信じることは
旭と理人が少しずつ歩いていると、校内放送のスピーカーからノイズが混じった声が流れた。
声の主は、蓮司だった。
『あー……あー。えー、天城旭、および結城理人。直ちに教官室に来なさい。直ちに』
スピーカー越しだからか、どこか感情の窺えない冷淡なトーンだった。いつもの蓮司の飄々とした雰囲気は微塵もない。
「…………僕たち、大丈夫でしょうか?」
「ま、呼ばれる理由はさっきの件だな。てか、もう蓮司さんの耳にも届いてんのかよ! 昨日の界裂のことも含めてさ!」
「まあ、昨日の件は誰も信じてなくて、悪い方向に尾ひれがついて広がってそうですからね……」
「そうっぽいなぁ……あ! もう足、大丈夫だ。担いでくれてありがとな」
「いえいえ。それなら教官室へ案内しますよ」
「おう、今日は色んなところに行けるなぁ……」
自虐混じりに明るく答える旭。だが、その内心は冷や汗で満たされていた。
スピーカーからの放送を聞いた瞬間、事の重大さがじわじわと胸を押し潰し始めていたのだ。
(俺……初日からこんなことして、本当に大丈夫なのか……? これじゃあ……あの時と、何1つ変わってないじゃないか)
周りの意図を汲み取らず、考えなしに暴走してしまう自分。
これでは、昨日チームプレイの大切さを怒ってくれた仄にも顔向けできない。
――そして、脳裏に忘れたいはずの「元の世界」の出来事が、嫌なリアリティを持って蘇り始めていた。
「教官室は四階です。行きましょう」
そう振り返った理人の顔は、キリッと引き締まり、どんな処分も受けると言わんばかりの覚悟を決めた表情をしていた。
その顔を見て、旭も必死に意地を張る。
(なんとかしなきゃ……俺が勝手にやったことだって、ちゃんと説明して理人を庇わないと!)
「おう! ……って、次は四階か。筋肉痛にはキツいな!」
「無理しない方がいいですからね。限界が来たらまた担ぎますから」
「本当に悪いな……」
廊下の奥にある階段を上っていく。
螺旋状の階段の壁には、中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせる古い絵画が幾つも掲げられていた。
旭は意識を逸らそうと、それらの絵画に目をやる。二人の間に会話はなかった。
顔では余裕の表情を保とうと必死だった。
しかし、頭の中では「思い出しかねている記憶」が暴れ出している。
絵画を見て気を紛らわせようとしても、目から入る情報は上滑りし、脳の中に一切留まらない。まるで許容量を超えたメモリのように、外からの情報を弾き返していた。
(あの時も……そうだった……)
思い出す。高校一年生のあの夏。
俺は正しいことをしたはずだった。困っている奴を、助けたはずだった。
『どうしてあんなことをしたんだよ?』
『お願いだから、お前が謝ってよ……』
『旭……お前、やりすぎなんだよ』
(違う……)
(あの時は、ああするしかなかった)
(……そうだろ?)
(俺は間違ってなかったよな?)
スーッと全身の血の気が引いていくのが分かった。
それとは裏腹に、嫌な汗が全身から噴き出して止まらない。
視界の端が黒く狭まり、胸が圧迫されたように苦しくなる。
(何……舞い上がってたんだよ、俺は。別の世界に来てまで、また周りに迷惑をかけ続けるのか……?)
「ヒュッ……ふぅー……ふぅー……」
呼吸が荒く乱れる。息の吸い方が分からなくなる。
心臓が警鐘を鳴らすように、ドクドクと耳元でうるさく脈打っていた。
「……天城さん? 天城さん!」
「はっ……!? ご、ごめん! どうした!?」
肩を強く揺さぶられ、旭はハッと意識を現実に引き戻された。
目の前には、心配そうに自分を見上げる理人の顔があった。
「どうしたって……もう教官室の前ですよ?」
目の前には、どこにでもある扉が立っていた。
今日授業を受けた教室の扉と全く同じものだ。しかし、どこか圧倒的な重厚感を感じさせた。
「……いいですか? 入っても」
「あぁ、大丈夫だ……」
コンコン、と理人が軽やかにドアを叩く。
「「失礼します!」」
二人声を揃えて扉を開け、室内へ挨拶を投げかける。
「イグゼクター候補生、特異適性クラス所属――結城理人です」
「……同じく、天城旭です」
「入れ」
短く力強い蓮司の声が、広い教官室内に響き渡った。
室内を見渡すと、蓮司以外にも何人かの教官たちがデスクに座り、こちらへ冷ややかな視線を送っているのが見えた。まるで公開処刑場に引きずり出されたかのような圧迫感だ。
旭と理人は、自身のデスクに深々と腰掛けた蓮司の目の前まで進み出た。
「よーし。来たな」
そこから、三人の間に重苦しい沈黙が落ちた。旭と理人は、蓮司が次にどんな怒声を飛ばしてくるのかと身を硬くして待つ。
蓮司は二人の顔をじっくりと覗き込んできた。
「理人お前……目元が少し腫れてるな。なんかあったのか?」
「……なにも、ありません」
「泣いたのか? ハハッ! 珍しいこともあるもんだな。あとで玲奈と仄にも教えてやらねぇと!」
「……」
蓮司の無邪気で、どこか場違いな明るさ。それが今の旭にはひどく気持ち悪く、胃の奥に冷たく重く沈んでいった。
(……最初はそうなんだよ。警戒心を解くために、関係ない話を遠回りして探ってくるんだ。それから、本題に入って追い詰める。教師ってのは……みんなそうだ)
呼吸がまた浅くなっていくのを、旭は必死に押し殺した。
「……まぁ、そんな雑談は望んでねぇって顔だな。とっとと聞きたい本題に入るか」
蓮司が椅子の背もたれに深く体重を預け、肘を机についた。
「……なんか、トレーニング室の床が派手に砕け散ったたらしくてな。ここは教習所だからよ、すぐに監視カメラの映像が本部に飛ぶようになってるんだ。俺もさっきその映像を見たんだが……当事者のお前らの口から、直接事情を聞きたくてな」
「はい……」
(俺はお前の味方だみたいな顔をして話を聞いて、結局心の内じゃハナから犯人扱いなんだ。話を聞くだけ聞いて、次はお前が悪いって諭しに入るんだろ……?)
過去の苦い記憶が、黒い影となって旭の思考を塗りつぶしていく。
冷や汗が背中を伝う中、旭は固く拳を握りしめた。
「その件は……俺から言います」
嫌な思い出にどっぷりと浸かった旭の心。とりあえず理人の無実だけは証明しなければと、半ば自暴自棄な感情が支配していた。
「おう。聞かせてくれ」
「最初の床の破壊は……タンクトップの男がやりました」
「あぁ、それはカメラにもしっかり映ってるな」
蓮司の目が、わずかに鋭さを増す。
どうやら蓮司の知りたいポイントはそこではないらしい。旭はその空気の変化をいち早く察知する。
「俺と理人が話している途中で……あの二人の男が割って入ってきたんです。それで、理人のことを必要以上に馬鹿にしてきて……」
「ほぉ……それじゃあ、お前には関係ない話なんじゃないのか?」
「二人の男にそいつとつるむと碌なことにならないって……アドバイスのつもりか知りませんけど、煽られてムカついたんです」
「そ、その時に僕がもっとしっかり対応していれば、旭さんが巻き込まれずに済んだんです! 僕の責任です……っ」
「いや、理人がどうこうじゃねぇよ。理人がいようがいまいが、俺の行動は変わらなかった。……結果、あの二人は理人のことを半殺しにするって脅してきたんです」
「ふーん……」
蓮司がアゴに手を当て、二人の姿をまじまじと見つめる。
「なるほどなぁ。要するに絡まれた、と」
「はい。話し合いの余地なんてありませんでした。……でも、あんなに奴らを激昂させるまで煽り返したのは俺です。俺の行動が軽率でした」
理人が旭の方を向き、静かに申し訳なさそうに視線を落とした。
「よし……じゃあ、単刀直入に聞こうか。――どっちが悪い?」
「俺と、あの二人です! 理人は一切関係ありません! もしあの二人がイグゼクターとして有望で俺が邪魔なら……俺だけ退校処分にしてもらって構いません!」
「天城さん……っ!」
「……」
蓮司が沈黙する。
旭と理人は、固唾をのんでその返答を待った。
すると蓮司はおもむろに立ち上がり、旭の目の前へと歩み寄ってきた。旭は予想外の行動に動揺を隠せないでいたが、すぐに体勢を押し戻し、強く毅然とした意思を瞳に宿して見つめ返す。
コツン……
蓮司が拳を軽く作り、旭の額を力なく叩いた。
「これが今回の罰だ。……まったく、問題児クラスの敷居を勝手に上げやがってよぉ」
「え……?」
「なんだ? 『退校処分』だっけか? んなもん、するわけねぇだろ」
「そんな……っ。だって、わざわざ放送で呼び出して……!」
「あぁ、呼び出したさ。俺は何があったのか、お前らの口から本当のことが知りたかっただけだ」
強い覚悟を決めていた姿勢のまま、旭は何が起こったのかを理解できずにポカンと固まっていた。隣の理人も同様に目を丸くしている。
「しっかし……仲間のために問題を起こすなんてよぉ。お前……いくらなんでもクサすぎだぜ」
「……信じて、くれるんですか?」
「当たり前だろ。理人の反応を見りゃ分かるさ。半年も見てりゃ、嘘ついてるかどうかくらい大体察しがつくし……こんな他人を庇う理人は初めてだからな」
蓮司のいつもの飄々とした笑みが戻る。
「でも……そんなのただの勘だし、証拠がないじゃないですか。俺たちが嘘をついてる可能性だって……」
「ハッ! 信じるも何も……お前ら」
蓮司が旭と理人の胸元をひらひらと指差した。
「――光ってねぇじゃねーか」
「え……?」
「あ……っ!」
理人はまだ事態を呑み込めていなかったが、旭はようやくその意味に思い至った。
忘れもしない、この教習所に入るための急な試験での面接の記憶。
「まったく……入校して、まだ二日目だというのに」
蓮司の向かい側のデスクから、深く落ち着いた聞き覚えのある声が響いた。
「とんだお人好しですね、天城旭さん」
そこに座っていたのは、協会人事部所属の面接官――氷室信義だった。
「あなたは……氷室さん?」
「あぁ。このクソ頑固、自分も話を聞くって聞かなくてよぉ。ずっとそこに居座ってたんだよ」
「当たり前です。相馬教官一人に任せていては、どのような処分になるか分かったものではありませんからね」
「ったく、俺はこう見えても教官だっつの!」
「そうやって精細を欠いている言動が、あなたの性格を物語っているのです」
旭と理人をそっちのけにして、二人で口喧嘩を始めてしまう。
「蓮司さん……俺たち……」
「ん? あぁ……元々俺はお前らを信じてたぜ? なんせ俺が見込んだ男だからな。……まあ、まさか入校二日目でカンチョーと金的で問題を起こすとは思わなかったけどな!」
蓮司が豪快にゲラゲラと笑う。
(信じて、もらえるんだ……)
どうせ誰も信じてくれないと、自分の中で最初から諦めていた。
根拠は氷室の能力のおかげかもしれない。けれど、それでも良かった。自分の言葉を疑わずに、心の底から信じて受け止めてくれる大人。
旭がずっと欲しかったのは、ただそれだけだったのだ。
「今回の問題は、今もトレーニング室で気を失っている彼らに重々注意をするよう、担当教官に伝えておきます」
「おう、頼んだ」
「相馬教官も来てください。報告書の作成があります」
「わりぃ! 俺はこの後、ちょっと用事があって――」
その瞬間、蓮司の身体がド派手な真っ赤な光に包まれた。
「そう断ると思って、すでに能力を発動しておきました」
「あ! ずるいぞ、このクソ頑固!!」
二人の漫才のようなやり取りを見ているうちに、旭の全身からすーっと緊張が抜けていった。膝からガクリと力が抜け、その場に倒れ込みそうになる。
「天城さんっ!?」
「天城! 大丈夫か!?」
「あ……あぁ……大丈夫だ……」
「過度の緊張と疲労が一気に来たのでしょう。教室に戻って、少し体を休めた方が良いですね」
「分かりました! 旭さん、ほら、行きましょう」
氷室に促され、理人が再び旭の腕を自分の肩へと回す。
「……失礼しました」
小さく一礼し、旭と理人は教官室を後にした。
重苦しかった胸の支えは、いつの間にか綺麗に消え去っていた。
二人が去った後の教官室。
静寂が戻った室内に、大人たちだけが取り残されていた。
「しかし、お前が最後まで残るとは思わなかったぜ。天城にそんな思い入れがあったのか?」
「えぇ、まぁ……。今回の件で天城旭さんに重大な不備が見つかり退校となった場合、私の沽券に関わりますからね」
「相相変わらず堅いヤツだな」
「当たり前です。……ですが彼には、もう少しここで頑張ってほしいと……久しぶりに心から思いましたよ」
「なんだよ。なんだかんだお前も、天城のことが気になってんじゃねぇか」
「そうですね……。確かに彼の『仲間のために』という意気込みや短絡的な行動は、誰でも思いつくようなものです。しかし……彼はそれを、心底本気で口にしていました」
「クサいヤツだぜ、まったく」
「ええ。今時、あそこまで真っ直ぐな人間はいませんから」
「あらァ……あの氷室さんがそこまで買いかぶるなんて、少し意外だわァ」
二人の会話に、艶やかな声が割り込んできた。
振り返ると、体にフィットした隊服を着こなす一人の女性教官が、椅子に背をあずけて座っていた。モデルのような抜群のスタイルに、豊満なボディライン。まさに『魔性の女』という言葉がそのまま当てはまるようなルックスだった。
「あなたは……特待生クラス担当の黒峰教官」
「でもね……あたしもあの子を見ていて、感じるものがあったわ。今のあたしのクラスに……一番足りないものかもしれないってね」
「へぇ……なら、お前のクラスに入れてみるか?」
「ふふっ、それは勘弁してちょうだい。あたしの可愛い子猫ちゃん達に、あの子をあわせるのは……ふふ、まだ少し早すぎるわァ」
「ですが……あの天城旭さんのことです。もしかすると、すでに面識くらいはあるかもしれませんよ?」
「やだァ! いくら氷室さんでも、その冗談は笑えないわよ? はァ~~。本当に勘弁だわ。きちんと監視してちょうだいね!」
「はっは! 冗談だよ冗談! そんなことあるわけねーだろ! ……だよな? 天城」
豪快に笑い飛ばしながらも、蓮司は教官室の天井を見上げ、冷や汗混じりに旭の顔を思い浮かべるのだった。




