目指せ!格好いいバージョン
食堂で身体も脳も回復した旭達は、今度は壁も床も天井もすべてが真っ白な空間へ連れてこられた。広さはだいたいバスケットコート一面分ほどだろうか。
「蓮司さん……ここは?」
「ここは俺特注の磁場部屋だ」
「磁場部屋?」
「あぁ。朝比奈には前から利用してもらってるんだが……ここは実戦で想定されるだろう状況を擬似的に体験することができる場所だ」
「イミフ〜。白すぎて目が痛いんだけど」
「……説明するのも難しいし、百聞は一見にしかず、だ。お前ら、携帯とかの精密機械はちゃんと外のロッカーに預けてきたか?」
「大丈夫です」
「同じく」
旭も力強く頷いた。そもそも旭は特段高価な機械やスマートフォンなどは持ち込んでいない。
「そんじゃ行くぞ……――ローレンツ・フィールド」
蓮司が静かに唱えた瞬間、淡い銀色の光が部屋全体を包み込んだ。
――ズズズン……ッ!!
直後、強烈な重圧と浮遊感が同時に身体を襲う。
「うおっ……!? なんか急に身体が重く……いや、軽くなったような……!?」
「これは……?どうなっているんですか!?」
理人が足を踏ん張りながら叫ぶ。
足元からふわっと身体が浮き上がりそうになったかと思えば、次の瞬間にはズシリと地面へ押し付けられるような感覚。
「へへ、驚いたか? この部屋じゃあ俺の磁力操作で、実戦の浮遊感から重圧力を模した空間まで何でも作れる。……つまり」
蓮司が不敵な笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らした。途端に4人の身体が軽くなる。
「ここがお前らの、本当の特訓場だ」
「すごいですね……まさか蓮司教官の能力が、これほど精密な磁力操作だったなんて……」
「おそらく、入るときに付けられたこの地味に重たいリストバンドが関係してるんだろうな」
そう言いながら、旭は両手首と両足首に巻き付けられた黒いゴツゴツしたバンドを擦った。お世辞にも付け心地が良いとは言えず、旭にとってはこれを付けて動くだけでも十分な筋トレになると感じていた。
「ご名答。そのバンドに特殊な金属と磁石が入ってる……んだが、手作りだから上手に作れなくてな。だいたい1つ一キロいくかいかないか――」
「重すぎるわ!!」
「まあ筋トレの副産物としてありがたく貰っとけ」
「それは第三者が言って初めて納得するセリフです……っ」
「で? あーしら、この重いので浮かされてから具体的に何すればいいわけ?」
玲奈が不満そうに、空中でお手上げポーズをとる。
「そうだな。まずは無重力に近い状態でブレない体幹を鍛えてもらう。――朝比奈、見本を見せてやってくれ」
「ん」
仄が短く頷いた瞬間、彼女の身体がふわりと宙へ浮かび上がった。
無重力空間であるはずなのに、彼女はまるで平地の上にしっかりと両足で立っているかのように、ピシッと一切のブレなく直立してみせた。姿勢1つ崩れず、空中を静かに漂っている。
「「「おお……っ!?」」」
「す、すげぇ……全っ然ブレてない……! 浮いてるのに地上にいるみたいだ……!」
「だろ? この状態じゃあ地面を踏ん張ることができねぇ。つまり、全身の体幹とインナーマッスルで体勢を制御するしかないんだよ」
蓮司は腕を組み直し、ニヤリと不敵に口角を上げた。
「さぁて……今度はお前らの番だ。行くぞ……」
「ばっちこい!」
――ブウゥゥゥン!
直後、手首と足首に巻き付けられたリストバンドの内部で、金属粒子と磁石が機械音を立てて勢いよく超高速回転を始めた。
「こ、これ……大丈夫なんですか!? なんかすごい振動が……っ!」
バンドの凄まじいブレに、理人が「壊れるんじゃないか」と焦り始める。
「大丈夫だ。心配すんな、身体に悪影響はねぇよ」
「よぉし、見よう見まねで……うわっ!?」
旭は仄のように空中へカッコよく直立しようと試みたが、地面の踏ん張りが利かない空間で足が空を切り、勢いよく前傾姿勢のまま倒れ込んだ。
だが、地面に激突することなく、旭の身体は前かがみの斜め四十度という不自然な角度のまま、空気の壁に固定されたようにピタッと静止した。
「ぶはっ……! なんか倒れそうだけど倒れない……!? 倒れてないけど、踏ん張りが全然利かねぇ……っ!」
「バンドの磁石が中で回転して制御してる限り、お前らの身体が変な方向に引き寄せられて壁に磔になるって心配もねぇよ」
「磔って……! 言い方が穏やかじゃないし!」
「で、ここからが本番だ。そのまま全身のインナーマッスルを使って、水平かつ直立の状態まで自力で姿勢を戻してみろ」
「ぐ、ぐぬぬ……っ! お、腹筋がちぎれる……っ!!」
空中という逃げ場のない空間で、旭の全身の筋肉が再び悲鳴を上げ始めた。
「お? できた! できたし! 見て見て!」
「へぇ~……意外だな」
三人が同時に宙へ浮かされてから、一番最初に空中での綺麗な直立姿勢を成功させたのは、まさかの玲奈だった。
手足をバタつかせることなく、すっと背筋を伸ばして宙に美しく佇んでいる。
「うぐぐ……すげぇ……玲奈……実は隠れマッチョだったんだな……っ」
「ちげーし! あーしはセンスの塊なだけだし! 運動神経いいの!」
「俺だってぇぇ……うぎぎぎっ……!」
旭は必死に腹筋と体幹に力を込めるが、浮遊感に身体が振り回され、どうしてもエビのように曲がってしまう。
「まぁまぁ、落ち着けって。何も今日中に完璧にしろって話じゃねぇよ」
壁に背を持たれ掛けている蓮司が、焦る旭をなだめるように手をひらひらと振る。
「だって……っ!」
「大丈夫ですよ、天城さん。僕だってまだ全然できてないんですから。一緒に少しずつ頑張っていきましょう!」
隣を見ると、理人がまるで『く』の字のように身体をあらぬ方向へ折れ曲がらせた、かなり情けない体勢のまま、必死の笑顔で旭を諭していた。
「……そうだよな。悪ぃ。なんか変にムキになってたわ」
理人のシュールすぎる格好のおかげで毒気を抜かれた旭は、肩の力を抜いてふっと笑った。
「サンキュ、理人。……ってかお前、その体勢でよくそんな冷静に喋れるな?」
「実は……もう全身の激痛で感覚が麻痺してきてるんです……あはは……」
◇
「よし、もうそろそろ終わりにするか」
「えぇ~っ。あともうちょっとでできそうなんだよ~っ!」
「そんなこと言って、惜しい体勢になってすらいねぇじゃねーか」
「ちぇっ」
不満そうに舌打ちする旭をよそに、全員ゆっくりと床へ下ろされた。
だが、地に足がついた途端、今までの陸上生活の記憶が一気に足裏からインプットされたような奇妙な感覚に襲われ、まともに足が出ない。船酔いならぬ「陸酔い」のような感覚だ。
「明日こそは……絶対に成功してみせる……っ!」
「その意気だ。なら、最後に締めのストレッチをして解散にするか」
「うぃ~っす」
玲奈が汗で乱れた髪を手ぐしで整えながら、ゆるーく返事をする。
過酷な一日だったが、全身の筋肉をしっかりほぐして息を整えると、不器用ながらも確実に一歩前進したという心地よい達成感が胸に残った。
◇
「で、できました……っ!」
理人が全身をプルプルと小刻みに震わせながらも、どうにか宙での綺麗な直立姿勢を維持してみせた。
なお、先にコツを掴んでいた仄と玲奈の二人は、すでに直立どころか宙を平地のようにスイスイと自在に泳ぎ回り、余裕の表情を浮かべている。
「良いなぁ~、理人~……。俺、全然出来ねぇんだけどぉ……」
恨めしそうに愚痴を零す旭はというと、直立どころか空中膝抱っこ――つまり「体育座り」の姿勢のまま、シュールにぐるぐると回転し続けていた。
「そ、それは逆にどうやってるんですか……!?」
「鈍くさいヤツだなぁ……。なら旭、お前だけメニュー変えるか」
「見込みナシってか……。ぐすん……」
「バカ言え。お前のそのしぶとさを見込みナシなんて言うかよ。ただ、ドツボにハマったまま無駄に体力を削っても効率が悪ぃ。……脳をリフレッシュさせるためだ」
「うっ……なんか気持ち悪く……」
「……三人は引き続き、空中でもっと体幹を強くしておけ〜。特に玲奈と朝比奈は、空中で手足を動かしても軸がブレないか試してみろ」
「は〜い!」
「ん」
「理人はまず、その震えを止めることからだな」
「う、善処します……っ!」
三人への指示を終えると、蓮司はぐるぐると回り続けている旭の前まで歩み寄り、回転をピタリと手で止めた。
「で……旭。お前は一旦身体で覚えるのをやめて、能力の感覚からアプローチしていこうぜ」
「能力の感覚……?」
「う~ん。俺の能力はデコイを出すだけだからなぁ……ほら」
そう言うと、旭は少し集中して力を含ませ、蓮司の目の前にゆらゆらと揺らめく自分自身のデコイを出してみせた。
だが次の瞬間、蓮司は迷いなく拳を突き出し、そのデコイの腹へ重いアッパーを叩き込んだ。
――ボッ!
手応えなく空気を切り裂き、デコイが陽炎のように霧散する。
「デコイねぇ……。なぁ、それを攻めに使ってみたらどうだ?」
「攻め……?」
「そう。例えばほら、漫画でよく見る武を極めたヤツの技だよ。ゆらっと動いたら相手に自分が複数に見える……残像攻撃ってヤツだ」
「はぁ……」
「お前、こないだのジムで似たようなことやってただろ。相手を惑わして、影からカンチョーと金的叩き込んでたじゃねーか。カメラで見てたぞ」
「うっ……あれは必死だったからで……」
「だから、あれの格好いいバージョンを意図して出せるように練習しようって話だ」
「格好いいバージョン……!」
そのフレーズに、男としての本能がビクッと反応する。
「どうだ? 悪くない提案だろ」
「……やりたい! ご指導願うぜ、蓮司さん!」
「ならまずは残像出しながら俺の肩にタッチしてみろ」
「簡単じゃん!」
「1回も届かなかったらタイヤ引きな」
「流石に……バカにしすぎだって。届くに決まってんだろ」
「俺は反撃とかは一切しねぇ。ただ肩を動かして避けるだけだ。右肩、左肩どっちでもいい。殴るつもりでタッチしてみろ」
「なら、遠慮なく……!」
旭はグッと足元に力を込め、揺らめく自分のデコイを発生させると同時に、蓮司の右肩を目指して一気に踏み込んだ。
意図した通り、旭の後を追うようにもうひとつの像——残像が生まれる。
(よし! ちゃんとできた!)
「おりゃあ!」
「ふんっ」
蓮司がかるーく右肩をサッと引く。
手応えがあるはずだった場所に肩はなく、振り抜いた手首のリストバンドの重さに振り回される形で、旭は勢い余って豪快にすっころんだ。
「痛っ! 鼻打った……!痛いぃ!」
「お前ってヤツは……つくづく鈍で雑だなぁ」
「ギャハハ! あさひっちウケるんだけど! ダイブして自爆してんじゃん!」
部屋中に玲奈の高笑いが響き渡る。
見上げれば、玲奈は空中で腕と足を組み、優雅に椅子に座っているかのようにプカプカと浮かんでいた。物理的にも精神的にも完全な高みの見物である。
「くっ……笑うな……っ!」
「なんのためのデコイなんだよ。ただ自分の後ろにくっつけて走らせたって何の意味もねぇだろ。デコイで左を狙うように仕向けて、本命の自分が右を狙うんだよ」
蓮司が足元の旭を見下ろす。
「攻めでも相手の視線と意識を誘導しろ。それができなきゃ、お前は一生タイヤと仲良しのままだぞ」
「……もう1回!」
「おう、来い」
旭はすぐに起き上がり、再び蓮司と対峙した。
狙うのは変わらず右肩。だが今度は、先程の攻撃で場に残った熱を意識して集め、左肩を狙っているようなデコイを少し離れた位置に発生させようと試みる。
怪鹿戦の時に無意識でできた、遠距離でのデコイ生成。
だが、自分の意図した明確な像を狙った位置に作るなんて芸当は、旭にとってこれが初めてだった。
(頭でしっかりイメージしろ……左を狙う俺を作って、本物の俺は右肩へ突っこむ……!)
「おりゃあ!」
再び地面を強く踏み込み、右手で蓮司の右肩へ手を伸ばす!
――バッ! と蓮司が身体を半身にひねり、またしても攻撃は空を切った。
しかし、今回はリストバンドの重さに振り回されることなく、ぐっと踏ん張って倒れずに踏みとどまってみせた。
「おいおい……なんだ誰だそいつは?」
蓮司が可笑しそうにニヤニヤしながら、旭の横を指差す。
「え?」
旭が慌てて振り返ると、そこにあったのは――左肩を格好良く狙う自分の姿……とは似ても似つかない、横にだらしなくビヨーンと引き延ばされた、巨大な平べったい旭の像だった。まるで画用紙を引きちぎって引き伸ばしたような惨状だ。
「な、なんじゃこりゃあぁぁっ!?」
「ギャハハハ! なにそれぇ!? あさひっちがつぶれたカエルみたいになってんだけど!」
上空から再び玲奈の爆笑が降ってくる。
「……イメージが雑すぎるんだよ。自分を左右に分裂させようとして、意識がブレて像まで引きちぎれてんじゃねーか」
「くぅ~……もう1回!」
「う~ん。今日はあと5回だ」
「え~。指導してやるって言ったのは蓮司さんなのに~?」
「そうだ。だからこれも指導の1つだ。――少ないチャンスで成功させろ。それでこそ本物の成功だ」
「本物の成功……?」
「実際の戦いになると、色んなことを頭の中で同時に考えながら敵と対峙しなきゃならねぇ。相手の情報。周りの仲間の安否。自分の攻撃が周囲に与える影響……。それらをコンマ一秒の一発勝負で判断しなきゃいけないんだ」
蓮司は腕を組み、静かに旭を見据えた。その姿は何も変わらないはずなのに、今だけは妙に大きく見えた。
「練習だから最初は数打ちゃ当たればいい――そんな甘い考えはクソ喰らえだ。いつだって本番想定。1回のミスは即死だと思っとけ!」
蓮司の目がキリッと鋭く光る。
その瞬間、空間全体の温度が下がったかのような錯覚を覚えた。
旭だけでなく、上空で様子を眺めていた理人、玲奈、仄の三人にも一気に緊張が走る。
(……この人は、そういう修羅場を何十回、何百回と潜り抜けてきたんだ)
数々の死線を超えてきた本物の戦士だからこそ重い、過去から学んだ教訓。——なのだろうと感じる。
旭はその言葉の重みを深く胸に刻み込んだ。
「はい……っ!」
「ま、天城は鈍で雑なヤツだからオマケの5回だがな」
「絶対に触ってやる!」
「へぇへぇ。じゃあ残り5回――1回1回、死ぬ気でイメージを研ぎ澄ませて来い」
旭は深く息を吐き出し、乱れた呼吸を整えた。
ただ闇雲に突っ込むのではない。頭の中で完璧な自分と左を狙う完璧なデコイを明確に描き出す。
(残りの5回……いや、次で絶対に蓮司さんの肩に触ってみせる……!)
部屋に響くのは、空中で浮いている三人のリストバンドが発する高音の高速回転音のみ。
その静寂の中で、旭の瞳から濁りが消え、研ぎ澄まされた鋭いものへと変わっていった。
――トッ、と一歩踏み込む。




