、もはや追い詰められてまともに逃げ惑う余裕すらもない。
しかし――諦めという感情が心身を蝕むことは決してなかった。
旭は必死に敵の動向を観察し、その異変を注視していた。
(コイツ……地面に逃げねぇな……)
本来なら、自分の得意な地中からの奇襲を仕掛ければいいはずだ。それなのに地中へ掘り進むどころか、地表での動きそのものがかなり鈍くなっている。
(考えられるのは……)
旭は走る勢いを殺さず、怪穴熊の後ろ足へと鋭い視線を向けた。
(あの膨れ上がった足か……ッ!!)
先ほど超速乾コンクリートを撒き散らした際、コンクリートミキサー車のドラム缶のように奇怪に肥大化し変形したあの後ろ脚。異様な質量と引き換えに、地盤を高速で掘り進むための俊敏な動作と踏ん張りが利かなくなっていたのだ。
(潜らねぇんじゃねぇ……あいつ自身も、変形させた足の重さで潜れなくなってんだ! 勝ち目は……まだある……ッ!!)
暗闇と血の赤に染まる視界の中で、旭の瞳の奥の『赤い光』が、反撃の瞬間を悟ったかのように妖しく激しく躍動し始めた――。
ふと疾走の途中、旭は先ほど自らが展開し、残像が消えたはずのデコイの設置場所を通り抜けた。そこには相変わらず、目には見えない異能の“何か”が濃密に漂っていたのだが――通り抜けた、その瞬間。
――ギュルギュルギュルッ!!!
「っ……!? なんだ……これ……っ!?」
空間に残存していたデコイの残滓が、まるで意思を持った蛇のように旭の肉体へと爆発的に収束し、激しく纏わりついてきた。それは不快な冷たさではなく――ぬるま湯のような温かいと、燃え盛る熱いのちょうど狭間にある、異様な体温を帯びたエネルギーの渦。
(これって……俺が残したデコイの……力……!?)
旭の身体を包み込む橙色と不気味な赤い光彩が、バチバチと音を立てて波打つ。
全身の細胞が急激に活性化し、額の傷の激痛すら一瞬で吹き飛ぶほどの奔流のようなパワーがみなぎっていく。
(デコイはただの囮じゃなかった……! 空間に残した俺の能力……! これって……回収することができるのか……ッ!! 今まで、設置した場所をわざわざ通り直したことがなかったから気づかなかったのか!……それならッ!)
旭はすぐさま反転し、先ほど回避の過程で空間に残してきた2、3カ所のデコイ設置場所へと突進した。残滓を通り抜けるたび、異能の波動が吸い寄せられるように肉体へと収束していく。
――ギュルンッ!! ギュルンッ!!!
身体の奥底で、回収したエネルギーが咆哮を上げるようにひしめき合う。
全身を苛んでいた疲労と激痛が嘘のように吹き飛び、肉体が恐ろしいほど軽くなっていく。その爆発的な推進力と軽やかさは、すでに今の怪穴熊のスピードを遙かに上回っていた。
「グオォォォォォンッ!!!!」
眼前で起きた異変を察知し、怪穴熊が激昂の咆哮を轟かせる。肥大化したミキサー足の重量に泥臭く引きずられながらも、残された左腕の巨大バケットを激しく振り上げ、旭の頭上から必殺の一撃を叩き落としてきた!
「遅ぇよ、熊野郎……ッ!!」
いつもであれば、この瞬間に新たなデコイを設置してギリギリで回避しているはずだった。
だが――回収したエネルギーを爆発させた旭が地表を強く蹴りつけると、ドォンッ! と凄まじい音を立てて瓦礫が現場に跳ね上がった。
――ズバァァァンッ!!
デコイすら残すことなく、これまでの動きを遥かに凌駕する速度で、旭の姿はその直下から完全に消失していた。
空を切った巨大バケットが地表を粉砕した瞬間――旭は、鉄骨だけの建物の頂上に躍り出ていた。そして怪穴熊の無防備な顔面の真上、死角となる上空めがけて落ちていく。いつもなら、こんな大胆な行動は出来ない。少し前まで、誰かに頼ることでしか討伐もトレーニングもままならなかった。しかし、今なら何でもすることに躊躇はない。旭の赤くなった目には怪穴熊の頭部がしっかりと捉えていた。
「これなら……叩き込めるッ!!」
赤い輝きを宿した瞳で敵の頭部を見据え、右腕に全身のエネルギーを集約させる。頭の中で、逃げ惑いパニックになっていた市民。上から落ちてきた親方。1人取り残された作業員。血まみれになったコアシャフト。そして初めて見た感情的になっていた仄が一気に浮かび上がっていた。
(みんなを……守るため……)
「これ以上……」
逃げ回るだけだった少年が、ついに巨大な脅威へと拳を振り下ろす。
「迷惑をかけんじゃねぇ!!!!」
右腕に思い切り力を込める。あとは、このまま怪穴熊の無防備な頭部へ叩き込むだけ。
そう確信していた――その、直後。
――ドックン!
「くはっ……!!?」
唐突に、身体の全細胞が悲鳴を上げるような激痛が走った。
体内へ強引に回帰・圧縮させたデコイのエネルギーが、巡りきれずに旭の肉体を内側から破壊しようと暴れ狂う。まるで限界を超えた圧力が、身体の表面を勢いよく突き破り弾け飛ぶような感覚。このままでは攻撃を放つ前に自分自身の肉体が保たない――直感的な恐怖が意識を激しく揺さぶる。
(な、なんだ……!? 身体が……破裂する……ッ!?)
一瞬の激痛に身体が跳ね、全身の体勢が大きく崩れる。
激痛に気を取られたことで、頭部を正確に打ち抜くはずだった拳の軌道が、狙いから大きく逸れてしまった。
――ズガァァァァァンッッ!!!!
空中から振り下ろされた旭の渾身の一撃は、怪穴熊の頭部を通り越し、肥大化したミキサー足の左の付け根の部分へと強烈に叩き込まれる結果になった。
「ガアァァァァッ……!?」
橙色と赤の異能の波動が足の関節部で爆ぜる。
狙い通りの頭部破壊とはならなかったものの、限界を超えたエネルギーの打撃は、ミキサー足を支えていた重厚な関節フレームを容赦なく内部から破砕した。
ギギギ……ボガァンッ!
——グオォォッ!?
重脚を根元から打ち砕かれ、怪穴熊は断末魔のような叫びを上げて激しく横転する。
一方の旭も、攻撃の反動と体内の激痛によって空中で受身を取ることもできず、激しく瓦礫の地面へと叩きつけられた――。
「カハッ……!!」
呼吸すらまともにできない激痛。指一本動かすことすら叶わず、視界が明滅する。
――グググ……ッ!
だが、巨体を横転させた怪穴熊もまだ諦めてはいなかった。
左足を破砕され、地表での立脚すら困難となった怪物は、生き残るために狂乱のまま地面の中へと潜り込もうと足掻き始める。巨体を這わせ、太く頑丈な尾をぶんぶんと乱暴に振り回して地表の瓦礫を掘り返す!
――ドガァァンッ!!
「っ……!? あ……っ!」
無造作に振り回された巨尾が、地面に倒れ伏していた旭の肉体を容赦なく打ち据えた。
受身を取る余力すらない旭の身体は、まるで千切れた紙くずのように軽々と宙へ跳ね飛ばされる。
(嘘だろ……身体が……動かねぇ……ッ!!)
――ヒュオオオッ!
視界が激しく旋回する。
全身の骨が軋み、指一本すらまともに動かない。空中へと放り出された無防備な肉体。
眼下では、足を失い半ば地中に潜り終えた姿なき怪穴熊で瓦礫の絨毯のみ。身体が動かない今の旭が落ちれば無事ではすまない絶体絶命の死角。
(くそっ……! 落ちたら、瓦礫の山に激突するか……潜んでるアイツの餌食だ……!)
死のイメージが、冷たい汗となって全身から噴き出す。
地表の瓦礫が、まるで巨大な墓標の群れのように旭を迎え入れようと迫ってくる。
「旭――ッ!!」
地上からの悲鳴のような叫び。
仄の瞳に、激しい動揺と焦燥が走り抜けるのが見えた。仄自身も異能質の過度な使用により動くこともままならない。
(動け……動けよ俺の体……ッ!)
だが、限界を超えた過負荷に悲鳴を上げる筋肉は、旭の意志を完膚なきまでに拒絶する。重力に引かれ、死の速度で落下していく体を、ただ受け入れることしかできない。
(も……もう意識も……)
ぐるぐると回ることで、脳も無理矢理揺らされるように苦しめられる。ほとんど、酸素が供給されていない。
「うっ……絶対に諦め……」
途切れ途切れの意識のなかで、言葉すら噛み砕かれて消えていく。視界が急速に黒く染まり、酸素を奪われた脳が激しい悪寒に苛まれる。旋回する世界、迫り来る瓦礫の群れ。
――ガァンッ!!
その直下で、瓦礫を突き破り姿を現したのは、足を失い半ば地中に潜んでいた怪穴熊だった。バケット状の巨大な顎を広げ、上空から落ちてくる無防備な旭を、ひと呑みにせんと死角から喰らいつきに跳び上がる!頭部のバケットを大きく広げ、凶悪な牙を剥き出しにしている。
(あ……ダメ……か……)
死の顎が目の前に迫る。
意識が暗転しかけ、重力に引かれるまま落下する旭。
地上では、動かない体に鞭打ち、指先を地面にめり込ませながら必死に旭の名を叫ぶ仄が心が酷く締め付けられるような感覚になっていた。
絶対絶命。逃げ場のない襲撃――。
その瞬間だった。
――バリバリバリバリバリバリッッッ!!!!!!!
夕暮れの工事現場全体が、一瞬にして眩烈な白銀の閃光に包まれた。
鼓膜を狂わせるほどの激しい轟雷音。
空が割れたかのような衝撃とともに、雷霆そのものが上空の死角へと一直線に突き刺さった。
――ガギィィィィンッッ!!!!
「グ、オォォォォォンッ!???」
旭を呑み込もうとしていた怪穴熊の巨大な顎に、青白い電光を激しく撒き散らす凄まじい脚撃が叩き込まれた。
バケット状の装甲が火花を散らし、巨獣は断末魔のような悲鳴を上げて地表の瓦礫へと叩きつけられる。
「が……っ!?」
衝撃波で空中に投げ出された旭の身体。
だが、落下する間もなく、背後から首根っこをひょいと掴まれた。
「たく……10分で駆けつけるのも楽じゃないんだ。少しは粘って見せたらどうなんだ。……って君……誰?」
通信の向こうで聞こえていた、どこか余裕のある低い声。
旭が薄っすらと目を開けると、そこには全身にバチバチと青白い雷を纏い、足元から電光を溢れさせて空中に立つ――男の姿があった。
「雷……っ!? ってことは、負喰にいた……隊長……!?」
マジックマントが自身のマントを強く握りしめ、勝利を確信したようにその目を輝かせる。
両脚に纏わせた雷撃による、概念すら置き去りにする超高速移動。遥か遠方の負喰から哀知の惨状へと駆けつけた。地を砕き、空を切り裂いて届いたのは、絶望を打ち祓う極大の電光。
「た……隊長……っ!!」
地上で動けずにいたセティレメックやマジックマントが、歓喜の叫びを上げる。
血を流し倒れ伏すコアシャフトの口元にも、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「流石……我らの……隊長……!」
隊長は気を失った旭を腕に抱えたまま、近くのビルの屋上へと羽毛のように静かに着地した。
無防備な少年を優しく横たえると、彼はゆっくりと前を見据える。
――ズズズズンッ……!
先ほどの雷撃で頭部から灰色の煙を吹き上げながらも、地中の怪穴熊は諦めていなかった。残されたコンクリート器官を不気味に蠢かせ、なおも殺意を滾らせて蠢き立ち上がってくる。
「……誰かは知らないけれど。よく……ここまで繋いでくれたね」
隊長が屋上の縁へと、静かに一歩踏み出す。
眼下で倒れる教習生たち、血を流すコアシャフト、そして怯える人々――その惨状を瞳に映した瞬間、彼の纏う雰囲気が氷のように冷たく、刃のように鋭く研ぎ澄まされた。
怪穴熊を射抜く視線に合わせ、両脚に集約されていく雷光。先ほどとは比べものにならないほどの密度と圧力が、周囲の大気を激しく振動させる。
「ここからは――僕に任せてくれ」
言い終えると同時に、世界から彼の姿が消えた。目にも留まらぬ――いや、光の瞬きそのものとなった超高速の踏み込み。
――グオォォォォンッ!
危機感を察知した怪穴熊が、死角からの接近を阻止せんと、その巨大な顎を開く。粘性の高い超速乾コンクリートが、濁流となって隊長を呑み込まんと吐き出され――
――バチバチバチッッ!!
――だが、届かない。
隊長が右拳を握りしめる。
青白く奔る閃光の中心に、極彩色――脈動するような鮮烈な黄色と禍々しいまでの赤の雷光が絡み合い、極大の破壊エネルギーへと変換されていく。
「インデゥ――」
コンクリートの濁流が届く直前、三色の雷を纏った拳が、世界の時間を置き去りにして突き出された。
「クシオン」
――バビリッ!!
触れた瞬間、鼓膜を抉る異様な放電音が響き渡る。
獣の肉が焼ける凄惨な焦げ臭い匂いを撒き散らしながら、極彩色の電流が『怪穴熊』の全身を巡っていく。
「フルミナンテッ!!」
——グ……グハッ……!?
筋肉が一瞬にして強硬に収縮したのか、巨獣はコンクリートを吐き出すことすら叶わず、その場でぴくりとも動けず固まった。
「す、すごい……」
目の前で繰り広げられた圧倒的な力の奔流に、仄は思わず感嘆の吐息を漏らしていた。
「でしょでしょぉ〜!!」
セティレメックが鼻を高くし、仄に向かって興奮気味に胸を張る。
「アレが、僕たちの隊長なんですぅ〜!」
だが、さすがは危険度Ⅳの界裂生物。
閃導の衝撃からすぐさま意識を取り戻すと、生存本能のまま自身の得意分野である『地中』へと身を潜め、暗闇の底へ逃げ込んでいく。
「なっ! 意外とタッフネス〜」
隊長は驚きの声を上げつつも、まったく脅威を感じていないような軽妙な声色を漏らす。
そして躊躇の欠片もなく、巨獣が地表へと掘り進めた漆黒の穴の中へ、吸い込まれるように飛び込んでいった――。
「入って……」
「大丈夫だ……ハァ……っ」
医療班の治療を受けながら、吐息混じりにコアシャフトが仄を安心させるように語りかける。
「隊長のやる事なす事……すべてが俺らとは桁違いなんだ……。あの方は――」
コアシャフトが言葉を紡ぐと同時に、そばにいたマジックマントとセティレメックの表情が柔らかく綻んだ。次に発せられる言葉を、最初から知っていたかのように、誇らしげな笑みをこぼす。
「『雷の星冠種』……なんだからな」
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