爽やか制圧術
「よし。今日はここまでにしておこう」
「ふぅ~……疲れ……ましたね……」
「あぁ……けど、少しは体力もついたかな……」
場所は真っ赤な夕焼けに染まるグラウンド。
旭と理人は膝に手をつき、荒い息を吐き出しながらも、自身の明確な成長に確信を得ていた。
この特異適性クラス専用の特訓が始まってから、すでに三週間が経過している。
最初の頃は数分走っただけで筋肉痛になっていた旭だったが、今では過酷なメニューを最後までやりきる体力が身についていた。旭のつくるデコイの精度も格段に上がり、あの蓮司から「まあ、多少は様になってきたんじゃねぇか」と渋々褒められるほどになっていたのだ。
「ふたりとも、前よりも明らかに引き締まったし〜」
グラウンドの脇で冷たいスポーツドリンクを飲みながら、玲奈が呆れたように、けれどどこか嬉しそうに二人を見下ろす。
「特にあさひっちね。短期間ですごい体力付いてない?」
「僕の記録なんて、もうとっくに追い抜かれちゃいましたからね……」
「まぁ……りーくんが元々か弱い系男子だからってのもあるけど~」
「いいじゃないですか! 僕だって前より格段に記録伸びたんですから!」
理人が少しむくれたように抗議すると、旭はドリンクのボトルを傾けながらふと首を傾げた。
「そういえば……どうして玲奈は走ったりしてないんだ? 朝比奈もだけど」
「まぁ? あーしらはこれでも、センセーの基礎合格ラインに達してるし?」
「合格ライン?」
「この外での体力づくりは、あさひっちが来る前にもやってたんだよね~。あの真っ白な部屋はあーしらも初めてだったけど」
「へぇ~……じゃあ二人とも、俺が来る前からこれをやってたのか」
「そうそう。だからメニューには参加しないで、あさひっち達をサポートしてあげてるってワケ~」
「そんなことはしろって言ってねぇ」
いつの間にか背後に立っていた蓮司が会話に割り込む。
「うげっ、センセー……」
「俺は合格ラインに達した奴には自主練しろって言ってんだよ。現に朝比奈は、自分の課題を見つけて勝手にやってただろ。今だってどこかで練習してるはずだ」
「え……? ソンナコトイッテタカナ~……?」
目を泳がせながら、分かりやすく片言になる玲奈。その姿を見て、旭は(やっぱり玲奈は玲奈だな……)と心の中で苦笑した。
「それに、あの真っ白な部屋の仕組みだって、朝比奈は最初から知ってただろ?」
「う……確かに。ほのの、初日からなんか一番上手く浮いてたし……」
「そういうことだ。なぁ玲奈、なんなら今からもう1回、合格ラインに達してるかどうかテストしてやっても良いんだぜ?」
蓮司が不敵な笑みを浮かべながら、指の骨をポキポキと鳴らす。
「分かったし! 練習するし~!!」
即答で降参した玲奈は、ドリンクを放り出すように置くと大慌てでグラウンドへと走っていった。
「あはは……相変わらず相馬教官には頭が上がりませんね」
「当たり前だ。あいつは調子に乗らせるとすぐ手抜き始めるからな」
ハハハと苦笑いする理人の横で、旭がふと気になったことを口にする。
「それで、蓮司さん。俺たちはもう合格ラインに達してんのか?」
「ん? まぁ……もうちょっと基礎体力をつけさせたい所だが……あいにく卒業試験まで時間がねぇ。だが、一応全員の実技基準は満たせていると思うぞ」
「卒業試験? あぁ、確かにそんなのあったなぁ……って、卒業試験まで時間がない!?」
「はい。本来はもっと先の予定なのですが……。僕は見ての通り体力不足ですし、天城さんは途中入学ですからね。今から早めに準備をしておかないと卒業試験に太刀打ちできないかもしれないんです」
「はぇ〜……この特訓って、卒業試験のためのやつだったのか……」
「……逆になんだと思ってたんだよ」
呆れ顔の蓮司に、旭はへへっと照れくさそうに頭を掻いた。
「いやぁ、早く界裂生物やら異能犯やらを俺の手でバッタバッタと退治してぇなぁ、とか思ってて……」
「ぶっ……はっはっはっは!! やっぱお前、最高に面白ぇな!!」
「笑うなよ! 男なら1回は憧れるだろ!」
「天城さん、敵退治の前に卒業しないと、正式に能力での武力行使は法律で禁止されていますよ……」
「だからこその教習所だっての! 腹が痛ぇ……っ!」
「……玲奈さんがここにいたら、絶対に一緒になって大爆笑してましたね」
「くっ……! 言い返せねぇ……」
「ククッ……それにな、お前はまだ見習いのひよっこ教習生なんだ。いくら事件が起きたからって、そんな何度も都合よく巻き込まれるわけねぇだろ。今までのはただの偶然だよ、偶然」
「確かに……言われてみればそうだけどさ」
「ま、そういうわけだ。だから明日からは、体力作りメインのメニューから個人個人に合わせたメニューに変更する」
「個人個人……?」
「あぁ。なんだかんだで卒業試験でも現場でも、最後に合否や生死を分けるのは能力の精度だ。天城には以前、能力からのアプローチってことでデコイの練習をさせたろ? 明日からはあれの強化版に入る」
「なら、明日からその練習に入るのか?」
「あぁ、準備はいつだって出来てる」
「準備……?」
「簡単に言えば、お前らの能力特性に合わせた専用の課題だ。……まあ、今日までの基礎特訓が温く感じられるくらいにはハードにしておいたぞ」
「うげっ……マジかよ……」
「それで、明日はどこに集まればいいんですか?」
理人が額から吹き出る汗を手の甲で拭いながら尋ねる。
「場所はそれぞれ別だ。旭は教習所一階の道場。理人は教習所の敷地外にある射撃場だな」
「へぇ……バラバラなんだ。玲奈たちはどこなんだ?」
グラウンドのトラックを涙目で全力疾走している玲奈を指差しながら、旭が聞いた。
「あいつが走り終わったら、伝えるとするか……なら、解散」
「うおぉぉぉぉぉぉん!! センセーのバカァァァァッ!!」
夕暮れ時の真っ赤な空に、玲奈の腹から絞り出された魂の叫びが虚しく響き渡った。
(なんかいってらぁ……)
蓮司は玲奈の感情をぶつけた疾走っぷりを見届けていた。
◇
次の日、午前九時ちょうど。
教習所一階の道場に、旭の姿があった。
白の道着を身にまとい、畳の上であぐらをかいて蓮司と一緒に待っている。旭にとって道着を着るなど人生で初めての経験だった。かつて引きこもっていた頃、送られてきた通信簿の体育の欄に柔道の文字があったのをふと思い出す。もしあの時まともに学校に通っていたら、こんな感じだったのだろうか。
(それにしても……着慣れないなぁ)
初めて着た道着は、着心地が良いのか悪いのかすら分からない。間違いなく通気性は良いのだが、生地がゴワついていて妙に動きづらい。そもそもサイズが合っているのかすら疑問だ。
そんな身体のムズムズ感が心にも伝わり、次第にじっとしていられなくなってくる。旭は思わず、隣で胡坐をかいている蓮司への会話に逃げた。
「蓮司さん。……まだですかね?」
「もうそろそろ到着するはずなんだがなぁ。まぁ、あんまり期待すんなよ」
(期待するな……? 誰か来るのか?)
「というか、俺はここで具体的に何をやるんですか?」
「どうせ後から説明するなら、今言っておくか。天城、お前にはここで武道を学んでもらう」
「武道……?」
「そうだ。柔道や合気道をベースにした組手と制圧術だ。三週間の特訓を経て基礎体力がついた今のお前なら、問題なく技を叩き込めるはずだからな」
「……っ! 分かった! それに俺のデコイと心理戦を組み合わせれば――」
「あぁ、強力な武器になる。……とは言っても、組手なんてものが役に立つのは異能犯みたいな人間が相手の時だけだがな。界裂生物相手には通じねぇのは悪ぃな」
「それでもなんだかワクワクしてきた! で、蓮司さん! 一体どんな技を教えてくれるんだ?」
「俺は天城の担当じゃねぇよ。お前に武道を叩き込むのは、今から来る教官だ」
「なるほど、別の教官が……」
旭が感心したように頷いた、その直後だった。
――ガラガラッ!
「やあやあ! 待たせたね、蓮司☆」
道場の引き戸が軽快に開いた。
入ってきたのは、キラリと歯を光らせるような眩しい笑顔を浮かべた男だった。道着の袖を爽やかに捲り上げ、片手をピシッと掲げている。爽やかイケメン風の立ち振る舞いなのだが、醸し出す雰囲気がどこか独特だ。
「遅いぞ、白石。相変わらず緊張感のねぇ奴だな」
蓮司が呆れたように肩をすくめる。
「失礼だなあ。ピッタリ九時ちょうどに到着するよう、完璧なタイムスケジュールを組んできたんだよ☆ それより彼が噂の天城くんだね! うん、道着姿もフレッシュで実にイイ☆」
「あ、どうも……初めまして……」
(な、なんか爽やかだけど語尾に★が見えるような癖の強い人が来たぞ……!?)
初対面から眩しすぎる笑顔と謎のノリで距離を詰めてくる白石教官に、旭は若干圧倒されつつ頭を下げる。
「で、連れてきたっていうもう一人は?」
「ん? ああ、世羅くんなら今入ってくるところさ☆ 背が高すぎて鴨居に引っかかりそうになっていたからね☆」
白石教官が振り返ると同時に、ズシン……と道場の床が微かに揺れるような錯覚を覚えるほどのインパクトで、男が足を踏み入れてきた。
「……失礼いたします。入り口を塞いでしまい、申し訳ありません」
頭を深く下げながら入ってきたのは、身長2メートルを超える凄まじい巨漢の男だった。
丸太のように太い腕、威圧感溢れる厳つい強面。だが、その道着の肩口からは――なんと左右に3本ずつ、計6本の巨大な腕が生えていた。
(で、でけぇぇぇぇ……っ!? しかも腕が6本ある!?)
旭がその圧倒的な体躯に思わず息をのむと、巨漢の男――世羅は、6本の腕を胸の前で整然と揃え、丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして、天城旭さん。僕は世羅修と申します。白石教官のもとで指導を受けております。至らぬ点も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、はいっ! 天城旭です! よろしくお願いします……!」
(見た目はめちゃくちゃ怖いのに、めちゃくちゃ丁寧だ……!)
爽やかだが癖が強すぎる語尾☆の白石教官と、凶悪な見た目からは想像もつかないほど丁寧な6本腕の世羅。
この強烈なペアを前に、旭の緊張は早くも困惑へと変わっていったのだった。
「んじゃ、俺はここでおいとまさせてもらうぜ」
「え? 蓮司さん、もう行くのかよ!?」
「そうだよ☆ 久しぶりなんだし、もっと親睦を深め合おうじゃないか☆」
「いや、用事あるから。天城、頑張れよ」
「用事なら仕方ない☆ 仕方ナッシング☆」
「…………」
「それでは。相馬教官、また手合わせをお願いいたします」
「おう。いつでも歓迎するぜ」
そう言い遺すと、蓮司はぬる〜っと道場の出口から出て行ってしまった。残された旭は困惑したまま、とりあえず世羅へと視線を向ける。
「……それで世羅さん? ……教官? 俺は何を学べば……」
「ふふ、旭さんは面白い方ですね。僕は旭さんと同じ教習生ですよ。今年で17歳です」
「えぇ〜!? 年下!? マジかよ……教官じゃなかったのか……」
「世羅くんは僕の自慢の生徒さ☆ さて! それじゃあ天城くん、僕たちの熱血……じゃなかった、爽やか制圧術のレッスンを始めようか☆」
「さ、爽やか制圧術……?」
思わず聞き返した旭に、白石教官はパンッと爽やかに手を打ち鳴らした。
「そう☆ 君のデコイの話は聞かせてもらったよ☆ 実に面白い☆ だけど、相手が世羅くんのように感覚の鋭い格闘家だったり、場数を踏んだ異能犯だったりした場合、ただ幻影を見せるだけじゃあ『あ、こっちは偽物だな』って見破られちゃう☆ 闇雲に多いデコイも効果薄味☆」
「う……確かに。さっき蓮司さんにも、人間相手なら役に立つって言われたばかりで……」
「だからこそ、君に与える最初の目標はこれだ☆ 世羅くんに、間合いを見誤らせること☆」
「間合いを……見誤らせる?」
「そう☆」
白石教官は人差し指をピッと立て、眩しいスマイルを浮かべた。
「格闘技において、相手との距離感……つまり間合いは命取りになる。たとえば、あと十センチ踏み込まないと届かない攻撃を、相手に『もう届いた!』と錯覚させて攻撃を途中で止めさせたり、逆に届いていないのに『当たる!』と思わせて余計なガードをさせたりするのさ☆」
「……っ!」
旭は目を見開いた。
自分のデコイは、ただの身代わりだけじゃない。自分とデコイの位置関係をわずかにズラして配置することで、相手が長年培ってきた体感的な間合いの精度そのものを狂わせるトラップになるのだ。
「自分の実体とデコイの距離を、十センチから二十センチ……絶妙なズレで重ね合わせる☆ 相手が拳を振り抜いた瞬間、『思ったより届いていない』『当たると思ったのに空振った』というコンマ何秒の違和感を生み出すんだ☆」
「間合いの誤認……! デコイで相手の攻撃のリーチを狂わせるのか……!」
「うんうん☆ 理解が早くて助かるよ☆ その一瞬のズレこそが、君が相手を組み伏せる最大の隙になる☆ というわけで! それを最終目標として……まずは大大大前提の☆ 基本的な歩き方・重心・受け身・崩しを覚えよう☆」
「はいっ!」
旭はぐっと拳を握り込み、再び世羅へと向き直った。
「よろしくお願いします、旭さん」
世羅は静かに頭を下げると、二メートルを超える巨躯からすっと右上の腕を一本だけ前に出してきた。
「世羅さ……くん? よろしく頼むぜ!」
「はい。共に高め合っていきましょう」




