信頼の架け橋
「相馬教官……無事なの?」
「あぁ、なんとか生きてる……ここから近いスクラップヤードに向かってるって」
「なるほどね。あそこなら……教官の能力を最大限に活かせるわ」
「ああ。で……問題は、俺たちがこいつをそこまで誘導しなきゃいけないってことだ」
三人の目線の先では、巨体を揺らす怪鶏が、何事もなかったかのように首を小刻みに動かしていた。
先ほどプロのイグゼクターを吹き飛ばしたとは到底思えない、無機質でとぼけた顔をしている。
――コ、コッコヶ……
「と、とにかく! まずはこの手錠を外してゲス!」
ルパンツが焦った様子で手錠の嵌った両手を差し出してくる。旭は一瞬躊躇したが、ルパンツの顔を覗き込んだ。
「……鍵を外したら、真っ先に一人で逃げたりしないな?」
「当たり前ゲス! おいらだって命は惜しいけど、このまま見捨てて逃げるほど落ちぶれてないゲスよ!」
怪しいマスクの下から覗く瞳が、驚くほどまっすぐに自分を見つめているのを確認した旭は、意を決して鍵穴に鍵を差し込んだ。
カチャリ――。
金属音が響き、手錠が外れて地面へ落ちる。両腕の自由を取り戻したルパンツは、手首をさすりながら怪鶏へと向き直った。
「それで、零さん……スクラップヤードってどこにあるんですか?」
「私もこのあたりの地理には詳しくないの……あ! でも、スマホでマップを開けば――」
零がポケットから端末を取り出す。
「流石、零さん!」
(いや、ごくごく普通の発想ゲス……)
ルパンツが心の中でツッコミを入れたその直後、零が困惑した声を漏らした。
「あれ……? 画面が真っ暗で動かないわ……」
「え?」
「もしかしたら、さっきの相馬教官の磁力の影響じゃないゲスか?」
ルパンツの指摘に、旭はハッとした。
確かに、大通り沿いのガードレールまで強引に引き寄せるほどの強力な磁場が周囲一帯に発生していたのだ。精密機械である電子機器が狂い、壊れてしまっていてもおかしくはない。
「くそっ……なら、どうすれば……」
地図が使えないとなると、自力でスクラップヤードを探すしかない。旭が頭を抱えて唸っていると、ふと良い案が頭をよぎった。
「あ! ルパンツ、お前ここら辺の土地に詳しいんじゃないか!?」
「そりゃ、この界隈をナワバリにしてたから詳しいゲスけど……」
「なら、案内を手伝ってくれ! これも更生のチャンスだ!」
「ちょっと、旭くん! 異能犯に協力を仰ぐなんて……!」
犯罪者を捕まえる側の人間として難色を示す零に、旭は真剣な眼差しを向けた。
「でも零さん、このままだと俺たちどころか、この住宅街一帯に甚大な被害が出ます……!」
「それは……そうだけど……」
「それに、蓮司さんがわざわざインカムだけじゃなくてこの手錠の鍵を渡したのって……単にルパンツを解放させるためではないと思うんです」
――カラカラカラ……
沈黙を破るように、怪鶏の腹部からプロペラの空転音が不気味に響く。残された時間は決して多くない。
「俺に……考えがあるんです」
「え?」
「俺は、蓮司さんの意図に答えたいんです!」
(この世界に放り出されて、俺に目的を与えてくれた人……俺はその人を信じる!)
強い決意を宿した旭の視線を感じ、ルパンツが嫌な汗を流しながら後退った。
「お、おいら……一体何をさせられるんゲス……!?」
「そこは……覚悟しておけっ!」
「扱いが酷いゲス――っ!?」
旭の迷いのない瞳と覚悟を確かめた零は、ふっと表情を緩めると、真剣ながらも柔らかく微笑みかけた。
「分かったわ。私は旭くんの意見に乗るわ」
「零さん……!」
「私も、あの不気味な鶏にもう一度『ぎゃふん』と言わせてやりたいしね!」
零が胸を張り、えっへん! と言わんばかりの気概を見せる。
「ありがとうございます! やっぱり零さんは笑顔が一番似合いますね!」
「もうっ! 旭くんったら、急に変におだてないで!」
「そんな……おだててなんかないですよ、本心です! 『男は度胸、女は愛嬌』って言うじゃないですか!」
「……おいらは?」
「変態はあとで説教だらけだな」
「なんか扱いがおかしくないゲスか――――っ!?」
――ガガガガガガガガッ!!
和やかな空気は、一瞬で吹き飛んだ。
怪鶏の腹部で二枚目のプロペラが音速を超えて狂い回り、周囲の空気と砂塵を急速に飲み込んでいく。超高圧の風圧弾――その装填が完了した合図だ。
「まずい……っ! もう撃ってくる!!」
「キャッ……!? 凄まじい風圧……!!」
放たれる直前の圧力だけで、住宅街の木々が激しく揺れ、コンクリートに亀裂が入っていく。とても正攻法で避けきれる代物ではない。
「ルパンツ! 俺をおぶれ!」
「ゲスッ!?? なんでおいらが野郎をおぶらなきゃいけないゲスか!?」
「いいから早くしろ! 殺されたいのか!?」
「ひ、ひぇぇぇっ! わかったゲスよ!!」
「いいか? 俺が今って言ったら思いっきり飛ぶんだ!」
「分かったゲスよ!」
旭は躊躇なくルパンツの背中に飛び乗り、その首にがっしりと腕を回した。
ルパンツは文句を言いながらも、その細い両脚にグググ……と異常なまでの筋力を集中させる。膨れ上がる大腿部の筋肉。彼の能力は――『圧倒的な脚力による超跳躍』。
「舌噛むなよ、変態!」
「誰が変態ゲスかぁぁぁ――ッ!!」
「今だ!!」
ドバァァァンッ!!
怪鶏が腹部から超高圧の風圧弾を放つほんの少し前、ルパンツの足元から爆発的な衝撃波が弾けた。
コンクリートの地面を押し上げながら、ルパンツと旭の二人はぴょ〜んと真上――空へと跳び上がった!
「コ、コガァァッ!?」
真横にいたはずの人間が突如として上空へ消えたことで、怪鶏の焦点が跳ね上がる。
直後、放たれた猛烈な風圧弾の砲身角度が、跳躍した二人を追って自然と上向きへとズレた。
ドドドドォォォンッ!!
直撃すれば街を破壊していたはずの風圧が、空を切り裂いて斜め上空へと打ち上がっていく。
「やった……! 射角が上にズレたわ!」
地上で見守る零が歓声をあげる。しかし――空中へ逃げた二人にも猶予はない。
いくら高く跳ぼうとも、飛んだ先は空中。思ったように身体は動かせず、追撃の風圧弾が迫り来る。
「このままだと、そのまま狙い撃ちされるゲスぅぅぅ! 空中じゃ避けられないゲスよ――っ!!」
空中でおびえるルパンツの背中で、旭は冷静に怪鶏を見下ろしていた。
「――それでいい。ここからは俺の番だ」
旭が深呼吸をし、全身のエネルギーを意識の輪郭へと集中させる。
揺らめく灼熱の空気――蜃気楼のように、空間がゆらゆらと歪み始めた。
「揺らげ……陽炎ッ!」
――ドドォォォンッ!!
放たれた風の砲弾が、完璧な命中精度で空中の二人を直撃し、粉々に粉砕……したかのように見えた。
「コ、コッコッ!?」
直撃したはずの二人の姿が、光の粒となって揺らめき、幻のように消え去ったのだ。
着水した水面のように歪む空間。怪鶏が撃ち抜いたのは、旭が作り出した光の錯覚に過ぎなかった。
旭の真意――それは、あえて風圧弾が放たれるコンマ数秒前に跳び出すこと。
一瞬だけ生まれた死角と僅かな時間を利用して空中へ陽炎のデコイを残し、本体はルパンツの着地とともに怪鶏の視界から即座に離脱する。怪鶏に空中にできたデコイを攻撃させるための、最初から計算し尽くされた仕掛けだったのだ。
「――へっ、どこ狙ってんだよチキン野郎!」
怪鶏の視線とはまったく違う場所――降りてきた家の影から、無傷のルパンツに背負われた旭がニッと不敵に笑いながら顔を覗かせる。
「な、なにが起きたゲスか……!? おいら達、死んだんじゃないゲスか!?」
「俺の能力だよ! さあ零さん、ルパンツ! このままスクラップヤードまでアイツを引っぱるぞ!!」
「分かったわ!」
「スクラップヤードはこっちゲス!」
ルパンツが怪鶏とは反対の方向をビシッと指さす。
「よし、さっきと同じ要領で行くぞ!」
旭はルパンツにおぶられたまま、背後を追ってくる怪鶏を睨みつけた。
光を反射しない底なしの黒目。焦点が合っているのかすら分からないが、きちんとヘイトを買うことはできたのだろうか――そんな旭の懸念は、すぐに払拭された。
バサバサバサッ……!!
広げれば三メートルは優に超える巨大な翼を猛烈に羽ばたかせ、怪鶏が怒涛の勢いでこちらへ突き進んでくる。
「思ったより、走るのが速いな……! 行くぞ、ルパンツ!」
「ゲスッ!」
ルパンツが地蹴り、加速する。
旭の体重は五十五キロほどあるが、男一人を背負っているとは到底思えない、驚異的な軽やかさだ。住宅街に残された崩れていない塀の細いトップへ軽々と飛び乗り、スタタッと軽快に駆け抜けていく。
「ルパンツ、想像以上の脚力だな!」
「おいらの仕事は、これくらい出来なきゃすぐ警察に捕まっちゃうゲスよ!」
背中の重みを感じさせず、息1つ乱さずに塀の上を疾走するルパンツを見て、旭はしみじみと思った。
(零さんの縛影が無かったら、普通に捕まえることすら出来なかったんじゃ……やっぱり相当厄介な異能犯だったんだな)
「この先のルートは!?」
「ここを右ゲス! 一旦、住宅街を抜けるゲスよ!」
――ガラガラガラガガガガッ!!
背後から追撃のプロペラ音が激しさを増す。腹部の砲身が、逃げる二人の背中に狙いを定めていた。
「曲がる前に……一発来るぞっ!!」
「分かったゲス!」
「今だ!」
放たれる直前のタイミングで、ルパンツが力強く地面を蹴って跳躍する。
旭は空中で陽炎を発動させ、デコイを空間に残して離脱を図った。しかし――連続での発動による疲労か、跳び出すタイミングが一瞬だけ遅れる。
――ドドォォォンッ!!
残したデコイを粉砕した風圧弾の凄まじい余波が、旭の頭部を僅かにかすめて通り抜けた。
「うわっ……!?」
「大丈夫ゲスか!?」
着地したルパンツが、背中の旭へ焦った声を飛ばす。
「大丈夫だ……! 少しかすめただけで済んだ!」
冷や汗が頬を伝う。
(くそっ、タイミングがめちゃくちゃ難しい……! でも、なんとしてもここで食らいつかないと、街に被害が出ちまう!)
右に曲がり、住宅街の細い路地を突き抜けると――一気に視界が開けた。
目の前に広がっていたのは、広大な河川敷と、その上を東西に貫く巨大なコンクリートの高架橋だった。
「よし……! 住宅街は抜けたぞ!」
「旭くん! あれ!」
後ろから追いついてきた零が、視界の開けた河川敷の向こう岸を指さす。
広い川の対岸には、黒い煙をモクモクと吐き出している工業地帯の工場群がそびえ立っていた。
「あそこにスクラップヤードがあるはずゲス!」
ルパンツが背中で叫んだ、まさにその時――。
――ザザッ……ザザ……ッ。
『おい、天城! どうだ? 上手くいってるか?』
旭の耳元で、インカムからノイズ混じりの蓮司の声が響いた。
「蓮司さん! スクラップヤードって、川を越えなきゃいけない場所だったんですか!? 最初に言ってくださいよ!」
『あぁ? そうだっけか。申し訳ねぇ、色々と準備していたもんでな……ちょっと待ってろ』
「え?」
直後、対岸に広がる工場の端から、眩い銀色の光線が天井へ向かって突き刺さるのが見えた。
先ほど住宅街で展開したそれとは、桁違いの広がりと輝きだ。
『どうだ? 見えるか』
「はい! バッチリ見えてます! ……待っててください!」
『あぁ。不甲斐ねぇが、お前らだけが頼りだ……頼む』
プロである教官からの頼むという言葉。旭の背中に熱い火が灯る。
――ガラガラガラガガガガガッ!!
背後から、草むらを押し潰して迫る怪鶏の凶悪なプロペラ音が激しさを増す。
河川敷は広くて動きやすい反面、隠れる場所がない。腹部のプロペラはすでに発射寸前まで回転数を上げており、逃げ回る二人へ狙いを定め始めていた。
高架橋の道路を見上げれば、多くの車が絶え間なく行き交っている。橋の上を走れば、間違いなく一般車を巻き込んで大惨事になる。
(道路は使えない……なら!)
「あそこに見える高架橋の脚を使う! ルパンツ、あの柱を支点にして壁走りと三角跳びでかく乱しながら向こう岸へ渡るぞ!」
「流石に無茶言いすぎゲスよぉぉぉっ!?」
直後、追撃してきた怪鶏が巨大な翼を広げ、地蹴りをかましてふわりと舞い上がった。
空中で体を捻り、上空からの死角で旭とルパンツを完璧に捕捉する。逃げ場のない空中からのゼロ距離射撃――!
「まずい……っ!」
狙い打たれる瞬間、旭が万事休すと強く目を瞑った、その時。
「おりゃあぁぁぁ――ッ!!」
腹の底から絞り出すような、零の叫び声が響き渡った。
「影縛――っ!!」
飛び上がった怪鶏の体によって、地面に落ちた「影」。
その影めがけて限界まで引き伸ばされた零の影が急接近し、怪鶏の両脚の影を強固に捉え、絡め取る!
「落ちなさいっ――!!」
零が全身の力を込めて影を引き絞ると、空中で無敵に見えた怪鶏の体勢が豪快に崩れた。そしてまたもや怪鶏の思い通りにならず、空に向かって放出した。
——ドドォォォンッ!!
放出した後バサバサと不格好に羽ばたきながら、怪鶏はそのまま河川敷の地面へと激しく墜落し、ドガシャァンと勢いよく転がっていった。
「よぉしっ!!」
「ありがとうございます!! 零さん!」
「ふふ、ようやくぎゃふんと言わせてやったわ!」
零が自信満々に答えて河川敷に激しく墜落した怪鶏を見下ろす。
だが、安堵したのも束の間、ルパンツが高架橋の巨大な脚を見上げて青かざめた。
「でも、男一人おぶった状態でこの高架橋の柱を三角跳びで登り切るのは、流石に厳しいゲス……!」
「くっ……! ここまで来て、どうすれば……!」
「それも私に任せなさい!」
「え……零さん!?」
――コッ……ガ、グッエェェ……ッ!!
背後で巨体を揺らし、起き上がった怪鶏が怒りに目を血走らせてこちらを睨みつけている。プロペラの回転が再び上がり始めていた。——が今度は何か様子がおかしい。
「影橋――っ!!」
零が両手を地面につき、己の足元から伸びる漆黒の影に深く触れる。
すると、地面の影が生き物のように蠢き、みるみるうちに平たく広がりながら――猛烈な勢いで川の表面を覆う漆黒の滑走路となって対岸へ伸びていく。
影は川の半ばまで一直線に到達し、波の上にピンと張り詰める。
「この上を走り抜けて! 今の私の限界まで伸ばしたわ!」
「すっげぇぇ……! って、うわ!? ちょっ!?」
「行くゲスよぉぉぉ――ッ!!」
ルパンツが躊躇なく、零の広げた影の橋の上へと飛び乗り、水上を疾走し始めた。
「影の端っこまで行ったら、おいらの脚力で対岸まで一気に飛ぶゲス!」
「私も追って向かうから! 先に!」
「了解ぃっ!!」
敬語を取り繕う余裕すらなく、旭はルパンツの背中で叫ぶ。影の橋を蹴る足音が、水面を叩くように響く。
――ガァァァァァッ!!
完全に起き上がった怪鶏は、自分を転ばせた零には目もくれず、川を渡って遠ざかっていく旭たちを怒り狂った様子で追尾し始めた。完全にヘイトは旭たちに向いている。
怪鶏は猛烈な羽ばたきと共に勢いよく走り出し、対岸のスクラップヤードを目指す二人へと突進を開始した。
「ラストスパートだぜ!チキン野郎!」




