積み重ねる足跡
「フンヌッ……!」
旭は今人生で一番、顔を赤くしている。人生と言っても第二の人生かもしれないが。
「おい、ペース落ちてるぞ~」
どうしてこうなったかというと――。
◇
話は、怪鶏との激闘を終え、ボロボロの体で教習所へ戻ってきた昨日にさかのぼる。
無事に帰還した旭と蓮司を迎えたのは、心配そうに待っていた理人と、玲奈だった。
「天城さん! 相馬教官! よかった、無事だったんですね……!」
「大丈夫? 全然来ないからマジでびっくりしたし!」
「あぁ無事だ。まぁ1回界裂生物に吹っ飛ばされちまったけどよ!」
「何が無事なんですか! 怪我とかないんですか!?」
「まぁちょっと出血しただけだし、寝たら治るだろ」
「「えぇ……」」
理人と玲奈が冷ややかな視線を向けてくる。『この人は化け物か』とでも言いたげな目だ。
「天城さんは?」
「俺はまぁ……蓮司さんのお陰で大きな怪我はないんだ。でも……」
「でも? あさひっち、どうしたん?」
「今回は特待生クラスの千影零ちゃんも現場にいたんだけどさ。結構俺、足手まといだなぁって感じてさ」
「千影さんですか!? すごい人じゃないですか!」
「お……おぅ……知ってんのか?」
「知ってるも何も、この教習所内の生徒の中では一、二を争う程の実力者ですよ! 天城さん! いつからそんな交流を!?」
「まぁまぁりーくん落ち着いて……」
鼻息を荒くして興奮する理人を、珍しく玲奈が宥める。旭にとってはかなり新鮮な光景だった。
(理人って結構オタク気質なんだろうな……。まぁ俺も引きこもり生活になってからはアニメオタク一直線だったけど……)
「ま、あの結城の暴走は流すとしてだ。言いたいことは分かるぜ、天城」
「え?」
蓮司は煙草を指で挟み、旭の全身を上から下へと品定めするように見つめた。
「今回のでよく分かったんだろ。お前さんは前線で戦って、その場で力を示せる強さを手に入れたいんだろ?」
「……! そうです……」
蓮司に見透かされたように言われ、旭は言葉を詰まらせた。
そう、零の圧倒的な戦闘力や、蓮司の凄まじい磁力操作を目の当たりにして、自分の中に芽生えたのは嫉妬ではなく「俺も追いつきたい」「強くなりたい」という切実な焦燥感と本気だった。
「なら話は早い。なら、強くなりたいなら……明日から、問題児クラス専用特訓メニューだ」
「……上等だ!」
旭は手を勢いよく天井に振り上げてやる気に満ちあふれたような声で自身を鼓舞した。
「……そういえば、朝比奈は?」
「ほのの……は教官なら大丈夫ってどっか行ったけど」
◇
――そして、現在。
「フンヌゥゥゥッ……!!」
旭の目の前には、車のタイヤ。そのタイヤに太いロープが括り付けられており、ロープを腰に巻きつけられ、ハーネスを付けた旭は、教習所のグラウンドでそれを絶賛牽引中であった。
「これ……ジムで走るのと……何が違うんだよぉぉ……っ!」
「僕たちは……先日ジムで問題を起こしたせいで、トレーニングジム出入り禁止になったんですよ……」
隣では、理人が手元の自転車のタイヤをじっと見つめながら「ぬんっ!」と力を込め、能力で浮かせようと試行錯誤している。彼なりに能力の精密操作をトレーニングしているようだ。
「まぁ、あの件は出禁くらいで丸く収まったからよ。天城、すまねぇな!」
パイプ椅子に腰掛けた蓮司が、片手を合わせてへらへらと平謝りする。
「なんも……丸く……収まってねぇぇぇ!!」
「お! 怒りでちょっとスピード上がったぞ~」
「くっそぉぉぉ!!」
(異世界転生させるくらいなら、俺TUEEEの世界線を用意してくれよぉ……!)
「後三周な~」
「ぬおぉぉぉ!!」
旭はてっきり、格好いい応用の利く体術の指導か何かだと踏んでいた。しかし、現実はジムの最新器具よりも圧倒的にハードな泥臭いタイヤ引きだった。旭はこれまでの人生で本格的にスポーツをやった経験など一度もなく、身体を限界まで追い込むような過酷な経験も皆無だ。なんならここ数年は、ただの引きこもりゲーマーだったのだ。
(これだったら少年漫画みたいにさぁ……なんか革新的な修行を経て一気に覚醒して強くなりてーよ……! って、そもそも基礎体力作りなんだから革新的もクソもないか……っ!)
頭の中でなんとか耐え抜こうと、タイヤ引きのことからは目を背け、脳内で理想の妄想をつらつらと思い浮かべていく。だが、そんな現実逃避も長くは持たない。使っている全身の筋肉が断末魔のような悲鳴を上げ、足がガクガクと震えて上手く動かせなくなってきた。陸にいるはずなのに下半身は水の中で歩いているような感覚だ。簡単には動けない。
「ハァ……ハァ……っ! じ、死ぬ……っ! 蓮司さん、マジで膝が笑い始めて……っ!」
「おう、笑わせておけ。膝が笑ってからが本番だ」
「鬼畜かよこの教官……っ!!」
「天城さん、頑張ってください……!」
自転車のタイヤを必死に浮遊させている理人が、汗だくの旭へ応援の声を飛ばす。仲間からの声援をもらい、胸の奥から僅かに気力がみなぎってくるのを感じた。
「なんの……これしきぃぃぃ!!」
旭は元の世界でもロクに動かしていなかった貧弱な身体に鞭を打ち、意地だけで残りの三周をがむしゃらに走りきった。
「ハァ……ハァ……っ! は、走りきったぞぉ……っ!」
ゴールのラインを駆け抜けた瞬間、旭はハーネスを外す余裕すらなく、グラウンドの土の上にそのまま大の字で寝転がった。ドクンドクンと全身の筋肉に必死で血を巡らせている心臓の鼓動が、痛いくらい耳の奥に響いてくる。
「お〜、よく走りきったな! だが、身体を限界まで酷使した後にすぐ横たわるのは危険だぜ」
足音が近づいてくると、蓮司がドカッと旭の引きずっていたタイヤに腰掛けた。
「血流が一気に下がって貧血起こすか、脚が激しく攣るぞ。ほら、ゆっくり立ち上がって少し歩け。水分も吐かない程度に補給しろよ」
「ハァ……なら……このハーネス外して……ハァ……自分でぇ……外せない……っ」
「悪い悪い! 今外してやるよ」
蓮司は引きずられて砂まみれになったタイヤから立ち上がると、旭の腰に巻きついていたハーネスのロックを解除した。外された瞬間、ズシッと重かった負荷が一気に消え去り、身体全体へ最高の開放感が染み渡っていく。
「スゥ~……ハァア~っ……!」
空を仰ぎ、思い切り深呼吸をして身体に足りていなかった酸素を勢いよく補給する。
(煙草を吸っている人がうめぇって言ってるのって、もしかしてこういう気分なんだろうか……)
そんな勝手な持論を思い浮かべられる程度には、頭の霞が晴れて意識が回復してきた。
「あ~、もう終わってんじゃん。おっつ~」
息を整え終えた絶妙なタイミングで、買い出しから戻ってきた玲奈と仄がグラウンドへ合流した。二人の手には、冷えたペットボトルやお菓子が詰まったコンビニのビニール袋が下げられている。
「あさひっち、生きてる~? マジで酷い顔してんだけど!」
「まじ……疲れた……。玲奈達はどこ行ってたんだ?」
「あーしらは近くのコンビニに行って、みんなの分の差し入れ買ってきたんだし!」
「それにしては遅かったな? サボりか?」
蓮司が煙草を咥えたまま、疑いの目を二人に向ける。
「はぁ~? 信じらんないし! そんなこと言うんだったら、このジュースあげないからね!」
「ちょ! それは俺が困る! 俺は疑ってないからさ! な!?」
「あーしら、ちゃんとみんなの為にじっくり選んでたんだから。ね? ほのの」
「公園にいって花見てた」
「ん~?」
蓮司がスローモーションのように、ぬるりと玲奈の方へ顔を向ける。それに合わせて、玲奈も目を逸らしながらゆっくりと首を反らしていった。
「玲奈ぁ! お前ってやつは……!」
「ほのの!? 口止めした作戦と違うしーっ!?」
「なんでも……いいから……水分……水分をくれ……っ」
喉がカラカラの旭は、二人の不毛な争いなど気にせず、地面に落ちたビニール袋へ必死に手を伸ばした。理人も同じく限界だったようで、二人で群がるように袋を漁る。
そして、それぞれのペットボトルを手に取り、勢いよくキャップを開けて口に含んだ。
「「ぬっる!!!」」
二人の叫びがグラウンドにこだまする。
キンキンに冷えたジュースを期待していたのだが、公園で長時間のんびり放置されていたせいで、すっかり生温いぬるま湯のような温度になっていたのだった。
「お前ら……公園でどんだけ油売ってたんだよ……っ」
「熱中症で……死んじゃいますよ……」
「あ、あはは~……ごめ~ん? 日陰に置いてたんだけどな~?」
てへっと笑って誤魔化す玲奈に、旭と理人は泥だらけのまま白目を剥いて崩れ落ちた。
◇
ぬるいジュースでどうにか息を吹き返した旭は、短い休憩を挟んで次のステップへと進んでいた。 グラウンドに引かれた三本のラインを挟み、現在は反復横跳びのようなトレーニングに励んでいる。今回は理人も一緒に参加していた。
ちなみに、サボりが発覚した玲奈と仄は、罰として先ほどまで旭がやっていたタイヤ引きを命じられていた。
……もっとも、仄は疲れる素振りすら見せず、まるで散歩でもするかのように楽々と巨大タイヤを引っ張っている。一方で玲奈は、「あーしだけ死にそうなんだけどぉぉ! ほののズルいしーっ!」と泣きそうな顔で悲鳴を上げていた。
「なら、次は瞬発力の特訓だな」
パイプ椅子から立ち上がった蓮司が、ストップウォッチを手に二人の前へ立つ。
「やることは単純な左右の切り返しだが、実際の現場じゃ壁を蹴り、敵の攻撃を避けて縦横無尽に動き回ることになる。そのために動きのメリハリを身体に叩き込むのはかなり重要だ。お前らみたいな、ゴリ押しが利かないタイプの能力なら尚更な。――準備はいいか?」
「はい!」
「わかりました!」
「よし。ならまずは、旭は限界までやってみろ。……制限時間は二十秒。思い切りな」
「OK!」
旭はラインの前に立ち、腰を低く落として構えた。
筋肉痛の脚が重く痛むが、ここで引く気は一切ない。
「――よぉし、位置について……スタート!」
「ふんっ、ぬぁぁぁっ!!」
合図と同時に、旭は猛烈な勢いで左右へ地を蹴り始めた。
◇
グラウンドでの猛特訓を終え、やってきたのは教習所の食堂。
四人掛けのテーブルを囲み、問題児クラスの面々で遅めの昼食をとっていた。
食堂に生徒らしき人たちはおらず、一仕事終えた職員がポツポツと食べている程度だった。
「はぁ~……生き返る……っ」
旭と理人が真っ先に手を伸ばしたのは、食堂の給水器で汲んできたキンキンに冷えた氷入りのお茶だった。二人同時に一気に飲み干し、生き返ったような吐息を漏らす。
「ちょっと! 酷くない!? あーしらが買ってきたジュースよりも反応良くない!?」
「どの口が言ってんだよ……」
「公園に置いといたぬるま湯ジュースと比べないでください……」
「あーしはちゃんと日陰に置いといたって言ってるじゃん!」
ぷんぷんと怒る玲奈をさらっと流しながら、理人が唐揚げ定食の箸を止めて旭へ向き直った。
「それにしても天城さん、すごかったですね」
「それにしても!? あーしの扱い雑すぎない!?」
玲奈の悲痛な叫びを見事に無視し、理人は目を輝かせて話を続ける。
「反復横跳び、最初は50回だったのに、最後は66回まで回数が伸びていったじゃないですか!」
「まぁ、最初はタイヤ引きの疲れが残ってただけだよ。あとは『気合いだけは誰にも負けねぇ!』って思ってやってたからな」
「いえ、それでもすごいです! 根性だけじゃなくて感覚が良い証拠ですよ」
「そうか? やっぱ誰かに褒められると悪くねぇな」
照れくさそうに頭を掻く旭の前で、静かにうどんをすすっていた仄が、ぽつりと口を開いた。
「旭……伸びしろ、ある」
「お、朝比奈まで! サンキュな!」
「うん。シマトネリコみたい」
「ほのの、また分かんない植物で例えてるし~」
「……それ、褒めてるんだよな?」
「褒めてる。庭木として、ぐんぐん育つ」
「なら……嬉しいけど……例えが独特すぎるだろ」
苦笑いする旭の姿に、テーブル全体がどっと温かい笑いに包まれる。
「よし! この調子で後半のメニューも頑張りましょうよ!」
「おう! まぁ一日中特訓に集中出来るのは、決められたカリキュラムがない問題児クラスの特権だしな。頑張ろうぜ」
「まぁね~。教科書開いて座って勉強させられるよりかは、体動かしてる方が断然マシだし!」
玲奈も文句を言いながら、すっかりお腹を満たして満足そうにジュースを飲み干した。
過酷なトレーニングで全身は悲鳴を上げている。だが、かつて部屋に閉じこもっていた頃には決して味わえなかった、仲間と共に汗を流し、笑い合う充実感が、確かに旭の胸を満たしていた。




