狂犬の覚悟
「す、すげーよ! 蓮司さん!」
「あぁ……。だが、こんな奴でここまで手こずるようじゃ俺もまだまだだな……」
「もちろんだ」と鼻で笑うような、いつもの飄々とした答えが返ってくるのだとばかり思っていた旭は、少し意外――いや、とても意外そうな顔で蓮司を見上げた。
「……まだまだって、あんなデカい鉄の山を動かして一瞬で潰したんだぞ!? 十分凄すぎるだろ……!」
「ハッ、天城から見ればそうかもな」
蓮司は紫煙を細く吐き出し、視線を崩れ落ちたスクラップの山――怪鶏の残骸へと向けた。その瞳には、勝利の余韻など微塵もなく、どこか遠くを見据えるような冷めた光が宿っている。
「本当にやべぇ能力者や星冠の名を持つ化け物どもはな、予備動作すらなく自身のフィールドに沈める。俺がこの規模の磁力を張るのに、どれだけ事前にスクラップヤードへ準備を仕込んでいたと思う?」
「あ……」
「能力を魅せるパフォーマンスとしちゃ満点かもしれんが、実戦じゃ準備の時間なんて誰も待っちゃくれねぇ。……そういうことだ」
教官としての厳しい言葉。だがその裏には、旭たちを一人前のイグゼクターとして育て上げ、死なせないためのプロとしての切実な矜持が滲んでいた。
「まったく……自分に厳しい人ゲスねぇ」
泥だらけの服を払いながら、ルパンツが脱力したようにその場に座り込む。
「まぁ俺の能力は星冠種の中でもピーキーだからな。環境に左右されやすい……ガキのような能力だ」
「でも、これでひとまず安全ゲスか? おいらはもう一歩も歩けないゲス……」
「安心しろ……。あとは協会から回収班やら呼んで、報告だけだ。お前のムショ行きの予定は大きくは変わらねぇよ」
「そういやそうだったゲス……」
「それはそうとして天城。遅くなったが、お疲れさまだな!」
「……っはい!」
「よし! なら協会の連中を待つか……」
「そうだった! 俺は携帯を持っていないし、零さんの携帯は蓮司さんの磁場でおかしくなって……連絡手段がないんだ。俺、行ってきます! 零さんのことも心配だし!」
「ん? あぁ……それなら問題ねぇよ。協会の連中はもう見てる」
「え?」
「協会の連中は『裂け目』の特別なエネルギーを捉えたら、そこから現場のイグゼクターが退治するまでを遠隔観察して、もう良いと判断したら自分たちからやって来る。それが今のやり方だ」
「そうなんですか……」
確かに、以前の『怪鹿』の際も、誰かが連絡したというよりはあっち側から都合よくやってきたと言えるような動きだった。旭はその時の光景を思い出す。
「なんか薄情なヤツらゲスね……」
「まぁな。よく言えば適材適所、悪く言えば高物みの見物だ」
「でも、零さんは無事じゃないかもしれない! やっぱ、行ってきます!」
「――その心配は無用ですよ」
「!」
旭が出口に向かおうと足を踏み出したその時、立ち込める煙の向こうから整然とした足音が近づいてきた。
道の先に立っていたのは、ピシッと隙のない高級スーツを纏い、眼鏡の奥から冷ややかな光を覗かせている一人の男だった。その背後には、防護服のような衣装を着た回収班の集団と――無事に保護された様子の零の姿があった。
「旭くん……やったのね!」
「零さん! はいっ!」
無事な姿を見て安堵した旭だったが、隣に立つ蓮司の雰囲気が一変したことに気づいた。煙草の煙を吐き捨て、苦々しい表情で吐き捨てる。
「……ハッ、一番会いたくねぇヤツが出てきやがったか……」
「蓮司さん……? この人たちは……?」
「この人、ですか……。はぁ、相馬教官。相変わらず雛鳥への教育がなっていないようですね」
眼鏡の男は溜息をつきながら人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げ、旭たちを品定めするように冷淡な視線を向けた。
「でも確か……雛鳥は雛鳥でも、飛べない未来が確定している雛鳥でしたね。――問題児クラスの担当教官さん?」
「え? 問題児……クラス……?」
男の底冷えする声に、隣にいた零がハッと息をのむと同時に旭と目が合った。お互いに気まずそうに視線を泳がせる。とてもではないが、良い意味で使われた言葉ではないことくらい旭にも分かった。
「フンッ! そんな小言をわざわざ現場まで言いに来たのか? 『総司令長』さんよぉ」
「総司令長……?」
「はい。良い機会ですからよく覚えておいてください。私はイグゼクター協会会長補佐兼司令部代表、神条です」
男――神条は眼鏡の奥の細い目をさらに細め、冷徹な眼差しで旭を射抜く。
「それで? 現場のトップ自らがノコノコ出張ってきて、何の用だ?」
「おや? 言われないとご自身の不手際に気づかないのですか? 今回の討伐戦、相馬教官が対処していると聞いておりましたが……」
神条は胸ポケットから取り出した白い手袋を優雅にはめながら、スクラップヤードの惨状と、地面に転がる怪鶏の残骸へ冷ややかな視線を向けた。
「界裂生物の残骸の一部は採取できるよう残しておくようにと、プロイグゼクターには常々申し上げていますが……これでは何がいたのかすら分かりません。相変わらず粗野な方で、覚えがお悪いんですね」
(覚えが悪いって……蓮司さんに言い過ぎだろ……)
旭は拳を強く握り締め、心の中で苛立ちを募らせる。だが神条はどこ吹く風で、溜息を混じえながら言葉を続けた。
「これでは回収班としての仕事になりませんね。それにいくら緊急だったとは言え、なぜ真っ先に本部のプロイグゼクターへ要請を出さなかったのです?」
「状況が状況だったんだよ。今回のは引きつけてから叩かねぇと被害が広がる。後手に回るのは良くないと判断したまでだ」
「へぇ……。あなたにそんな大層な判断権限があるとでも? このような惨状を生み出すくらいなら、大人しく我々、協会の正規イグゼクターに連絡をすれば良かったものを」
「協会の……って、まるでこの人がイグゼクターじゃないような言い方ゲスね」
ルパンツが地面に座り込んだまま、不思議そうに首をひねる。神条は眼鏡のふちを静かに押し上げ、薄く嘲笑うような笑みを浮かべた。
「えぇ。なぜならこの方は――イグゼクター協会を『クビ』にされたのですから」
「……ッ!?」
神条の口から放たれた衝撃の一言に、旭とルパンツは絶句した。
「相馬教官……いえ、元・イグゼクター相馬蓮司。すでに協会を追放された落ちこぼれです。今や育成機関のしがない雇われ教官に過ぎない。……そんな男に、現場の指揮権など最初から無いのですよ」
神条の徹底した侮蔑と冷酷な口調に対し、蓮司は反論することすら面倒そうに、苦い顔で新しい煙草に火を点けるだけだった。
「とりあえず、あなたが勝手に対処されると、こちらとしては損害と手間が増えるだけでしかないのですよ。あなたはずっと特異適性クラスというせっかくの左遷先を手に入れたのですから、大人しくしておいてください」
「…………」
紫煙を吐き出す蓮司は、何も言わない。その沈黙すら楽しむかのように、神条は旭へと視線を向けた。
「……そちらにいる少年は、特異適性クラスの新入りでしょうか」
「そう……です。つい最近、教習所に入学しました」
旭が頷くと、神条はわざとらしく痛ましそうな顔で首を横に振った。
「そうですか……。いやぁ、残念ですね。せっかく厳しい試験を突破して合格したというのに……よりによって特異適性クラスだとは。相馬教官については、悪い噂しか聞きませんよ。えぇ、聞きません! 例えば――クビにされた腹いせに、協会内でクーデターを起こそうと画策している、とか」
「フンッ! 根も葉もない噂だな」
蓮司が鼻で嗤う。だが神条は眼鏡の奥の細い目を怪しく光らせ、旭の顔を覗き込むように言葉を重ねた。
「まぁ、これはただの噂に過ぎませんけれどね。ですが、彼が特異適性クラスという日陰を利用して、裏で何やら良からぬ企みをしているのは確実でしょう? 巻き込まれて怪我をする前に、考え直した方が身のためですよ。利用される前にね」
(なんだ……この人……っ!)
命がけで街を守った蓮司の戦いも、怪鶏をここまで誘導してきた自分たちの努力も、神条はまるで無価値なもののように切り捨てる。旭の胸の中で、静かに燃え上がっていた苛立ちが怒りへと変わり始めていた。
神条は眼鏡のふちを指で押し上げ、新人の心を揺さぶるように冷淡な笑みを浮かべる。
(でも……我慢だ……理人の時のように周りが見えなくなるのだけは避けないと……)
ジムの時の旭なら、きっとこの理不尽で不快な言動に怒りを爆発させ、相手に飛びかかっていたかもしれない。
だが――旭は深く息を吐き出すと、握りしめた拳の力を静かに抜き、神条の目を真っ直ぐに見返した。
「俺は……蓮司さんのおかげで、この世界に自分の居場所が出来たんだ」
「何……?」
「だから、仮に蓮司さんに利用されていようが関係ないです。俺は自分の意思でここにいる」
「……はい?」
想像していた動揺や怒りとは程遠い、淡々と、だが決して揺らぐことのない強い眼差し。
完璧に計算が狂った神条は、拍子抜けしたように間抜けな声を漏らした。
「ハッ……」
その横で、煙草の煙を吐き出していた蓮司が、どこか満足気にニィと口角を上げる。
「そういうことだ、総司令長さんよ。うちの生徒は入学して三日目でこの豪胆さだ。あんたが思ってるほど雛鳥じゃねぇんだよ」
「フッフッフ……なんとも、すでにしっかり手懐けられた犬でしたか。それも狂犬」
「どうとでも言ってください」
旭の冷ややかな返答に、神条はフッと不快そうに鼻を鳴らした。
「いいですとも。……ほら、君たち回収の仕事だ。励みなさい」
「「はい!」」
神条の指示を受け、背後に控えていた回収班の男たちが一斉に怪鶏の残骸の方へと向かう。一人は胸の無線機を手に取り、追加の搬送応援を要請していた。
そして、命令を下した主である神条は、再び旭たちの方へと向き直ると、ニヤリと蔑むような笑みを浮かべる。
「今回は特別に大目に見てあげますが……次はないと思ってくださいねぇ」
そう捨て台詞を残すと、神条はやってきた道を悠々と引き返し始めた。
そして、その通りすがり――立ち尽くす零の横をすれ違う一瞬、彼女の耳元で冷酷な低音を囁いた。
「あなたまで……あんな地に墜ちた者たちと同調しないように。――期待しているんですからね」
「っ……!」
神条が去っていく背中を見送りながら、零の顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「……分かり、ました」
絞り出すような小さな声。その瞳には、協会の影と強い恐怖が影を落としていた。
神条の姿が完全に遠ざかると、零はぎこちない足取りで旭の方へと歩み寄ってきた。
「き、今日はありがとね。その、変態さんは私が本部に連れて行けっていう指示が出たから……じゃあ、またね……!」
「あ……あぁ。なんか……ごめん……」
さっきまでの笑顔が嘘のように一転した零の態度に、旭もどこか歯切れが悪くなってしまう。
零は一度も旭と目を合わせようとせず、地面に座り込んだままのルパンツに手錠をかけ、強めに引っ張った。
「ほら、立ちなさい変態! 護送車へ行くわよ!」
「ひぇぇっ!? 扱いが急に雑になってないゲスかーっ!?」
情けない悲鳴を上げるルパンツを引きずるようにして、零は逃げるようにその場を去っていく。
その背中はどこか小さく、協会の重圧に押し潰されそうになっているように見えた。
「……行っちまったな」
蓮司が短くなった煙草を足元で踏み消し、深く溜息をつく。
旭は零たちの去った方向をじっと見つめたまま、喉の奥に引っかかった思いを静かに吐き出した。
「蓮司さん……零さんって、なんであんなに神条って人に従ってるんですか?」
「……あいつにも、色々あんだよ。協会の正義ってやつに縛られてる、哀れな雛鳥の一羽さ」
ふたりきりになった空間に、風の音だけが静かに吹き抜ける。
旭は遠ざかる零の背中から視線を戻すと、隣に立つ蓮司に向き直った。
「俺は……蓮司さんに感謝しています」
「んだよ急に」
蓮司は面倒くさそうに片眉を上げるが、旭はそのまま言葉を続けた。
「そりゃ最初はなんだこの人って思いましたよ。でも、俺にこれからの道を示してくれたのは事実です。それに……俺を信じてくれたのも」
「……? なんのことだ?」
「とにかく! あの神条ってヤツがなんて言おうと、俺は蓮司さんに協力します!」
「……そうか」
蓮司は照れ隠しのように旭からそっぽを向くと、ただ一言だけポツリと呟いた。
「なんか悪いなぁ、今日は。今回は俺がみっともないとこをいっぱい見せちまった」
「いいんですよ。男はみっともなくても、泥臭い方がいいってもんですよ」
「ハッ……なんだそれ」
「俺のお父さんの言葉ですよ」
「なんだ、記憶が戻ったのか?」
「あ! いやいや……その、ほんのちょっとだけですけどね?」
「ふーん……。また何か思い出したことがあったら言えよ。――ふんじゃ、教習所に戻るとするか!」
「そうですね。理人達が首を長くして待ってるかも!」
「玲奈はちゃんと来てるかねぇ〜?」
軽口を叩き合いながら、二人は激闘の痕跡が残る戦場を後にした。
一応、回収班に挨拶をしておいたが誰も振り向かなかった。
まるで最初からそこに二人などいなかったかのように。
だが旭は、それを気にすることはなかった。
もうすぐで午後の日差しが降り始めた街の道を、教習所へ向かって歩いていく。




