音鳴る打開策
――バスッ!
上空から猛スピードで落ちてきた人影が、一枚目の蕗の葉へと激突する。
大きな蕗の葉はしなやかにしなり、受け止めた衝撃をすぐさま太い茎へと逃がしていった。茎にはヤブカラシの蔦が幾重にも固く巻き付いているため、ただ強度を上げるだけでなく、元の柔軟性を損なわない絶妙なバランスで支え抜く。
――バシッ! バサァッ!
けれど、流石に一枚の葉だけで高所からの威力を完全に殺しきることはできない。突き破るような勢いのまま下層へと落ちていく身体を、すかさず二枚目、三枚目の蕗の葉が受け止め、段階的に運動エネルギーを削ぎ落としていく。
そして一番下の葉に到達した時には、あれほど恐ろしかった落下の勢いは完全に失われていた。
旭が安全に受け止められる高さに達すると、最後の葉からデロンと滑り落ちてきた体を、旭がしっかりと抱え込む。
「よっと!」
「ふぅ……」
旭の近くで想像以上の出力を急激に引き出したせいか、どっと疲労が押し寄せ、仄はその場にへたり込むように座り込んだ。
「朝比奈っ! 大丈夫か!?」
「……大丈夫」
「そ、そうか。良かった〜……。これでひとまず一安心だな」
「……ん、あぁぁ……」
旭の腕の中で、落ちてきた男が薄っすらと目を覚ました。
グレーの作業服の上にオレンジの蛍光ラインが入ったビブスを身につけている。肌は浅黒く日焼けしており、年齢は40代から50代ほどに見えた。まさに工事現場の作業員、という風貌だった。
「おっ! 仄、起きたぞ!」
「ここは……一体……」
意識を取り戻し、混乱した様子で無理に起き上がろうとする作業員の背中を、旭は優しく手で支えてやった。
「落ち着いてくれ、おじさん! さっき上空から落ちてきたんだぞ!」
「なっ……ガキ共が、オレを助けてくれたってのか!?」
「あぁ。一体あの現場で何があったんだよ?」
「工事中に、突如地面の中から界裂生物が飛び出してきやがったんだよ! 部下が逃げ遅れてたから助けようとしたんだが……ヤツの尻尾で一撃叩き飛ばされたってワケだ。かぁ~っ! マジで死ぬかと思ったぜっ!」
「尻尾の一撃だけでここまで吹き飛んだのかよ……! 一体どんだけの大きさなんだ?」
「だいたい10000mm……10メートルってとこだ! クレーン車と変わらねぇ巨大さだぞ!」
「10メートル……確かにデカいな。それで、逃げ遅れたっていう部下の人たちは無事なのか!?」
「いや……おそらくまだ現場に取り残されてるはずだ。だが、あの一帯の地面はすでにヤツの縄張り(テリトリー)と化してやがる……!」
「……わかった。俺たちが助けに行ってくる」
「はぁ!?」
旭の即答に、作業員のおじさんは目を丸くして素狂ったような声を上げた。旭は隣で呼吸を整えていた仄へ視線を向ける。
「仄は……行けるか?」
「私も……行く」
「おいおいおい! 助けてもらった立場でこんなこと言うのも何だがな、ありゃ人間が勝てる相手じゃねぇぞ! ガキ共がイグゼクターの卵だってのは見りゃ分かるが――」
「大丈夫だ、おじさん」
旭はおじさんの言葉を遮り、力強く言い切った。
「困っている人がそこにいるなら、助けに行く。……それがイグゼクターの意義ってものだろ?」
「……ったく、青臭ぇボウズだぜ。アンタ、そんな生き方してたら早死にするぞ」
「ははっ、百も承知だよ!」
旭は歯を見せてニッと不敵に笑ってみせた。
◇
崩落した現場周辺。そこでは救急車や医療班が傷ついた人々を必死に手当していた。また、すでに数名のイグゼクターたちも集結していた。――だが、プロが複数揃っていながら、討伐はおろか敵の姿を捉えることすら叶わずにいた。
「くそっ! なんて意地の悪い奴なんだ……! こんなの、どうやって救出しろってんだよ!」
赤色のコスチュームを着た男が、苛立ちを隠せずに声を荒げる。
「落ち着け! 状況を正確に整理するんだ!」
黄色の肩パットに黒のマントを輝かせている男が、冷静にそれを宥めた。
「もう何回も確認しただろっ! 敵はここの工事現場を中心に、地中を縦横無尽に掘り進めてやがる! その影響で周辺のビルごと地盤沈下を起こして崩れていってる……これが現在の被害状況だ!」
「あぁ、それにあの界裂生物は『音』に極めて敏感だ。足を踏み入れた途端、地中から一直線に襲いかかってくる!」
「それだけじゃねぇ……あいつは『人質』を取ってやがるんだ! 俺はそれが……一番許せねぇんだよっ!」
崩落し、広大なアリジゴクのようになっている工事現場の中心――そこには、辛うじて崩れずに残った剥き出しの鉄骨構造体があった。
その歪んだ鉄骨の頂点に、一人の作業服の男が命からがらじがみついている。
「助けてくれぇぇぇ……! 落ちる……落ちちまうよぉぉ!!」
足元は底なしの地盤沈下と、地中に潜む巨大な影。そして、見えない敵が掘り進めた無数の巨大な穴。
人質の悲鳴が響き渡る中、現場のイグゼクターたちは歯噛みしながら拳を強く握りしめることしかできなかった。
「幸い、こっちの後ろに川があるせいか、これ以上こちら側を崩して掘り進めてくる様子はないが……」
「くっ……!」
(もしかして……人質がいるから、こっちが軽率に動けないと判断してわざと放置してるのか……!? だとしたら知能の高さから言っても、実質的な危険度は『Ⅳ』に相当するぞ……!)
隊員の一人が青ざめた顔で思考を巡らせる中、別の隊員が叫んだ。
「おいっ! まだ隊長からの返答は来ないのか!?」
「はいぃ〜っ! 今、連絡取ってますぅ〜っ!」
全身青色のタイツのようなスーツに身を包んだ男が、情けない声を震わせながら必死に通信機にしがみついていた。
「そういうわけでしてぇ〜……! とにかく早く来てくださいぃ! 隊長の力が必要なんですぅ〜!」
『……分かったよ。ただ……すぐにはそちらに向かえない』
通信の向こうから聞こえてきたのは、どこか余裕すら感じさせる低い声だった。
「えぇ〜〜っ!? どうしてですぅ〜〜!?」
『今、負喰の方で任務を終わらせたところなんだ。哀知の方に向かうには時間がかかる』
「じゃ、じゃあどうすればぁ〜〜!?」
『12分……いや、10分。10分持ちこたえてくれ』
「ご、10分!? 負喰から哀知まで10分ですかぁぁ〜〜!?」
『今から向かう』
プッ!
一方的に通信が切れる。
「切れたぁぁぁ〜〜っ! 10分で来るのも意味不明ですけど、その10分間あんな化け物を相手にどうやって持ちこたえろって言うんですかぁぁ〜〜!?」
「おいっ!隊長は何と言ってたんだ!」
「はいぃ!現在負喰にいるから、10分だけ持ちこたえてくれとぉー!」
「10分だと!?」
赤のコスチュームの男が目を見開きながら振り向く。
「……流石、我らの隊長だ」
「お〜〜い!!」
緊迫した現場の後方から、急に声が上がった。
振り向くと、そこにはイグゼクター教習所の制服を着た一組の男女の姿。男子生徒――旭の背中には、先ほど空から吹き飛ばされたあの作業員が負ぶされていた。
「ん? その服は……教習生か!?」
「あぁ。たまたま近くにいてさ。界裂生物に吹き飛ばされたっていうこのおじさんを、間一髪で受け止めたんだ」
「そうか……! 住民を助けてくれたのか、礼を言う!」
「おいっ!! 粒男っ!! もう少し持ちこたえてろ!」
旭の背中から身を乗り出し、親方が工事現場の中心にある鉄骨へ向かって大声を張り上げた。
「お、親方〜〜! もう無理だぁ〜〜!!」
「シャキッとしろ! それでも男かっ!!」
「もう……もう……女でいいからぁ〜〜っ!!」
「ちぇっ! 根性のねぇ奴だ。身体に鉄骨の一本も入ってねぇのか」
「おじさん、もう自分で歩けるか?」
「おう! ありがとなボウズ!」
耳を押さえて顔を顰める旭だったが、親方を優しく地面へと降ろすと、すぐに表情を引き締めて現場の隊員たちに視線を向けた。
「それで、あの界裂生物の様子はどんな感じなんだ?」
「俺たちが駆けつけた時には、すでに姿形はなかった。……完全に潜伏されている」
「……地中」
落ちていくビルと荒れ果てた地表を見つめながら、仄がぽつりと呟く。
「やっぱりモグラの化物ですかねぇ〜?」
青タイツの男が頼りなく首を傾げると、横に立った親方が即座に否定した。
「いや、モグラじゃねぇ! ありゃあ……アナグマだ!」
「アナグマ……?」
「あぁ! 凶暴な面構えをしたバカでかいアナグマだ! 相当デカかったぞ!」
「……やはり、現時点の我々だけで直接戦闘を仕掛けるのは厳しいか」
「あぁ。敵の討伐は後回しだ。隊長が到着するまでの間、せめてあの工事現場の中心にいる作業員の救出だけでも……っ!」
「誰か強力な助っ人が来るのか?」
「あぁ、あと10分もすればな」
旭は現場の惨状へ視線を向け、疑問を投げかける。
「ちなみに……あの地盤沈下したエリアを、このまま一気に走って突っ切ることはできないのか?」
「無理だな。あの化け物は驚異的なほど『音』に敏感だ。足を踏み入れた途端、地中から一直線に襲いかかってくる」
「もし生身で不用意に侵入しようものなら……あれだけじゃ済まないぞ」
黄色の肩パットをつける隊員が、渋い顔で親指をクイックイッと背後へ向けた。
その視線の先には――無惨に引き裂かれ、原形を留めないほど押しつぶされた救助用のゴムボートが転がっていた。
「なっ……! ボートが……あんな風に……!?」
「あぁ。遠隔救助を試みようと船を出した瞬間に、地中からあいつの爪が跳ね上がってきたんだ。……人が乗っていなかったのが唯一の救いだったがな」
「異能質は使えないのか? 誰かの異能質で遠くから救出するとか、役に立ちそうな力はないのかよ!」
「お前、教習生にしては難しい言葉を知っているな……。異能質での救出なら、俺の能力が一番可能性があるにはあるんだが……」
黄色の肩パットに黒マントを羽織った隊員が、悔しそうに自分のマントを握りしめながら答える。
「どんな能力なんだ!?」
「このマントを自在に伸縮・変形させて操る能力だ。これを使えば、あの鉄骨の頂点までマントを伸ばして粒男くんを引っ張り上げることは理論上可能だ。ただ……」
「ただ……?」
「この能力には厄介な制約がある。『生身の人間が触れた瞬間に、強制解除される』んだ」
「なっ……!? 人間に触れたら解除されるのか!?」
「あぁ。人が直接触れるのはもちろん、服の上からだろうが、マントと人の間に何か別の物を挟もうが……『人間を運ぶ目的』で触れた時点で、マントは元の大きさに戻って解除されちまうんだよ」
「……そういうことか。だから救助に使えないのか……!」
「あぁ。他の隊員たちも戦闘特化の能力ばかりでな……この状況での救出作業には向いていないんだ」
「そんな……目と鼻の先にあるってのに……!」
旭たちが立っている安全域から、鉄骨にしがみつく粒男までの距離はおよそ20数メートル。たったそれだけの距離が、地中に潜む怪物と瓦礫だらけの地盤によって果てしなく遠い絶望の距離と化していた。
ゴゴゴゴゴォォォン……!!
旭たちが苦慮している最中も地盤沈下は止まらず、工事現場の奥に佇んでいた別の雑居ビルが、轟音と共に大地へと沈み込んでいく。土埃が凄まじい勢いで舞い上がった。
「くそっ! このまま沈下が進めば、粒男くん以外の逃げ遅れた人たちまで……!」
「うわぁぁぁ〜〜ん! 親方ぁ! もう僕! もう僕ダメかもぉぉ〜〜っ!!」
「しっかりしやがれバカヤローッ!! 踏ん張りやがれ!!」
親方が破裂するような大声で、遠くの粒男に向かって怒声を飛ばす。その猛烈な声量を間近で浴びた旭は、先ほどから静まらない耳の中の激しい不快感にふと意識を向けた。
(おっきい声だなぁ……。……ん? 声……音……?)
瞬間、旭の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが一気に組み合わさった。
「あっ!!」
「どうしたボウズ!?」
「もしかしたら……粒男さんを救出できるかもしれねぇ!!」
「本当ですかぁぁ〜〜っ!?」
青タイツの男が縋り付くように身を乗り出してくる。旭は全員の顔を見回し、ニッと自信に満ちた笑みを浮かべた。
「あぁ! ヤツに対抗するのは――『音』だ!!」
「「音……!?」」




