未来への助走
「おっりゃあぁぁっ!!」
――ひょいっ。
放った渾身の右拳は虚しく空を切り、蓮司に紙一重で身をかわされた。
「はい、5回目しゅうりょ〜う。続きはまた明日だな」
「くっそ~……! 何がダメなんだ……!? やっぱ陽炎の精度か……?」
大の字で床に倒れ込んだ旭は、天井を見上げながら悔しそうに頭を抱えた。
それを見た蓮司は口角を上げる。
「よしよし。そうやって倒れた後に自分で自己分析をする。……どうやら『練習のセンス』だけはあるみたいだな」
「あさひっち~、お腹すいたー! 早く帰ろ~」
着地した玲奈が、汗を拭いながらだるそうに声をかけてくる。
「あ、あぁ……お前らはもう特訓終わって良いのか?」
「それが天城さん、さっき相馬教官に挑み始めた途端、僕たちのリストバンドの回転が急に弱くなったんですよ」
「うん。急に浮力なくなって、地面に落とされたし」
理人と玲奈が不思議そうに自分の手首のバンドを見つめる。
「え……? マジで?」
「…………」
蓮司が右手で無精髭の生えた顎をさすりながら、深く考え込むように黙り込んだ
「蓮司さん? どうかしたのか?」
「ん? いんや、なんでもねぇよ。……よし、それじゃあ明日は午前中に座学の講義、午後からまたここで続きの特訓をするぞ」
「うぇ~、明日は座学あるのかよ~」
「まあまあ天城さん、座学も大切ですから……」
「そうだな……」
「なら今日は解散!」
「ほーい」
4人がガヤガヤと賑やかに言葉を交わしながら、重厚な扉を抜けて部屋を出ていく。
ついさっきまで騒がしかった空間に、一気に静寂が訪れた。
この蓮司特製の部屋は、能力の暴走や外部への影響を極限まで遮断するため、窓どころか通常の部屋へ繋がる扉すら排した完全密室構造になっている。
駆動音が止んだ室内には、静まり返った空気だけが残されていた。
「まったく……特訓くらいでどんだけはしゃぐんだか。こんなことで盛り上がれるのは精々中学生までだろ……。他校や上のクラスなんざ、もっと軍隊染みてるってのにな」
脳裏に、他クラスの無機質な訓練風景と、いま出て行った四人の能天気な笑顔が交差する。
蓮司は苦笑しながら煙草を取り出し、ライターの火をつけた。紫煙が天井へゆったりと昇っていく。
「……だが、笑いごとじゃねぇな」
蓮司の目が、何もない空間をぼんやりと見つめる。
旭が本気で集中したあの数秒間。磁場を維持していたはずのローレンツ・フィールドの出力が、明確に減衰していた。
(俺は能力を解除なんかしてねぇ)
天井にたどり着いた煙が逃げ場を失い、密室の天面で静かに広がっていく。
(それ以外で磁場が弱まるって事は……)
「熱、ってことか」
デコイどころの騒ぎではない。
旭自身は単なる「陽炎のデコイ」だと思い込んでいるが、そのデコイ自体が凄まじい熱を帯び、周囲の物理現象そのものにまで影響を及ぼしている。
「……高城の野郎が頭を抱えるわけだ。俺だってそんな能力見たことねぇ。あいつ、自分の力の本質に気づいたら一体どうなっちまうんだか……」
蓮司は煙草を指で挟み、誰もいなくなった訓練場の天井を仰ぎ見た。
「フッ……楽しみが増えたな」
――ガチャリ。
重厚な防音扉が開き、廊下の光が静かな室内に差し込む。
入ってきたのは、黒の隊服を寸分の乱れもなく着こなした紳士だった。整えられた美しい白髪と、首元に巻かれた真っ白なスカーフ。歳は五十を過ぎたあたりだろうが、背筋はピンと伸び、その佇まいには長年現場を指揮してきた者特有の圧倒的な品格が漂っている。
「これこれ、蓮くん。こんな空気の通りが悪い密室で吸ってちゃいかんだろ。フィルターが痛みかねんよ」
「……校長」
蓮司は苦笑いしながら煙草をポケット灰皿にトントンと軽く払い、軽く手を振って紫煙を追い払った。
「わざわざこんな地下まで出張ってくるとはな。上の仕事はいいのか?」
「ふむ、高城くんから報告を受けてね。君のクラスの様子はどうだ、と見に来たんだが……どうやら心配は杞憂だったようだ。さっき楽しそうにやっているのを廊下で見たよ」
校長は温和な笑みをたたえながらゆっくりと歩み寄り、先ほどまで旭たちが訓練していた中央の空間を見つめた。その眼光は優しくも、全てを見通すように鋭い。
「天城旭くん……だったね。いやはや、少し舌を噛みそうな名前だよ」
「ハッ、確かにな」
「彼の能力の測定データを見たがね、高城くんも相当悩んでいたよ。既存の分類に当てはまらないとね」
「まあな。本人もまだ、自分が何をしてるかすら分かってねぇ始末だ。だが……磨けば化ける。いや、化け物になるかもしれねぇ」
「ほう……君がそこまで言うとは珍しい」
校長は首のスカーフの位置を整えながら、楽しそうに目を細めた。
「――だがね、蓮くん。協会側の神条さんにかみついたのは感心しないな」
「……あー、あの頭の硬いキツネか」
「はっはっは! キツネかい! 言い得て妙だねぇ。いやね、我々教官陣はともかく、教習生たちの間では君たちについてあまり良い噂は流れていないようだよ」
「……まぁな。あいつらには、大人のくだらねぇ事情を持ち込みたくなかったんだがな」
蓮司は短くなった煙草の吸い殻を消すと、ポケットに手を突っ込んで鼻で笑った。
「まあね。落ちこぼれを集めた危険な特別学級……とでも言いたいのだろう。でも、君が彼らを庇う理由はよく分かっているよ」
校長は真っ白なスカーフの端を優しく撫でながら、静かだが力強い眼差しを蓮司に向けた。
「君が守ろうとしているあの子たちは、ただの異端じゃない。異端の中にしかない才能もあるかなね。未来の鍵になり得る存在だ。……私から上手く伝えておくよ」
「……すまねぇな、校長」
「いいさ。可能性のある若者の芽を摘むような真似は、この学校の教育方針に反するからね」
◇
食堂で二度目の食事を平らげた四人は、教習所の重厚な門を潜り、夕暮れ時の帰り道を並んで歩いていた。
「あー、食った食った! やっぱ特訓の後の飯は最高だし!」
「浮いてただけなのにすごくカロリー消費しましたね」
「ね! あさひっちも能力使って疲れたっしょ?」
「もちろん疲れた……けど、身体動かすのってなんか楽しいな!」
「……記憶失う前は、運動してなかったの?」
並んで歩いていた仄が、ふと首を傾げて旭に尋ねる。
「う~ん。そこら辺はまだ思い出せないなぁ……」
(この記憶喪失設定、どうしよう……もうそろそろ維持するのキツいな…………マジで悪手だったか……?)
「そう……」
「でもさー、あさひっちって記憶失う前の生活も、絶対あんま運動してなかった系でしょ」
玲奈が顎に指を当て、いかにも分析するように言った。
「どうしてですか?」
「だって、この前ちょっと走っただけで速攻で筋肉痛になってたし、今日もセンセーに『鈍で雑』って言われてたじゃん! 元々インドア派のモヤシだったんじゃないの~?」
「モ、モヤシってなんだよ! それに朝比奈に伸び代があるって言われたんだからな! えっと……シマ……ナントカって木に例えてくれたんだからな!」
「シマトネリコ」
「そう! それ!」
「はいはい、ならあーしはモヤシって例えてあげる~! 伸び代しかない筋肉痛モヤシくん! クスクス~」
「モヤシ言うな!!」
「……モヤシも、すくすく育つ」
「ほら見ろ! 仄だってそう言って――」
「俺はシマネトリコでいいの!」
「シマトネリコ」
「ん? 間違えた?」
「はぁ……もう良いじゃないですか」
理人が呆れ顔で「まぁまぁ」と二人の間に割り込んでなだめる。
「とにかく、明日は講義と特訓があるんです。今日はしっかり休んで明日に備えましょう」
「うぐぐ……明日こそ絶対にモヤシ呼び撤回させてやるからな……!」
「はいはい、楽しみにしてるし〜」
「はぁ~……なら、みんなバイバイ」
「バイバ~イ」
「また明日、天城さん」
夕闇が迫る交差点で、四人はそれぞれ違う道順へと分かれていく。通学路が分かれる瞬間にもう少し長く会話していたい……。そんな小学校の下校終盤に感じるような思いが胸をよぎる。
そして、その軽い未練に寂しさはなかった。「また明日」と言えば、明日も当たり前のようにあいつらに会えるのだから。
明日はどんな特訓が待っているんだろう。どんな馬鹿な会話をするんだろう。
かつて部屋に引きこもり、誰とも関わらずに過ごしていた旭にとって、友達と笑いながら歩く夕暮れ道は、これ以上ないほど懐かしく、童心に返ったかのような時間だった。
「……やり直してるのかもな。人生を」
ぽつりと呟いた言葉は夜にさしかかる風に溶け、旭は少しだけ誇らしげに胸を張って、雨宮荘へと歩き出していた。
そして、蓮司に言われたことを思い出して頭の中で反芻する。
『攻めでも相手の視線と意識を誘導しろ』
◇
次の日。午前中の座学講義を終え、俺たちは昨日と同じ真っ白な『ローレンツ・フィールド』で特訓の続きを開始した。
「今日もよろしくお願いします! 蓮司さん!」
「おう。一晩経ったが、少しは対策を考えてきたんだろうな?」
「まあな。お世辞にも実戦向きとは言えない手段だけどな」
旭は不敵に笑うと、蓮司の正面数メートルの位置に仁王立ちし、バッと指を突きつけた。
「蓮司さん! 俺は――あんたの右肩をタッチする!」
堂々の宣言。それも狙う部位までわざわざ声高らかに教えるスタイルだ。
「ハッ! 確かに実戦向きじゃねぇな! 相手に攻撃位置教えてどうすんだ!」
「行くぜ……っ!!」
旭が力強く床を踏み鳴らした。
――タッ!
右側に立ち上がるのは、ゆらゆらと揺らめく下手くそな旭のデコイ。そして本体である旭は、宣言とは真逆に左肩に向かって一直線に手を伸ばす。
「あ! あさひっち速攻で嘘ついたし!」
「ですが……心理フェイントを混ぜたところで、相馬教官には通用しませんよ」
上空で見守る理人の分析通り、蓮司の鋭い眼光はすでに左側へ突っ込んでくる本体の旭を捉えていた。
右肩狙いの宣言をただのブラフだと切り捨て、左肩へ伸ばされた手を紙一重でかわす――はずだった。
(言葉通りのブラフ。狙いは左――)
そう判断し、左への攻撃をかわすために身を引こうとした、その一瞬。
(駆け引きの精度は……要検討だな――)
――トッ。
「……あ?」
蓮司の思考が一瞬フリーズする。
自分の右肩に、確固たる手応えとともに旭の手がそっと置かれていた。
「「え……!?」」
上空で見ていた玲奈と理人が、信じられないものを見たように目を丸くする。
「ほらな、言っただろ? ちゃんと右肩だったろ?」
旭はニシシと口元を緩め、満足そうに胸を張った。
「……なるほどな。一本取られたぜ」
蓮司は呆れたように息を吐き出すと、ぽりぽりと頭を掻いた。
「え、ちょっと待って!? なんで右肩触れてんの!? あさひっち絶対左狙って手伸ばしてたじゃん!」
「デコイは、ふたつ」
空中で浮いていた仄が、ボソッと静かに答える。
「え? ふたつ……?」
「――デコイのデコイを出されたってこった」
蓮司が旭に代わって種明かしをするように口を開いた。
「まず最初に右肩を狙うと宣言して、右側に出来損ないのデコイを出す。相手に右のデコイはただのブラフ(騙し)で、本命は左だと思わせるわけだ。そして左側に本命っぽいデコイを出しつつ……本体である自分が、意識から外れた右側へ滑り込む」
「正解! 右はデコイしかないと相手が思い込んだ瞬間、その右側こそが一番の死角になる。名付けて……三重大ブラフ作戦だ!」
「へぇ~……あさひっち、やるじゃん!」
「フフン、帰ったあとも結構作戦練ったからな!」
「上出来じゃねぇか。心理的な隙を突くって意味じゃ、十分実戦でも使える考え方だ」
蓮司が、満足そうに旭の頭をわしゃわしゃと雑になでる。
「すごいです天城さん! 上で見ていた僕たちまで完全に引っかかりましたよ!」
「ふふ〜ん! 見たか! 俺はまだまだ伸びる男なんだよ!」
「あさひっちが伸びてんのは、伸び代じゃなくて鼻だし〜」
腕を組み、ドヤ顔で「えっへん!」と言わんばかりに胸を突き出す旭に、玲奈が指を差してケラケラと笑う。
「鼻言うな! 実際に結果出したんだから少しくらいドヤらせろよ!」
「……でも、すごい」
静かに着地した仄が、旭を見上げてぽつりと呟いた。
「昨日とは全然違う……」
「……っ! ほ、仄……!」
「ほらほら、1回成功したくらいで感動してねぇで次のメニュー行くぞ」
「うぐっ……! もうかよ〜!」
パンパン、と蓮司が容赦なく手を叩き、特訓の再開を告げた。
――それからの数日間。
俺たちの日常は、まさに特訓漬けの一言に尽きた。
その後は4人とも浮いている状態で綺麗な直立することが出来た。旭は初日はすぐに倒れていたが、三日目には呼吸を乱しながらも足を止めずに余裕に走り切れる体力がついた。
数日間の訓練を終え、汗を拭いながら他愛もない会話で笑い合う旭達。
これから自分たちがどれほど強くなれるのか。明日はどんな特訓が待っているのか。
そんな未来への期待と胸の高鳴りを、全員が疑いなく信じていた。
――だが、この時の俺たちは、まだ何も知らなかったのだ。
この教習所の平穏な日常が、これからどのように変わっていくかを。
そして自分たちがこれから、交わるはずのないある大きな事件の渦中へと巻き込まれていくということを――。
◇
『天城ぃ―――っ!!!』




