”なんか”じゃない!
理人に連れられてやってきたのは、一階にあるトレーニングジムだった。
足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは横一列にズラリと並んだストレングスマシン。その奥には無数のスピニングバイクがズラリと整列している。
あまりに広大で、奥の壁際が見通せないほどだった。
室内は活気に満ち溢れていた。グループで賑やかに汗を流す者たちもいれば、黙々とチェストプレスに打ち込むストイックな者もいる。利用者の数はかなり多いようだ。
「まずは、あちらのエリアで準備体操をしましょうか」
「分かったぜ」
マシンエリアを通り抜け、トレーニングマットが敷き詰められたフリースペースへ移動する。
ふと壁を見上げると、巨大なモニターに『イグゼク体操第一~!』という陽気な映像が流れていた。どうやら画面のお手本に合わせてウォーミングアップをする仕組みらしい。
二人は黙々とモニターに合わせて体を動かした。
……そして旭は、体を曲げた瞬間に激痛が走り、自分が猛烈な筋肉痛であったことを嫌というほど思い出させられたのだった。
「ふぅ……終わりましたね。では、マシンの方に向かいましょうか」
「あ、あぁ……」
「大丈夫ですか? 確かに昨日、旭さんは一番身体を張って動いてましたからね。今日は無理をしない方がいいですよ。……よし、それじゃあ僕がよく使っている場所に行きましょう」
理人は迷いのない足取りで、壁際に並ぶランニングマシンへと向かい、ぽんと指を差した。
「僕はまず、何よりも基礎体力をつけたいんですよね」
「そうか。……じゃあ俺も、ランニングマシンで行けるところまで頑張ってみるか」
二人は隣り合った二台のマシンに乗り、まずは低速のウォーキングからアップを始めた。
「旭さんは、体力には自信がありますか?」
「正直、あんまり自信はないな……。だけどさ、一端の体力が身についたところで、あんなデカい化け物と真っ向から渡り合えるとは思えないんだよな」
旭は昨日の怪鹿との死闘を思い浮かべる。人間の限界レベルまで鍛えたところで、あの怪物に勝てるとは到底思えなかったのだ。
「フフッ、そこで能力の出番ですよ! 能力の使い方次第で、人間の肉体的限界をいくらでも補うことができるんです」
「へぇ~……あ! でも、能力って体内のエネルギーを使うんだよな? 結局、能力を使いすぎたら体力が残っててもバテちゃうんじゃないか?」
「そこは安心してください。少し前の研究で、肉体を動かすエネルギーと、能力を行使するエネルギーは出処が別であるということが分かっているんです。ただし、昨日の朝比奈さんのように、一気に膨大な能力エネルギーを放出しすぎると、著しい疲労症状が出ますけどね」
「なるほど……そういうことか」
(つまりゲームで言うところの、体力がHPで、能力がMPみたいなものか)
「なら、もしかすると能力を使う時も、身体を動かす時と同じように少しだけ出すとかドカンと大きく出すみたいな調整ができるんじゃないか?」
「おっ、いいところに気がつきましたね! 天城さんは玲奈さんとは違って、飲み込みが早くて助かります」
「そうか? まだ全然仕組みを理解できてる気がしないけどな」
「自ら疑問を提示できるのは、ちゃんと構造を理解しようとしている証拠ですよ。本当に理解していない人は、疑問すら浮かびませんから」
「ありがとよ。理人の教え方が上手いお陰だな」
「そうですか? えへへ……照れますね、ありがとうございます」
そう言いながら、理人がランニングマシンのスピードを一段階上げた。
一方の旭は、今のスピードですでに限界を迎えつつあった。速度表示を見ると、時速五キロ。ウォーキングに毛が生えた程度の速さなのだが、全身筋肉痛の体には拷問に等しい。
「その天城さんの疑問、大正解ですよ。能力と言っても、場面場面で出し方を細かくコントロールしなきゃいけないんです」
「場面……?」
「はい。僕たちイグゼクターの使命は、あくまで市民とこの国を守ることです。どんなに強力な大技で敵を倒せても、そのせいで街が壊滅して住民が巻き込まれたら意味がないでしょう?」
「確かに……そんなことしたら、どっちが敵か分かんなくなるな……ハァ、ハァ……」
足が鉛のように重くなってきた。対照的に、理人はまだまだ涼しい顔で汗ひとつかいていない。
「そうなんです。だから能力の使い方には、身体の使い方以上に細心の注意を払わなきゃいけないんです。日常的な任務では、疲れない程度、かつ被害を出さない最小限の力で戦うのが基本なんですよ」
「なるほどな……ハァ、ハァ……。すまん、俺……もうギブ……」
「大丈夫ですか!? そこのベンチで休んでいてください!」
「あぁ……ありがと……そうさせてもらうよ……」
フラフラになりながらマシンを降りる。
中学校の体育でシャトルランをやっていた頃、体育の教官から「走っている最中に余計なことを考えると、脳に酸素を持っていかれてスタミナを切らす」と言われたのを思い出していた。
走りながら頭をフル回転させると酸欠になる感覚を、旭は今さら身をもって理解していた。
(それにしても……能力の使い方、か)
ベンチのすぐ横にあった給水サーバーで紙コップに水を注ぎ、一気に煽る。紙コップ一杯程度では到底足りず、何度もボタンを押してグイグイと飲み干した。
(使いようによっては刃物のような凶器にもなるし、人を守るための盾にもなる……ってことだよな)
自分の能力をどう鍛え、どう使っていけばいいのかはまだ見当もつかない。だが、これからやるべきことの方向性だけははっきりと見えた気がした。
(そのためにも……まずはやっぱり、最低限の体力だな……)
冷たい水を胃に流し込みながら、黙々と走りを続ける理人の背中に視線をやる。荒い息を吐きながらも、彼は一定のペースで走り続けていた。
(……これ、もしかして問題児クラスの中で俺が一番体力無いんじゃないか……?)
情けなさと焦りを覚えつつも、旭はゆっくりと呼吸を整えていくのだった。
やがてランニングマシンを終えた理人が、大きく息を整えながら旭の元へやってきた。
「スゥ~……ハァ~……。ふぅ、今日はかなり長く走り続けられました」
「お疲れ。いや、正直びっくりしたぜ……体力がないからって問題児クラスに配属されたんだろ? 俺から見たら全然そうは見えないけどな」
「ありがとうございます。でも……今のままじゃ、僕にとっては全然ダメなんです」
「マジかよ……ストイックだなぁ」
「そうそう。マジだぜ〜。そいつ、体力雑魚すぎなんだよ」
不躾な声が、二人の会話に割り込んできた。
振り返ると、見知らぬ男二人が旭たちの前に立ち塞がっていた。
片方は角刈りに緑のタンクトップを着た、いかにも筋骨隆々な男。もう片方は黒のスポーツウェアをスマートに着こなした、オールバックの細マッチョな男だった。
「なんだ……お前ら?」
「俺らはさ〜、教習所の試験の時にそこにいるヒョロガリと一緒のグループになった、可哀想な被害者様でーす」
角刈りの男が、旭たちを見下しながら煽るような声で吐き捨てる。
「試験の時さ、グループでこいつと一緒になったんだけどよ〜。足を引っ張りまくってくれたわけ」
「な? おかげで俺たちまで危うく落ちかけたんだぜ」
「絶対に落ちるだろって思ってたんだけどな〜。それなのに〜、なんか運良く受かってるし〜」
「ましてや、のうのうとトレーニング室でぬるいことやって、すっきりした顔してさぁ」
「あの問題児クラスの癖によ〜。俺だったら恥ずかしくて速攻で辞めてるわ」
「俺も俺も。こんな醜態さらして、なんでまだここにいられるのか理解できねぇわ」
「……それで? お前らは何をしに来たんだ。わざわざそんな下らないことを言いに来ただけか?」
旭の声色が、自然と低く荒くなっていく。
「天城さん……僕は大丈夫ですから……」
気まずそうに俯く理人が、旭の袖を引っ張って制しようとする。
「理人……」
「あ! そういえば問題児クラスってさ、めちゃくちゃなデマ流してなかったか?」
「あ〜、あれね! 昨日、危険度Ⅲの界裂生物を倒したとかいうやつ〜? 朝聞いて腹痛かったわ〜」
「ギャハハハ! 誰が信じるんだよそんな嘘。問題児の分際でさ」
「な〜。ん? 何しに来たんだって〜? 君に親切なアドバイスをしに来てあげたんだよ〜。こんなやつとつるんでると、君までロクなことにならないよって。優しいでしょ〜?」
「あぁ……ありがとよ」
旭はゆっくりとベンチから立ち上がり、嫌味な笑みを浮かべる二人の男を冷ややかな眼光で見据えた。
「――でも、俺が理人とつるむのをやめる理由には、一ミリもならねぇな」
「あ?」
「むしろ逆だ」
「ん〜?」
「昨日、一緒に命がけで戦った俺の方が、お前らなんかより理人のこと分かってんだよ。足を引っ張る? 俺の知ってる理人は、そんな情けねぇヤツじゃねーよ」
「戦ったって〜? もしかして君も問題児クラスのヤツ〜?」
「なんだよ、せっかくアドバイスして損したわ。てかお前も一緒になって嘘ついてんのかよ。ウケるな」
「ね〜。それなら教えてよ〜。問題児クラス様がどんな大活躍(笑)をしてたのかさ〜?」
「はっ……言ったところで、どうせ信じねぇだろ」
「お! 大正解〜!」
「なんだぁ。別にいくら虚勢張ってもいいけどよ、正直俺たちからしたらめちゃくちゃ不快なんだわ」
「そーそー。あんま調子に乗るなよって話」
「で、本題なんだが……流石にこれ以上視界に入るのもキモすぎて耐えられねぇから、ここでボコボコにしてやろうと思ってよ」
角刈りの男が指をポキポキと鳴らし、ニヤつきながら一歩踏み込んでくる。
「あんま調子こいておちょくってんじゃねぇぞ、新人」
「あ〜あ、君運が悪いね〜。この人怒らせたらもう止められないかも〜。でも危険度Ⅲ(笑)を倒したなら余裕でしょ〜?」
オールバックの男が煽るように両手を広げる。
いつの間にか周りから人は離れ、二人を取り囲む不穏な空間が出来上がっていた。
「……天城さん、すいません、僕が悪いんです。天城さんは関係ありませんから……っ」
「いや? そいつもまとめて半殺しコースだ」
「はぁ〜……理人もホント大変だな」
「……え?」
恐縮する理人の肩を叩きながら、旭は心底呆れたように溜め息をついた。
「こんな痛い変人どもに目を付けられるなんてな」
「……あ?」
「筋肉鍛えすぎて脳みそまで筋肉になっちまったのか? 人の話もまともに聞けねぇみたいだしよ」
「は〜い、会話終了〜」
「おう。死ねや!」
角刈りの男の右拳が、異様な威圧感とともにみるみるうちに巨大化していく。
――能力の発動。
岩石のように膨れ上がった拳が、旭の顔面目かけて豪快に振り下ろされた!
「天城さんっ!!」
「……安心しろ、理人」
ドゴオォォォン!!
トレーニングジム内に豪快な破壊音が響き渡る。
角刈りの男が振り下ろした巨大な拳は、床のマットを激しく粉砕していた。
「あ~あ。問題児クラスの人ってやっぱり馬鹿なのかな〜? さ、次はお前だよ〜」
「覚悟し――」
「おい、どこに向かって拳振りかざしてんだよ」
「……え?」
「あ、天城さん……っ!」
「な、なん……どこに消え――」
「ずっ……っこばっきゅゅゅゅん!!」
旭の叫びとともに、無防備に大きく開かれた角刈り男の股下から、魂のこもった二本指が真下から吸い込まれるように突き刺さった。
グチュウウゥン!!
「あ、アハァ〜ンっ!?」
岩石のように巨大化していた拳が一瞬で元通りに縮み、角刈りの男は目を見開き、情けない声を漏らしながら自分のお尻を押さえて崩れ落ちた。
「おいおい。筋肉自慢なら、そこもバチバチに鍛えとけよな……。で、次はあんたか?」
「ひ、ヒィっ……!」
旭が低く恐ろしい威圧感を纏いながら、オールバックの男に向かって一直線に踏み込む。
「おらぁぁぁっ!」
(ふふ~ん、引っかかったなバカが~! 僕の能力は爪を弾丸のように飛ばす連射攻撃……くらえっ!)
パパパパシュンッ!!
オールバックの男が両手を突き出し、向かってくる旭へ全指から爪の弾丸を撃ち出す。
(よ~し、直撃……し、た……?)
弾丸が命中した瞬間、旭の姿がゆらりと水面のように揺れ、そのまま空欄へ消え去った。残像だ。
「な、何!? どこ行った!?」
「ここだよ」
「ま、まさか……っ!」
「語尾伸ばすの忘れてるぞ~?」
背後に回っていた旭が、右足を豪快に振り上げる。
そのままオールバック男の急所へ向かって、寸分の狂いもなくつま先が突き刺さった。
ドゴッ!!
「ハッフゥゥゥウウウンっ!?」
裏返った悲鳴をあげ、オールバックの男も股間を押さえてその場に悶絶、白目を剥いて倒れ込んだのだった。
「よし! 理人、逃げるぞ!」
「え? ええっ!?」
二人が沈む地獄絵図を背に、旭は理人の手を掴んでトレーニング室を脱出した。
そのまま二階の教室まで一気に走り抜けようとした――その時。
「うぎぎぎ……っ! さ、流石に限界か……!」
ガクッと膝から崩れ落ちる。
さっきの無茶な残像移動と急所攻撃で、筋肉痛の全身が悲鳴をあげていた。
「大丈夫ですか、旭さん……っ!」
理人は慌てて駆け寄ると、自分より背の高い旭の腕を自分の肩に回し、必死にその体を支えた。
「どうして……どうしてあんな無茶をしたんですか……っ」
「へへッ……昨日、命がけで戦う理人の格好いい姿を、俺はこの目で見たんだぜ……? あんな凄いもん見せられた後にさ、あんな奴らに好き勝手言われて黙っていられるような奴、居ねぇよ」
「旭さん……」
「それに……理人、さっき言ったろ? 『能力の使い方』の話」
「え……?」
「俺は、自分の能力を仲間のために使う。そう決めたんだ。……まあ、そんな理由じゃイグゼクターとしては失格かもしれないけどな。けど、そんなことより俺が凄いって認めた仲間のためになりてぇんだよ。……あー、でもまた勝手に暴れちゃったな。悪ぃ!」
へらっと笑う旭の言葉を聞いて、理人の大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「も、もう……旭さんっ。僕なんかのために……うっ、うう……っ」
「僕『なんか』じゃねーよ。もっと自信持っていこうぜ」
「うぅ……っ。でも、あんな派手にやっちゃって大丈夫ですかね……。後で教官になんて言われるか……」
泣きじゃくる理人に顔を向け、旭は静かに首を振ってニヤリと笑った。
「……あの人に期待したら負け、だろ?」
「……! はい……そうですねっ」
涙を拭いながら、理人は旭が見た中で一番眩しい、心からの笑顔を浮かべた。
肩を貸し合い、ぎこちなく歩く二人。
その距離は、昨日よりも確かに縮まっていた。




