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1歩を踏み出す理由

「初めまして」


 旭はそう言って一歩前に出た。


「天城旭といいます」


 数秒ほど旭を見つめた後、女性は小さく会釈する。


「蒼汰の姉の雨宮詩織です」


「どうも」


 旭も軽く頭を下げた。


「それで蒼汰」


 詩織は弟へ視線を移す。


「……」


 旭は詩織を見る。蒼汰と似た黒髪。

 年齢は二十代前半くらいだろうか。整った顔立ちをしている。優しそうな瞳は冷静に蒼汰を写しだしている。


「蒼汰」


「うん……」


「説明して」


「はい」


 蒼汰が背筋を伸ばす。


「えっとね、いじめられてた時に旭さんが助けてくれて……裂け目も出てきて、えっと、それも助けてくれて……でも旭さんは帰る家がなくて……」


「うん」


「今に至ります!」


「全然分からないよ」


 即答だった。


「確かに分からないよな」


 旭も頷く。


「旭さん!?」


「いや、それで伝わると思ったのか?」


 蒼汰が黙り込む。どうやら思ったらしい。

 代わりに旭が事情を説明した。

 公園でのことと怪花のこと。そして現在の状況。


「つまり」


 詩織がまとめる。


「蒼汰を助けてくれた人が、記憶を失っていて行く場所も無い、と」


「そんな感じです」


「そんな感じで済ませていい話かな……」


 詩織は頭を押さえた。

 至極もっともだった。


「それで!」


 蒼汰が身を乗り出す。


「旭さんを泊めてあげたいんです!」


「蒼汰」


「はい」


「気持ちは分かるよ」


「はい」


「でもよく知らない人だよね?」


「……はい」


 蒼汰がしゅんとする。


「それに宿は私だけのものじゃないし」


「うぅ……」


 正論だった。

 旭ですら反論できない。


「ほら、やっぱり無理があったんだよ。大丈夫。俺のことは気にすんな」


 旭も蒼汰を宥める。


「でも!」


 蒼汰が声を上げる。


「旭さん、本当に困ってるんだよ!」


 詩織が驚いたような顔をする。


「蒼汰」


「お姉ちゃんだって見捨てたりしないでしょ!?」


 必死だった。今日の蒼汰は何度も旭のために頭を下げている。

 その姿に旭は少しだけ驚いた。ここまで言ってくれるとは思っていなかったからだ。正直泊まれたらラッキーの気持ちでいた。

 詩織は困ったように額に手を当てる。


「だからってねぇ……」


「だったら泊めればいいじゃないか」


 その時だった。奥から声が聞こえる。

 振り返ると、エプロン姿の女性が立っていた。


「おばさん!」


「話は聞こえてたよ」


 女性は旭を見る。


「君が蒼汰を助けてくれた子かい?」


「は、はい」


「十分さ」


 女性は笑った。


「困ってるんだろ?」


「それは……そうです」


「じゃあ泊まっていきな」


「おばさん!?」


 姉が目を見開く。


「身元不明なんだよ?」


「でも協会の教官も関わってるんだろ?なら最低限の安心はあるよ」


「それはそうだけど……」


「大丈夫だよ。なんせ空きの部屋なんていっぱいあるさ」


 おばさんは迷いなく言った。


「蒼汰を助けてくれた恩人を追い返す方が後味悪いからねぇ」


 蒼汰の顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ!」


「うん。いいよぉ」


 おばさんは頷いた。


「今から部屋を用意しようかねぇ」


 旭は思わず言葉を失った。今日出会ったばかりの人間に、こんなにも簡単に居場所を与えてくれる。


「……ありがとうございます」


 気付けば、自然と頭を下げていた。


 ◇


「ごちそうさまでした!」


 蒼汰は満足そうに手を合わせた。


「今日は色々あったんだ」


 おばさんが笑う。


「先に休みな」


「はい!」


 蒼汰は立ち上がる。


「旭さん、おやすみなさい!」


「おう、おやすみ」


 元気よく手を振りながら二階へ駆け上がっていく。しばらくして足音が聞こえなくなると、食卓には旭と詩織、おばさんの三人だけが残った。


「改めてですけど」


 詩織が頭を下げる。


「蒼汰を助けていただいて、本当にありがとうございました」


「いえいえ、大したことはしてませんよ」


「そんなことありません」


 詩織は首を横に振った。


「蒼汰に何かあったらと思うと……」


 そこまで言って、詩織は言葉を飲み込んだ。

 旭もそれ以上は聞かなかった。

 代わりに、おばさんがぽつりと口を開く。


「あの子は昔から優しい子でねぇ」


「優しいっていうか」


 詩織が苦笑しながら訂正する。


「人に強く言えないんです」


「嫌なことがあっても我慢しますし」


「断るのも苦手ですし」


「なるほど」


 なんとなく納得できる。

 今日会っただけでもそんな気配はあった。


「学校でも色々ありました」


「いじめですか」


 詩織は一瞬だけ黙る。


「……はい」


 やはりそうだった。公園での出来事を思い出す。


「あの子、自分のことはあまり話さないんです」


「嫌なことがあっても隠しちゃうので」


 詩織が何かを思い出すように息を吐く。そのうち誰も喋らなくなった。


「それでもあの子」


 おばさんが口を開く。


「イグゼクターになりたいんだよ。誰かを助けたいんだってねぇ」


「へぇ……」


 旭は少し意外だった。


「両親のこともありますし」


 詩織が静かに言う。


「裂け目の災害で亡くなりましたから、自分みたいな思いをする人を減らしたいんだと思います。でも正直、心配で……」


 詩織は俯く。


「蒼汰は優しいですけど、強い子ではありません」


「押しにも弱いですし」


「喧嘩も弱いし」


「騙されやすいし」


「言われ放題ですね」


 旭は思わず苦笑する。


「事実ですからね」


 詩織は真顔だった。

 本気で心配しているのだろう。


「でも」


 詩織は続ける。


「さっきは驚いたんです」


「え?」


「旭さんを泊めたいって言った時です。あの子が人のためにあそこまで意見を曲げなかったの、初めて見ました」


 詩織が湯呑みを見ながら言う。


「確かにねぇ」


 おばさんも頷く。


「昔から遠慮ばかりしてきた子だから、我儘なんかほとんど言ったことなかったのにねぇ」


 旭は少しだけ考える。公園で会った時から、蒼汰はずっと旭のために考えてくれていた。

 あれは単なる親切だけでなく、蒼汰なりの覚悟だったのかもしれない。


「別にいいじゃないですか」


「え?」


 二人が同時に旭を見る。


「向いてるとか向いてないとか」


 旭は先程の蒼汰を思い出す。


「そんなの今決めることじゃないと思います」


「でも……」


「蒼汰はやりたいんですよね?」


 詩織が言葉に詰まる。

 代わりに、おばさんが小さく頷いた。


「あの子は本気みたいだよぉ」


「だったら1回目指してみればいいと思うんです」


 旭は言った。


「向いてるかどうかなんて、やってみないと分からないと思いますし」


「失敗するかもしれません、後悔するかもしれません」


 そこで少しだけ視線を落とす。


「でも」


「僕はやりもしないで諦めたら、後から必ず引きずると思います」


 旭にとっては何気ない一言だった。

 だが。

 詩織も、おばさんも言葉を失っていた。


「蒼汰の父親に似てるねぇ」


 おばさんがぽつりと呟く。

 旭は首を傾げた。

 おばさんは懐かしそうに笑った。


「あの人もそうだったよ」


「後悔しない方を選ぶ人でねぇ」


 詩織も小さく頷く。


「確かに……だから蒼汰も旭さんに懐いてるのかも」


「懐いてるって……やめてくださいよ」


 旭は苦笑した。


「そんな立派な人間じゃないんで」


「そういうところもだねぇ」


 おばさんが楽しそうに笑う。

 旭は居心地悪そうに頭を掻いた。

 褒められることには慣れていなかった。

 翌日。


「おばさん」


 朝食を食べ終えた旭は頭を下げた。


「何だい?」


「泊めてもらうだけなのは性に合わないので」


 一度言葉を区切る。


「何か手伝わせてもらえませんか」


 おばさんが目を丸くした。


「別に気にしなくていいよ?」


「気になりますよ」


 即答だった。


「そういう性分なんです」


 すると隣で聞いていた詩織が苦笑する。


「真面目なんですね」


「じゃあ遠慮なく働いてもらおうかね」


「はい!よろしくお願いします」


 数日もすると宿の仕事にも慣れてきた。

 客に挨拶を返されることもあった。

 旭にとっては不思議な感覚で、引きこもっていた頃には無かった日常が続いた。


 ◇


 宿での生活が始まって数日。

 約束通り、蓮司は旭を迎えに来た。


「迎えに来たぞ」


「では行ってきます」


 旭は二人に頭を下げた。蒼汰は既に学校に行ってしまっていた。せめてお礼ぐらいはしておきたかった。


「気を付けてくださいね」


 詩織も微笑む。


「結果が分かったら教えてくださいね」


「分かりましたよ」


 旭も笑顔で答える。

 宿の前に止まった車の窓から蓮司が手を上げる。旭は助手席へ乗り込み、エンジン音と共に車が走り出す。

 しばらく2人の沈黙が続く。流れていく景色を眺めながら、旭は小さく口を開いた。


「蓮司さん……俺さ」


 不意に旭が口を開いた。


「イグゼクターになってみようかなって思うんだ」


「なんでイグゼクターになりたいんだ?」


 蓮司は旭を方は見ずに質問する。

 旭は少しだけ考える。

 裂け目。

 能力。

 そして、この世界。


「裂け目を調べたいんです」


 蓮司が目だけを向ける。


「ほう」


「探したいものがあるので」


「人か?」


「そんなところです」


 完全な嘘ではない。

 探しているのは場所だ。

 旭は窓の外を見る。

 流れていく知らない景色。

 知らない世界。

 そして思い出す。

 狭い自室。

 読みかけの漫画。

 散らかった机。

 もう二度と戻れないかもしれない場所。

 そこへ向かいたい。帰りたい。

 だが、それを説明する気にはなれなかった。


「あと」


「ん?」


「誰かのお手本になってみたくなったんですよ」


 旭は照れくさそうに頭を搔く。


「ほーん?記憶喪失の奴にそんな思い入れのある人がいるのか?」


 蓮司がニヤニヤしながら聞く。


「……います」


 小さく答えた。

 蓮司のニヤニヤ顔は止まらなかったがそれ以上聞かなかった。そして旭に聞いた。


「ならイグゼクターを目指す理由としては充分だな」


「そうなんですか?」


「ああ」


 蓮司はハンドルを切る。


「実はな」


「?」


「俺もお前をスカウトするつもりだった」


「え?」


 思わず変な声が出た。


「どうして?」


「怪花の攻撃1回も当たってなかっただろ?」


 蓮司は前を向いたまま言う。


「やっぱりあれは偶然じゃないと?」


「ないな」


 即答だった。


「現場で何年もやってりゃ分かる」


 旭は黙る。正直、自分でも薄々分かっていた。偶然にしては出来すぎている。


「まぁ能力者だったらイグゼクターになれるかもな」


 蓮司は笑う。


「そうなったらアイツらと同じ教習所で特訓だな」


「でも能力者じゃなかったら?」


「その時はその時だ」


 適当な返事だった。


「適当だな」


「適当がちょうどいいんだよ」


 そう言うと蓮司は急ブレーキをかけた。

 旭には蓮司の運転は苦手で相変わらずだと感じた。

 だが、その気楽さが少しだけありがたかった。


「着いたぞ」


 旭は顔を上げた。巨大な建物が目の前にそびえ立っている。協会はテレビでしか見ないような近代的な施設だった。


「ようこそ協会へ」


 蓮司が仰々しく手を前に出す。

 それを横目に旭は建物を見上げる。

 裂け目の謎。

 自分自身の正体。

 帰りたい場所への手掛かり。

 その全てが。

 この先にある気がした。

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