一難去ってまた一難
――ピキッ!
ひび割れる不快で不穏な音を、その場にいた四人が同時に耳にした。
蓮司がルパンツを連行していこうとしていた方向――その正面の空間に、蜘蛛の巣状のヒビが入っていく。
「ゲス……?」
教習所に向かおうと反対側へ歩き出していた旭と零も、弾かれたように振り返った。
「おいおい……もしかして」
旭にとって、この光景を見るのはこれで三度目だ。しかし、いつ見ても何もない空間にヒビが入るという異様な現象は慣れない。
しかも今回は、前回の教習所での出来事とは違い、まだ界裂生物が姿を現していなかった。
「裂け目……!」
零が冷静に、だが緊張を含んだ固い声でそう呟く。
すぐさま蓮司の元へと駆け寄り、状況の確認とこれからの対応について話そうとする零。
旭もまた、先ほどの泥棒騒ぎで一瞬遅れをとってしまった焦りがあったのか、零の後を追って蓮司の隣へと並んだ。
「初めまして、私は千影零です。能力は――」
「おう。名前も能力も知ってるぜ、有名人さんよ。自分の影を自在に操れるんだろ?」
「はい! 敵の拘束や足止めなら任せてください!」
「助かる」
「蓮司さん……俺は何をすれば!?」
旭が指示を仰ぐと、蓮司は空間のひび割れから目を逸らさないまま、低く鋭い声で命じた。
「天城はその変態を見とけ。それと……三人とも、絶対に俺より前に出るな。分かったな?」
「「「はい!/了解/はいゲス」」」
三人それぞれの返事が重なる。百も承知の命令。旭は、蓮司から漂うプロのイグゼクターとしての圧倒的な真剣さを、肌でひしひしと感じ取っていた。
――パキッ……!
ヒビの中心部分にぽっかりと穴が穿たれた。
その暗闇の奥から、ひょこっと巨大な鳥のくちばしのようなものが覗く。
普段見かける鳥の可愛らしいそれとは似ても似つかない、一刺しされただけで命を落としかねない凶悪な尖り方をした巨大なクチバシだ。
「どうだ、千影?」
「まだ……本体の影が地上に落ちていません。狙いが定まらないです」
「そうか」
蓮司と零の間で、最小限のやり取りが交わされる。プロと実力者の息の合った光景に、旭は唾を呑み込んだ。
すると、真横で縛られているルパンツが不審そうに口を開いた。
「なんか……変な音が聞こえないゲスか?」
「ん? あ……本当だ。なんか変な音がするな……」
――カラカラカラカラ……
「こんな音、聞いたことないゲスよ……」
「何かが……回ってる?」
「だんだんと音が大きくなってきていますね」
「あぁ……回転のスピードも早くなってるな」
――カラカラカラカラカラカラ……!
「やっぱり……あの裂け目の奥から聞こえてくる音ゲスね……!」
「不気味だな……。でも大丈夫だ! 蓮司さんと零さんがなんとかしてくれるさ!」
「随分と人任せゲスね」
「まあな……俺はまだまだひよっこだからな」
――ガラガラガアァァァァァッ!!
「……来るぞっ!!」
「姿が見えた瞬間に仕掛けます!」
「音が……消え――」
――ブワアァァァンッ!!
――ピッシャアァァンッ!!
一瞬、世界の音が消えたような静寂の直後――耳を劈く凄まじい爆音が轟いた。
空間が完全に破砕されると同時に、超高圧に圧縮された強烈な『風の塊』が、砲弾となって蓮司たちを真っ直ぐに襲い穿つ!
「うわああぁぁぁっ!?」
「ゲスうぅぅぅっ!?」
直撃コースを外れていた旭とルパンツが、猛烈な爆風で吹き飛ばされた。
背後の住宅街のコンクリート塀が、まるで紙粘土のようにボロボロと崩れ落ち、瓦礫の雨を降らせる。
「きゃっ……!?」
零すらもその場に留まることができず、吹き飛ばされそうになりながら必死にコンクリートの地面へ手をついた。
「くっ……!!」
蓮司が瞬時に零の前に割り込み、身を挺して風圧を殺しにかかる。
教官服が風の暴威によって激しくはためき、裂けそうに引っ張られる。しかし――蓮司の足は、膝1つ折れることなく地面に深く根を張っていた。ずるずると削れる靴底とともに、体がゆっくりと後方へ下がっていく。
――ゴバァッ……コッコッ……
「……っ!」
破砕された空間の穴から、ずるりと引きずり出されるように現れたのは――体長二〜三メートルにも及ぶ、巨大な鶏だった。
――いや、パッと見は、の話だが。
光を一切反射しない、底なしの黒目だけの両眸。
頭頂には、新鮮な血液を塗りたくったかのように禍々しい、立派な赤のとさかがそびえ立っている。
首元から胸元を覆う白毛は一見すると鶏のそれだが――不吉な異形は、その胸から下だった。
胸下から腹部にかけて羽毛は途絶え、剥き出しの肉が円筒状に落ち窪んでいる。
まるで大口を開けた砲身のように、腹の真ん中にグロテスクな筒状の器官が鎮座していた。
そして、その砲身の中には、無数の金属製プロペラが何層にも重なって取り付けられていた。
よく見ると、手前のプロペラがゆっくりと空転し、カラカラ……と不穏な音を打ち鳴らしている。
「痛てて……って、なんだあれ……」
吹き飛ばされた旭は、その禍々しい怪鶏の姿を目にしてゾクッと背筋を凍らせた。
「た、助けてゲス……」
「悪い! 今助ける!」
崩れた塀の瓦礫に埋もれていたルパンツのか細い悲鳴を聞きつけ、旭は急いで瓦礫をどかし始める。粉々に砕け散ったコンクリートからは、歪んだ鉄骨がむき出しになっていた。
「おいら……拘束されたままで、このまま潰されて死んじゃうと思ったゲスよ……」
「それは……確かに災難だったな。手錠の鍵、蓮司さんしか持ってないし……」
「ゲス……それにしてもあの人、生身であの猛烈な風を受けきったゲスよ……」
「ああ、マジですげぇ……」
旭は思いもしなかった。蓮司がこれほどまでにタフで、頼りになる男だったとは。
一方、その頃――
「縛影――ッ!」
零がすぐさま自身の影を限界まで伸ばし、怪鶏の巨体を拘束にかかる。だが、二~三メートルを超える巨躯を完全に縫い留めるには至らない。
「ごめんなさい! そこまで動きを止められません……っ!」
「大丈夫だ。任せろ――ローレンツ・フィールド」
蓮司が低く呟いた言葉に呼応するように、彼を中心とした一帯の地面から、鋭い銀色の光線が幾本も天井へ向かって突き刺さった。
ズズズ……ッ!!
旭たちが退かしていた、鉄骨のむき出しになった瓦礫がゴゴゴと音を立て、蓮司の方へとひとりでに転がり始める。
「うおぁっ!?」
「悪ぃ。気ぃつけとけ」
「は、はい!」
「チッ……最近は、こんだけしか引き寄せることができねぇか」
そう悪態をつきながら、蓮司は両手をかざして集めた瓦礫を一箇所に固めていく。
中心にある鉄骨の磁力に引かれ、周りのコンクリート片までもがギチギチと強引に一塊になっていく。それは徐々に細長く引き伸ばされ、一本の「槍」の形状へと変化していった。
見た目はコンクリートの寄せ集めで決して美しいとは言えないお粗末な仕上がりだが、その重量は優に数百キロを超えているだろう。あんなものが直撃したら、ひとたまりもない。
そして――蓮司の体が、すっと地上から数センチほど浮き上がった。
(う、浮いてる……!? 一体どうなってんだ……?)
旭はおそらく磁力系の能力だろうと推測していたが、なぜ人が宙に浮いているのかまでは理解が追いつかない。
「……レパルジョン」
蓮司がそう呟いた、瞬間。
磁力の極性が一瞬で反転し、強烈な反発力によって蓮司の前で静止していた瓦礫の巨大槍が、音を置き去りにするほどの超高速で射出された!
ドガァァァンッ!!
怪鶏との距離は決して離れてはいなかった。ほぼ初速を維持したまま、巨大な瓦礫の槍が寸分の狂いもなく直撃する。
「ご自慢のプロペラごと、貫いてやるよ」
圧倒的な威力と、完全に決まったかに見えた必殺の一撃。それを見た旭は蓮司の勝利を確信していた。
――しかし。
ブオォォンッ!!
これまで「カラカラ」と空転していたプロペラが、突如として猛烈な音を立てて逆回転を始めた。
1枚目のプロペラを盾として削り潰しながら、内部に仕込まれた残りのプロペラを総動員させて猛烈な逆風を発生させたのだ。
衝突の衝撃と殺気立った逆風の相殺により、巨大槍は表面から激しく崩壊。能力による磁力の固定が解けたことで、ただの無力なコンクリート片へと戻り散っていった。
(くそっ! あれだけの質量と速度で、まだ押し切り足りねぇか……!)
「ま、また何か来るゲスか!?」
「相馬教官! 手前のプロペラは変形して砕けています! 軸が狂っていれば、腹の中で暴発する可能性も……!」
「ああ、そうなれば儲けものだが……そう簡単にいくわけねぇよな」
コ、コヶ……ッ!!
怪鶏が苦しそうにくぐもった声を漏らす。
直撃の衝撃を受け、さらに零の『縛影』による拘束も継続しているため、完全に無傷というわけではない。
しかし――怪鶏は腹部に一瞬だけ強烈な力を込めると、
カショオンッ……!!
「嘘……ッ」
砕け散った一番手前のプロペラを、まるで使い捨てのパーツのようにボロりと排出してみせた。
そして、2番目のプロペラがギチギチと音を立てて前方へスライドし、新たな「砲門」として固定される。
――ガラガラガラガガガガガッ!!
1枚目よりもさらに凶悪な速度で、二枚目のプロペラが回転を再開する。周囲の空気と瓦礫が凄まじい勢いで腹部へと吸い込まれていった。
(蓮司さんの、あの凄そうな技でもダメなのかよ……っ!)
信じがたい光景に旭が戦慄する中、蓮司は背を向けたまま低く鋭い声を張った。
「お前ら、後ろへ避難しろ!」
「相馬教官は!?」
プロペラが巻き起こす激しい「ガラガラ」という破砕音に負けじと、零が大声で叫び返す。
「……やるだけやってみる」
「え……?」
「千影! 影を解いて天城のところへ下がれ!」
「っ……はい!」
「あ、それと――」
蓮司は胸ポケットから何かを取り出すと、振り返りもせずに零へ向かって放り投げた。
「これを天城に渡しておけ!」
「分かりましたっ!」
零は飛んできた小さな物体をしっかりと受け取ると、悔しさを噛み締めながら『縛影』の術式を解除。脱兎の勢いで旭たちの元へと後退した。
「零さん! 蓮司さんは!?」
「なんとかするって……あと、相馬教官からこれを旭くんにって」
零から手渡されたものを見て、旭は目を見開いた。
「これ……インカム……?」
「そんなこと言ってる場合じゃないゲスよ! 本当にいけるんゲスか!? さっきより明らかに強そうゲス!!」
三人は、ただただ蓮司の広くて大きな背中を見つめることしかできなかった。
手錠の鍵、そして通信用のインカム――それが何を意味しているのかを察してしまった旭の胸に、嫌な予感が激しく渦巻く。
――ガラガラガラガガガガガガッ!!
「……あんまやりたくはなかったんだがな!! ……拡大っ!」
蓮司が固く目を閉じると、彼を中心に広がっていた銀色の光が一気に膨れ上がった。
発動範囲が急速に拡張され、住宅街を抜け出した大通り沿いのガードレールたちが、メキメキと悲鳴のような音を立てて根元から引きちぎられていく。
ズズズ……ッ!!
浮かび上がった何本もの長いガードレールが、旭たちの頭上を高速で通り過ぎ、蓮司の前へと整然と立ち並んだ。
「あ、あれを盾にする気ゲスか!?」
「無茶だっ!!」
コンクリートすら粉砕するあの風圧に盾など意味を成さない。そう叫び、旭は制止を振り切って蓮司の元へ駆け出そうとする。
「待って!」
零が旭の腕を強く掴んで引き止めた。
「相馬教官も一人のイグゼクターよ! そんな安直な防御をするわけがないわ! それに……今の私たちは足手まといにしかならない!」
「……っく……!」
さっきまでの心の余裕が一瞬で吹き飛び、途端に押し寄せてくる絶望感と、己の圧倒的な無力さ。何も言い返せない旭は、悔しさに唇を激しく噛み締めることしかできなかった。
――ドドォォォォンッ!!!!
回転数が限界を突破した怪鶏の腹部から、一発目とは比べものにならない密度の超高圧な風が解き放たれた。
大気を引き裂き、コンクリートの地面を深々と抉り取りながら突き進む、まさに「暴風の砲弾」。
「……甘ぇよ」
直撃の瞬間、蓮司は足元のガードレールを磁力で跳ね上げ、自身の体を上空へと一気に退避させた。
同時に、空中に並べた大量のガードレールを瞬時に折り曲げ、丸め込み――巨大な一本の「曲がった鉄管」へと再構築した。
ズゴォォォォンッ!!
直撃コースをそのまま突き進むはずだった風の砲弾は、蓮司が作ったガードレールの筒の中へと吸い込まれていった。
「――その威力と質量なら、簡単に曲がって誘導できるぜ……!」
蓮司が腕を捻り上げると同時に、ガードレールのパイプがぐにゃりと上空へ向かって湾曲する。パイプがキイィィィンと悲鳴を上げているが、必死に蓮司が形を押さえ込む。
そして地表を壊滅させるはずだった超高圧の風圧弾は、管の中を通り抜け、そのまま天に向かって豪快に打ち上げられた。
ドドドドォォォンッ――……!!
放り出された蓮司の身体は、猛烈な風圧によって住宅街の屋根を飛び越え、遥か後方へと吹き飛ばされていく。
「蓮司さーんっ――――!!」
旭の悲鳴のような叫びが、暴風の去った街に虚しくこだました。
――だが、その頃。
空中を舞いながらも、蓮司は必死に磁力を放って路上の標識や電柱に干渉させ、殺人的な風圧の勢いを殺していた。
「ぐっ……おぁっ……!?」
住宅街から少し離れた空き地へと着地し、激しく地面をバウンドして倒れ込む蓮司。
全身に激痛が走るが、彼は痛む体に鞭打ってすぐさま立ち上がった。視線の先――数百メートルほど離れた場所に、廃車や巨大な鉄くずが高く積み上げられた資材置き場、スクラップヤードが見える。
(チッ……あの風圧、半端じゃねぇな。だが……あそこなら)
蓮司は口元の血をぬぐうと、スクラップヤードへ向かって走り出しながら、胸元の通信機へ手を伸ばした。
――ザザッ……ザザ……ッ。
『――天城、千影。聞こえるか』
「っ!? 蓮司さん! 無事だったんですか!?」
旭の手に握られたインカムから、ノイズ混じりの蓮司の低い声が響く。
『ああ、なんとか生きてる。……おい、お前らに指示を出す。今すぐそのチキン野郎を引っ張って、俺のところまで誘き寄せろ』
「え……誘き寄せるって、どこにですか!?」
『俺が吹き飛ばされた方向――ここから東に数百メートル進んだ先に、スクラップヤードがある。俺はそこで先に待ってる。あそこなら……あのデカブツを粉砕する弾丸がいくらでもある』




