同じ暗闇、違う光
「朝比奈も専用の特訓だったのか?」
「うん」
「どうだった? やっぱり朝比奈でも辛いと思うぐらいか?」
「うん」
「……」
二人の間に、静かな沈黙が降り立つ。ただの沈黙ではない。お互いが次の言葉を探して思案を巡らせている、なんとも言えない間だった。遠くから聞こえる工事現場の機械音が、その沈黙をより一層強調している。
(く、会話が全然広がらねぇ……!)
クラス全員で話したことは何度かあったが、思い返せば仄と二人きりでじっくり話すのは、あの怪鹿の事件以来だ。いまいち彼女の会話のツボやストライクゾーンが掴めない。
旭は引き攣りそうな顔を必死に繕いながら、意を決して話題を切り出した。
「そ、そういえばさ! 初めて会った時……あの花の化け物から助けてくれただろ? あの時は本当にありがとな」
「うん」
(なんだよぉ〜〜!! この空気ぃぃ〜〜!!)
全然「うん」から会話が進まない。
じゃあなぜ一緒に帰ろうという誘いに乗ってくれたのか、旭には皆目見当がつかなかった。
それでも二人の歩足が止まることはなく、夕焼けに染まる帰路を並んで進んでいく。大通りに出ると、工事の音だけでなく車の絶え間ない走行音が重なり、二人の間の無言を無機質に、しかし優しく埋めていった。
(……もしかして本当は嫌だったのかな。断れない性格だから付き合ってくれてるだけ、とか……)
チラリと、隣を歩く仄の横顔を伺う。
(いや……そんなヤツじゃないか。嫌なら嫌ってはっきり言うタイプだしな……。……よし、「うん」の一言じゃ返せない質問をしてやる……!)
旭は少し思い直し、喉の奥にずっと引っかかっていた素直な疑問を口にした。
「そういえば……朝比奈はさ。なんでイグゼクターを目指してるんだ?」
「…………」
(沈黙か……。大方予想は出来てたけど……流石に踏み込みすぎたか……?)
仄が黙り込んでしまい、旭は焦って両手を振った。
「あ、朝比奈? あ、いや! 別に言いたくないなら無理に言わなくていいんだぞ!?」
「理由は……ない」
「へ?」
あまりにも予想外な答えに、旭は間抜けた声を漏らした。
言葉の真意を測りかねている旭に、仄は前を見つめたまま淡々と、けれどどこか祈るような静けさを孕んだ声で言葉を重ねる。
「私が私であるために、ここにいるだけ」
「な、なにかあったのか……?」
「私は、あなたと同じ」
「……何言ってるんだ?」
旭の問いに、これまで歩みを緩めなかった仄がふっと足を止めた。
それに呼応するように、旭もピタッとその場に立ち止まる。車が行き交う大通りの喧騒が、一瞬だけ遠のいたような錯覚。
夕日に照らされた横顔を旭に向け、仄は静かにその事実を口にした。
「私も……昔の記憶がないの」
「なっ……!?」
旭は目を見開いて絶句した。一瞬、自分が記憶喪失という設定でこの教習所にいることすら一瞬忘れかけるほどの衝撃だった。
「い、いつから記憶がないんだ……?」
「ここに入る前、すべて。教官に拾われる前の記憶がない」
「そう、だったのか……」
「あなたも同じ。教官に拾われた」
「あー……まあ、確かにな。朝比奈と似たようなもんだな」
「でも……私とは違う」
「ん? 俺は俺、朝比奈は朝比奈、みたいな話か?」
「違う」
「違うか、ハハ……」
真面目な顔で即答され、旭は自分の適当な返答に乾いた苦笑いを浮かべた。
仄は夕日に染まる自分の足元を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「私は……怖い。どうして記憶がないのか。自分が何者なのか分からないのが、ずっと怖い」
「怖い、か……」
その言葉を聞いた瞬間、旭の脳裏に過去のやり取りが蘇った。
入校当初から、仄だけが自分に対して執拗に記憶喪失のことを尋ねてきた。あの時の彼女の真剣な眼差しは、好奇心なんかじゃない。自分と同じ暗闇の中にいる仲間を探していたからだったのだ。
時間が経つにつれ、嘘をつき続けていることへの猛烈な罪悪感が旭の胸を刺す。
(しまっ……たぁぁぁ〜〜!! てっきり朝比奈は物珍しさで聞いてきてるんだと思ってた〜! っていうか蓮司さんも言えよ!! なんであの人はこういう一番大事なことを黙ってんだよぉ〜〜!!)
心の中で担当教官への恨み節を盛大に叫ぶ旭をよそに、仄は寂しげに言葉を紡ぐ。
「でも……あなたは怖くないって言った。私と同じでひとりぼっちなのに。私と同じで何も持っていないのに……なんで?」
「ひとりぼっち?」
「うん」
「少なくとも……俺たちには『問題児クラス』があるだろ?」
「……それは、今の話」
「それに、何もない……か?」
「?」
「俺はなぁ……『やり直し』なのかなって思ってるんだ」
「やり直し……?」
「あぁ。目を覚ましたらさ、全然知らない場所にいてさ。知らないお店に、見たこともない街並み。ここに俺を知っているヤツなんて誰もいない……本気でそう思ったよ」
「……」
「極めつけには、わけのわからない謎の力が発動するわ、見たこともないような凶悪な化け物が襲ってくるわでさ! なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだって……正直、あのときはめちゃくちゃ怖かったぜ」
「!」
「でも――お前が助けに来てくれただろ」
「助けた……?」
「そうだよ! お前が命がけで助けてくれて……ここでの俺の生きる道しるべを照らしてくれたんだ」
仄は丸く見開いた瞳のまま息を呑み、吸い寄せられるように旭の次の言葉を待っていた。
「そんでもって、蓮司さん達と出会って、今があってさ。なんだかんだ毎日がめちゃくちゃ楽しいんだよ」
(……そうだ。俺が『記憶喪失』ってのは、蓮司さんについたただの嘘だ)
茜色に染まる夕空を見上げながら、旭は胸の奥でそっと自問自答する。
(だけど……あの時の恐怖も、お前に助けられた時の感動も、この世界でやり直してやろうって決めた覚覚悟も……全部、全部本物なんだ!)
旭は頭の後ろで組んでいた手を解くと、仄の真っ直ぐな視線を受け止め、悪戯っぽくニッと笑ってみせた。
「自分がこの世界で何者なのか、本当のところは今も分かんねぇ。だけどさ、怖がる必要なんて一切ねぇんだよ! 人とのつながりを改めて実感して、最高の『第二の人生』を歩んでやろうって決めたんだ」
「……!」
「だから昔の記憶がなかろうが、ゼロからのスタートだろうが関係ねぇ! お前が助けてくれたこの命で、俺は新しい居場所を作っていくって決めたんだ。怖いなんてあるもんか。むしろ明日は何が起こるのかなってワクワクしてんだよ。……だからさ、すぐにとは言わないけど、朝比奈も怖がらずに今を楽しめよ!」
夕巾着の光が、まっすぐに前を見つめる旭の横顔を強く照らし出していた。
「……天城旭」
「あれ? 今、初めて俺の名前呼んだ?」
「……言ってない」
素っ気なく言い捨てると、仄はぷいっと明後日の方向へ顔を背けた。その耳の先端が、夕焼けのせいだけではない朱色に染まっている。
「なーんだよ、照れんなってー!」
(……同じ『記憶のない人間』として、理解し合えると思っていた)
仄の胸の奥で、静かな波紋が大きく大きく広がり、感情が激しく揺れ動く。
(私と同じで、暗闇の中にいる仲間だと思っていたのに……全然違った。この人は……私とは全然違う)
「……帰る」
「あっ! ちょっと待てよ朝比奈ー!」
すたすたと歩幅を広げて先に行ってしまう小さな背中を、旭は慌てて追いかける。
(……来るのかな)
彼が眩しそうに見上げていた夕空を重ね合わせながら、仄は胸の奥でそっと呟いた。
(明日をワクワクできるような……そんな楽しい日が、私にも……)
「置いてくなよー! 一緒に帰ろうって誘ったんだから、いつもの分かれ道までは並んで帰るぞ」
「……うん」
相変わらずの素っ気ない返事。けれど、その声のトーンはどこか柔らかく、旭は小さな満足感に胸を撫で下ろした。
この世界に来た当初、旭はただただ元の世界へ帰る手段を探すためだけにイグゼクターを目指していた。だが……いま過ごしているこの世界の生活が、心から楽しいと感じているのもまた紛れもない事実だった。
自分の中に生じたその微妙な心の変化に一旦そっと蓋をして、旭は仄の隣へと並ぶために駆け寄った。
――その時だった。
ウゥゥゥゥゥン!! ブゥゥゥゥゥン――――!!
大通りの街頭スピーカーから、鼓膜を激しく突き刺すようなけたたましい警報音が突如として鳴り響いた。
先ほどまでの穏やかな夕暮れの空気が一瞬で瓦解し、道を行き交う人々が一斉に足を止めて悲鳴を上げる。
『緊急事態発生。緊急事態発生。縄床橋近くの工事現場にて、界裂生物の出現を確認。繰り返します。縄床橋近くの工事現場にて、界裂生物発生。付近の住民は直ちに退避してください。危険度規格は――危険度Ⅲ。もう一度伝えます、危険度Ⅲ――』
「な、縄床橋って……!?」
「……このすぐ近く」
「えっ!?」
顔色を変えた仄の言葉に、旭はハッと息を呑んだ。
つい先ほどまで二人の気まずい沈黙を埋めていた、あの工事現場の機械音――それが、すぐ目と鼻の先の距離にあったことを思い出したからだ。
「どっちの方向だっ!?」
警報が響き渡る中、旭は焦燥感を露わにして仄に尋ねた。
「あっち」
仄が指さしたのは、自分たちが歩いている道路の向かい側、少し離れた街区だった。旭も弾かれたようにそちらへ視線を向ける。
――ズズズズズゥゥゥン……!! ゴゴゴゴゴゴッ!!
「な……!?」
指し示された先にある5階建ての雑居ビルが、まるで底なし沼にでも引きずり込まれるかのように、原形を保ったまま大地の底へと沈み始めていた。激しい地鳴りと共に、膨大な土埃が夕空へと舞い上がっていく。
プォォォォン! ピーッ! ピーッ!!
パニックに陥った車たちのクラクションが地獄の喧騒のように重なり合って鳴り響く。
車に乗ったまま強引に逃げようとする者、恐怖に耐えかねて車を乗り捨て走り出す者、そして放置された車によって退路を阻まれ、逃げ場を失う者たち――。
「うわあぁぁぁああっ!!」
「嫌だぁ! 来ないでぇぇ!!」
「おかあさん! うぇえぇぇん!!」
大通りは一瞬にして、悲鳴と怒号、そして幼子の泣き声が渦巻く地獄絵図へと変貌を遂げていた。
「くっ……どうすればいいんだっ!!」
周囲に渦巻く悲鳴、絶望、怒号。逃げ惑う群衆の圧倒的なパニックの波に呑まれ、旭自身も過呼吸になりそうなほどの焦燥感と混乱に陥りかけていた。
これほど多くの人間が恐怖で理性を失う凄惨な現場など、旭は人生で一度だって経験したことがなかったのだ。
(どうするっ! どうすればいい!!? 俺たちも逃げた方がいいのか!!? でも、この状況じゃ逃げ惑う人で大混乱だぞ……っ!!)
思考がグルグルと空回りし、視界が白く染まりかけた――その時。
トンッ。
旭の肩に、小さく、けれど確かな温もりを持った手がぽんと乗せられた。
振り返ると、そこにはまっすぐ自分を見つめる仄の姿があった。
「……深呼吸」
「あ……あ、ありがと……っ」
仄の静かな声に促され、旭は胸いっぱいに冷たい空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
スー……ハゥ……。
ドクドクと不規則に脈打っていた心臓の鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻し、濁っていた思考の霧がすっと晴れていく。
「……ふぅーっ。すまん、取り乱した」
「そう」
「なぁ……どうする?」
「倒す」
「マジかよ!?」
迷いのない即答に、旭は思わず目を丸くした。仄の瞳には揺るぎない光が宿っており、今にも現場へ飛び出していきそうな勢いだ。
「ちょっと待てって! あの建物の沈み方見たろ!? 今まで戦ってきた奴らとは比べものにならねーぞ!」
「原因、潰せば……一番早い」
「思ったより脳筋!!?」
「行く」
そうと決めれば行動は早い。仄が道路を突っ切って現場へ向かおうとした――その瞬間。
頭上から、鼓膜を突く悲鳴が降ってきた。
『うわぁぁぁあああっ!!』
「!?」
混乱する周囲の群衆はその声に気づいていない。旭はいち早く上空を見上げ、叫んだ。
「朝比奈! 上だ! 人が落ちてくるぞ!」
仄も弾かれたように上空へ視線を向ける。
空中に打ち上げられているのは一人の人間だ。しかし、空中を縦横無尽に回転させられており、どう見ても自力で跳んでいるような体勢ではない。
「……」
「恐らく途中で気絶してる! このままだと地面に激突して叩きつけられるぞっ!」
「……ダメ。この高さと速度……私の植物を急激に成長させてクッションにしても、突き破って衝突するかもしれない」
仄の能力は植物を自在に成長させること。だが、高所からの落下エネルギーを植物の成長速度だけで完全に殺しきるのは困難だと即座に算出したのだ。
だが、旭に躊躇はなかった。
「何言ってんだ!! 落ちてくるなら最後に俺が受け止める! お前は植物で少しでも落下の勢いを殺してくれ!!」
「……っ」
「大丈夫だ! 俺を信じろぉぉ!!」
「っ……! 蕗! ヤブカラシ!」
仄は咄嗟にウエストポーチから数種類の種を取り出し、両手で固く包み込むと空へ向かって力強く掲げた。
――ズバババババッ!!
瞬く間に種から芽が吹き出し、常識外れのスピードで天空へと蔦と幹が伸び上がっていく!
大きな傘のような蕗の葉が何枚も折り重なって広がり、旭と仄の頭上に巨大な緑の影を作り出した。さらにその太い茎へとしがみつくように、繁殖力の強いヤブカラシが猛烈な勢いで巻き付き、支柱としての強度を極限まで補強していく。
(……すごい。やっぱり……っ!)
発動した自身の能力の尋常ではない錬度と成長速度に、仄の胸の奥で確信が深まる。
(旭のすぐ近くで能力を使うと……植物の成長速度も、強度も、普段の倍以上に跳ね上がる……!)
なぜそんな現象が起きるのか、理由は分からない。
けれど今はこの奇跡的な高まりを信じるしかなかった。
「来るぞ……ッ!!」
巨大な蕗の葉クッションへと、上空から猛スピードで人影が激突する――!




