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住所不定無職

 黒髪の少女に言われ、旭は混乱する。


(どう答えたらいいんだ……)


 下手なことを言えば怪しまれる。

 かといって正直に話したところで信じてもらえる気がしない。最悪危険人物扱いだ。

 その時だった。


「はいはい、お前らはもう教習所に戻っていいぞ」


 男が三人へ声を掛ける。


「えー。まだ来たばっかじゃん」


「本当ですよ。貴重な機会だと言っていませんでしたか」


「処理まで残る」


 三人がそれぞれ不満を口にする。


「あのなぁ。この後、色々めんどくさい作業があるんだよ」


 男は肩を竦めた。


「それを代わりにやっておくって言ってんだ。優しい優しい教官の指示に従っとけ」


「うげぇ。なら帰る一択っしょ」


 金髪の女子は即座に踵を返した。


「ほら、帰ろ帰ろ」


「分かりましたから襟を引っ張らないでください」


「……あの花の種、気になる」


 二人は半ば強引に連れて行かれる。

 その姿を見送りながら、旭は思った。

 数分も経っていないのに、大体どういう連中なのかは分かった。


「気ぃ付けて帰れよー」


 男がひらひらと手を振る。

 三人の姿が見えなくなると、男は旭へ向き直った。


「さて」


 先程までの緩い雰囲気はそのままだったが、視線だけが鋭い。


「次はお前だな」


 男は旭を指差す。


「名前、年齢、住所、電話番号。聞いてもいいか?」


(勘弁してくれよ……)


 旭は内心で頭を抱える。


(異世界から来ましたなんて言ったところで信じてもらえるわけないだろ!でも嘘をついてもすぐバレそうだしな……)


 少し考えた末、知っていることだけ答えることにした。


「天城旭」


「旭ね」


「十八歳」


「意外と若いな」


「住所と電話番号は……分からない」


「分からないだと?」


 男が眉を上げる。


「なんだそりゃ」


 訝しげな視線が向けられる。


「まるで記憶喪失だな」


(記憶喪失……?)


 旭は目を瞬かせた。


(その手があったか)


 転生してきたなんて説明するより遥かに自然だ。


「……ああ」


 旭は頷いた。


「多分、記憶喪失なんだと思う」


「多分?」


「正直、自分でもよく分かってない」


 これは嘘ではなかった。

 この世界のことを何1つ知らないのだから。


「能力ってのも分からないし、イグゼクターってのも知らない」


「裂け目ってやつも初めて見た」


「ほーん」


 男は顎に手を当てた。

 そして。


「じゃあ、その隣の子とは初対面か?」


 蒼汰を指差す。


「ああ」


「なんだ、初対面の子を庇ったのか?」


「……」


 一瞬だけ返答に詰まる。

 自分でもよく分からないからだ。


「なんでだ?」


 旭は肩を竦めた。


「さぁ……気付いたら動いてた」


 男は数秒黙った。

 それから、


「ははっ」


 小さく笑う。


「やっぱお前面白いな」


「その面白いっての、褒められてる気がしないんだが」


「安心しろ、ちゃんと褒めてる」


 男は笑いながら言った。

 全く安心できなかった。


「そういや、こっちも名乗ってなかったな」


 男が手を腰に置く。


「相馬蓮司だ。イグゼクター教習所の教官やってる」


「教官……」


 旭は思わず呟いた。

 確かにあの三人を見ていると先生のような立場にも見える。

 しかし、緊張感という言葉を置いてきたような態度といい、教官というより適当に生きている近所の兄ちゃんみたいだった。ポケットに手を突っ込みながら話す姿も、とても偉い人には見えない。


「で?」


 蓮司が続ける。


「記憶喪失の旭くん」


「まず何から聞きたい?」


 蓮司にそう言われ、旭は少し考える。

 聞きたいことは山ほどある。だが今1番知りたいことが旭にはあった。


「イグゼクターって何なんですか」


「怪物退治屋」


「なんだか雑……」


「だいたい合ってる」


 蓮司は悪びれもせず答えた。


「裂け目から出てくる界裂生物を倒して、人を守る連中だ」


 蓮司が肩を揺らしながら話す。

 蒼汰も興味があるのか蓮司の目を見て聞いている。


「じゃあ裂け目は?」


 旭は空を見上げる。数分前まで黒いヒビが空を覆っていた。


「あれは何なんですか」


「空間異常的なもんだ」


「それも雑だな」


「安心しろ」


 蓮司が頷く。


「協会のお偉い奴らも似たようなもんだ」


「え?」


「裂け目が現れるようになったのは比較的最近だ」


 そこで蓮司は少し真面目な顔になる。


「最近?」


「ああ」


「出現位置も条件も完全には分かってない」


「原因も?」


「原因もだ」


 旭は眉をひそめる。


「そんな状態で放置されてるのか?」


「放置してないから俺たちがいるんだろ」


 蓮司は空を指差した。


「裂け目が開いて怪物が出る。すると被害が出る。だからイグゼクターが対応する」


 シンプルだったがそのシンプルさの裏に、どうしようもない現実が見える。


「つまり原因は分からないけど対処してるってことか」


「そういうこと」


 旭は小さく息を吐いた。

 世界の境界が歪んだような現象。

 もし自分がこの世界へ来た原因があるとしたら。


(裂け目が原因じゃないのか……?)


 確証はない。

 ただの想像かもしれない。

 だが裂け目を調べれば、元の世界へ帰る手掛かりが見つかるかもしれない。そんな気がした。


「旭さん?」


 蒼汰が不思議そうな顔をする。


「ん?」


「何か考えてた?」


「まあな」


 旭は誤魔化すように頭を掻く。

 元の世界へ帰りたい。自分にそんな気持ちがある事に驚きだった。

 あんなことがあってずっと引きこもりだったというのに……。

 だが、そのために何をすればいいのかはまだ分からない。そしてその瞬間、もっと重大な問題に気付いた。


(……引きこもり?)


「……待てよ」


「?」


「俺」


 旭は遠い目をした。


「今日どこで寝るんだ?」


 沈黙。

 蒼汰が瞬きをする。

 蓮司も数秒考える。


 「え? 本当に記憶喪失なのか?」


 相馬は意外そうな顔をした。


「てっきりそういう設定かと思ってたが」


「設定とか言うな!」


 旭は頭を抱える。


「本当に住所分かんないんだから!」


 裂け目より先に解決するべき問題があった。

 家がない。帰る場所もない。

 元の世界どころか、今日の寝床すらない。


「あの!」


 その時だった。

 蒼汰が勢いよく手を挙げる。

 二人の視線が向く。


「だったら!」


 蒼汰は旭を指差した。


「うち来ませんか!?」


「は?」


「僕の家、宿をやってるんです!」


 旭は固まった。

 一方の蓮司は面白そうに笑う。


「おっ、救世主現るだな」


「そんなこと言ったって」


 旭は財布を取り出した。


「悪いけど、俺そんなに金持ってないぞ」


 財布の中身を見せる。

 小銭と紙幣。

 それだけだ。


「……?」


 蒼汰が首を傾げる。


「なんですか、それ」


「え?」


「見たことないです」


 旭の動きが止まった。


(おいおいおいおい……)


 嫌な予感がする。


「これ、お金だけど」


「お金?」


 蒼汰は不思議そうな顔のままだ。

 代わりに蓮司が横から覗き込む。


「あー」


 どこか納得したような声。


「少し昔の硬貨にちょっと似てるな」


「昔?」


 旭の額に嫌な汗が浮かぶ。


「今は何で払うんだ?」


「全部スマホだな」


 蓮司は当然のように答えた。


「電子決済。現金なんてほとんど使わねぇ」


「スマホは持ってるか?」


「持ってない」


 正確には前の世界に置いてきた。だが説明は面倒なので省略した。


(終わったな)


 旭は静かに悟る。

 住所なし。家なし。身分証なし。

 そして金も使えない。

 想像以上に詰んでいた。


「なんだよ、何も持ってねぇじゃねえか」


 蓮司が笑う。


「笑い事じゃないんだが」


「確かにな」


 全然同情している顔ではない。


「……僕の部屋に泊まってください」


 蒼汰がぽつりと言った。


「え?」


「僕の部屋なら泊まれます!結構広いですし!」


 旭は思いもしない提案に驚き蒼汰を見る。

 どうやら本気で言っているらしい。


「でも、宿の人には何て言うんだ?」


 その瞬間、蒼汰が固まった。


「……」


「……」


「バレないようにします!」


「そんな歓迎されないペットじゃないんだから」


 旭は思わずツッコんだ。

 蓮司の笑い声が公園に響く。


「ははっ!」


「蒼汰、お前もなかなか面白いな!」


「も~馬鹿にしないでください!」


 蒼汰が口を膨らませる。


「旭さん、本当に困ってるじゃないですか」


 蒼汰は真面目な顔で言った。

 そこに打算らしいものは見えない。

 今日会ったばかりだというのに。

 どうしてそこまで必死になれるのか分からない。

 その言葉に旭は返事ができなかった。

 困っているから助ける。

 たったそれだけのことなのに、自分には妙に眩しく見えた。

 思い返せば、誰かを助けた結果、良いことなんてほとんど無かった。

 余計なことをするなと言われたこともある。

 損をしたこともある。後悔したこともある。

 だから、助けるという行為に見返りなんて期待していなかった。

 だが、目の前のこの少年は違う。

 助けられたことを覚えていて、当たり前のように助け返そうとしている。

 それが少しだけ不思議だった。

 そして、少しだけむず痒かった。


「……お人好しだな」


 思わずそう零す。


「え?」


「なんでもないよ」


 旭は視線を逸らした。


「それはそうと……」


 確かに宿を貸してくれるのはありがたい。

 ありがたいが、今日会ったばかりの人間を家に連れて帰ろうとするのはどうなんだ。

 防犯意識的に。


「宿の人に怒られないか?」


「…………」


 蒼汰の視線が泳ぐ。


「怒られるんだよな?」


「少し」


「少しで済むか?」


「多分」


「その多分は信用できないな」


「まあでも悪くない案だな」


「蓮司さんまで何言ってるんだよ」


「だってお前、行くとこ無いだろ」


「そりゃ無いけど」


「だったら保護先は必要だ」


 蓮司は珍しく真面目な声で言う。


「この件は俺が協会に話を通しとく」


「そんな簡単でいいのか?」


「よくはない」


「だろうな」


「でも、お前を路上に放り出すよりはマシだ」


 それは否定できなかった。


「それに」


 蓮司が少しだけ笑う。


「お前には後で協会に来てもらうしな」


「協会?」


「ああ」


 蓮司は旭を見る。


「お前が能力者かどうか調べる」


 能力。

 その言葉に旭は視線を落とした。

 怪花の攻撃が一度も当たらなかった。

 あれが偶然とは思えない。

 だが、身に覚えがないことを説明することもできない。


「もし能力者なら、恐らく未登録だろう」


 蓮司は続ける。


「能力者は国への登録が義務付けられてる」


「そのまま放置してたら、お前も俺も面倒なことになるんだよ」


「なるほど」


「だから調べる」


 シンプルだった。


「まあいい」


 蓮司は話を切り上げた。


「今考えても答えは出ないしな。こればっかりは協会で測定しないと分からん」


 かもしれない。

 その言葉を聞きながら、旭は別のことを考えていた。

 裂け目。あの黒いヒビ。もしあれが本当に世界と世界を繋ぐものだとしたら。

 俺がここへ来た理由も。

 元の世界へ帰る方法も。

 その先にあるんじゃないか。

 そんな気がしていた。

 根拠は無い。

 ただの直感だ。

 それでも。


(調べるしかないか)


 この世界のことを。

 裂け目のことを。

 そして自分自身のことを。


「よし」


 蓮司が手を叩いた。


「じゃあ俺は後から来るイグゼクターの部隊に事情を話さなきゃならんから、ここに残る」


「いいのか?」


「ああ」


 蓮司は頷く。


「宿に行って少し体でも休ませとけ」


「確かに否定はできないな」


「だろ?」


「では旭さん!行きましょう!」


 蒼汰が笑った。

 旭も思わず蒼汰の勢いに押され苦笑する。

 気付けばこの世界で目を覚ましてから初めて、少しだけ肩の力が抜けていた。

 帰る方法はまだ分からない。

 この世界のことも何も知らない。

 それでも今だけは、一人じゃなかった。


 ◇


 公園を出る。

 蓮司と別れた後、旭は蒼汰の後ろを歩いていた。

 夕方が近付いているのか、空は少しだけ赤く染まり始めている。


「遠いのか?」


「そんなに遠くないですよ」


 蒼汰は振り返った。


「歩いて十分くらいです」


「近いな」


「はい」


 少しだけ誇らしそうだった。

 人通りの多い通りを歩く。

 やはり見覚えはない。

 街並みは元の世界とよく似ている。

 だがどれも似ているのに微妙に違った。


(本当に別世界なんだな……)


 今更ながら実感する。

 隣を見る。

 蒼汰はどこか機嫌が良さそうだった。


「なんでそんな嬉しそうなんだ?」


「え?」


「いや、なんか」


 蒼汰は少し考えてから答える。


「旭さんが無事だったからです」


「……」


 予想外の返事だった。


「僕、怖かったんですよ」


 蒼汰は前を向く。


「裂け目が出た時」


 声が少し小さくなる。


「まただって思いました」


 旭は何も言わない。

 蒼汰は裂け目を見た瞬間から怯えていた。

 ただ怖かっただけじゃない。

 知っていたように見えた。


「前にも見たことあるのか?」


 蒼汰の足が一瞬止まる。


「……あります」


 短い返事だった。それ以上は話したくないらしい。旭自身は裂け目について聞きたかったがこれ以上は追及しなかった。

 代わりに別の話を振る。


「宿ってどんな所なんだ?」


「あ、結構いい所ですよ!」


 蒼汰の表情が少し明るくなる。


「ご飯も美味しいし」


「それは重要だな」


 昼から何も食べていない。

 むしろ死んでから何も食べていない。

 考えたら急に腹が減ってきた。


「で、その宿って誰がやってるんだ?」


「おばさんです」


「おばさん?」


「親戚のおばさんが宿をやってるんです」


 蒼汰は説明する。


「お父さんとお母さんがいなくなった後に引き取ってくれて」


「ああ……」


 そこで旭は察した。

 裂け目の話を聞いた時の反応。

 あれとやはり関係があるのだろう。

 しかし蒼汰は少しだけ笑った。


「今はお姉ちゃんと一緒にお世話になってます」


 その表情に無理をしている様子はない。

 本当にそう思っているのだろう。


「ごめん」


 旭は少し気まずそうに頭を掻いた。


「辛いこと聞いちまったか?」


「大丈夫です!」


 蒼汰は首を横に振る。


「今も楽しく暮らしてますから!」


 その言葉に嘘は感じられなかった。


「そうか」


 旭も少しだけ笑う。

 そんな話をしているうちに。


「着きました!」


 蒼汰が立ち止まる。旭は顔を上げた。

 そこには三階建ての建物があった。

 派手ではない。

 だが手入れは行き届いている。

 看板には宿の名前が書かれていた。


「へぇ……」


 思っていたより立派だった。


「ただいまー!」


 蒼汰が勢いよく扉を開ける。

 その瞬間。

 奥から女性の声が聞こえた。


「蒼汰?」


 優しい声だった。


「その男の人、誰?」


 蒼汰の肩がびくりと震えた。


「えーと……」


「ちゃんと説明して」


 優しい声だが、その言葉には有無を言わせない響きがあった。

 数秒前まで元気だった少年が、急に大人しくなっている。


 (ああ……これは蒼汰一人じゃ説明できないな)


 そもそも頼み込む形になったのは自分の都合だ。

 蒼汰だけに説明させるのも違う気がした。

 旭は小さく息を吐く。


「初めまして」

 そう言って一歩前に出た。

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